弔いの鐘
「お亡くなりになりました」
そう告げた医師の言葉により、侍女が丁寧に亡き王妃様の顔へ、布を被せる。
いつかはこの日が訪れる覚悟はあったはずなのに……。足りなかった。泣いて叫びたくなる。それを我慢し、ただ遺体を見つめる。
最期の二日間、王妃様に意識はなく、苦しまれず亡くなったことだけが救いだろう。そして偶然、この場に居合わせた私は幸運者だろう。
一つ大きく息を吐き、喪失感を抱えたまま呼吸を整え、侍女の一人に命じる。
「陛下と皆様へ報告を」
知らせを受け、真っ先に部屋へ駆けつけたのは戦友とも呼べる、私と同じ側妃であるパニエ様だった。
今日は王妃様にかわり、政務室で仕事に取り組まれていたのだが……。よほど急いで来たのか、彼女にしては珍しく肩が大きく上下に動いている。
「……本当、なのですね」
静かに首肯すれば、パニエ様は王妃様の遺体に近寄ると、ゆっくりと震える手で白い布をめくる。現れた王妃様の顔を確認し、涙目で弱々しくも笑みを浮かべる。
「苦しまれたご様子でなく、ようございました……。今までずっと闘われ、お疲れでしょう。どうぞ、ゆっくりお休みになられて下さい」
そしてまた静かに、大事そうに布は顔の上に戻された。
今この部屋にいる全員が、王妃派である。普段どこかから隠れて様子をうかがっている国王派の影は、主である陛下に王妃様が亡くなられたことを伝えに行ったのだろう。
さて、陛下はいつ来られるのか。妻が亡くなられたというのに、ずい分と時間がかかっている。ひょっとしたら今ごろ、祝杯の準備を命じていらっしゃるのかもしれない。でもこの時間はこちらにとって、好都合でもある。
「まだ私たちにはやるべきことがあります。分かっていますね」
全員、頷く。
その一つが王妃様の一人息子である、オルグ殿下を逃がすこと。
下準備はすでに終えており、母親の葬儀に参列されないことを選んだ殿下。今は王妃様の生家の領へ赴き、毒に蝕まれている母のため、彼女の好きな食材を持ち帰ると言い、すでにこの城から脱出されている。もちろん警護は信頼できる、選ばれた者のみ。
ゴォォー…ン、ゴォォー…ン。
王族が亡くなったことを民へ知らせる、重厚な音の鐘が鳴り始める。
それを合図にパニエ様をだけでなく、多くの者が一斉に動き始めた。この場を私たちに任せ、彼女たちは各々の生家や、味方たちと連絡を取るのだ。
「亡くなったか」
しばらく待ち、やっと急ぐでもなしに現れた陛下は、王妃様の顔を見ようとされない。
「はい。ところで陛下、葬儀についてですが、生前のご本人様の意思を尊重し、進めるということでよろしいでしょうか」
「身内だけの葬儀、だったな。問題ない、それで進めるように」
……問題ない、ですか。
王妃様の意思を尊重したい思いもあるが、つい『側妃』の私が顔を出す。
「本当によろしいのでしょうか」
「なに?」
「亡くなられたのは王妃様です。修好国の要人を呼ばず、本当によろしいのでしょうか」
「構わぬ。あいつはそういう方面には、抜かりなく手を回す女だった。寝たきりだったとはいえ、どうせ指示を出し、要人を呼ばずとも問題ない状況にしているだろう」
正解である、確かに王妃様は手回しをされていた。不仲なくせに、その辺りはお互い理解されており、つくづく不思議な関係だ。
とりあえずこれ以上、余計なことは言うまい。しかし、この大切なことだけは伝えないとならない。
「承知しました。では王妃様が望まれた通りに準備を行います。しかし陛下、必ず参列なさって下さい。参列されず隣国へ向かい、もしその話がどこからか漏れてしまえば、足をすくわれかねます」
その忠告は鼻で笑われた。
「一体、誰が私の足をすくうと言うのだ。そんな弱い足ではない」
すっかり国民への意識を失われた陛下。少しでも民を思う気持ちが残っていたら、己の置かれている状況に気がついただろうに。
あの親子……。特に子どもたちのせいで税が上がったり、迷惑をかけられたり、王族へ不満が高まっているというのに。ここまで目が曇られていたとは……。
とっくに失望していたと思っていたが、どこかで目が覚めることを期待していたらしい。抱いたところで、無駄な望みだったのに……。信服に値しない男だと、分かっていたのに……。
税が上がったとはいえ、ディロたちなど、一部の者が管理する領では、税率を変えないと陛下が恩情を授けた。しかしディロは税を上げ、その差額を着服しているという報告が入った。
これが初犯ではないだろう。きっと似たような手口で金を貯め、爵位を買ったに違いない。
