越境4
ゲートに辿り着くまで馬で一週間もかかるのを思い出した。
「ジベルはリランジュールきっての広大な領地を所有する大領主だからな。端から端まで移動したら1ヶ月は掛かる」
幾つもあるゲートまでの道、長閑な村と畑が点在するのを馬上から眺めていた。ずっと馬に乗っているとお尻が痛い。早く降りたい。
「そんなに…………それじゃあ、あの人はかなり身分の高い人だったんだ」
「元は一介の下級貴族に過ぎなかったと聞いている。だが数々の武功を立てて成り上がった。今の領地を拝領したのも一年前の戦争で成果を出したからだ」
「どちらも引き分けで終わったんでしょう?成果って」
「俺を捕らえたから」
「あ」
後ろに座るノアを振り返れば、苦い顔をしていた。
「ノア……………」
「俺が言うのも何だが、戦争中リランジュールは劣勢だった。俺の隊はよく戦ってくれたからな」
もしかして結構偉い人なのか。二つ名があるもんね。
「そこで奴は一計を案じ、俺を隊から孤立させるように仕向けて捕らえた。『紅蓮の盾』は『蒼穹の剣』と並んでシュランバインの双極を為すものともてはやされていたから……………いや、昔のことだな」
何ソレ、うちの中学生になる弟が聞いたら喜ぶやつだね。それにジベル変態なだけかと思っていたけど、色々やってたんだね。よがり狂った姿見た後で聞いたから、凄さあまり伝わってこないけど。
「ノアは、有名な人だったんだ」
「奴隷まで落ちたがな。聞くところによると、その後我が国は勢いを削がれて、結局は不利な条件で停戦に合意したそうだ」
自らを揶揄して苦笑しているけど、暗い表情ではなくて良かった。簡単に話すけど、一年間の奴隷生活が生易しいものであるわけない。
「……………苦しかったでしょう」
言ったそばから後悔した。知りもしない私が同情したところで上辺だけのものだから。
「ごめん、何でもない」
「それも過去のことだ。あんたは救ってくれた。だから気にしなくていい」
鞍にしがみつく手を、ノアが平気だとばかりにポンポンと叩いた。最近よく触れてくるのは私の気のせいだろう。
「しかしマナは、国のことをほとんど知らないんだな」
「庶民なんてそんなものだよ。それに私がここに来てから暮らし始めて三年ぐらいしか経っていないから」
店まで出して暮らしていたのにも関わらず、まだ旅先に寄った観光地のような愛着しか持っていないことを自覚した。それはこの世界の生き物じゃない異質なものだということ。
忙しさで紛らわせていたけど、そう感じると孤独だ。
朝見た夢で覚えた感覚と同じ。
「……………違う世界に来たんだったな。あんたも苦労しただろう」
「そんなことは…………」
「慰めにはならないかもしれないが、あんたはギフトをもらって来た。つまり事故ではなく何らかの意志で招かれたはずだし、ギフトはあんたがここで生きやすいように与えられたものだ。きっとギフトを与えたものは、いつかここがあんたの故郷になる日まであんたを見守っている」
「俺自身は無宗教だが」と付け足すノアに気分が軽くなる。
「ありがとう、元気出た」
夢が薄らいで私は一つ深呼吸をした。少なくとも今は一人じゃない。くよくよしても仕方ない。
「それに」
「あ、あれがゲートだね」
「あ…………ああ」
前方にある山の麓に、大きな門と人だかりが見えてきた。ここを通過してからもう一つ他の領地を抜けたら隣国だ。ノア曰く隣国との境界のゲートよりも、ここが一番厳しいらしい。
馬を下り並び、ようやく私達の番になった。身分証を出せば、じろりと不躾に見られて緊張する。
「こっちのお前、奴隷か」
契約書を確認し、もう一人の武装した兵がノアを鋭い目つきで射抜く。
「身なりは良いし主従関係には見えない、お前は本当に奴隷か?」
「そうだ」
「売買契約書には性奴隷とあるが、具体的には何をするんだ?」
「っ!」
「な、ちょ………!」
急にニヤニヤするゲートの兵の厭らしい顔に、言葉が直ぐに出て来ない。そこまで聞くんかい!聞きたいだけでしょ!セクハラ!と頭の中で騒いでいたら、ノアがゆっくりと口を開いた。
「主に快楽を与えられるのは俺の方だ。散々喘がされて何がなんだか分からなくなるほどにまで追い詰められて、最後はしばらく動けなくなる」
彼の目が、何もないところへ向けられている。心を無にしているのだろう。
「…………すごくいい。善すぎて苦痛を感じるほどだ」
本当のことしか話してないのは分かる。しかし彼を見るのが辛い。
「ご主人様の前では、自分が自分じゃなくなる。そうだな、ドロドロのグチャグチャな自分になるというか………」
ごめん、ごめんね!
私も遠くを見てるから。