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第30戦・娼館街の孤児院にて

前回のあらすじ

大臣、四天王の男性二人の仲を応援する。

 木製の床には細かな傷、壁は小さなシミが目立つ。長く続く廊下を歩いていくと、昔に描いた落書きがまだ残っている。辺りを見回しながら、ロザリクシアは懐かしい気持ちと、辛かった日々を思い出していた。


 ここは恋人の聖地『ラスト』――の中では二つ名に不似合いな、『むふふ横丁』に建てられた孤児院。築三〇年を超えて、所々に老朽化の兆しが見える。


 孤児院を訪れたのは久しぶりに『むふふ横丁』に来たからだ。孤児院を去ってから一二年を経て、ロザリクシアは初めて訪問したのだ。


 辺りを見回しながら廊下を歩いていると、前方のドアが開いて女性が出てきた。女性は金色の派手な上着を纏い、レースのついた豪奢なスカートを履いている。燃えるような赤い髪と釣り目は相手を威圧しているようだ。年の頃はロザリクシアとほぼ同じで、身長の高さから少し年上にも見える。


「あら、四天王の絶戦じゃない」


 赤毛の女性は上からロザリクシアを見下ろす。その言葉の語気は強く、威嚇ともいえるほど獰猛だった。


「久しぶりだね。フレデリカ」


 そう言うロザリクシアは視線を合わせることなく、俯いてしまった。

 その様を見たフレデリカと呼ばれた赤毛の女性は、忌々し気な視線を送る。


「貴女と話す無駄な時間はないから、わたくしは失礼するわ」


 赤い髪をかき上げてフレデリカはロザリクシアの隣を通り過ぎる。そのまま立ち止まることなく、建物から出ていった。その間、ロザリクシアは俯いたままで立ち止まっていた。

 少し時間をおいて、ロザリクシアはまた足を動かしはじめた。

 先程フレデリカが出てきたドアの前までやってくると、三回ノックをした。


「はいどうぞ」


 柔らかで人を包むような優しい声が返ってくる。返事を確認してから、ロザリクシアは部屋の中に入った。


「お久しぶりです。院長先生」


 部屋の中には椅子に腰かけた年配の女性がいた。僅かに微笑んだ女性は、誰をも受け入れるような慈愛に溢れていた。その女性の笑顔がロザリクシアにも伝播でんぱして頬が緩んだ。

 院長が座るテーブルの上には二つのティーカップ。空のものと、満たされたまま冷めたものが残されている。


「お久しぶりですね、ロザリクシアさん。今日は二人も来てくれるなんて、とてもいい日だわ」


 ニコニコと微笑む女性はこの孤児院の院長を務めており、ロザリクシアもお世話になった先生でもある。二人ということは、先の一人はフレデリカなのだろう。


「さぁ、そんなところに立ってないで座って頂戴。今、新しい紅茶を用意するからね」

「あ、おかまいなく……」


 ロザリクシアの言葉を受け入れながらも、院長先生はゆっくりとカップを片付けてから、新しいカップを棚から出してポットの紅茶を注いだ。部屋に紅茶のいい香りが再び漂う。

 ロザリクシアは院長に甘えるように、向かいの椅子に座った。


「冷める前にどうぞ」

「あ、ありがとう……ございます」


 勧められるままに、カップに口をつけて一口含むと、爽やかな風味が口の中を満たした。


「ふふふ。いつも通りの話し方でいいのよ、貴女と私はもう対等なのだから。あら、四天王になったのだから私が敬わなくてはいけないわね」


 少し意地悪気味に院長先生はそう言うと口を手で隠した。その言葉でロザリクシアの肩から少し力が抜けた。


「ねぇ、四天王のお仕事は辛くない? 無理やり酷いことをさせられていない?」

「うん。大丈夫だよ。それどころか、わがまま放題してる」


 院長先生は嬉しそうに何度も頷く。その様を見て、ロザリクシアも嬉しくなってくる。


「それはよかったわ。優しい貴女だから、心を痛めているかと心配だったの」


 院長先生はいつもロザリクシアを気にかけてくれていた。


 この孤児院にいる間、ロザリクシアは口数が少なく自分の思いを他人に伝えることをしなかった。

 嫌なことを嫌だと言わないロザリクシアは、子供たちの中でいじめに近い目に遭っていた。それでも、そのことを誰にも言おうとしないので、院長先生はそんな彼女に寄り添ってくれていた。


