第5話 姉貴のコスプレ大祭り
「ところで、ばあちゃん、ちょっと相談がございまして……」
「んっ? 何ね?」
姉貴は手もみをしながら持ちかける。
ばあちゃんは夕飯の支度。台所から軽快な音を立てながら話を聞く。
「電話で話した通り、里菜ちゃんって、フェリーから海に落ちて、何とか助かったんだけど……」
「あぁ、そいやったら心配要らん。もう県警と捜索本部に連絡した。アレは誤報やったち事になっちょる筈じゃ」
「え、嘘……」
「言わんでん良か嘘はつかん。泡食って"分かりもしたっ!"ち、言っとったで、間違ってなか」
ばあちゃんは、堂々と宣言した。一体何を吹き込んだのかのは、定かでないが、この人がそう言うなら間違いなかろう。
何故こんな大それた事が、ただの老婆に出来るのか? それは彼女の特殊能力。占いによるものだ。
園田晴香の占いは当たる。と、言うか、お告げの通りに振る舞えば、出世街道間違いなし。
その噂は、ひっそりと世間に広がり、芸能界や財界人すら、世話になっているらしい。
よって彼女が白と言えば、黒すら白にオセロの如くひっくり返る。
占い師の間で、こういう手合いが存在するのは、不思議な事では無いらしい。
里菜は大変驚きつつも、ホッとした様だ。
「そ、そっか。やっぱりばあちゃんって凄いね。あ、あとさ……」
「まだ、何かあるのかい?」
「ほら、里菜ちゃん。着替えはおろか、下着の替えすらないんよ。何とかならんかなあ」
それを振るのは流石に無茶が過ぎやしないか。ばあちゃんは、自動車免許を持っていないから、買いに行く事も出来ない。
俺と姉貴の二人で買いに行くのが、一番手っ取り早そうだが、もう辺りは暗く、営業している洋服屋がない。
俺はそう感じたのだが、ばあちゃんは、一旦炊事の手を止めて、里菜の姿をジロジロ見つめる。
「あ、あの一体何を…」
ばあちゃんの動きに焦る里菜。お構いなしに続けるばあちゃん。
見るだけに留まらず、腰周りやら胸囲やらを、直接触って確かめている様だ。
「うんっ、大体分かった。瑠里ちゃん、隣の部屋の奥……そう、そこ。おっきいタンスがあるでしょ? 全部着てないから、好きにせんね」
ばあちゃんは、炊事に戻ってしまった。いや待て、ばあちゃんの服だろ? それを里菜に充てがうってのは、流石に無理があるんじゃないのか?
しかし姉貴は、言われたままに、タンスから容赦なく服を次々と引っ張り出す。
まるで玩具箱をひっくり返している様だ。
「ちょっとっ! こっち来て里菜ちゃん!」
「は、はいっ」
やたらテンション高い姉貴。和物洋物、様々な服を取っかえひっかえ。里菜は、さながら着せ替え人形といった感じだ。
「くぅーっ! た、たまらんっ! 可愛い子に可愛い洋服を着せる。これは最早至福のひと時ィーっ!」
確かに凄い。しかもどれもがよく似合う。って言うか姉貴《此奴》やたらと手際が良くないか?
さては、ばあちゃんのコレクション、既に熟知し、狙っていたに違いなかろう。
「ば、ばあちゃん、これってどういう……」
「あー、それぜーんぶ、昔の男から貰ったの。着らん言っても次から次よ。それに……」
ばあちゃんは、俺の質問の答えにちょっと間を開けた。
「里菜ちゃん、私の若い頃にそっくりだわ」
「「えっ………」」
いや、それは流石にないだろ? 姉貴の心も聞くまでもない。
とにかく着せ替えごっこは終わらない。何十着も繰り返し、その都度コスプレ写真を姉貴が撮るので、本当に時間を要した。
「これだっ! これよこれっ! 友紀どう思う?」
こ、これは……完璧に姉貴の趣味……と、言いたい所だが、確かに綺麗だ。
藍色の膝上丈のスカート。濃いブラウンのベストは、身体のラインを存分に見せ、その下には如何にも清楚な白地のブラウス。
首肩周りには、ひだが付いている。
さらにエメラルドグリーンのブローチが、里菜の気品さをさらに際立たせていた。
「か、完璧ッス……姉貴殿」
「そ、そう…ですか?」
「そうであろう、そうであろう」
うんっ、ちょっと恥ずかし気な、里菜を加点したら……はいっ! 尊死確定っ!
