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聖女マナ

  バン、と勢いよく玄関のドアが開かれて外の風が入ってきた。


「おかえり、ノア」


 通いのメイドが帰るのを見送った矢先、奥に行こうとしていた私は、彼が足音荒く帰宅したのに出くわした。


「遅かったね。ご飯にし…………」


 無言のまま肩を引かれて、ノアの腕が私の体をきつく囲った。


「マナ」


 名を呼んだきり、ただ私を抱きすくめる彼に応えるように広い背中に手を回す。そのままゆっくりと撫でるとピクリと体が揺れたがされるがままだった。

 そうして灯りに重なった影が長く伸びているのを横に見ていたら、ようやく囲いを解かれた。

 吐息を額に感じるほどの近さで見た彼は、とても疲れてみえた。ロイドから聞いた通り、リランジュールからの書簡のことで私を守るために一日中奔走してくれただろうことを思うと、胸に温かいものが生まれる。


「俺のいない間に誰か来たか?何か聞いたりしなかったか?」

「…………ううん」


 不安と焦燥に駆られた赤い瞳が、私の存在を確かめるようにこちらから離れない。

 それは夕食を摂る時もだった。


「明日も行かなければならない。マナも一緒に呼ばれている」


 苦虫を噛み潰したような顔をしてノアは溜め息をついた。


「……………私が聖女だと知られたの?」

「リランジュールからの書簡を見せられた。マナはこちらの聖女だから引き渡すように言われた」

「そう、なんだ」

「そんなことはさせない。マナは国の所有物ではないし、マナのことはマナが決めることだ」


 はっきりと告げる彼に、私は嬉しくて笑みが溢れた。


「うん、ありがとう。でも大丈夫なの?」

「一つ解決策があるのだが……………それこそマナに決めてもらいたいことが………」

「なに?」


 ノアは口に手をやると迷いを見せた。手元に目を落とし、思いきったように急に顔を上げ口を開きかけて、また閉じた。


「あ………明日言うから」

「うん?分かった」


 夕食はあまり食べられなかった。ノアもずっと考えごとをしていて手をつけていなかったようだ。片付けをして私は部屋でお風呂に入った。バスタブは用意されていて湯は冷めていたが、側面のボタンを押せば湯が沸く。

 奴隷の首輪にせよ、バスタブにせよ、こういうところは進んでいるんだから解せない。


「ノア?」


 湯上がりに、灯りを頼りに広いリビングを覗いてみると彼はソファーに座って何やらぶつぶつと呟いていた。だが私に気づくと、やけに驚いて居ずまいを正した。


「ああ、風呂に入ったのか」


 照れたように笑い、立ち上がると流れるような仕草でまだ少し湿り気のある私の髪に指を通した。

 きっと無意識なのだろう。頬が熱くなり固まったままの私を見つめる表情が、とても甘ったるい。


「あの……………ノア」

「あ、悪い」


 キスもしたけど、あれは雰囲気に呑まれたからまだ平気だった気がする。

 何度も触れられたけど今のほうがドキドキして辛いのは、多分私が自覚したからだと思う。


 私の緊張した面持ちに、手を引っ込めた彼も顔を赤らめた。


「も、もう寝るのか?」

「うん…………」


 何気なく言うつもりだったのに、口から言葉がなかなか出てこない。


「……………部屋まで送るから」


 慌てたように手を握られて俯いていた顔を上げたら、淋しそうな表情に胸を突かれた。


「ノア」

「ど、どうした?」


 手を握り返し、小さな声で問う。今ならノアはきっと………


「一緒に寝てもいい?」


 間があった。

 彼の唇が震えて、目が泳いでいる。


「ま、な」

「何もしないから」


 重ねて言えばまた沈黙が広がり、だいぶ経ってからノアが「え?」と聞き直した。






















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