「貴女を引き取ってくれたのが魔王様で本当によかったわ。その顔を見れば私でも分かるわ」


 この孤児院は魔王が設立したものだ。

 娼館街では自分の力で我が子を育てられない女性は少なくない。だから、子供を捨てることがたびたびあった。そんな娼館で働く女性に子育てを強要することはできないと、孤児院を建てたのである。

 設立者として魔王は今でも孤児院をよく訪れている。その際に、ロザリクシアは拾われたのだ。


「わたしは……今でも、拾われたのがわたしでよかったのかって、思ってる。魔術の才能なら他の子の方があったはずなのに」


 孤児でも何かひとつできることがあれば、養子に引き取ってくれる可能性が高くなる。そのために、この孤児院では色々な訓練をしている。

 得意なことを伸ばすように行われる訓練で、ロザリクシアは唯一の取り柄であった魔術の訓練を行っていた。しかし、ロザリクシアの魔術は他の子に比べてかなり劣っており、それもいじめられる要因のひとつだった。


「さっき、フレデリカさんとすれ違ったの。彼女の方が凄い魔法使いになれたと思う」

「気にすることはないわ。彼女も良家に引き取られていてね、立派な魔術師になったって報告してくれたもの」


 フレデリカはこの孤児院が設立されて以来の天才といわれるほど、魔術の行使が得意だった。順当に行けば、魔王に引き取られるべき子供だった。それなのに、ロザリクシアが選ばれた。


 当時のロザリクシアは初歩の魔術しか使えず、成績も院内で底辺だった。いくら訓練しても、練習しても、成績は伸びることはなかった。

 その姿が子供たちからは滑稽に見えたのか、いじめのターゲットにはもってこいだった。魔術ができないことを馬鹿にされたり、無視をされたり、酷いときには教材を破られたりもされた。

 それを率先してやっていたのが、フレデリカだった。


「昔、いじめを止めることができなかったこと、本当にごめんなさい。貴女が自信を持てなかったのは私のせいね」

「院長先生は悪くないです。いじめられたのは、わたしが何もできなかったから」


 どんないじめにも、ロザリクシアは仕返しをしなかった。どんなに辛くても、我慢し続けてきた。それでも頑張れたのは、院長先生をはじめとした、他の先生がいたからだ。ロザリクシアはそれを絶対に忘れない。


「やっぱり、魔王様が貴女を見つけてくれてよかった。今は『何もできない』わけじゃないのよね?」

「あ……」

「貴女は胸を張っていいのよ。えーと、魔王様はなんと言って貴女を引き取ったのかしら……歳を取ると物忘れがひどくて困るわね」

「わたしも忘れちゃった」


 院長先生に合わせただけで、当然ロザリクシアは何と言われたのか憶えている。

 誰もが使える魔術の練習をしているところを、偶然にも見つかってしまった時のことだ。


『なんだ、そんな簡単な魔術も使えんのか。しょうがない奴だ、われが直々に教えてやろう。なに、礼はいらん。成長してから返してもらうからな』


 なんて勝手な人なのだろうか。人の意志などお構いなしに決められてしまったのだ。誰も望んでいなかったというのに、それなのに、なぜかとても嬉しくて、涙を流してしまった。


「今は立派に四天王のお役目をはたしているのでしょう? 魔王様は見る目があるのね」

「きっと、わたしじゃなくても、よかったんだと思う。でも、今はわたしが四天王なんだよね」


 フレデリカと出会ったことで、昔を思い出してネガティブに引きずられていたロザリクシアだったが、昔と向かい合うことで、笑顔が戻っていく。


「うん。わたしはパパと一緒に仲良くやってるから、安心して」

「それはよかったわ」


 笑顔が戻ったのが嬉しいのか、院長先生の顔にも笑顔が戻っていく。

 お互いが笑い合い、昔にはできなかった話を交わしあった。自分のことを伝えることができるようになったことを、院長先生にも教えることができた。




「あ、ごめんなさい、院長先生。もう時間が……」

「そんなに話していたのね。気付かなくてごめんなさい。今は忙しいのよね」


 楽しい時間はあっというまに過ぎていく。ロザリクシアは残念に思いながらも、椅子から立ち上がった。テーブルの上のカップはもう空になっていた。


「最近ね、子供が減って暇をしているの。だから、時間があればまた来て欲しいわ。この仕事が減るのはいいことなのに、少し寂しいわ」

「また紅茶を飲みに来るね。それまでに、話のネタを集めておくから」


 ロザリクシアはドアを開けて部屋から出た。そして、ひとつ深呼吸した。

 来たときには気付かなかったが、遠くから子供が騒ぐ声が聞こえてくる。みんなが自分のように幸せになって欲しいと願いつつ、ロザリクシアは孤児院を後にした。

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