赤髪の少女
「そうか、亡くなったか」
報告を受け、目を閉じ亡き友人を思い出す。
蛮人、野蛮人、時代遅れだの我ら一族を嘲笑する者は多い。
――――だが友となった彼女は違った。
我らの思想、伝統といったものを尊重し、受け入れてくれた。そんな者は数少ない。
目を開け立ち上がると、告げる。
「皆の者、出発だ」
◇◇◇◇◇
「貴女の髪の毛、まるでこの夜を照らす炎のように、綺麗な赤い色ね」
そう友が褒めてくれた髪を、三つ編みで一つに束ねる。
我らは先祖より受け継いできた地を、ある周期で移動しながら暮らしている。一族単位で動き、それぞれの一族には『部族長』という代表がいる。その部族長たちは年に何度か合流し、互いの情報を交換している。
「北は雨不足だ」
「こちらは野盗が出て、旅人を襲いおった。もちろん野盗どもは捕らえ、始末した」
「なにゆえ我らの地で勝手を犯すのか。理解できぬ」
こういった問題点についての話題が主だが、年頃の男女を出し、誰と誰を夫婦にするか話し合いをすることもある。そしてたまに他所の国から身寄りのない赤子を引き取り、育てている。彼らもまた、その対象だ。
「なぜ赤子を引き取る?」
一度不思議に思い、質問をしたことがある。
「先祖からの教えだ。同族ばかりで子を成せば、その一族は滅ぶとな。だから他の一族に嫁ぐ者を出したり、他所の地で産まれた赤子を引き取ったりしている」
部族長たちの集まりの場を仕切る、『部族総長』と呼ばれる父が、そう答えてくれた。
他所の国の者たちは、父を『王』と呼ぶ。だが彼女はそれが礼儀だと、父を『部族総長』と呼んでくれた。彼女の夫とは、雲泥の差だった。
「お前の夫だが……。あれで一国の長なのか。とても他者を思いやるようには見えん」
幼かった頃、正直に言えば彼女は困った顔を作った。
「すみません。私たちにはテントで寝る習慣がないもので」
「なるほど。つまりお前たちの国は、平和なのか」
それだけでなにを言いたかったのか、伝わった。
「その通りです。先祖たちの尽力により、周辺国とは友好な関係を築け、戦とは無縁の時代です。ですから建物以外の……。外で寝る機会はありません。国同士の戦ともなれば、王族の誰かが前線で指揮する必要があり、そうなれば、テント生活も経験するのでしょうが」
「少なくとも、虫が出ただけで大騒ぎするような男では、前線の指揮は務まらんな」
この肝が細い男が、我らで言う部族総長とは信じられなかった。まだ一日も一緒の時を過ごしていないが、民を守れているのか怪しいとさえ思えた。
「せいぜい友好国との関係を、大切にするのだな」
この頃はまだ、あの男爵親子の姿はなかった。
頼りない男が王だと心配していたが、まさか一人の女の登場により、一つの国が破滅の道へと進むことになるとは思いも寄らなかった。
「あの男には問題が多そうだが、お前はお前で、人を信じる嫌いがあるように見える」
幼い我は、遠慮というものを知らなかった。そう言うと、折った小枝を炎の中へ放る。
「気をつけろ。時に優しさは、命取りに繋がる」
「あら。私、怒る時は怒りますよ。それはもう、徹底的に」
「………………」
炎に照らされたその笑みは、凄みを利かせるものがあった。どうやら彼女を見くびっていたようだと、反省する。
「お前の敵にならぬよう、気をつけよう」
我らは部族長を通じ、各部族と交流を深め信頼を築く。それは他所の国ともそうだ。特に父は部族総長という立場上、各国と交流が多い。
他所の国が代替わりをした時、多くの新たに即位した王と王妃が揃って挨拶に来る。我らの地を通り、他国と交流する許可を得るためだ。許可を得ていない国の者を、我らは許さない。
だがこの新しい国王はどうだ。文句ばかり。しかも我らが、どうぞこの地を利用して他国との交流に使って下さいと願ったと勘違いしているようで、立場を分かっていない。
我らの地より先の南へ向かうには、この地を直線に進むのが近道。それ以外の経路は日数がかかり、危険が高まるというのに。
「長、どう思う?」
昨晩、あれほどテントなんかで寝られるものかと騒ぎながら、大いびきをかいた王は、朝を迎えるとまるで逃走犯のように、急いで帰路についた。忙しなく去る一行を見送りながら、隣に立つ父に尋ねる。
「……心気の本質は軟弱だが、強情な面もある。あの国は代を重ねるごとに、王としての資質が損なわれている」
「それを王妃や周りが補うのか」
「そうだ。だが、この地を通る他所の者が言うには、その周りの者も能力が低下しているらしい」
この地を経路として使う国は、一つだけではない。だから各国の噂や情報は入ってくる。