「いつまでやっちょるの? 夕飯運んでくれんけ?」
「「は、はい晴香おばあ様っ!」」
ばあちゃんの横槍が入り、ようやく着せ替えごっこは終わりを迎えた。
俺達は里菜だけをリビングの座布団に戻すと、ばあちゃんがこれでもかと、作った馳走を次々と、大きめなちゃぶ台の上に乗せてゆく。
ちゃぶ台の上が、おかずで埋め尽くされ、茶碗と飲み物を隙間に詰める感じになる。
「う、うわぁ、す、凄いですね」
その物量を見た里菜が驚く。まあ古今東西、どこの家庭でも元気が余った祖母の家に遊びに行けば、見積り度外視の”アレも食え”、”コレも食え”が、始まるのではなかろうか。
鳥の唐揚げ、メンチカツ等の肉モノ。野菜もちゃんと食えとばかりに大皿のサラダや煮物。汁物も欠かせない。
さらに鹿児島独特の刺身系メニューが加わった。
「「「ではっ! いただきまーすっ」」」
「い、頂きます…」
そして食卓と言う名の開戦の火蓋が切られる。体育会系で若い俺は勿論、23歳の元気印、瑠里姉も次から次へと箸を伸ばす。
ばあちゃんは一見大人しそうだが、既にキッチリと自分の分を、別皿でキープ済。中々の策士だ。
一方、里菜は緊張しているのか、或いはこういう食事に慣れてないのか、中々攻勢に出るを躊躇っていた。
ばあちゃんが気を利かせて、菜箸という有無を言わせぬ最終兵器を取り出して、里菜の取り皿に移してやった。
「あ、ありがとうございます…」
里菜は感謝を告げたものの、何から手をつけたら良いものかと、未だに戸惑っている様子。
ばあちゃんは、見てなさいといった態度で、カンパチの刺身を箸で取って、刺身醤油を漬けて頂いて見せる。
里菜も真似をしてみる。イタリア出身とはいえ、今は東京暮らしの筈。日本食の食べ方も知らんのだろうかと、俺は思った。
だがこれは完全に俺の想像不足。と言うか、俺が世間を知らなすぎた。
東京で独り暮らしの里菜にとって、食事とはこの様に団欒を囲むという事すら忘れていたらしい。友達や会社の飲み会といった交流も皆無だったと後に聞く。
コンビニで買ってきた物を温めて、一人寂しく食事する。当時の俺には、想像出来なかったのだ。
「お、美味しいっ! お醤油に甘みがあるし、この脂身、とろけるのに弾力も楽しめるんですねっ!」
「良い事言うねぇ…。ほら、銀色の小魚の刺身も食べてごらん。そっちは酢味噌で」
「こ、これもお魚なんですね。ただでさえ小さいのを折り畳んで、さらに真ん中に寄せている。まるでお花の様ですね」
「そうそう、当たりよ。菊の花に似せた『菊花創り』って言うんだよ。でも遠慮なく崩して食べてあげて頂戴な」
ばあちゃんと里菜の声が弾む。特にばあちゃんのそれは、新しい孫娘が出来た様に明るい。
「ンンっ! こ、これはまた美味。淡白な魚の味とちょっとだけの苦味……」
「ほら、二人共。御覧ね、この反応をっ! 作り甲斐があるってもんだ」
「んっ?」
「あっ…いや、そんだけ腹が減っていたんよ」
俺はもう食べ終わり、ごろっと横になりながら適当にTVを観ている。
姉貴はipadで撮影したコスプレ写真を、Twitterに上げるのに夢中だ。
「あ、里菜ちゃん。其方も刺身ね。そこのタレに漬けておあがり」
「こ、これ……、魚じゃない?」
「そう、地鶏の刺身じゃ。鹿児島はねっ、鶏も刺身で食べるのよーっ」
これには里菜、ちょっと躊躇したらしい。一瞬箸の動き出しが鈍る。ゆっくりと口に運ぶ。
「あっ、身は柔らかくて皮はコリコリ。これも美味しいです」
緊張感が和らいで、パァーっと、笑みがこぼれた。
そこから先は、水を得た魚の様に箸を進め、俺達が残した分にも手をつけ始める。
俺が思ってたより大食漢だったらしい。とてもゆっくり噛みしめて食べている。
「ところで里菜ちゃん。貴女は、いつまでこっちにおられっと?」
ばあちゃんの質問に、俺は耳を傾ける。姉貴も同様であった。
もっと、早く聞いておくべきだった。