第?戦・勇者 山田花子
前回のあらすじ
魔王のピンチにハナコ颯爽登場!
キッチンに卵が焼ける香ばしい匂いが漂ってくる。コンロの火を消すと、次は電子レンジがチンと、温め終わったことを知らせてくる。
山田花子はフライパンから手早く目玉焼きを皿に移し、レンジのドアを開ける。解凍された一口コロッケを取り出すと、昨晩の残り物と一緒に弁当箱へとつめた。
朝食の準備をしていると、階段から誰かが下りてくる足音が聞こえてくる。
「おはよう、花子」
「おはよう、お父さん!」
寝間着姿でぼんやりしている父親は寝ぐせも直さずに欠伸をしている。
朝食の準備が終わったテーブルには、トーストと目玉焼き、昨晩の残り物が並べられ、実に簡素なものだった。育ちざかりの花子にとっては物足りないものだったが、時間のない朝はこの程度しか用意できない。
「いつも大変だろう。ありがとうな」
「えー、別にいいよ。これぐらいやらなくっちゃ」
父が椅子に座りながら花子に感謝を伝えてくる。
花子は片親の山田家で父親の手で育てられてきたため、少し男っぽいところがある。母親と死別したが、父親がいるだけで、花子は幸せだった。
「そうだ。今日の夜は花子の好きなカレーにしよう」
父の言葉に、花子は笑顔を返した。
登校して下駄箱で靴を履き替えようと、脱いだ黒いローファーを手にとるために少し屈む。
「おはよう、山田さん!」
下駄箱は多くの学生でひしめき合っていた。生徒の数が多すぎて誰が挨拶してきたのかは解らないけれど、きっと知り合いだろうと、花子は元気に挨拶を返す。
「うん。おはよう!」
挨拶はそれだけでは終わらない。他の見知らぬ人からも挨拶される。
花子は生徒会に所属するような誰とも挨拶を交わす立場ではないのだが、いつも数多くの人から声をかけられる。それは、花子にとって嬉しいことだった。
教室に辿り着いても、下駄箱と同様だった。
「あ、花子だ。おーっす」
「おはよう、花子さん」
さすがにクラスメイトの顔は憶えているので、挨拶してくれた人に笑顔を向ける。
「おっはよー」
気軽な様子で挨拶を交わして、花子は自分の席に着いた。
前の席に座る女子生徒がぐるりとこちらに身体を向けて話しかけてきた。
「花子さー、今日の宿題やった? あのゴリ松の国語だから、忘れたら何を言われるかわかんないよ」
「あ、ヤバい……やってない、ノート見せてよ。お願い」
完全に宿題のことを忘れていた。特別な理由はないのだが、ただ単純に頭から抜け落ちていた。まだ時間があるとはいえ、花子の頭では間に合わせることができない。相手の女子生徒は知らない仲ではないので、そこは気軽に協力を要請した。
「しょうがないなー。花子は馬鹿だからねー。貸したげる」
女子生徒から国語のノートを受け取ると、必死に自分のノートに書き写していく。こんなやり取りは日常茶飯事だ。
チャイムが鳴って、授業が終わり昼休みが始まることを知らせる。宿題を忘れてるという失態を何とかカバーできた花子はぐったりと項垂れた。
「ねぇ、花子ちゃん、一緒にお弁当食べよ?」
「弁当持ってきてるでしょ」
机の上に突っ伏す花子にクラスメイトが寄ってくる。この二人は特に仲が良く、昼休みはいつも一緒に弁当を食べている。これを断る理由はない。
「いいよ。一緒に食べよ」
笑顔で返した花子は上体を起こしてから立ち上がった。
学校の中庭にあるベンチに座って弁当を食べ始める。友人と弁当を食べることは、花子にとって楽しみの一つだった。特に中身のない話に花を咲かせて友人と盛り上がる。
弁当を食べ終わりだらだらしていると、目の前に影が落ちた。
「おい、花子。ちょっと顔貸せよ」
身長の高い女子生徒が花子を見下ろしてくる。その様子は剣呑であり、むやみに辺りを威圧している。女子生徒は三人いて、長身の女子がそのグループのリーダーだった。
彼女の登場に、友人二人は怯えて身体を寄せ合う。花子は二人を守るようにベンチから立ち上がった。
「いいよ。どこに行けばいいの?」
「ついて来い」
長身の女子生徒は背を向けて校舎裏に向けて歩き出した。花子は言われるがまま、女子グループの後に続いた。
腹を殴られて、花子は膝をつく。
校舎の影、誰にも見えない場所に着くやいなや、長身の女子生徒が無言で腹を殴ってきたのだ。
ある程度は予測できていたとはいえ、構えていれば痛くないわけではない。酸素を吐き出された肺が勢いよく空気を吸い込む。その肺活量についていけずに、激しく咳き込んでしまう。
腹を殴った女子とは別の女子生徒が硬いローファーを履いたまま花子の肩を踏みつけてくる。屈辱と痛みに花子は顔を歪めた。