「今後彼らと、どう付き合う?」
「今は現状を維持する。それ以降は次世代のお前たちに任せるか、切り捨てる」
我らは性別に関係なく、長の長子が部族長を継いでいる。つまり、この一族の次の部族長は我である。だが部族総長に関しては、男のみと決められている。女は出産するので、妊娠中や出産直後など、移動が難儀な者が出るので外されるのだ。
部族総長になりたい訳ではないが、性別でそもそも判断されることに、先祖からの決まりとはいえ、どこか納得できない。
長はあのように言ったが、私は彼女を気に入った。
だから彼女に肩を入れるだろう。それは平等ではなく、長として失格かもしれない。それでも『友』を見捨てることはできない。そして『友』だから彼女が過ちを犯せば、それを指摘する。その結果、彼女を見捨てることになるかもしれないが。
結局、彼女と会ったのは回数として少ない。だから『思い出』という『宝』は貴重であり、それは今後も増えると信じていた。
愚かしく甘い考えに歯噛みする。
父から、命は等しくなにものにも終わりが訪れる。それは年令に関係なく、若い者にも訪れると教えられていたのに……。
毒を盛られ、もうすぐ命を失うと連絡を受けた時は、なんの間違いだと思った。なにしろ彼女には、毒見役がついていたから。
「実家にいる時から仕えてくれ、信頼しているの」
そう言われ紹介された女の名は、イオンといった。忠義ある者と、彼女は評していたのに……。まさか裏切るとは。
家族を守るため主君を裏切ったと聞いたが、我ら部族長たちは、部族皆が家族だと言っている。他所の国では、『主君』と『家族』は異なるのだろうか。では忠義とは、なんなのか。
「他所の国の考えは、分からん」
「なにか言ったか、セフォン」
「いや、考えていただけだ。なぜ我らと他所の国とでは、価値観が異なるのか。そして彼らはなぜ、自分たちの価値観が正義だと言わんばかりに、押しつけてくるのか」
野宿のために用意したたき火を見つめたまま、答える。
「先祖より受け継いできた考え、土地。なぜ彼らは我らから奪おうとするのか。我らは他所の考えを否定しない。彼らには彼らの歴史があるからだ」
無闇に他所者だからと考えを否定してはならないという教えが、我らにはある。だが他所の者たちは、自分たちこそが正道で、他の考えは邪道だと考えている者があまりに多い。
「今は和平を結び、戦を仕掛けられることはないが、確かに何度土地を奪おうとされたか。我らは土地を奪おうとしていないのに、だ。今も旅人を狙う野盗が入りこみ、問題を起こすことがある」
他の部族の娘も顔をしかめる。
我らの土地で悪行を働くことは許せないので、部族間で協力しながら循環し、見張っている。そして狼藉を働く者がいれば、皆で撃退している。そういった行為が、他所から見ると一つの国に見えるらしい。
「野盗どもは懲りないからな」
また一人、たき火周りに腰を据えながら言う。彼もまた、次の部族長が約束されている。
「地の利は我らにあり、人間に害のある植物を利用することもできる。負けが続いても挑むのは、愚かとしか思えない」
我を含め、全員が彼の言葉に頷く。
「部族が協力し、先祖代々継がれた土地を守っているだけなのに、『国』と呼ばれることも不思議だ」
「だが時にそれは、他所の国と円滑に話を進められる場合もある。我など『姫』と呼ばれているぞ」
我らにも『姫』という概念はあるが、その印象と似合わないと皆で笑う。
「ところで彼女を失った国は、これからどうなると思う?」
次期部族長として試されているような質問に、即答する。
「変化があろうよ。すでに『宝』は我らの元にあるし」
他所の国にいる彼女の友人たちも弔いのため、移動していることだろう。同時に来る時に備え、静観をしているだろう。それが彼女の願いであり、狙いだから。
「なるほど。ところで例の男爵は、王城近くに滞在しているそうだな」
「ああ、代行を務めている領が、王城から遠くないと聞いている」
その土地には川も流れているが、幅は広い。高い山もなく、ほぼ平地といっていい。そのためか、自然災害が滅多に発生しない恵まれた土地だと聞いている。
「……羨ましいことだ」
「なにか言ったか?」
「いや、男爵に一泡吹かせたいなと思って」
私怨だと理解している。それでも……。
目の前のたき火の中で、枝が音をたて爆ぜた。
我らは王妃派と呼ばれる者たちが管理する地だけを通り、王城へと向かった。
「我はリュイゼ国、部族総長の娘、セフォン! 開門を求む!」
