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1.カラアゲと稀人


 私はごくごく平凡に生きている市井の魔術師だ。名をベルナールと言う。平凡とは言っても、もちろん30年あまりを生きているのだから、自分なりの波乱はあった。あったにはあったが、それは特に珍しくもない波乱で、自分の人生に影響は及ぼしても、国や世界の情勢に影響を及ぼすものではなかった。歌い出したいほど幸せでなかったとしても、世をはかなむほど絶望しているわけでもない。


(ただ、最近は少し気持ちが上向きだ)


 夏の終わり、日が暮れ始めた通りを自宅へ向かって歩きながら、心の中でそう呟いて、私は小さく頷いた。

 自分の店を持つという目標がもう少しで達成できそうで、自宅として借りている家は今その準備中だ。その準備はおおむね問題なく進んでいる。これは上向きにならざるを得ない。


 ここ10年ほどはその資金稼ぎのために、いわゆる冒険者稼業をしていた。

 そういえば、昔、私がまだ子どもだった頃は、冒険者という呼び名はなかったなと思い出す。もちろん、今の冒険者たちがやっている仕事は当時からあったけれど、それは傭兵や護衛と呼ばれたり、魔獣狩りを専門とする狩人は上級狩人と呼ばれたり、少し変わったところでは魔石を集める収集者と呼ばれる者もいた。そういった、商売や旅以外で街の外に出るような仕事、特に戦闘がからんでくるような仕事をひっくるめて「冒険者」と呼ぶようになったのは、ここ20年ほどだと思う。

 冒険者という言い方が広まったのは、“稀人(まれびと)”の影響だ。


 稀人とは、ここではないどこか別の世界の記憶を持っている人間を言う。彼らによると前世(異世界とも呼ばれる)で生きた記憶があり、その世界で命を落とした後に、こちらの世界の誰かの体に入り込むらしい。もちろん、いつも通りに生活している人間の体にするっと入り込めるわけではなく、こちらの世界の誰かが死ぬ寸前だったり、意識を失って回復する見込みがなくなったような状態、つまり魂が離れた状態の体に入り込むらしい。


 多くは、前世の記憶と、こちらの世界で生きていた体の記憶の両方を持ちながら、人格としての主導権は前世の状態になるとか。だから、入り込んだ本人にとっては、前世で死んでこちらで生まれ変わった状態になるという。こちらでの記憶は急に頭の中に流し込まれるような形であったり、徐々に馴染んでいくような形であったり、個人差もあるらしい。


 逆に、こちらの世界でその様子を見ていた人間にとっては、死の間際で人格が変わって、急に前世の記憶を“思い出した”ように見える。

 実際の家族にとってはかなりの混乱だろう。けれど、そういった事象はずいぶん以前から確認されているので、急に性格が変わっても「稀人になったのだから」と納得してしまうような風潮はあった。稀人が持つ、この世界にはない知識が国を発展させるということも知られているので、本当に稀人だと認定されれば、知識を提供する代わりにいろいろな利益も与えられる。


 もちろん、召喚術を得意とする者たちはどうすれば効率的に稀人を召喚できるかということも研究しているけれど、稀人がこちらに来るためには死の間際にある人間が必要であり、しかもそれは病気で死にそうとか、大怪我で死にそう、というのでは都合が悪い。あくまでも体はある程度健康なまま、魂が抜けてしまっている状態が良いとされているので、召喚術者たちの研究も一進一退だと聞いている。それでも最近は少し成功率が上がってきたのか、稀人の数は増え始めているらしい。


 その稀人たちが、いろいろな職種をひっくるめて「冒険者」と呼び始めた。稀人たちが持ち込んだ知識はいくつもあるけれど、知識や技術ではなく、単なる呼び方や言葉が普及していくことも多い。稀人たちが持ち込む言葉は新しい外国語のようで、いくつかの意味が含まれていると理解してしまえば、なんとなく新しい言葉を使ったほうが便利な気持ちになる。

 冒険者には稀人が多い。というより、稀人の多くが冒険者となる。だから、稀人の絶対数は多くなくとも、冒険者の中にはよく見られる。私も10年ほどを冒険者として過ごしたので、稀人の友人が幾人かいる。


(急がないと、あいつらのほうが先に着いてしまうかな)

 もう少しで自宅が見えるというあたりで、少し急ぐことにした。今日はその稀人の友人のうち2人が我が家を訪れることになっている。


「ああ、ちょうどよかった」

 自宅へ続く角を曲がったところで、反対側から歩いてきていたらしい少年が、やや幼い声でそう言った。こちらに向けて軽く手をあげて見せたのはアロイ。明るいブラウンの髪は耳のあたりで切り揃えられていて、仕立ての良いコートとも相まって、上品なお坊ちゃんという雰囲気だ。実際、家はそれなりに裕福だと聞いた。飛び級をして高等院に通っているけれど、年齢はまだ14歳か15歳だったと思う。稀人なので中身の精神年齢はともかく、体のほうはまだまだ成長期の途中だ。


「ごめんごめん。君たちが来る前にいろいろ支度をしておこうと思っていたんだけど、少し遅くなっちゃった」

 言いながら、私はポケットから鍵を取り出して、正面玄関ではなく勝手口の扉を開ける。正面玄関は店としての出入り口になるので、生活空間への出入りは勝手口のほうが便利なのだ。