この報告書を提出しても、今の陛下ならもみ消すだろう。一度ディロを不問としたのは、陛下自身。自らの過ちを認めるとは思えない。
……あの時、もっと早く動いて捜査できていたら……。今も王妃様はご健在だったに違いない。
「それにしても、いつ聞いてもこの鐘の音は低くて暗くて、聞いていると憂鬱な気分になるな」
うっとうしい。
そう言わんばかりに目を鋭く細め、窓の向こうを見る陛下。つられて見ると、弔いの鐘の音に不釣り合いなほどの青空が、広がっていた。
「まあ、いい。葬儀に関しては、そなたたちに任せる」
「承知しました」
結局一度も亡き妻の顔を見ることなく、退室されてしまった。合わせて城を留守にし、母親が亡くなった場にも立ち会うことができなかった、そんな息子を気遣う言動もなかった。
陛下は私たち側妃の子ども達にも、ほとんど関心を示さない。これまでの『愛人』たちの子どもたちもそうだ。王位継承権を与えておきながら、会いに行かない。
例外なのは、リダとピカロの二人だけ。
毎日のように届く報告書に書かれた二人の様子、それを読まれている間、陛下はとても表情豊かになられる。私もパニエ様も、『早く二人に会いたい』と何度も聞いたことがある。それはつまり、言いかえれば、王妃様の死を望まれていたことを意味する。
◇◇◇◇◇
「寂しいものですね。一国の王妃の葬儀だというのに」
「ご本人の希望でしたし。それに国庫は厳しくなる一方。だからこそ支出を減らしたいので、この葬儀を望まれた。貴女もお分かりでしょう、パニエ様」
「ええ、分かっております。それでも……」
耐えるよう、伏し目となるパニエ様。
私も本心はパニエ様と同じ。これまで国のため、身を粉に働かれた御方。そんな立派な御方を、このような少人数で見送ることになるとは……。歴代の王族のように、都の中棺をかづかれて歩き、民との別れの時間を設けてもらいたかった。
今回は城門前や、弔いの鐘を鳴らす教会に献花台が設置されており、そこへ民は王妃を偲ぶ花を手向けている。
このような異例の葬儀だが、一度も会議で反対意見があがったことはない。それは王妃様が亡くなられてからも。
もっとも王妃派には以前より、反対意見を出さないということで、全員の意志は統一されている。とはいえ、そこに至るまで、やはり反対を唱える者もおり、この意見をまとめるのに、かなり時間を要した。
だが、表向きは異議なしとした国王派の一部が、王妃派に接触し、交流の深い国の要人は参列させるべきではないかと意見してきた。そう、派閥は一枚岩ではない。私たちだって揉めたのだから。
とりあえず、このような行動に走る者が出ることは想定済み。それに対する答えは、あらかじめ決められていた。
「ならば先ほど、そのように意見すれば良かったではないか。今から陛下へ進言しても遅くなかろう」
「え、いや、それは……」
同意を得たら王妃派の人間に動いてもらう計算だったのだろう。
暗に自分で動けと言えば、誰もがしどろもどろとなる。そして同意を得られなかったことを理由に、それ以上は動かない。つまり、その程度の意志だということ。
異例の葬儀のため、下手をすれば諸外国から我が国内に問題が発生しており、火種がくすぶっていると思われ、致命傷になりかねない。それを理解している者は、理解していない者よりましだ。
まるで密葬のような葬儀。毒を盛られたという噂は流れており、この葬儀では国内外にそれを肯定し、王妃様の死は不審死だったと認めているようなもの。常識的に考えれば、そのような噂は払拭する必要があった。それを陛下は放棄した。
まだ見込みのあると認められた者には、さらに決められた言葉を口にする。
「よいですか、派閥に属し闇雲に主人に従うのが忠臣ではありません。主人が過ちを犯す前に、諫める勇気も必要です。分かりますね?」
「……分かっております」
「ならば言うべき相手は、誰だか分かりますね」
「………………」
だが誰一人、陛下へ進言する者はいなかった。多少見込みはあれど、勇気まで抱けなかったらしい。
そして葬儀、当日を迎えた。
ディロはなにも言わない。ただニヤニヤと空いた王妃の椅子を見つめている。そこに娘が座る姿でも想像しているのだろう。
そんなディロは、忠臣ではない。ただ娘が陛下に好かれているだけ。それなのに、王家の威光を借り、勘違いしている愚者。そんな愚者側へ寝返ったのに、王妃様が亡くなられる前後から、またこちらの派閥に属したいと接触してくる者たちもいた。