発行人が亡き友の名となっているが、通行証を出せば難なく通ることができた。
「皆、ここからは分かっているな」
全員、頷く。ここから先、城までの道中、問題を起こさないと皆が分かっているようで安心する。まずは事故を起こさないよう、馬の速度を緩める。
分かっていたことだが、向けられる視線の多くが友好的ではなく、歓迎されていない。手で口元を隠し何事か囁いているが、その目つきからして、我らを悪し様に言っているのだろう。だが我らに恥じることはなにもない。胸を張り、進行を続ける。そしてやっと、城門前に着いた。
「開門!」
この都へ踏み入れた時点で、伝達が走ったのだろう。開けられた門の先では、側妃の一人であるセシアが待っていた。
「長旅、お疲れになられたのではありませんか」
「いや、問題ない」
セシアと挨拶を終え、会話を交わしている間も、至る所から冷たい視線を感じる。その為、全員臨戦態勢を解いていない。
「ところで、火葬されたと聞いたが」
「はい、この国では珍しいことではあります」
この国は身分が高い者ほど、遺体を棺に収め、霊廟の中で眠ることが慣例と聞いている。
「本人の希望だったそうだな。我らは亡くなれば遺体を焼き、大地や空、自然に魂をかえすことが普通だが」
「王妃様もそれを望まれました。自然と一つになりたいと」
それでも王妃という立場がある。慣例を破れたのは、彼女が疎まれていたからか、敬愛されていたからか。おそらく両方だろう。結果として故人の希望通りになったのは、天佑かもしれない。
「墓はどこに?」
「こちらになります」
案内されたのは霊廟ではなく、その近くに植えられている木の根元だった。墓石も用意されており、亡き友の名が刻まれている。ここは敷地内でも小高い場所で、城下を望むことができる。
「……死しても自然とともに、子どもたちを見守るのか」
そう呟くと、なんとか城下町で買えた花を墓前に供える。皆も続いて供える。静かに悼む時間が過ぎていく。
全員が終え、少し気を緩めながらセシアに尋ねる。
「それで? 例の男は?」
「陛下が留守をいいことに、毎日こちらへ来ては城の者を自由に使っています」
「ふん、自分が王になったつもりか」
どうすればそのように勘違いできるのか、理解に苦しむ。
「お茶の準備をしております、どうぞこちらへ」
城内を歩いていると、男の声が響いた。
「おやおや、城に似合わぬ野蛮人がいるではないか。心なしか、なにか臭う気がしないか?」
次いで数人の笑い声が聞こえる。
品のない男がいるものだと見れば、対面の廊下から一人の男が見下しているよう、嫌らしく笑っていた。その男を中心に、幾人も集まっている。
「誰だ、あの男は」
セシアに問いかければ、ますます男は歪んだ笑みを深める。
「ははは、さすがは野蛮人。礼儀を知らぬ」
またも男に同調するよう、笑い声が響く。なにが面白いのか理解できないが、往々にしてこのような目に合う。だが不慣れな仲間は、城下町からの人々の態度に忍耐が我慢を迎えつつあるのだろう。目つきを変えたりして、怒りをあらわにする者が出てきた。
ひどく揉めては事だが、放っておけば問題が発生しかねない。ここは我が悪役になるべきと判断する。
「そうか、王妃が亡くなり、この国の礼儀は変わったのか。申し訳ない。まさか初対面の相手を悪し様に言うのが、礼儀とは。これは失礼をした」
「な……っ。そんな礼儀がある訳ないだろう! 貴様らのように、歓迎されていない野蛮人はさすが言うことが違うな! 私を誰だと思っている!」
顔を真っ赤にし、怒りを隠さない男を見ていると、もしやと思う。視線を送れば、セシアが頷く。
なるほど、この男が例の男爵か。それならば遠慮する必要はない。
「初対面の相手など、紹介がなければ知る訳がないだろう」
ただ事実を告げたのに、場が静まる。とはいえ、こちらでは笑いを堪えている者がいるが。
そして当の男爵本人は顔から赤みが消え、ただ口を開閉している。
ここでようやくセシアが動いた。
「セフォン様、我が国の者が無礼を働き申し訳ございません。彼はディロ。爵位は男爵の者です」
「セシア、お前が安易に謝罪をするな。王も王妃も不在の今、お前とバニエが国を代表する立場にあろう。そんな者に謝罪をさせた罪、貴様らは恥だと知れ。王が不在だからこそ、身勝手な振舞いで国の品位を落とすのは、愚者の行為だ」
叫んだ訳ではないが、我の声は大きく響き渡り、男爵たちは押し黙る。
気弱な者たちだ。我らが反論しないとでも思ったのか。それとも『野蛮人』にふさわしく、この国の言語を理解できないとでも思っていたのか。ひょっとしてこの男、この国と我らの祖先が同じだと知らぬのか? 元は同じだから、そもそも似た言語を使用していることも。
