第44戦・魔王家の事情
前回のあらすじ
魔王はハナコを異世界に送還することを決意
行政都市『ワース』郊外にある山の中腹には、高名な魔術師の隠れ家がある。
その隠れ家は手狭であり、しかも実験道具が整然と並べられている。そのため、住人の居住スペースはほとんどない。今そこに三人が集って顔を突き合わせていた。
「何故、お母様がこんなところに?」
母と呼ばれた女性は魔王の母親とは思えない程に若い。二十代と言われたら信じてしまいそうである。
魔王の頭ごなしな物言いに母は不快そうに黒い瞳で睨みつける。
「私が何処にいても私の勝手でしょ? 息子ちゃんにどうこう言われる筋合いはありませんー」
見た目の若さはもちろん、内面の精神年齢も若いらしく、言葉遣いが子供のそれである。何も変わっていない母親に魔王は眉間に皺を寄せていた。
「だからと言って、何もこんな狭いところにいなくてもいいじゃないですか」
「狭いところで悪かったの」
次に伯母に因縁をつけられた魔王はかぶりをふった。もう、母親がどこにいようとも、伯母の家が狭かろうがどうでもよくなって深い溜息をついた。
「義妹がどうしてもって聞かなくてな。行く当てがないと泣きついてきよるから、貸してやっているのじゃ。家事は抜群じゃし、決して悪いことばかりじゃないのじゃよ」
伯母が了承していることを理解した魔王であったがどうしても訊ねたいことがあった。
「お母様、どうして魔王城から出ていってしまわれたのですか? 従者が心配しておりましたよ」
魔王にしてみれば、母親がこのようなみすぼらしい小屋に住まっている理由が分からない。
魔王城には今でも母親の部屋が家出した時の状態で保管されている。定期的に清掃も行われているので、埃一つもない。加えて言えば、豪華な食事が三食、おやつも食べ放題、昼寝しても誰も文句は言わない。そんな理想的な環境を手放す理由が理解できない。
「ハッ! あんな男が住んでいた城なんてお断りよ。絶対に戻らないわ!」
「そんな我がままなことで、四〇年間も行方不明になっていたのですか? 今でも捜索が行われているというのに……」
さすがに悪いことをしたと思ったのか、そっぽを向いて口先を尖らせながらも母親は弁解を始めた。
「だって、あの男が悪いのよ! 私というものあるというのに、他の女にうつつを抜かして! これが許せる訳ないじゃない!」
「はぁ……いくら何でも根に持ちすぎです」
父親こと、前魔王が浮気したことで死亡したことは魔王も知っている。確かに父親は悪いことをしたのは間違いないのだろう。それでも、魔界の妃ともあろう人物としてはやりすぎである。
「結婚の時、永久の愛を誓ったのよ? 浮気なんて酷い裏切り行為だわ。だいたい、あの男とは『決して他の女と浮気しない』って誓約したのよ!?」
母親は父親に『破ったら死で償う』という呪術的契約を行ったらしい。父親も魔王が一人前になるまでは、その契約を守り続けたほど身の固い人物だった。その最期が妻による呪殺とは浮かばれないにも程がある。
「お母様が怒られるのも解りますが、お父様はいったい何をやらかしたのですか?」
「あの男、よりにもよってどこの馬の骨だか分からない女とキッスをしたのよ!?」
「えー……お父様はキス程度で殺されたのですか? それはいくら何でもやりすぎだったのではないですか?」
魔王の『キス程度』という言葉に、母親はもちろん、伯母まで目の色を変えた。それは威嚇する蛇より獰猛で、平凡な魔族なら失神、人間なら塩になって砕けていることだろう。その豹変ぶりには、さすがの魔王の気圧されてたじろいでしまった。
「キス程度……? 今、『キス程度』って言った!? 接吻なんて子作りと同じよ! 万死に値したわ!」
「ま、まさか、そんなことを信じて?」
「そんなことある訳ないじゃない! 種を仕込まれたことがあるんだから、その程度は解っているわ! それと同等という意味よ!」
「キス程度という発言、気に入らんのじゃ! 貴様もキッスをしたことないじゃろうにッ!」
伯母の追及に魔王は目を逸らした。つい最近ではあるが、魔王にはキスの経験がある。偶然に起こったことなのだが、あれはきっと向こうが意図的にやってきたのだと、魔王は信じている。好意を表に出してくれることは素直に嬉しかった。
つい、魔王はキスされた側の頬に手を当ててしまった。
「あー……えー……」
「よし、この息子、簀巻きにして海に沈めよう!」
母親は凛然と断言した。真剣な面持ちから本気の度合いが窺える。このままではいけないと、伯母に視線を向けて助けを乞う。
「お、伯母様もキスぐらいならしたことありますよね?」
魔王は選択を誤った。その先も同様に地獄であった。
「儂も義妹の手伝いをしてやろう。大人しく簀巻きになれ」
「伯母様!?」
魔王は独身女性を舐めていた、と痛感させられた。
このままでは本気で海に沈められると、心が折れてしまいそうだった。
「まぁ、冗談はこれぐらいにしておくのじゃ」
伯母は先ほどまでの殺気を、さっぱりと霧散させた。
魔王は伯母がキスの経験がないのかが気になっていたが、藪蛇になりそうなので深く追求することはしなかった。
どさっと、何かを放り投げられた音が魔王の耳に届いた。
「これを持ってゆくといいのじゃ」
魔王の足許には白い表紙の分厚い本が一冊と、頭蓋骨と同等程度の大きさのピンクの石が置かれていた。それを拾い上げて伯母の顔とを交互に見た。
「本は儂なりに調べた『異世界』の事を纏めたものじゃ。そっちの石は『賢者の石』。この石を触媒にして魔法を行使すれば、より魔力を高められるぞ」
『賢者の石』は錬金術の到達点ともいえる有名な触媒である。石を金に変えるという夢を実現させることが出来る魔界でも伝説級の代物で、伯母から渡されたものは最大級といってもいいほどのサイズだ。
表紙が白い本は伯母が独自に綴ったものだが、パラパラと捲って読んだその内容は地上、魔界ともに存在しない『異世界』の情報が詰まっている。
これらの秘宝を魔王にポンと渡すあたり、伯母の懐の深さわかる。
「伯母様、ありがとうございます」
魔王は素直に礼をして感謝の気持ちを表した。
少し前までは、勇者の送還を渋っていたとは思えない大盤振る舞いだ。それだけ伯母は勇者ハナコのことを大切に想っているのだろう。
「お義姉様、その宝石は何ですか? 息子ちゃんばかりずるーい」
少しシリアスになった空気を母親がぶち壊す。
「あー、はいはい、判ったのじゃ。あとでとびっきりのをやるから今は黙っておれ」
「はーい」
伯母が母親を軽くいなしてから、再び魔王に向き直る。その眼光は童女のそれではなく、長年魔法を研究してきた魔術師のものだった。
「いいか。どれだけ準備をしても、絶対ということは有り得ない。いくら魔法が完璧だとしても、被術者が『こちらの世界』と深い繋がりがあると失敗してしまう。これだけはどうしようもない」
伯母がいうには、最終的に『こちら』と『あちら』、勇者がどちらを選ぶのかが決め手になる。
『異世界』には、ハナコの親や友人、想い人がいることだろう。送還魔法さえ完璧なら成功するに違いない。
「大丈夫です。必ず成功させます」
甥の言葉に満足したようで、伯母は深く頷いた。
後は、魔王が何処まで完璧な送還魔法を組み上げるかにかかっている。魔王は決意と共に分厚い本を握りしめた。