「ディロたちの仲間内の商売は、徐々に客足が遠のいており、先行きが危うい状況です」
「特に海外との取引ほど、顕著なのです」
「まあ、そうですか。商売は難しいもの。客足が戻ると良いですね」
泣きつくように言われても、いつも曖昧そうな笑みを浮かべ聞き流し、助言を与えない。だがこの声が増えれば増えるほど、王妃派の士気は高まっていた。
「王妃様の蒔いた種は、順調に育っているようです」
「海外へは王妃様自らが、これはと思った商品を推薦して下さったからな。各国の権力者、愛用の品となれば、それだけで大きな宣伝となる」
「王妃様の口添えがあったからこその取引も多いですが、私たちはそれに恥じぬ商品を作り続けるのみ。そう、愚直なまでに」
王妃派は定期的に面子をかえ、密かに会合を開いている。情報を共有するためだ。誰がいつ誰にどのように接触されたのか、些細な内容でも報告しあう。
「現実が見え始めた者は、まだ許せる。だが一度我らと袂をわかちながら、また戻ろうとする奴は信用できん」
「同意ですな」
国の重鎮の言葉に、私の父も大きく頷く。
「ですが、ただの厚顔かもしれませんが、こちらの動向を探るよう、命じられた者もいる可能性が……」
「つまり、わざと泳がす人間も必要、ということですね」
私の発言に反対の声があがらないということは、そういうことなのだろう。
私たちも相手側に諜報員を送っている。向こうも誰かまでは掴めていないものの、そういった人物がいるということには、気がついているだろう。お互い様ということだ。
さて、このまま全員信用ならないと受け入れることなく突っぱねても、今後、悪影響を及ぼす可能性が高い。だから全員ではないが、数名、受け入れる姿勢を見せた。
本当に私たちに寝返ったのかは、これからの本人の働きによって見極めるしかない。
そして諜報員だった場合は、偽の情報を与える。これは決定事項。
「して、陛下は予想通りか」
「はい、出立は明日です」
葬儀を終えたばかりだというのに、我慢できないらしい。陛下は直々にコルデ親子を迎えに行くため、明日、隣国へ向けて出立される。
◇◇◇◇◇
「予想通りとはいえ、悲しいことです」
出立され、遠ざかる一段を見つめながら、言葉とは違う厳しい目つきでパニエ様が言う。
「ええ、本当に」
こんな男が国王とは、民に申し訳がない。
やがて一団が完全に見えなくなると、パニエ様と並びながら城内へ戻る。
「あの二人が帰ってきたら、また騒がしくなるのでしょうね」
「不在の間、書類も無事で様々な揉め事から解放され、平穏でしたのに。まったく、隣国でも変わらぬ振舞いをしていると聞き、恥ずかしい。お世話になっている国に対する態度ではありません。これから、どのように隣国へ詫びるべきか……。下手をすれば、関係がこじれるでしょう」
すでに頭痛が始まったのか、こめかみに手を当てるパニエ様。
「でも、良かったこともあります。陛下が留守の間、存分に王妃様のご友人たちをもてなすことができるのですから」
「そうですね。陛下がいては、満足に語り合えませんもの」
やがて陛下の出立を知った王妃様のご友人たちが、続々と城を訪れ始めた。人が入れ替わり立ち替わりしても、皆、王妃様との思い出話は尽きない。
時に笑い、時に泣き。その死を悼む者同士で王妃様の死を受け入れ、己の心も整えようと皆で力を合わす。
やがて訪問に落ちつきが見えた頃、パニエ様と二人きりで休憩を過ごしていた。
「国内の方は、これで落ちつきましたね」
「ええ。外国にお住まいの皆様は、これからですが。今ごろ皆様、こちらへ向かっていることでしょう」
茶請けに手を伸ばし、甘い菓子をゆっくり堪能する。パニエ様はカップをソーサーに戻し、窓の向こうを見る。
「最初に到着されるのは、『彼女』でしょうね」
「私もそう思います。彼女は馬車を使わず直に馬に乗られ、野宿にも慣れていらっしゃいますし」
陛下が向かった東隣の国ではなく、南隣に位置する地で暮らす、赤毛の少女を思い浮かべる。
彼女には王妃様が毒に蝕まれていると分かった直後、すぐに連絡を送った。彼女のことだから、国境沿いでその時のために待機していただろう。そして悲報を受けるなり、馬に飛び乗ったに違いない。
あの地で暮らす当人たちは、国ではないと言っているが、周辺国は便宜上、その地域を一つの国として認識している。
遊牧民族が集うリュイゼ国の姫が、いつ城を訪れてもいいように、彼女の好きな茶葉を用意しておきましょう。