16.そういうところが可愛い
セロの山小屋の中、アロイが真剣な表情で口を開いた。
「僕がここ数日考えていて……そして、さっきセロから呼び出される直前に、ひらめいたことがあるんだ」
セロを見つめ、そして私をちらりと見て、もう一度セロに視線を移す。
「セロ……ベルって妙に可愛くない?」
はぁ??
なにそれ? はぁ?
「アロイ……それは俺も薄々気がついていた」
ひょぇゎーーっ!!?
アロイもセロも! 2人とも真剣な顔して何言ってんの!?
「ちょっ、ちょっと待って、2人とも! なんでエルクに挑む時より真剣な顔してんのさ!?」
「ベルってよ、まぁ店に立ってる時はよそ行きだから、それはいいとして……普段は別に演技してるわけじゃないじゃん?」
セロが私を見ながらアロイに言う。
「そう。そこなんだよね」
アロイも私を見ながら、セロに同意する。
「これは……2人とも、本人を目の前にして陰口を言おうとしているのかい?」
私のつぶやきには2人とも耳を貸さない。
「演技してないのに、妙に外見と違和感がないっていうか……あとさ、リナって素直で可愛いけど、この見た目よりは年相応に元気な感じじゃん? それが、中身がベルナールだと清楚な美少女に見えるのがちょっとおかしくねえか」
そう言ってセロがコーヒーをすする。
うんうん、とアロイが同意する。
「そこだよ、セロ。君から呼び出される前、ちょっといろいろあって、ベルが僕の部屋にいたんだけどね。僕がちょっとからかったら、ベルはなんて言ったと思う? 顔を赤くして『違うもん!』って言ったんだよ!?」
「ちょ、アロイ……」
私がアロイを止めようとしている横で、ぶ、とセロがコーヒーを噴き出しかける。寸前でこらえたようだが、カップは大きく揺れた。
「ああ、コーヒーが混ざっちまった。粉っぽい。……にしてもなんだそれ、32歳のオッサンが言うようなセリフじゃねえだろ」
「そうだよね、僕もそう思った。でもね、そのベルが妙に可愛くて……セロ、さっき君も言ったろ? 中身がベルナールだと清楚に見えるって」
「ああ。……つまり?」
「僕はこう結論づけた。つまり、ベルナールは可愛い」
「なるほど」
ひゃゎぁーーーっ!! なに言ってんの、2人とも!?
「なるほど!? なるほどじゃなくない? なにこれ、私に対するいじめ? なんか辱めを受けてる!?」
その後も2人は、「ベルナールの新たな可能性だ」とか「外見に中身が引きずられてるのでは」などと論じ始めたが、私はなんだかもう、どっと疲れてしまった。
今日は収穫祭の街を歩いて、フェデリカを見つけてびっくりして、アロイの家でばたばたとご両親に挨拶をして、郊外の森まできてエルク狩りだ。これで疲れないほうがどうかしている。
「疲れたから私はもう眠るよ。君たちも疲れてるからそんな馬鹿みたいなことを真顔で話し合えるんだ。寝たほうがいい」
おそらく2人とも、狩りで昂ぶった気持ちを静めるために他愛のない会話をしているだけだ。多分そう。絶対にそう。
「早い者勝ちだ。毛布とベッド借りるよ」
私はさっさと寝室に逃げ込んで、毛布をかぶった。この小屋に他のベッドはないが、毛布はいくらか予備があるようだから、2人とも適当にどうにかするだろう。
――翌朝。
エルゴリンエルクの魔力が結晶化した頃を見計らって、私たちは解体を始めた。巨大なエルクの解体は、慣れていない者なら半日はかかるだろうが、セロは本職だ。肉の部位に気をつかわなくて済むから楽だと言いながら、さっさと腹を開いて内臓を分け、毛皮を剥いでいく。ちなみにこのエルクの肉は食べられない。
私はアロイと一緒に頭部の角を切断することにした。
切断した4本の角と、セロが積み上げた素材を目で測りながら、アロイが言う。
「3人の魔法の収納袋に分けて入れればぎりぎり入るかな。さっさと冒険者ギルドに売りに行こうよ」
それには基本的に賛成だ。賛成だけど、冒険者ギルドの近辺にはフェデリカがいそうな気がする。
「あの……私はリナが心配だから、アロイの家に……」
「あー。元カノの件か」
「ふぁっ!? セロ、なんで知ってるの!?」
「昨夜、アロイからざっと聞いたから」
毛皮を丁寧に、かつ素早く剥ぎながらセロが言う。ぬらぬらと血と脂で光るナイフは皮剥ぎ専用らしく、少し変わった形だ。幅の広さが均等ではなく、刀身自体も少しだけ反り返っている。肉と皮の間にある脂に刃を滑らせるように入れて、皮のほうになるべく脂を残さないようにする、とコツを聞いたことはあるけれど、私はあまり上手ではない。
「とはいえ、アロイの家にそのまま住み込むわけにもいかねえし、おまえは店だってあるだろ。いつまでも休業してたら貯えだって……ああ、アロイの嫁にでもなればいいか」
「なるほど」
セロの言葉を全力で否定しようとした矢先に、アロイが先に頷いてしまった。
「なるほど!? なるほどってなに!?」
「なるほど、っていうのは、それは悪くない提案だっていう意味だね」
アロイが真顔で答える。
悪いよ!
