その熱が冷めても2
店内に入った彼は、受付の閉店予告の貼り紙に目を留めた。
「店を閉めて、それからどうする…………のですか?」
「引っ越そうかと思っています」
「そう、ですか」
躊躇いがちに寝台に座り、彼は上の服を脱いだ。よく鍛えた体の背中と腹に数ヶ所痣があった。
「これは…………」
ツツ、と痣を指でなぞると、彼が「は、あ…………」と悩ましく息を吐いた。
「ふ、うう………悪友と少々喧嘩をした時のもので」
「わざと付けてもらいました?」
「え!いやまさか」
多くの傷を見てきた私は、その傷がどうやってできたかも見当を付けられるようになっていた。平然さを装いながら、私の視線からさりげなく顔を横向けている。ロイドさん彼に借りがあるのは分かるけど、苦労してそうだなあ。
「まあいいです。では流しますね」
痣に掌を当てようとしたら、ビクッと体を強張らせるのが伝わる。久し振りだと期待感が大きくてそうなるよね。
「待ってくれ!話を…………っ、うあ!あっ!あああああ、あ、あは、う、くっ、ま、ひ」
「何ですか?」
「は…………はあはあ!」
一つ痣を治したところで手を止めると、私の手首を捕まえ彼が必死で息を整える。
「じ、実は…………はあ……聞いて、もらいたいことが、ん………」
「うん?」
感じ入っているのを目を瞑って逃しつつ、彼は赤い舌で唇を湿らせた。
「よく分からないんだ」
「はい?」
「……………気になる人がいるんだが、相手が俺をどう思っているのかよく分からない」
私を見上げた彼の顔は赤かった。
「あ…………はい」
「俺は待ってると言ったのに、直ぐに会えると約束したのに、いつの間にかどこかにいなくなってて捜していたら、元の店で何もなかったように仕事してて」
「きちんと店を片付けたかったんです」
「何でも自分で決めて…………俺のことどう思ってるか言ってもらったことないし…………行動としては多分そうなんだろうけど……………もしかしてもう俺のことなんか忘れてしまったかと」
大人の男の人が、むくれた顔をしてフイッと顔を背けるのが可愛くて、私は捕まれた右手はそのまま、左手で別の痣に神聖力を流した。
「く、あっ!そんな!いきなり、ああああっあ、は、んん!」
「その気になる相手の人、あなたのこと好きですよ」
「あああ、え?まっ、あああああ」
「だって全部片付けないと、あなたも私も幸せになれないでしょ?」
「んん、ん、はっ、俺は、会いたくて、ここまでっ」
「私だって会いたかった」
抱きついて、差し出すように仰け反らせている首筋に咬みついてやった。
「うっ!」
ビクンと体を震わせた彼だったが、プルプルしながら私の背を両腕で抱き締め返してくれた。ジュッと音を立てて首筋を吸い上げて唇を離せば、仕返しとばかりにその唇を奪われた。
「ん、んん」
「ふ、っは」
どちらともつかない吐息と声が混ざり合い、衝動的な熱は確かな熱へと冷めていった。
気が付くと、互いを確かめるように抱き締め合ったままじっとしていた。
「…………………本当はずっと嫉妬してた」
「え?」
「こうやって他の男を治療したりして、そいつに快感を与えて悦ばすこと……………俺が何も思わないとでも?」
「それは……………」
「仕事だもんな、分かってる。やめろなんて言わない。これはマナの生き方の一つだもんな」
そんなふうに言ってもらえるなんて、嬉しいよりもちょっと物悲しい。人をアンアン言わせるのが私の生き方の一つとは。だが認めよう。『快楽の聖女』は公けには姿を現さなくなったが、私マナは人を悦ばせる生き方をこれからも続けるだろう。
「うん、ごめんね。そうだよね、嫌だよね」
「いい、俺にもしてくれるんだろ?」
「ん………」
色っぽく耳に囁き、ノアが私の唇をまた吸った。
「実は土地を買ったんだ」
「………………ん?」
「大きな店が建てられるように広い敷地を用意した。勿論マナのこだわり抜いた様式の店にしたらいい」
「うん?」
久し振りのキスに、とろんとしていた私は彼の話が耳になかなか入ってこない。
「今度は俺の我が儘を聞いてもらうと言っただろ。だから」
胸に抱いた私をいっそ冷徹に見下ろし、ノアは口調を強くした。
「もう二度と離さないから。俺を置いていくのは無しだ。仕事をするのも客を喘がすのも自由にしたらいいけど、俺から離れるのは絶対許さないから」
「ノア」
ちょっと誤解しそうな箇所があるけど、ツッコミいれる雰囲気ではない。私は観念するしかなくて、彼の胸に頬を寄せた。
「……………お店を閉めたらノアに会いに行こうと決めてたの」
「マナ」
「覚悟ぐらいできてる」
私の肩を抱く彼の指に幾つも切り傷があるのが見えた。練習したのだろうか?料理の腕は上がったのかな?
きっと私に振る舞ってくれる為だろう。
「ノア好きです。私と結婚してもらえますか?」
身を離して問いかけると、彼が目を見開いた。
声が直ぐに出ないのをいいことに、彼の切り傷だらけの指先を持ち上げて唇を落とす。
「あ!」
それだけで震える『赤い盾』は、私が限界を超えて真っ赤になっているのにようやく気が付くと、ふわりと笑みを浮かべた。
「ああ!勿論、ああもう!俺が言うべきだったことを……………マナは狡い、でも好きだ」
〈完〉
軽い気持ちで書いたものですが、私自身楽しかったです。
ありがとうございました。