「お茶を淹れるよ。リビングのほうに入って寛いで。セロは? 一緒じゃなかった?」

「あいつはなんか料理でも買ってくるって言ってた。ほら、“荷揚げ通り”のほうに新しくできたカラアゲ屋が美味しいってさ」

「それは楽しみ」


 カラアゲ、というのも稀人たちが普及させた。醤油や味噌のような調味料は昔からあったけれど、稀人たちがその味を進化させる過程で新しい料理もどんどん生み出した。こちらの世界にもカラアゲに似た料理はもちろんあった。でも、昔ながらの鶏の揚げ物は薄い下味をつけて素揚げしただけのものだった。ショウガやニンニクを使い、醤油や砂糖も使って濃いめの味をつけて、小麦粉や澱粉をまとわせてカラリと揚げるそれは、やはり「鶏の揚げ物」ではなく「カラアゲ」なのだ。


「よーぅ! こんちはー」

 コココッとノックの音がしたと同時に扉が開く。

 そのタイミングで、ノックの意味とは一体。

 本当にカラアゲの匂いと共に入ってきたのはセロだ。少しクセのある柔らかな淡い金髪と緑の瞳、端正な顔立ちで街の女性たちに人気がある。正直、ちょっと妬ましい。見た目はアロイよりも年長で、私よりも少し若い。20代半ばだったと思う。

 ただしアロイもセロも稀人だ。こちらに生まれ変わる前は2人とも30歳前後だったようだから精神年齢なら私とほぼ同じか、ひょっとしたら私が一番若い疑惑さえある。


 セロが買ってきたいくつかの料理をテーブルに並べ、私のほうでは酒や茶を用意する。日が落ちて暗くなってきたので明かりもつけた。

「どうする? 頼まれてたもの作ってきたけど、食べてから納品ってことにする?」

 ソファの横に置いた鞄を見ながらアロイが尋ねてくる。

「ああ、納品はあとでいいんだけど……今日はさ、ふふっ……見てもらいたいものがあってね。ふふふっ」

「え、ベルナールきもい。何その笑い方」

 セロの容赦ない言葉にも負けない。そう、今日の気分が上向きだった理由は開店準備の順調さだけではないんだ。

「今日さぁ、露店で魔法陣屋を見かけてさ。面白いものがあったんだよ。ちょっと起動するから見てくれる?」

「魔法陣? なんか召喚すんの?」

「最近は召喚だけじゃないらしいよ。家の強度を上げる魔法陣とか、清掃の魔法陣とかあるらしい」

「いやいや、これは召喚の魔法陣だけどさ。まぁいいからちょっと見ててよ」


 居間の床に羊皮紙を置き、四隅に魔結晶を配置する。魔法陣の前に膝を突いて、私はゆっくりと魔法陣に手をかざした。


(界を越えて来たれ……優しき者……賢き者……我が忠実なるしもべとならん……)


 魔法が発動した“後”のことを思い浮かべながら、魔力を込めていく。魔法陣に魔力が行き渡り、四隅に置いた魔結晶からも魔力がにじみ出てくる。自分の魔力と魔法陣の魔力、魔結晶の魔力、全てが混ざり合って絡まり合って、そうして一点へ収束していく。

 魔法陣は術式が完成しているので声に出して詠唱する必要はない。ただ、召喚の魔法陣は、心の中で具体的な言葉にすることで魔力に方向性を与えると、よりよいものを召喚できる。


 魔力が収束し終えると、その中心に光の球が浮かんだ。かざしていた手からさらにぐんと魔力が引き出される。中心の光がカッと強くなった。

 次の瞬間、頭の芯がくらりとした。思わず、ぎゅっと目を閉じる。

(あれ、こんなに魔力を使うのか……?)

 もう一度、ぐんと魔力が引き出され、すぅっと意識が持っていかれる。

「うわ、めっちゃ光ったな」

 セロの声に、意識が引き戻された。あぶないあぶない。意外と疲れていたのかもしれない。私は目を開けた。さっきまで目の前にあった強い光は消えている。その場にあった魔法陣は綺麗に燃え尽きていた。魔力によるものなので、もちろん床が傷むこともない。


「え、そういう魔法?」

 アロイの声がする。

 そう、私はこれからの生活で相棒になってくれる使い魔を召喚したのだ。優しく賢い犬の使い魔を。黒い毛並みだといいなと思っている。さて、どんな犬が召喚され……あれ、犬がいないな?

「へぇ、変身魔法とは珍しいな」

 セロの声。

 変身……?

 セロと目が合った。セロの隣ではアロイが肩をすくめている。

「しかし、よりにもよって女の子に変身するとは趣味が良いのか悪いのかわからないね。僕らの世界ではロリコンと呼ばれても反論できないやつだ」

「え? 女の子? 何のことだ、私が呼んだのは使い魔……」

 説明しようとした声が高い。まるで少女のように。

 はぁ?


 手を見る。白い肌、細く華奢な指。

 顔を触る。自分の手で自分の頬に触れている感覚。

 胸や腹を触る。薄い胸、細い腰。

 髪を触る。つややかな長い髪。毛先を目の前に持ってくると、濡れたように美しい黒髪だった。私の髪はこんなに長くないし黒くもない。

「え、あ……え? な、なんで……え?」

 疑問符ばかりを繰り返す私に、アロイがそっと窓を指さした。

 すっかり暗くなった外、明かりをつけた室内。窓に嵌めたガラスには室内の様子が反射している。おそるおそる窓ガラスをのぞき込むと――そこには美少女がいた。

「はぁぁぁぁぁっ!?」

 

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