12.アネイラの魔女
「で、どういうことさ、ベル」
アロイが連れてきてくれたのは、彼の自宅だ。一応、こちらに来る前に一旦店に戻り、当分の間休業する旨のお知らせは貼ってきた。
移動している間に日は暮れて、もう夜になっている。
「急を要するって言うからとりあえず連れてきたし、今、メイドに客間を用意してもらってるけど、事と次第によっては放り出してもいいんだよ?」
アロイの自宅に来たのは初めてだけれど、想像していたより広い家だった。メイドが何人もいるし、客間がいくつもある。アロイの部屋も広い。天蓋付きの大きなベッドや、しっかりとした造りの勉強机と本棚があり、私の家のものより立派なソファセットがある。リナはソファの柔らかさにご満悦だが、私は少し落ち着かない。落ち着かないのはソファのせいじゃなくて、フェデリカを見かけたせいなんだけど……。
「あの……なんていうか……」
「ベル、さっきの母さんの顔を見たかい? にこにこして、あらあらアロイったらと言わんばかりの顔! 心の中では絶対こう続けてた。ええ、わかってますよ、でもまだ若すぎるから寝る時のお部屋は別でね、って!!」
そう、思春期の息子とその母親のやりとりそのものだった。実際には、アロイの母親とアロイの中身はおそらく似たような年頃だろう。それも含めて、母親のほうはからかい半分のような、微笑ましいやりとりだった。
アロイの家に着いた時、ちょうど両親が揃っていて夕食をとろうとしていたところだった。私は家の大きさに圧倒されつつ、突然の非礼を詫びた。そして、アロイは両親に私のことを、新しく知り合った稀人だと紹介した。冒険者のあれこれをレクチャーしたいが、収穫祭のせいで今夜は宿もないから、泊めてあげてほしい、と。
稀人なので、未成年に見えるけれど中身は30歳を越えているとも説明した。アロイの両親はそれでいろいろと納得したようだった。実際、アロイがそうなのだから同じようなものと思ったのだろう。
ちなみにリナのことは、私が作った不完全な使い魔で、まだ意識を繋ぎきれていないと伝えてある。可愛いわね、と母親はリナを撫でてくれた。
稀人と、その体のほうの家族は不仲になったり微妙な距離感になることも多いと聞く。それでも、アロイと両親は仲良く暮らしているようだ。
――そして今、私はアロイの自室で、何があったのかを問い詰められている。
「だから私は、安宿でいいって……」
「収穫祭が始まったその日に、宿なんて空いてるわけないだろう。鍵も半分壊れてるようなボロ宿なら可能性はあったけど、そんなところにそんな見た目の君が泊まったら、朝になる前に君が収穫されちゃうよ。この街にだって治安の悪いところはいくらだってあるんだ」
「……つまり、別れた彼女なんだ!」
迷ったあげく、唐突にそう切り出した。途端にアロイの文句が止まった。それをいいことに私は言葉を続ける。
「昔付き合っていた女性の姿を祭りで見かけたんだよ。優秀な魔術師で、王立魔導院の本部勤めだ。里帰りか出張かは知らないが、この街に戻ってきていた。知り合いと会うか、冒険者ギルドにでも顔を出せば、私のことはすぐ知られるはずだ」
「なるほど。“ベルナールの魔法屋”がどこにあるのかってこともすぐ知られるね。その彼女はベルの姪っ子に会ったことはあるのかい?」
「会ったことはない……けど、姉に送ってもらった魔法映像なら見せたことがある」
「うんと小さい頃のだろう? それなら別に……」
「姪っ子は金髪なんだ」
「……」
「ど、どどどどうしたらいいかな」
カチャ、とリナが後ろ脚で首輪をひっかく音がした。
「知られちゃいけないの?」
可愛らしい女の子の声でそう聞かれて、むぐぅ、と口ごもる。
「い、いや、信頼できる人になら知られてもいいんだけど……」
「リナ、ベルナールという男はね、以前は恋人だった女性を信頼できないなんて言うひどい男なんだ。まぁひょっとしたら妙なアクシデントを起こしたことを知られたくないとか、女の子の姿に意外となじんじゃってるのを見られたくないとか、そういう理由かもしれないけどね」
情けない、とアロイが言う。
「違うもん! それだけじゃないもん!」
「ベル、32歳の男が、違うもん!とか言わないでよ……いや、でもそれ可愛いな。今度セロにもやってあげてよ。この、中身がベルナールなのに可愛いという事実を共有したい」
「かわ……っ!!?」
「おかしいな。こんなことになる前からベルってこんなんだっけ。僕はちょっと新しい扉を開きかけてるのかも」
アロイは真顔で私をからかっている。
へゎーーーっ!
