第9話 里菜、鹿児島ラーメンを語る
俺達の桜島巡り。最後に訪れたのは『黒神神社埋没鳥居』だ。
1914年の大正大噴火にて、全高3mの鳥居が2m分、火山灰で埋まり、頭2段目だけが、地上に出ているというものだ。
この場所は、鹿児島県民でなくとも桜島が陸続きになった原因さえ理解してれば、知る人ぞ知るという有名な場所。
…にも関わらず、いや、だからこそと言うべきか。里菜を含め、俺等3人が言葉を失う。
見るのと聞くのじゃ大違いだ。この神社の神様に祈りを捧げた当時の住民は、さぞ絶望したに違いない。
そして周回道路を離れる直前、”俺を忘れんな”と言わんばかりに、遂に桜島がその噴煙を上げる。
「えっ!? あ、あんな所から? 真ん中の火口じゃないんですね?」
里菜が驚くのも無理はない。つい先程見た頂上付近の火口ではなく、だいぶ外れた南の端の方から煙を上げている。
そもそもこの桜島、北岳、中岳、南岳という並走する山であり、これらを総称して『御岳』と呼ぶ。それぞれに火口を擁するのだが、一番高い北岳、次の中岳は爆発せずに、そのほとんどを南岳が占めている。
そして見る角度によっては、本当に麓付近で爆発している様にすら見える。これ程活発に爆発し、未だにその形を変え続けている火山。日本ではここだけではなかろうか。
いや、お前みたいなインパクトの塊。忘れる奴がいる訳がない。
かくして鹿児島のシンボルに別れを告げる。カラフルな熱帯魚の群れの様に、色様々な想いを巡らせ、俺達は帰宅の途につく。
桜島の周回道路はおよそ55km。車で走る分には、傾斜の変化を感じる場所は、それ程でもなかったと思う。しかしコーナーの数は多く、故にシフトチェンジとハンドリングも忙しく、中々走り甲斐のあるコースだった。
実を言うと、自分の運転で桜島を走るのは初めての経験。
それにも関わらず、俺には何故かブラインドの先はおろか、アスファルトの節目や、対向車の動きすら、見えていた気がする。
なので本当に余裕を持ってドライブ出来た。
とにかく里菜に会ってから、不思議な出来事が、湯水の様に溢れている気がしてならない。
その水源である当人は、桜島小みかんを食べることなく、頬に擦り寄せながら愛でている。
ルームミラーに映る姉貴は、もっとホクホク顔だ。なんと驚くことなかれ、逆ナンが見事に成功。
LINE交換はおろか、ちゃっかり一緒に撮った写真すら見せびらかす。
今日の戦果を眺めつつ、ニヤニヤしている次第である。
戦果……いや大変良くない言葉だが、そんな意味では、負ける気がしない。
肩を寄せ合い足湯に浸かり、腕を組まれて写真を撮って、そのまま2人を満喫したのだ。
俺達は鹿児島市側の深く蒼き海と、向こう側の鹿児島中央駅と隣接する観覧車『アミュラン』を眺めつつ、"次は、ああいうのもいいねっ"って、のろけていたのだ。
許せ桜島、すまぬ大隅半島よ…。青春は今、我にアリだ。
「そうそう、今日の夕飯は友紀くんが、いっちばん好きなラーメンなんだよね? 楽しみだなぁ…」
皆(?)も聞いたことであろう。友紀くんだよっ? しかも圧倒的に可愛いタメ口。
それも昨日会ったばかりよ? でも知らなかった間柄が、最早、隣の幼馴染かってくらいの急接近だ。
もう、いっそ大隅どころか、鹿児島とバイバイして、上京しちまうか!?
