13.天馬に乗って
天馬の魔道具は、文字通り、翼のある馬を呼び出す魔道具だ。使い魔とは違い、天馬に魂は入っていない。それなりに大きな魔石と魔結晶を組み合わせて作る複雑な魔道具で、子どもの手のひらくらいの大きさをしたメダル型だ。それに触れて魔力を注ぐと、メダルが天馬の形に変わる。
乗っている間も少しずつ魔力を使うのであまり長時間は乗れないし、貴重な素材を使うので高価な物だが、これがあるのとないのとでは機動力に大きな違いが出てくる。だから冒険者の多くはこれを持っている。新人冒険者がまず目標にするのも、自分の天馬を持つことだ。積載量が足りないので、荷物の多い行商人などにはあまり使われないが、少人数で山を歩く狩人などは、天馬を持っている者が多い。
街の中では天馬に乗ることは禁止されているので、私とアロイは、南門へ馬車を走らせた。
「ベル、その髪型似合ってるね」
馬車の中でアロイが笑う。
出がけに、騒がせたことをアロイの両親に詫びると、危ないところに行くならと言って、アロイの母親が私の髪を手早く三つ編みにしてくれたのだ。ついでに家の馬車と御者が空いているからと貸してくれた。
「髪を編んでまとめるのがこんなに画期的なことだとは思わなかった……」
なにせ髪の毛がばさばさしないのだ。本当は短く整えてしまいたいくらいなのだが、リナがせっかくここまで綺麗に伸ばしたものを切れるわけもない。
「セロ、南門についたよ。天馬を出したところだ」
アロイがセロに通信を送る。
『南に向かいながら聞いてくれ。日暮れ前に狩人仲間が1人、山から滑落した。しばらくして谷底で怪我をしているのを見つけたが、近くに大型の魔獣も見つけちまった』
私とアロイは天馬に乗り込む。乗り込む前に、私の通信の魔道具もアロイとセロの会話に接続しておいた。私たちは通信の魔道具に革紐をつけて首からさげることにした。天馬に乗りながらでも、片手で魔石に触れれば良いので、これで会話を続けられる。
稀人たちが望むように、もっと小型化して耳にかけることができるようになればいいのだけれど、使い捨ての魔結晶ではなく、ある程度長持ちする魔石を配して作るものなので、なかなか小型化が難しい。
天馬が駆け出すと同時に、両脇の翼が大きくはためく。駆けだした足の3歩目からは宙に浮いていた。こんな夜になってから天馬を飛ばすことはあまりない。私もアロイも、一応、野営用の明かりの魔道具を天馬の手綱にぶら下げているから互いの位置は見えているけれど、それは行く先を照らすほどの光量ではない。
『ベル、こっちが南だ。ついてきて。……セロ、話を続けて。魔獣の種類は?』
アロイは方位磁石を持ってきているようで、私を先導してくれる。
『エルゴリンエルク、毒を振りまくクソ野郎だ』
セロの返事に、厄介な……とアロイが呟いたのが通信越しに聞き取れた。
『最初は滑落したやつの救助に、医術院の派遣を頼んだんだ。そうしたら収穫祭で大わらわだから行けないなんてぬかしやがる。そうこうしてるうちに、魔獣の目撃情報が出始めた。ちょうど日が落ちた頃に、魔獣の種類が確定したんだ。なにせエルゴリンエルクはぼんやり光るからな。あいつに接近して戦うのはクソめんどくせぇ。ここに俺がいるんだから、おまえら2人を呼びつけるほうが、冒険者ギルドに要請するより早いと思ったのさ』
エルゴリンエルクは巨大なヘラジカだ。暗い青緑色の毛皮を持ち、にじみ出る魔力がほんのり青く発光する。セロの言うとおり、その魔力が周囲に毒を振りまくため、接近戦をするにはさまざまな防護魔法が必要になる。
『あ、セロの迎えが見えたね』
『こっちからも確認できた。その妖精を追ってくれ』
アロイが光の妖精を発見するのと、セロからの返事がほぼ同時だった。
私はアロイの天馬を追っていたので発見するのが少し遅れたが、夜の闇の中、セロが飛ばした光の妖精はよく見える。
妖精は背中に透明な翅を持った、小さな人型だ。身長はリスやネズミよりはやや大きいか、といったあたり。光の妖精なので、全身が白く光っている。目印としてはぴったりだ。