「お前さ、ムカつくんだよ。いつもヘラヘラしやがって、私たちのことを無視してんの? 人にちやほやされて、調子に乗ってんじゃないわよ」
また別の女子生徒がイラついたように言葉を投げかけてくる。花子はこの三人の女子生徒から目をつけられていた。
この程度はいつものことだ。
以前、三人組から同じような仕打ちを受けていた女子生徒を庇ったおかげで、次の標的が花子になった。名前も知らない、顔も見たことのない女子生徒だった。それでも、見放すことはできなかった。
「別にいつも通りだよ。人気がないのは自分を省みてから言ったら?」
短い前髪を握られ、強制的に顔を上げらされる。髪の毛だけで頭を支えるので、生え際が痛くて仕方がない。そんな花子を、見下ろして三人は嘲り嗤う。
「一人では何もできないくせに」
生意気を口にした花子は脇腹を爪先で蹴飛ばされ、倒れ込んでしまった。
「こいつ、マジでムカつく」
三人そろって、花子を踏みつけてくる。
硬い靴の底が花子を打ち付ける。何度も何度も執拗に、制服の上から踵を落してくる。素肌を露出するところは避ける。何度も痛めつけるために、わざと傷つきにくいところをいたぶってくる。
「がはッ!」
女子生徒の一人が尻餅をついた。花子が放った蹴りがお腹に当たったからだ。
「あたしは負けない。こんな卑劣なことをやるヤツに」
長身の女子生徒。この世の憎しみを全て凝縮したかのように、花子を睨んでくる。他の二人は怯えたのか、長身の女子生徒を宥めるようにして去っていった。
一人残された花子は制服に付いた汚れを手で払った。
父が作ってくれたカレーをスプーンで掬い、口の中にいれる。
「んー、おいしー!」
程よい辛みと、野菜の甘み、それと旨味が絶妙に絡み合い、極上の味を生み出していた。この至上のカレーは花子の好物で、店のものなど比べ物にならないほど美味い。これを食べている時は、優しさに抱かれたような幸福感があった。
「ははは、あまりがっつくんじゃない。カレーはまだまだあるからな」
「わかった。おかわり!」
食べる勢いの変わらない娘を見て、父の笑顔は少し引きつっていた。
風呂に入るために部屋着を脱ぐ。鏡に映し出される自分の姿は見るに堪えないものだった。全身に痣がある。顔や足といった露出しやすいところは綺麗だが、胴体部分は酷いものだった。
風呂場に入りシャワーを浴びると、身体のあちこちが染みて激痛が走った。
花子は自宅に程近い市民公園に呼び出されていた。
風呂から上がってすぐに、スマホに着信があった。相手は昼休みに蹴りを入れた長身の女子生徒。無視もできたが、以前いじめられていた生徒が再び酷い目に会うのではないかと、そう思ってしまった。
指定された場所には、長身の女子生徒、その他にチャラい男性が二人いた。
「おい、よくも俺の彼女を傷物にしてくれたなぁ」
男はナイフをちらつかせて花子に寄ってくる。
長身の女子生徒は、男の後ろで愉悦に満ちた顔で嗤っている。その顔に花子は反吐が出た。
「無視すんじゃねぇよ」
もう一人の男性が背後に回り込み、羽交い絞めにされてしまう。いくら暴れても男性の力が強くびくともしない。ナイフを持った男性は近寄って花子のすぐ目の前にまでやってくる。そして、ナイフを花子の頬に当てる。
「大人しくしてろよ。そしたら、優しく犯してやるよッ!」
男性はナイフを持っていない方の手で強引に花子の服を引きちぎる。ボタンが弾け飛び、下着が露わになる。そんな姿の花子を見て、男性は舌なめずりをする。次に下着に手をかけてくる。
目の前の男性に向かって蹴りを入れた。このまま好きにされる花子ではない。
「女の子一人襲うのに、二人がかりなんて情けなくないの?」
蹴られた男性は腹を庇うように屈み花子を睨み据える。女性、しかも年下の学生に蹴りを入れられたことがよっぽど頭に来たようで、その目は尋常ではない。それでも、花子は毅然として男性を睨み返す。
「おい、止めろ!」
「うるせぇ!!」
男性は手に持ったナイフを花子の腹に突き立てた。その様子を背後の男性と長身の女子生徒は顔を青くして凝視している。腹を刺した男性も何をやらかしたのかに気付いて、ナイフから手を離した。
羽交い絞めにしていた男性が花子を解放して逃げ出した。それに続くように二人も花子の前から逃げていった。
放り出された花子は冷たいコンクリートの道路に倒れた。そのうち手足が痺れてきて、身動きが取れなくなっていく。身体中に力が入らなくなり、いつしか全ての感覚が麻痺してしまった。
いずれ、何も見えなくなり、何も考えられなくなった。そのはずなのに、目の前が真っ白になっていった。まるで、身体が光に包まれるかのように。