ひっくり返すぞ、とセロが言い、3人でエルクの体をひっくり返す。セロが反対側の皮を剥ぎながら口を開いた。
「今の体なら年回りもちょうどいいじゃねえか。中身だって似たような年回りだ。それに、アロイの家に嫁にいけば玉の輿だぜ」
「タマノコシ? なんだい、それは」
私には耳なじみのない言葉だった。
「あー……っと、こっちの言い方だと“水晶の皿”かな」
つまり、食べ物はもちろん、高級な食器にも、それを扱うメイドにも不自由しない生活になるという意味だ。
「ひゃゎぁーっ! 水晶の! いやいやいや、わ、わた私はね! そういう目でアロイを見たことなんか一度も!」
「ベルは昨夜、僕の両親に挨拶も済ませたしね。ただし、結婚自体は17歳以上じゃないとできないからお互いにしばらく待たなきゃいけないけど」
「お、もう挨拶が済んでるのか」
「あい! さつ! そういう挨拶じゃないっ!」
「……まぁ、そういう冗談はともかく」
しばらくいじられたあげく、アロイがそう言って話を切り替えた。
冗談……。いや、そう、冗談なのは私だってわかっているけれど、この2人は遠慮なくからかい倒してくるのでたちが悪い。
「うぅっ……もてあそばれた気分だ」
その場に突っ伏したくなる。
私の情けないつぶやきは、アロイにばっさりと切って捨てられた。
「おっさんをもてあそんだって面白くないよ。……いや、実は面白かったけど、それはともかく。どうする? 僕の家にしばらく避難するのは構わないけど、根本の解決になっていないし、そもそもその彼女は得がたい人材ではあるわけだろう?」
「それはそうなんだけど……」
自然と眉尻が下がり、唇を尖らせてしまう。
「……可愛いツラしやがって」
ぼそりとセロが言う。
「それは! ともかく!」
そっちの話題に行きかけるのを無理やり阻止して、話を戻す。
「彼女――フェデリカは確かに得がたい人材だけど、彼女はだめだ。彼女は魂の扱いが軽々しすぎる。うまくいかなければあっさり私やリナの魂をアネイラに還元して終わりにしかねない」
シャッシャッと一定のリズムで聞こえていた、セロのナイフの音がふと止まった。セロのほうを見ると、手を止めて物音に耳を澄ませるようにしながら、周囲を見回している。何かを探しているか、何かを感知した時の顔だ。
私とアロイも身動きを止めた。
「……獣かい?」
小さな声でアロイが尋ねる。セロが小さく首を振った。
「いや、違うような……獣ではなさそうだが、かといって知性はあまり感じないというか……」
まぁいい、とセロは終わりかけていた作業の続きを始めた。
セロが剥いだ毛皮とより分けた内臓をまとめて置く。その中から、大人の拳ほどもあるゴツゴツとした塊を取り出した。魔力袋――魔結晶だ。まだ膜に包まれているし、これも血と脂で汚れている。
私とアロイが毛皮と内臓を洗浄しながら収納袋へ詰め込んでいく間に、セロが魔結晶の膜を剥がす。エルクの魔結晶は不透明で淡い青緑色をしていた。毒の属性に偏っているため、新たに魔法を込めるには向かないが、その属性を利用して魔力を使いたい時などには便利だし、サイズ的にも使いでがありそうだ。
「【大地の妖精、穴を開けてくれ。大きめで深めのやつ。こいつの周りだ】」
妖精使いは何人か知っているが、セロほど雑な呼びかけをする人間は知らない。妖精使いの名手が多いというエスリール――稀人曰く、エルフ――たちが聞いたら卒倒しそうな呼びかけだ。