妖精たちは四千年前の魔力災害によって生まれた。“落下地点”の近く、一番最初に噴き出した濃密な魔力で、大気中のエレメントそのものが魔力を帯びてしまったのが妖精だ。妖精たちは人型をしてはいるけれど言葉や意思を持たない。そもそも生命体とも言えない。これもある意味、“界の違う”存在だろう。ただ、妖精使いと言われる人々は妖精の漠然とした思考を感じることができるし、今のセロのようにある程度の距離なら視界を共有することもできる。
光の妖精に先導され、私たちはセロと合流した。セロの周囲には仲間らしい狩人が4人ほどいた。周囲は木々も多い山間だが、セロや狩人たちが立っているあたりはあまり大きな木々はなく、少し先から下りの斜面になっている。斜面は若い木や下生えに覆われているようだが、角度はそれなりに急だ。確かに、滑り落ちてしまったら這い上がるのは難しいだろう。
「こっちだ。あの谷底に赤い光が見えるだろ? あれが怪我人がいるところだ」
赤い光は魔獣に認識されにくい色だといわれている。谷底に見える小さな光は、周囲を照らすほどの光量はないけれど、闇の中で位置を特定するには充分だ。
「怪我人の容態は?」
アロイが尋ねる。
「幸い、日暮れ直前に見つけられたから、妖精に頼んで回復の魔結晶とあの明かりを届けさせたんだ。ただ、あちこちの骨が折れてるようでね、瀕死ってほどじゃねえが、1人で立ち上がれる状態でもない。安全に引き上げるにはどうするか、それともこっちから2、3人降りていって、あいつを担いで下山するかって話し合ってたら、尾根にいたはずのエルゴリンエルクが降りてきやがってな」
見えるか、と言いながらセロが谷底を指さす。先ほどの赤い光――怪我人がいる場所――より山頂側、木々の枝の合間にぼんやりと青い光がうごめいているのがわかった。
アロイも同時に見つけたようで、周囲の木々と大きさを比べている。
「エルクであの大きさなら成体だね。グレートベアとがっぷり四つに組める体格だ」
「おいセロ、頼りになる仲間を呼ぶって言ってたのに、お嬢ちゃん2人じゃねえか。パーティーでも始める気かよ」
4人の狩人たちは、私とアロイが到着した時から不満げな顔をしていたが、我慢しきれなくなったように、ひげもじゃの男が代表して不平を漏らした。
「おっと、僕もお嬢ちゃんか。心外だなぁ」
アロイが楽しそうに笑った。
「私だって、お嬢ちゃんじゃな……いや、あるけど、これは、その……センシティブな問題なんだ! いや、違う、なんです!」
ベルナールの体の頃だって、風采の上がらない男だとか、頼りがいのなさそうな感じだとか言われたことはあるから、見た目を侮られることは別に構わない。お嬢ちゃん、と言われるのは非常に心外だが、今はまさにそうだとしか言えないのが複雑だ。しかも、狩人たちは私の事情を知らないので、私は“魔法屋のベルちゃん”として振る舞わねばならない。
「まぁそう言うなよ、どっちのお嬢ちゃんも稀人の冒険者だ。片方は魔術師で片方は回復術師だから、魔獣相手なら役に立つぜ」
「セロ、作戦は立てた?」
エルゴリンエルクの青い光から目を離さずに、アロイが問いかける。
ちょうどその時、山の稜線から月が昇り始めた。月明かりで周囲が少しだけ見えやすくなるが、その光は谷底までは届かない。
私の黒髪やアロイのブラウンの髪はまだ闇にまぎれているが、セロの金髪は月明かりを受けて柔らかに輝いた。こいつは、口は悪いのに顔はいい。今みたいに仕事前の顔であれば、なおさらその端正さが際立つ。
「そうだな、俺が山頂側から回り込んで、エルクに矢を射かけて注意を引くから、その隙に4人には下から怪我人の回収にまわってもらう。アロイはこいつら4人と一緒に行って、怪我人が動かせる状態か見てくれ。そんで動かせる状態にしてくれ。動かしても死なない程度でいい。4人もいるんだ、交代で背負っていける。ベルは、エルクが俺を追いかけ始めてから、エルクの後ろに回って攻撃してくれ。エルクの注意が俺に向いてることを確認してからな」
セロは背負っていた弓を手に持ち、弦を調えた。矢筒の中も確認する。矢は高品質ではあるものの魔法のかかったものではない。その分、弓は魔道具の一種だ。握りの部分にいくつかの魔石が仕込まれている。
