第24戦・地上のお土産
前回のあらすじ
ゴリラ、告白する。
温泉の街『グリード』と恋人の聖地『ラスト』そのちょうど中間点にある寂れた喫茶店『名もなき喫茶店』
古ぼけた建物ではあるものの、異国情緒のある『グリード』とは違い、テーブルにソファという魔界では一般的な喫茶店である。天井にはランプが灯っているが、明かりとしては弱く店内は薄暗い。店内にあるテーブルを挟んだソファには男女の客が座っていた。
店内にはその男女の他にも客がいるらしく、何やら話し声が聞こえてくる。それでもあまり気になる程の大声ではない。
「ハナコよ。実は頼みたいことがあるのだが……」
ソファに座る魔王。その向かいではナイフとフォークを持って、注文したホットケーキをがっついている勇者ハナコがいた。
この二人がこの喫茶店にいるのは、魔王のはからいであった。とある事情のために、どうしてもハナコの力が必要だった。だから、ホットケーキでハナコを釣って、二人きりで相談できる環境を作ったのだった。
「んー? いいよ。あたしに出来ることならね」
「うむ。ハナコにしか頼めないことだ」
魔王は注文しておいたレモンティーに口をつける。爽やかなレモンの香りが口中に広がり、リラックスして肩の力が抜けるような気がした。一息ついてから本題を切り出す。
「実はな、地上土産というのが欲しいのだ。魔界土産を作る参考にしたい」
魔王の頼み、それは真っ赤な嘘である。
とある理由から地上へと赴いて欲しいのだ。その本当の理由を口にできないためにこのような嘘をついたのだが、もっといい口実を作れなかったのものかと、魔王は眉根を寄せた。
「いいよ。何かリクエストとかある?」
「何でもよい、あくまで参考だからな。気にはなっていたけど、わざわざ買うほどでもない、といった感じの適当なモノでいい」
魔王は最大限の心遣いをして願いを告げた。これは誰もが体験する道なのだろう。何かきっかけがなければ買わないようなものというのは意外と存在する。魔王も実体験を元にして言い出したものだ。
「うん、いいよ。気になってたのあるし」
勇者は特に躊躇するでもなく快諾した。
◇
どんよりとした魔界の空を飛ぶ魔王は、魔界と地上とをつなぐゲートへとやってきた。
そこには、やはりというか、四天王が禁戦ケラヴスがひとり立って警備を続けていた。その様子に魔王は深く息をついた。
ケラヴスは一兵卒として魔王軍に入ったのだが、天から与えられた才覚とたゆまぬ鍛錬によって、他の兵とは頭ひとつ抜けた能力を有していた。そのような人材が見逃されるはずもなく、次々に昇進してあっという間にプライドにある『傲慢門』の現場を任されるまでになった。
人に指示する立場になったのだが、彼の有能さが悪い方向に向いてしまった。彼は大抵のことは一人でできた。他人を無能だとは思っていないが、一人でやった方が時間がかからない、部下を使うより効率的と断じていた。それでも全く問題なく任務をこなせてしまっていた。
いずれ部下はそれが当たり前だと受け取るようになり、”ケラヴスひとりでいい”と考えるようになった。だから、誰も彼の方針に異を唱えなかった。
彼が『傲慢門』で孤立したころにプライドでテロが起きた。
交易の要であるプライドを狙ってのもので、大きな戦が終わってから最も大きなものだった。しかし、所詮はただのテロであり、テロリスト共のアジトはあっけなく見つかった。『傲慢門』の現場を指示していた彼にアジトの制圧の任務が与えられた。
任務を受けた彼は当然、一人で制圧に向かった。だがやはり、それがよくなかった。
無類の強さを誇っていた彼はテロリストに遅れを取るわけもなく、あっけないほどにアジトを制圧せしめた。しかし、いくら優れた彼でも数には勝てなかった。テロリストの数人が抜け道を使ってアジトから逃げおおせたのである。
結果、テロは長期化し魔界全土の交易に大きなダメージを与えてしまった。
単独行動の責任を問われ、彼は除隊させられる結果となったのだった。
そんな行く先のない彼を拾ったのが魔王であった。
ゲートを越えて、グラトニーにある魔王軍駐屯所の砦にまでやってきた。
砦の中は相変わらず花のいい香りがしており、清潔に保たれている。ここの兵士は決して怠けたり、やる気がないわけではないことが伝わってくる。魔王を迎えにきた兵士に指示を出し、兵士を一室に集めた。
部屋に集まった兵士たちは魔王を前に緊張するのとともに、何故こんなところにやってきたのか理解ができずに困惑していた。
「まずは貴様らを労ってやろう。任務ご苦労」
兵士たちは決して無能ではない。魔王がそんなことをわざわざ言いに来るわけがない、と理解している。そのため、背筋はピンと伸び、冷や汗が流れ出てきていた。
「で、貴様らはここで何をしている?」
魔王の低い声が兵士を竦ませる。彼らは先ほど言われた通り、任務に従事しているだけである。何をしていると問われたら、役割を果たしているとしか言いようがない。
