第43戦・魔王の決意
前回のあらすじ
地上に送った兵士の九割が地上を侵略していたという疑惑が浮上。
行政都市『ワース』
魔界全土の街を取り仕切り、資料が行き交う事務の街。『ワース』で仕事をする魔族は、身体よりも頭を使って働いている。土地の開拓、各都市の自治、村の治水、治療施設の建設、等々、仕事に事欠くことはない。
そんな都市で働く魔族にとって昼の休憩とはなくてはならない存在である。机に向かい続けて凝り固まった身体をほぐし、空腹を満たすために近くの定食屋へと足を運ぶ。デスクワークが多い都市ではあるが、食事処も多くあるのが特徴である。
都市の一角にあるのが、定食屋『希望の星』。昼はランチで料理をお安く提供、夜はお酒と豪華な食事でお客を迎える。『ワース』の数ある飲食店でも、かなりの高評価を受けている。
店内の向かい合う二人掛けのテーブルには、黒い外套を纏ったままの魔族と、ぶかぶかの銀のローブを纏った童女という異質な組み合わせの客が腰かけていた。
「で? 儂をこんなところに呼び出して何の用じゃ?」
アンネは目の前の皿に盛られたとろとろのオムライスをスプーンで掬いながら問う。黒い外套を纏った魔族、つまり魔王は顔の前で手を組んで真剣な眼差しをアンネに向けている。魔王の目の前にはパンが三つと野菜のスープが並べられている。
「実は伯母様に頼みごとがありまして」
アンネのスプーンで卵のかかったチキンライスを口に運ぶ手が止まる。料理の美味しさとは別に、明らかに不機嫌な目で魔王を見つめる。
「何の事かはしらぬが、儂は政治不干渉を決めておる。何を言われても、何もしてやらん」
アンネは魔界の内情に手を出すつもりはない。甥の頼みであれ、何を言われても何もしないと決めていた。そんなアンネに願いこむように魔王は言葉を続ける。
「魔界関連の話ではありません。ハナコの事で少し訊ねたいことがあります」
「ハナコ……?」
アンネは不審そうに眉を寄せる。わざわざ改まってどのような話があるというのか、予想できない。
「ハナコは異世界から召喚されたのは確かなのですか?」
「? それは間違いないのじゃ。あの出鱈目なパラメータは、こちらの世界の理から外れている証拠じゃよ。で、それに何の意味が?」
アンネに向かい直した魔王が真剣な面持ちで視線を送ってくる。険しい顔の魔王を見て、アンネはスプーンを皿の上に置いた。
「ハナコを元いた異世界に送還します」
その突拍子もない魔王の発言に、アンネは目を白黒させる。
「何を言っておるのじゃ。貴様、本気か? 召喚だけでどれだけの労力が必要なのか知っておるのか? 送還はそれ以上なのじゃぞ!」
「はい。承知しています」
異世界送還の難度は極めて高い。異世界召喚は五人を超える高位の魔術師が一ヵ月魔法を使い続けてようやく実現するという、世界の在り方を曲げる禁呪のようなもの。送還はそれを超える難題であった。
「ハナコがじっとして、魔法を受け続けると思っておるのか?」
「いえ、我が一人でその場で送還してやります」
あまりにも馬鹿げたことを言う甥っ子に、アンネは頭を抱える。
「よいか? 送還はそんな簡単なものではない」
「しかし、一人で成し遂げられないモノではありません」
説得しようにも、頑として譲る様子のない魔王にアンネはどう問題を伝えるかを思案した。
魔王が言った通り、召喚も送還も魔法である以上、一人で行うことが可能である。しかし、それに使う魔力は膨大であるために、何人もの魔術師が日数をかけて行うのだ。だが、送還はそれだけではない。
「まず、送還には異世界の精密な地図が必要じゃ。送還先は何処になるか、誤れば海へと投げ出される。地上に送れても、どの土地にするかも重要じゃ。それだけではない。高さも重要で、高過ぎたら落ちて大怪我、低ければ地面に埋まる可能性もある」