私たち3人は仕事でよく組んでいたが、3人ともいわゆる後衛職だ。これに接近戦を得意とする者や盾役など、前衛職と言われる者を加えて行動することが多い。そういう意味では今回はイレギュラーだが、どちらにしろ相手は接近戦が難しい魔獣だ。魔法と弓でなんとかするしかない。
セロの作戦に狩人たちが頷いている。
「じゃあ俺たちはジョナスを動かせるようになったら、担いで下山すりゃいいんだな?」
ジョナスというのが谷底の怪我人の名前なのだろう。
「えっと……じゃあ、始める前に私が全員に守りの魔法をかけます。ついでにこれも持っていってください」
私は獣除けの魔結晶をポーチから取り出して、先ほどのひげもじゃに渡した。
「橙色……獣除けか」
「そうです。エルクに効くかどうかはわからないけど駄目で元々です。怪我人のところで魔力を込めてくれれば、そのあたりには他の獣が近づかなくなるので、多少逃げやすくなるかもしれません」
「ありがてぇ、使わせてもらうぜ、お嬢ちゃん」
ひげもじゃはフンと言っただけだったが、隣にいた別の男はにっこり笑って礼を言ってくれた。ひげもじゃも、こんなものいらないとは言わなかったのでちゃんと使ってくれるだろう。
別に私はいい人ぶりたいわけではない。ただ、よけいな意地や面子で想定外の事態を招くことはしてほしくなかったし、自分の目の前で誰かが怪我をしたり死んでしまったりするのは嫌なのだ。
「セロ、ちなみにアレは僕らのものにしていいのかい?」
エルクを指さしながらのアロイの質問に、セロがにやりと笑う。
「もちろん」
倒したら成果は山分けか。それはいい。
じゃあ、まずは……。
「【月光の盾、水晶の鎧、邪を撥ね除ける警手たれ】」
つぶやきながら、その場にいる全員に届くように魔力を放つ。自分も含めて、守りの魔法に包まれるのがわかった。
「僕もついでに……念のためね。【癒やしの風よ、瘴気を遮る護りとなれ】」
エルゴリンエルクは、瘴気を持ったヘラジカ、という意味だ。私の魔法にアロイの魔法を重ねることで瘴気への耐性がつくのがわかった。
「一応、毒耐性はかけたけど、近づかなければ用なしで済む。セロ、追いつかれないようにね」
アロイが言う。私の守りの魔法も同じだ。万が一があった時に怪我の程度が変わる。
「おっと、それフラグ?」
「回収の義務はないよ」
セロとアロイに限らず、稀人たちはよくフラグという言い方をする。事前に念押ししたことに限ってやらかすようなことを言うらしい。
「ベル、暗視の魔法も頼む」
「【夜陰に潜む眼、闇に浮かぶ影、宿れ、獣の瞳】」
セロの要請にこたえて暗視の魔法も全員にかけた。視界全体がごく薄い黄色の膜をかぶせられたような色合いに変わり、周囲が明るく見えるようになる。
谷底に目を向けると、エルクの姿がさっきよりもはっきりと見えた。青緑色の巨体は、大きいことで有名な北方の農耕馬よりも、さらに二回り大きい。何よりも特徴は、平たく張り出した角だ。普通のヘラジカよりもさらに大きく、さらに平たい。しかもそれを4本も頭にのせている。
「じゃ行ってくるわ。最初の矢を撃ったら笛を鳴らす。それを合図に動いてくれ」
弓を持って斜面を上がっていくセロの背中に、アロイが声をかける。
「気をつけて。あいつは、あの巨体で馬と同じ速度で走る」
「先に足止めくらいするさ」
セロは振り向かず、ひらひらと手だけ振って答えた。
暗視の魔法をかけたことで、エルクの動きもわかりやすくなった。狩人たちは声を出さず、手振りだけで互いに何かを伝え合いながら、谷に降りやすい道を探しているようだ。私もここからでは魔法が届かないから、セロの合図があったら少し下に降りなくては。
ピーィーッ!
甲高い笛の音が響いた。
ザザッと狩人たちが斜面を降りていく。ところどころに生えている若い木々を手がかりにしながら、要領よく降りていく様はさすがに本職の狩人だ。狩人たちのあとにアロイが身軽についていく。
「グゥオォーッ!」
エルゴリンエルクの悲鳴が響く。




