第39戦・反省会 その3
前回のあらすじ
勇者との試合は魔王側の敗北に終わった。
分厚い雷雲を突き刺すように尖った魔王城は、今日もどんよりと影を落としていた。
淡く光を透過するステンドグラスが、薄暗い玉座の間を艶やかに飾り付ける。
魔王は玉座に座し、傲慢にふんぞり返っていた。その右腕はギプスで固定されており、首から垂れ下がる白い布が支えている。いつもは使わない左手で頬杖をついてふてくされている。
「……前回の闘技場での試合、散々でしたね。まさかこちらが敗北してしまうなんて」
痛いところを抉られて、魔王は苦い表情をした。
先に行われた真剣勝負、武器を破壊したら勝ちというルールに則って行った試合。勇者が勝てば好きな武器をプレゼント、魔王が勝てば勇者には地上へと帰ってもらうという賭けをしていた。
「まぁ、そんなことはどうでもいい。こちらは武器の代金を払えばいいだけの話だろうが。それくらいくれてやるわ」
魔王は不機嫌そうに言い捨てた。
武器を勇者に買い与えることなど、魔王にとっては造作もないこと。特に気にするべきことではない。向こうが望むものなどたかが知れている、そう魔王は腹を括っていた。
「そうではありません。魔王様には威厳というものがないのですか? 衆人環視であんな無様を晒して」
勇者との試合で魔王と四天王は情けなくも敗北してしまったのだ。しかも、魔王に至っては転んだ拍子に腕の骨を折るという大失態を犯したのだ。この試合を見た魔族たちは何を思うことだろうか、それを大臣は危惧していた。
「そんなことを言われてもなぁ……折れてしまったものは仕方ないだろう? 昨日から牛乳を飲むようにしているし、次は大丈夫だろ」
ふてぶてしい態度の魔王に大臣は深く溜息をつく。
勇者に負けてからというもの、魔王は負け癖がついてしまったのではないかと、大臣は心配していた。勇者に負けたことを悪びれもせず、さも当然といった感じで受け入れている。
「はぁ……魔王様の腕はまだ経過観察ですので、後で病院に行ってくださいね」
「解っておる。あまり子供扱いするんじゃない」
魔王は不承不承といった感じで返答する。片腕をギプスで固定した姿を他人に見られることは、さすがの魔王でも恥ずかしく感じている。
「それにしても、勇者の剣を破壊できたのは幸いでしたね。もし破壊できなかったら、恥さらしもいいところ……」
魔王は大臣の話半分に、呆然と虚空を見つめていた。
闘技場での対決で、勇者が自らの武器を握り潰したことは誰も知らない。魔王はそのことに言及していないからだ。本当に公平を期すならば、あの場で申告するべきだった。
しかし、勇者本人が申し出ないことを、魔王がわざわざ公言するのもまた違うのだろう。では、何故、勇者は己の剣を握りつぶしたのか。魔王にとってはこれが解らない。
「……大臣よ。もしもの話なのだが、勝てる試合でわざと相手に負けようとするとき、どんな気持ちで自らの勝ちを譲るのか……分かるか?」
「……魔王ともあろうお方が病院ごとき――って、何ですか、急に? そうですね……本人にとってどうでいい試合だったのか、もしくは、相手の大切なものを守るため……ではないでしょうか」
「大切なもの……?」
魔王は大臣の答えに唸る。
勝ちを譲られて守られる大切なもの……全く思いつかない。
ならば、勇者にとって先の勝負はどうでもいいものだったというのだろうか。魔界から追い出されてもいいと考えていた、ということになる。そう考え魔王はて自分の胸が疼いた気がした。
「魔王様には解らないでしょうね」
大臣は虚空を見つめる魔王に対して再び溜息をついた。
「そんなことより、勇者たちに与えた武器代金を支払ってくださいね」
「ん? これは公費で落ちるのであろう? れっきとした勇者との戦い。以前の温泉旅行よりよっぽど有意義であったはずだ」
大臣に温泉の良さを知らしめるために、温泉に旅行をしたことがあった。その際は、旅行費を公費として落としていた。金額は多いものの、今回も公費を使って然るべきだろう。
「駄目です。今回の武器を与えるという報奨は、魔王様が独断で決めたことです。それで国庫を減らすことはできません」
断言された。
発案者はアングリフではあったが、武器破壊したときの勝利条件や、報奨として好きな武器を与えるというのも、魔王が勝手に追加した案である。
頭は痛いが、支払えない額ではないだろう、と魔王は気楽に構えた。
「まあ、仕方ない。ほれ、金額を言うがいい」
「一〇億魔界ゴールドです」
「は?」
魔王は予想を超える金額の提示に目を丸くした。
大臣が持つ請求書をひったくる。その内容に目を通すが、間違いはない。ゼロが九つ並んでいる。見間違いがないように何度も目を通しても変化することはない。
「まて。どうしてこんな金額になった? あそこにあった武器は、高くても五〇〇万だろ? 最大で二〇〇〇万で済むだろうが!」
「……あのアンネとかいう童女が六〇〇カラットとという魔界最大のレインボーダイヤを要求してきました。代金の九割がその金額でして……」
「六〇〇カラット……だと? そんな巨大なの存在するのか?」
「はい。杖に使う物として他の鉱石でもそこそこ存在しています」
あの伯母は何やってんだッ! と叫びそうになるのを必死に留める。あの童女が伯母であることは、誰にも言うことはできない。それは、伯母本人からの要請だった。勇者と一緒にいたい、という気持ちを魔王は守りたいのだ。
「という訳で、支払いお願いしますよ」
立腹のあまり、手にした請求書を破り捨てる。こんな事をしても何の解決にもならないのだが、そうしなければ腹の虫が治まる様子がない。
「……大臣よ。金を借りることはできないか?」
「それはいいのですが、私に貢ぎ続けることになりますよ?」
『貢』というワードに、魔王の背筋に悪寒が走った。あの、人生ゲームでの悪夢が蘇る。返しても返しても、返却の目処がつかない無間地獄。それだけは二度と味わいたくない、と魔王は覚悟を決めた。
「一〇億くらい、なんとかしてやる……何とか支払ってやんよッ!」
それから、魔王の私物がいくつか行方不明となり、しばらくの間、魔王がおやつを食べる姿を見た者はいなかったという。