猫くらいの大きさの人型、ややずんぐりとした体型の土妖精が姿を現す。光の妖精と違って翅はない。土色のローブを着た小さなおじいちゃんのような外見だ。土妖精は、踊るような身振り手振りをしながらエルクの周囲に大きな円を描くように歩く。とことこと歩き回って、最初の位置に戻ると、妖精が歩いた軌跡に沿うようにして、内側の岩や土がぼこりと消えた。当然、皮を剥がれたエルクの死骸は穴の底に落ちる。
セロは、脇に置かれていたエルクの頭部も、その穴にむけて蹴り込んだ。
「ベル、燃やしてくれ。あとこの魔結晶と一緒に俺の手も洗ってくれ。血と脂でべとべとだ」
「浄化は僕がやるよ。ベルはエルクを燃やして。【清めの水、浄めの風、穢れを払う天の光】。――洗浄と乾燥と殺菌消毒だ」
アロイの魔法でセロの手と、持っていた魔結晶が清められる。先日、リナに見せたのは家畜の魔結晶だったから、何の属性もなくて、乳白色をしていた。このエルクのような魔獣の魔結晶は、何らかの属性を帯びることが多い。戻ったら、売る前に魔結晶だけはリナに見せてあげたいなと思った。
「お、ありがとう。すっきりした」
魔法ってのは便利だなぁとセロが笑う。狩人でも浄化の魔法くらいは使う者もいるが、セロは一般魔法が苦手だ。普段は魔結晶で代用している。今は私とアロイが暇だったのでまかせたのだろう。
「【猛る灼熱、煉獄の業火、汚穢を燃やし尽くす炎】」
短時間で燃えるように魔力をいつもより少し多めに使った。ゴウッと穴の底から火柱が立ち上がり、すぐに勢いを減じる。
セロが穴の底をちらりとのぞき込み、また妖精に雑な呼びかけをする。
「【大地の妖精、埋め戻しておいてくれ】」
ぼふん、と音を立てて穴が埋まった。まだ土の表面からは少し煙が昇っているが、ここら一帯は涸れ沢だ。周囲に燃えるようなものはないから、しばらく経てば消えるだろう。獲物を解体した痕跡をあからさまに残すのはマナー違反だとセロが言うので、私たちは魔獣や獣を狩った後は必ずこうやって後始末をしていた。エルゴリンエルクの肉を食うような物好きな獣はいないが、頭を落とされ、皮を剥かれた巨大なエルクが転がっているのはあまりいい光景ではない。
「さて、じゃあ一旦、僕の家に行くことに……」
アロイがそう言いかけた時、背後の斜面でガサリと音がした。
私とアロイが振り向くのと、セロが持っていた荷物を投げ捨てて走り出すのが同時だった。早い。そして、速い。
物音を立てた主がいたのは、私たちが降りてきた斜面だ。そこを上がった先は、昨夜、私とアロイがセロたち狩人一行と合流した地点より山頂側、セロの小屋に近い位置になる。
セロは他の冒険者に比べれば長身というほどではないが、山に慣れているだけあって、踏み出す1歩が大きい。斜面を上がりきる寸前に物音の主をとらえたらしく、ガサガサ! バキ! と周辺にある若木の枝が折れる音がした。
「おとなしくしやがれ! てめぇ……あぁ?」
セロの声が、不審者を詰問する口調から、盛大な疑問形に変わった。わざわざああやって声をかけるということは、相手は獣ではなく人間だったのだろうか。
それを耳にして、私とアロイが目を見合わせる。
様子を見に行ってみようか、と言いかけた時、セロの声が聞こえた。
「2人とも! 来てくれ!」