それに多くの旅人や野盗、客人たちを相手にしていれば、自然と他所との会話も可能となる。言葉が分からなければ、相手の真意が理解できない。だから我らは、幾つもの言語で会話が可能だ。
「ぶ、無礼な……っ。この御方は、王妃様の父君であらせられるぞっ」
やっと男爵の隣に立っている者が反論したと思えば……。なるほど。友たちの苦労が分かるというもの。
「我を試しているのか? 亡き王妃の父君とは面識がある。その者とは別人だと知っているぞ」
「今の王妃様だ!」
これにはもう我慢できないと一人が吹き出せば、我らは笑う。
「異なことを! 新しく王妃が就けば、国内外に情報が広まろう。そんな話、聞いたことがないぞ」
我の言葉に同意と、幾人もの仲間が頷く。
「だから! これから王妃となる私の娘を、陛下自らが迎えに行かれている! あの性悪女の嫌がらせに怯えた娘は、隣国で匿ってもらっているのだ!」
男爵はまだ娘が王妃でないことを認めたが、誰もそれを指摘しない。もうすぐ王妃になる女の父親の怒りを、買いたくないのだろうか。理由はなんであれ、我らも指摘する必要はないと判断する。
「そうか。では、この通行証は返そう。先代の名で発行された物だからな」
セシアに返せば新しい通行証は用意できていると言われ、二人の側妃連名の通行証を渡された。
「感謝する、セシア。さて、我らは歓迎されていないので帰るとしよう。せっかく茶を用意してくれたのに、悪かった」
「いえ、こちらこそ不快な思いをさせ、申し訳ありませんでした」
「謝罪をしたお前を、我らは許す」
つまり謝罪をしない奴らは許さないと言っているのだが、他の奴らは気がついているのか分からない。仮に気がついていても無視するということは、国の代表であるセシアを許したことにより、自分たちも許されたと勘違いをしているのかもしれない。もしくは、ただの戯れ言だと思っているのかもしれない。
「男爵、お前の娘が『王妃のルビー』を身につける時、楽しみにしているぞ」
伝えればなにを誤解したのか、男爵は気を良くしたように笑顔となり、大仰に頷く。
「それはもう、先代より……。いや、歴代でも屈指でしょうとも」
この国には代々、国王夫妻へ受け継がれている有名な宝石がある。
それが『王のサファイア』、『王妃のルビー』だ。
ルビーの実物は、友が身につけていたので実物を見たことがある。濃く赤い石に、くっきりと鋭いような『スター』と呼ばれる線を描き、実に見事な逸品だった。
「セシア、これを王が帰ってきたら渡してくれ。部族総長、及び部族長たちからだ」
男爵たちの姿が見えなくなった所で、手紙を渡す。
内容はこの国の一部の者を除き、我らの地を通ることを許さないというもの。もし許可のない者が通れば、土地の簒奪者として処分すると。それは王とて、例外ではないと。
つまり我らは、この国の大半を見限ることにした。そこに王も入っている。
もともと我らの地を通らせて欲しいと願ってきたのは、この国の方だ。我らの地を通ることが、一番早くて安全だからと許可を求めてきながら……。
代が新しくなるたび、我らへの態度は、よりぞんざいとなってきた。
それでも一度交わした約束だからと我らは耐え、この国の者が野盗や獣に襲われていれば、助けてきた。それが当たり前となり、当然だと感謝を示すことなく、面と向かっても侮辱して笑う始末。
馬の元に戻り、各々が馬の様子を見ている時……。
「おい、聞こえているだろう。お前たちは元々、一つの団だったと聞いている。それがなぜ袂を分かったのに、戻った。お前らに信念はないのか」
高く生えていく木々の茂みの中に隠れている、影の者へ話しかけるが、返事はなかった。
友好の証として、何代か前に我ら一族の者を団へ送ったが、それすら無かった過去とされているのかもしれない。
「未熟者め。我ら部族長代理である者たちにさえ、容易く居場所を掴まれるとは……。それでも隠密集団か」
言いながら、隠し持っていた短剣を投げる。
即死は避けたはずだ。
血が滴り落ちてきた。それを点々と落とし、大きく葉音をたてながら、怪我人は逃げて行く。
「ふん、これでは逃げる先が分かってしまうではないか。隠密の名が、泣くな」
「そう言うな、セフォン。ぬるまったこの国では、あの程度で十分なのだろうよ」
「確かに」
笑うと馬にまたがり、我らは城を後にした。
注意:作中で使用している単語は、いずれも辞書に記載されているものです。