難度の説明をするアンネは魔王の顔を横目で見る。だが、魔王の眼差しには曇りひとつない。アンネは魔王が諦めるように、さらに言葉を続けた。
「もし、ハナコを元の世界、元の場所に送還出来たとしよう。じゃが、そこに人が立っていたら? 建物が建てられていたら? ハナコはどうなる? 世界地図に針を刺すよりも、余程難しいのじゃぞ」
「解っています。ですが、それでもやります」
まったく動じない魔王に確固たる意志があるのを、アンネは感じ取っていた。何が魔王を突き動かすのか、その理由はわからない。それでも、相当焦っているのが手に取るようにわかる。そうでもなければ、わざわざ自分にこうして請いにくる訳がない。
「何を急いでいる?」
魔王は一拍おいて、口を開いた。
「これから、魔界は大きな戦争に見舞われます。魔界は二つに分たれ、地上からの侵略もあるでしょう。これからは、我を倒すというだけでは済まされない血みどろの大戦に巻き込むことになります。
それに、ハナコを巻き込みたくない。この世界とは関係ない、ただの一六歳の少女の手を血で汚したくはありません」
それは、傲慢だと、アンネは伝えたかったが、魔王は元々、傲慢なヤツである。そんなヤツがここまで言っているのだから、そう易々と折れるわけがない。ここは無理に断るより、少しでも送還の可能性を高めるべきだろう、とアンネは結論付けた。
「貴様の覚悟、受け取った。ならば、送還の術を教えよう」
「ありがとうございます」
いつもは不遜で傲岸である甥っ子が素直に頭を下げる姿に、アンネは成長を見た気がした。いつまでも、何もできない子供ではないのだと。
「じゃがな、今のままではまず成功しないじゃろう。そこで、貴様にとっておきのアイテムをプレゼントしてやるのじゃ」
「とっておきの……プレゼント?」
「儂も送還を成功させたいのでな、その程度手伝ってやる。今は手元にないのじゃから、昔、拠点にしていた隠れ家へ向かうのじゃ」
それで魔王は満足したのか、追及することはなかった。
アンネは冷めてしまった極上のオムライスを口に運んだ。それでも充分にうまいことに感動していた。
◆
隠れ家は『ワース』の郊外にあると聞いた魔王は、伯母を連れてそこへ向かっていた。
「おい、この方法しかなかったのか?」
伯母が不機嫌そうに呟く。
いま、伯母はブランコに腰かけている。正確に言うと、空を飛ぶ魔王が支える二本のロープにぶら下がっている状態だ。空を飛ぶことが出来るのは、先天性の才能を必要とする。逆にいくら修練しようとも、空を飛ぶことはできない。今、魔族で飛行できるのは、魔王ただ一人だ。
「伯母様、まだですか?」
「おお、そろそろじゃ」
伯母が指す場所は、岩が剥き出しの山の中腹。岩と岩の陰に隠れるように、木製の小屋が建っている。この辺りに相当詳しくないと、見つけられない絶妙な場所である。
小屋の前に降り立ち、すぐさま中へと入って行く。
小屋の中は見た目通りに狭い。しかし、整然と並ぶ実験器具、薬瓶、薬草、魔物の骨格。一見して魔女の住む家だと理解できる。伯母の話では、長い間留守にしていると聞いていたが、埃のひとつも落ちていない。
室内に視線を巡らせると、人影があることに気がついた。
「おかえりなさーい。お義姉様! ずいぶんと早いお戻りですね」
やたら明るく、緊張感のない声。その声に魔王は聞き覚えがあった。
「ま、まさか、お母様!?」
「あらー、久しぶりね、息子ちゃん!」
伯母の小屋には、前魔王が死亡してから行方不明になっていた母親がいたのだった。