……冗談はさておき、取り合えず無事に帰らなければ。油断大敵。
無事、午後6時前、古江のばあちゃん家に帰還。陽が落ちる前に辿り着けた。
「「「ただいま~!」」」
「おぅ、おかえり。うん? 3人共、元気が良かなぁ~。何か良かこつでもあった?」
ばあちゃんのそのフリにまんざらでもない顔をする俺達。
「そ、そんな事より早くラーメンの出前だろっ。今日は日曜、6時に店閉めるんじゃ?」
「心配いらんがぁ。ほら、肥後のばあちゃんが来たよ」
ばあちゃんは、俺達が必ず6時までには帰ると踏んでいたらしい。確かに岡持ちを持った、とても穏やかな顔をしたおばあちゃんが、昔ながらの割烹着姿で向かって来る。
『肥後ラーメン』※、ばあちゃん家のすぐ近くにあるラーメン屋。このおばあちゃんがたった一人で切り盛りしてる店だ。
※実際には鹿屋市大手町にあった。再開発で今は、お店自体が存在しない。
その割に出前を頼めば、数分で現れる健脚ぶりを披露してくれる。しかも安くて美味い。
鹿児島ラーメンというのは、よく同じ九州の博多と一緒にされがちなのだが、豚骨ベースだが実はアッサリめの醬油豚骨が多い気がする。
チャーシューも脂身は少ない店が多い印象。ネギが細ネギなのは変わらない。そして黒い『マー油』という脂が浮かんでいる。
俺は、ばあちゃん家に来ると、良くこの肥後ばあちゃんのラーメンをせがんだものだ。美味いと言われる店は数あれど、一番美味いラーメンだと思っている。
「来た来た、これこれ……」
「アナタが、はるちゃんの言っちょった人ね? 本当別嬪さんやわ」
俺は、岡持ちの中身から漂う湯気と香りに心を奪われる。
一方、肥後のおばあちゃんは、初めてみる里菜に心奪われた様だ。まあ、無理もなかろう。
「そ、そんな事ありませんよ……」
「はいはい、伸びんうちにサッサとおあがり」
「はっ! そうでしたねっ!」
否定する割にはまんざらでもない顔をする里菜。しかしここは、色気より食い気が勝った。
「「「いっただきまーすっ!」」」
今夜は3人の声が揃う。昨夜の遠慮気味な里菜は、もうどこにもいない。
あとはひたすら無言で麺をすする。うんっ! 俺がガキの頃から変わらない味。気持ちすら昔に戻してくれる。
「どうだ里菜、美味いだろう?」
「私、豚骨ラーメンって言うと、東京に良くある”家系”しか食べた事なかったけど、あれは、ちょっと苦手で…。でも、これは違いますっ! 中細のストレート麺に程良い加減のスープが絡んで…。それにこのチャーシュー、大きくはないのだけど、味が濃い。とても良いアクセント…」
里菜の食レポが止まらない。
「この甘みは…そうっ! きっと甘口の醤油ですねっ! そして何より豚骨にありがちなあの臭みがとても少ないっ! こんなにスルッといけちゃうのに、全てがしっかり主張してるんですっ!」
里菜の隣で俺はひたすらに頷く。良しっ! 君はもう立派な鹿児島ラーメン通、認定だ。
「そげん喜んで貰えて嬉しかよ、じゃ、また後で皿を取りにくっでね」
満足気に肥後のおばあちゃんは、帰っていった。
ところでうちのばあちゃんは、ラーメンではなく餃子とたくあんをつまみに芋焼酎『一番雫』をお湯割りで、既にやっている。
ちなみに付け合わせに、たくあんなどの漬物が出てくるのも、鹿児島ラーメンの特徴だ。
「いや、ばあちゃんよ。そんなに飲んで里菜の事、見れるのか?」
「何を言ってる? よくろちょらんどが?」
まあ、確かにそうなのだ。この御方、飲む時は浴びる程やる。しかし全く変化がない。ちなみ祖父も良く呑んだが、すぐに酔っぱらっては、よく暴れた。
鹿児島の夫婦って、飲みに出掛けると夫は痛快な程に暴れ、妻はそれを嗜めつつ、連れて帰る。
これは俺の勝手なイメージに過ぎないのだが、鹿児島の侍どもが集まって宴会をすると、店をぶち壊す程に暴れるので、幹事はその分も勘定に入れて金を払ったと聞いた事がある。
「さてと…里菜ちゃんよ。もうラーメンは食べ終わったね?」
「あ、は、はいっ」
「良か、じゃあ、やってみるか。こっちにおいで」
遂にばあちゃんの隠れたスキルが、里菜をはかる時がやって来た。里菜は素早く立ち上がると、ばあちゃんの真向かいに正座する。
「さて、まずは御名前を聞こうじゃないか、フルネームだ」
「す、『鈴木里菜』です。勿論、日本人になった時の名前なので、元々の名前ではありませんが…」
「良か、そいで良か。本当のお前は、私が勝手に見る…」
占い師『園田晴香』の口角が上がった。