「話を戻すよ! ……彼女は、“アネイラの魔女”という二つ名を持っている」
そう言った私に、アロイが首を傾げる。癖の無い、明るいブラウンの髪が耳のあたりでさらりと揺れる。アロイは私を可愛いというが、私から見ればアロイのほうが可愛い。可愛いというか、品がある。セロと一緒にいることが多いから、あのちょっと口の悪いあいつと比べるせいかと思っていたこともあるけれど、1人でいるところを見ても上品なのだ。この家で育った体に大人の魂が入ったことで、いわゆるやんちゃな子ども時代というのを過ごしていないのも一因なのかもしれない。
「アネイラの魔女? それはまた不吉というか……死後の世界の魔女ってこと?」
「魂の行き先を研究して、片っ端から召喚してるんだよ。アロイ、人間の魂を召喚して使い魔にするのは禁忌だって知ってるよね?」
「専門じゃないけど、それくらいは知ってるよ」
「彼女は多分、人間を召喚してる」
ぼそりと言った私に、アロイは眉をひそめた。
「はぁ? そんな人間が王立魔導院に勤められるわけないじゃないか」
彼女の場合は、だからこそ本部に引き抜かれたのだと思う。
「……本来、召喚術は使い魔の体を事前に用意するか、召喚と同時に作ることで、そこに魂を呼ぶ。リナは特殊な例として除外するけど、基本的に人間は呼べない。禁止されるまでもなく、人間の魂はアネイラの上層にあるから、そこまで届く術式がないんだ。魔力もかなり使う。それに人間の魂は人間の体にしか入らない。だから、アロイが言っていたように、稀人召喚だって、医術院で死にそうな人間を探して嫌がられてるんだろう」
私の説明にアロイが頷いた。
「異世界からの召喚が禁止された件の原因だね」
「でも、もしアネイラの上層まで届く術式とそれだけの魔力があれば? そして、魂の入れ物を用意せずともむき出しの魂のままで呼べるとしたら?」
そう言った私に、アロイが目を見開いた。
「まさか……その彼女には可能なのかい?」
「おそらく可能だよ。だから彼女は王立魔導院の本部に引き抜かれた。研究者というのは時に倫理を超越する。そもそも人間を召喚してはいけないというのは、人間を使い魔にしてはいけないという意味だから、使い魔にしなければいいっていう理屈だ」
「それはそうかもしれない……けど……」
アロイが言いよどんだ気持ちはわかるような気がする。死後というのは安らぎであるべきだろうと……いや、アロイの魂は異世界で一度、死を迎えている。ひょっとしたら私とは違う感想を抱いているのかもしれない。
ただやはり、人間の魂というものは気軽に呼んだり戻したりしていいものではないと思うのだ。
「まぁ、おおっぴらにしてしまえば反発も出るからね。だから本部で囲い込むことにしたんだと思う。彼女は私と付き合っていた頃も、ずっと研究していたよ。そんなのやめろって何度も言ったんだけど、でも、もうすぐ術式が完成するからって……だからついていけなくて別れることになったんだ」
とりあえず笑ってみせようとしたが、あまり上手な笑顔にはならなかった。どうしても眉尻が情けなく下がってしまう。
「それは……でも、ベル。考えようによっては、君の今の事態をどうにかするには最適な人物なんじゃないのかい?」
「それはもちろん、彼女以上の人材はいないと思うよ」
「なら……」
アロイが何かを言いかけたところで、りりりりん、りりりりん、とどこかで呼び出しの鈴の音がした。
どこか人を急き立てるような音を鳴らすそれは、通信の魔道具だ。大きさは手のひらに乗るくらい、長方形の板状になった魔道具で、稀人たちはよく“ガラケー”のようだと言う。ケータイがガラパゴスでと、何度か聞いたが意味はいまだにわからない。
「誰だ、こんな時間に」
机の上に置いてあった通信の魔道具を手に取って、中心の魔石にアロイが手を触れる。同時に魔道具からセロの怒鳴るような声が聞こえた。
『アロイか! セロだ! おまえ、今すぐ街の外に出られるか!?』
「急を要する案件が続くね。どっちの門から出ればいい?」
緊急事態に慣れているのだろう。詳細を聞き返すことはせずに、通信の魔道具を手に持ったまま、アロイはクローゼットを開けた。外套と上着、ズボン、シャツを取り出し、それを私に手渡す。
「ベル、これに着替えて。多分そんなヒラヒラした服じゃ行けない」
「え、私も行くの!?」
私の声も通信に入ったのか、セロが魔道具の向こうで追加の指示を出す。
『ちょうどいい、ベルも連れてこい。南門から出てさらに南、天馬で20分くらいの場所だ。俺の光の妖精に誘導させる』
「門から出たら一度通信を入れる。その時に詳しい話を聞かせて」
アロイは魔道具に触れて通信を切ると、私のほうを振り向いた。
「ベル、さっき店に寄った時、ひととおりの荷物は持ってきてたね。天馬の魔道具もある?」
「あるよ。数日戻れないかもしれないと思ったから、ある程度の魔道具や魔結晶も持ってる」
「よし、じゃあ僕は両親に事情を説明して、リナのことを頼んでいくから君はその間に着替えて」
「わ、わかった」
「あたしはお留守番?」
ソファの上で、私とアロイを交互に見ながらリナが首を傾げる。
「リナは使い魔だけどベルと意識が繋がってないからね。危ないから留守番していてほしい。あそこの本棚にあるものはどれでも読んでいいよ」
「はぁい」