兵士たちは魔王の真意が読み取れず、ただ立ち尽くすことしかできない。
「貴様らの上官である四天王が禁戦ケラヴスが何をしているか知らぬわけではあるまい?」
当然知っている。知らぬ訳がない。ゲートの警備をひとりで遂行しているのだから。
「もう一度問う。貴様らはここで何をしている? 黙っていては分からぬ」
答えに窮している兵士たちのなかで、声を上げる者がいた。
「は、ハッ! ケラヴス様の命で砦で有事に備えて待機しております」
その声は震え恐怖を帯びていることがはっきりと伝わってくる。ただ命じられた任務を口にするだけなのだから、彼がここまで怯える必要はない。そのはずなのだが、魔王の放つプレッシャーが威圧してくるのだ。
「そうか。命じられたことを忠実に守っているのか。それは、とても素晴らしいことだ。ならば、我が今ここで、貴様らに死ねと命じたら死ぬのか?」
室内が声もなくざわついた。
「嫌だろう。その命に異議を申し立てたくはないか? 死にたくはないと」
魔王の言うことは真理である。誰もが死を喜んで受け入れるはずがない。
「では、何故、ケラヴスの命に異議を申し出なかった? 魔界と地上を繋ぐ重要拠点を、たった一人で警備するなど無理があろう。ケラヴスも魔族に変わりない。長時間の警備に疲れ、休みたいこともあるだろう。当然睡眠時間も削っている。いや、あいつのことだ、眠ってもいないかもな」
ただ、命令に従うだけの兵士たちを責めている。お前たちの腑抜け具合が度を越えている、と。
「ここまで言えば、我の意図は汲めただろう?」
一切の音がしない部屋から魔王は去っていった。ここには何も言えない兵士たちだけが残されていた。
◇
ケラヴスはゲートの入り口で一人じっと遠くを見つめている。
どんよりとした魔界日和に、神経を尖らせたまま警備を続けていた。
警備をはじめてから異変らしい異変はなかったのだが、どうも遠くから何者かがこちらに向かっているのを認めた。眉根を寄せてその人影を見つめていると、その人物とは他の場所から複数の気配が近づいてくるのを察した。
ケラヴスは人の気配を感じた場所に躍り出て抜刀する。して、一閃する――前にその相手が誰なのかに気付くことができた。
「お主ら……なにをやっている?」
ケラヴスが刃を向けた先には、砦で待機するように命じた兵士たちがいた。命令に背いてこのような場所に現れたことに、眼を鋭く尖らせて睨みつけた。
兵士は蛇に睨まれたカエルのように動けなくなるが、精一杯の勇気を振り絞った。
「ケラヴス様! 私たちにも、警備を手伝わせてください!」
一人の兵士がそう切り出した。
「お、俺もです! ケラヴス様の力になりたいです!」
「頼りにならないかもしれませんが、お役に立ちたい、いえ、立ってみせます!」
次々に兵士たちが警備を申し出てきた。
その様にケラヴスは困惑する。こんなことは初めてだった。自分の力量を知っている者は、命令に従うことしかしない。それは己だけで充分だと理解していたからだ。
自らの出した命に異議を唱えられることが、嫌な気分ではないことをケラヴスは初めて知った。
「そうか。お主らの意思、確かに受け取った」
刃を鞘に納めると、ケラヴスは静かに言った。
どうせ、魔王の差し金だろう、と理解していたが、ここはその思惑に乗ろうと頷いた。
「では、さっそく、役に立ってもらう。今、こちらに勇者ハナコが向かってきている」
さっきまで活気づいていた兵士たちが、急に静かになった。
「あ、すみません、ケラヴス様、ちょっとお腹が痛くなってきまして……」
「あー、急に胸が痛くなってきました」
「えーと、えーと、吹く風が冷たいので砦に戻っていいですかね」
兵士たちは『勇者』という言葉に、急に弱気になって逃げだし始めた。が、ケラヴスはそれを許さない。
「お主らには役に立ってもらう、と申したはずだが?」
兵士たちの肩を抱くようにして捕まえると、耳元で囁いてやった。それはまさに死神のものであるようで、兵士たちは再び背筋に冷や汗を流した。
「く……や、やってやろうぜ! 魔王軍の力を見せてやろうぜ!」
「勇者なんか怖くねぇ!」
「いっちょやったるかッ!」
自らを鼓舞するように、ひとり、またひとりと声を上げる。
「よし! 行くぞ、お主ら! このゲートを誰も通さぬぞ!」
歩み寄る勇者に向けて、ケラヴスを筆頭としたゲート警備部隊が突撃していった――
◇
喫茶店『名もなき喫茶店』で、魔王は勇者と再会していた。
「はい、これ。地上のお土産」
ハナコは両手に持った箱を魔王に手渡す。箱には『王国に行ってきました』と書かれた紙に包装されている。
「そ、そうか。感謝する、ハナコ。大儀であった」
土産を受け取った魔王は苦笑いを浮かべる。
「ねぇ、ここで食べるなら、あたしにも一個ちょうだい。食べてみたかったの」
「そうか、心ゆくまで食べるといい」
流石の魔王でも罪悪感から兵士たちへ心の中で謝らずにはいられなかった。




