第14戦・温泉地の静かなる戦い
あらすじ
温泉の素晴らしさを理解できない大臣に素晴らしさを教えよう……
という建前で温泉旅行が決定した。
温泉の街「グリード」
豊富な温泉資源を利用した一大温泉都市として発展してきた。
源泉かけ流しの入浴施設はもちろん、温泉饅頭と温泉玉子をメインとしたお土産屋、温泉の成分をたっぷり含む栄養豊富な食事を提供する料亭など、徹底的に温泉にこだわった強欲の街である。
温泉の街、その中でも人気の温泉施設がある。
温泉「欲張りのお湯」。
和風の風情が漂う施設で、数々のお湯が楽しめる湯船がある。子供からお年寄りまで気楽に利用できるのも人気の一つ。しかも、入浴料が無料と人気にならない理由がない。
そこでも特に人気が高いのは、露天風呂である。魔界の薄暗い空を天井が開放的で、岩で造られた湯船が屋外を演出する。
そんな露天風呂の湯けむりの奥には、頬をほんのり赤くした白い髪の女性が湯につかっていた。彼女は両手で乳白色のお湯を掬いあげてまじまじと見つめていた。
「これが温泉……広い浴槽に効能のあるお湯。たしかに銭湯とは異なるのは認めましょう。しかし、何故こんなものが人を惹きつけるのか」
魔王の配下である大臣はぽつりと呟く。その顔は晴れやかなものではなく、むしろ不機嫌を感じさせるように眉根を寄せていた。
彼女にとってやはり銭湯と変わりなく、魔神像で飾られた煌びやかな魔王城の入浴施設の方が優れていると感じていた。
そう、魔王とその部下はグリードへ温泉旅行に来ていたのだ。女湯には女性二人がいる筈だったのだが、大臣の姿しか確認できない。何やら別の用事ができたとか言って、ロザリクシアは何処かに消え去っていた。
温泉に入ってまでして大臣は、成果は無しと判じて湯船から出ようとした。と、湯けむりの奥から別の利用客が入ってきたのに気が付いた。
「すごーい! 異世界の露天風呂みたい! こんなのが魔界にもあるんだね」
「こら、ハナコ。大声出すんじゃないの」
湯船から出るのを中止して、大臣は顔の半分をお湯に沈めた。
何故、ここに勇者一行がいるのか。先ほどの声は勇者とエルフのものだ。グリードの近くに来ているという話は聞いていたが、既に到着し、あまつさえ同じ施設を利用するはめになるとは夢にも思わなかった。
「よっしゃー!」
少年のような顔をした勇者ハナコがお湯に飛び込んできた。その飛沫が大臣の白い髪にかかった。
「ごめんなさい。うちの仲間がご迷惑を……」
金の髪を結ったエルフのナディスが、大臣の顔を見つめながら謝罪してきた。そこで、大臣は自分が魔王の配下であることがバレていないことを知った。
大臣としては監視対象として何度も見たことがあるのだが、勇者側としては大臣とまったく面識がない。それをいいことに、大臣はただの利用客を装うことにした。
「いえ。気にしませんよ……」
大臣はエルフの横顔に暫し視線を奪われる。同じ女性同士でも、ナディスの美しさは抜群であった。
その美しさは大臣の女としての敗北を覚った。しかし、その横顔から視線を落としていくと、ある一点で視線が止まった。そこは、胸である。
胸といえば、女性たらしめる部位のひとつであり、その大小は男性の人気に大きく左右されると言われている。優れている美しい顔にすらっとした体型、それに対して、彼女の胸は実に控えめであった。
少し視線を動かせば、灰色の髪を団子状に結ったアンネもいたが、童女である彼女の胸はストンとしたまな板そのものだった。
それらを見て、大臣はほくそ笑んだ。大臣はわざわざ口に出すまでもなく胸に自信を持っていた。大きくはないが、整った形のそれは、美乳と呼ばれる誇れるものであった。
大臣は勝ち誇り鼻を鳴らして嗤う。そのとき――
「ごめんね。ついはしゃいじゃった」
湯船に浸かった勇者が謝罪のために大臣に近寄ってきた。勝ち誇っていた大臣はハナコを見た瞬間、稲妻が走った。
(嘘でしょ? 相手はまだ十六歳の少女なのよ? というか、浮くの? それ浮くの?)
浮いている。胸が温泉に浮いている。それが脂の塊であるのなら、それは当然ではある。しかし、ただの乳では有り得ないその現象は、勇者が優れていることを悠然に語っていた。少年を思わせるその容貌に反して、その胸は実に豊であった。
失っていた誇りを美乳で取り戻した大臣だが、勇者の容姿のギャップに再び完全な敗北を味わっていた。
「ゆ、勇者! 覚えてなさい! これで勝ったと思わないことねッ!」
大臣は湯船から這い出ると、目尻に涙を溜めて出口へと走っていった。己の敗北を思い知らされて、その場に留まることができなかったのだ。
「ほら、ハナコが悪いのよ? あんなにはしゃぐから」
「……これは、ハナコが悪い。主に胸が」
「ええ!? あたしのせいなの!?」
大臣の耳に遠くから勇者が責められる声が届いていた。
◇
「ぷはーッ 美味い!」
今まで口につけていた牛乳瓶を掲げて魔王は大きく息を吐いていた。
イ草で編まれた床敷き、涼しい風が吹く脱衣所。温泉から上がった人はここで火照った身体の熱を冷ます。
浴衣というグリード特有の着物を着て、魔王はケラヴス、アングリフと共に入浴後の牛乳を楽しんでいた。やはり、温泉の後に呑む牛乳は最高だと、再認識できるほどに魔王は癒されていた。
「すみません。もう一本いいですか?」
巨体のアングリフには物足りなかったのか、新しい牛乳を売店のお婆さんから購入していた。
その隣で牛乳瓶を片手で持つケラヴスは非常に浴衣姿が似合っていた。いつもの着流しもいい雰囲気だが、ナイスミドルといった風のケラヴスの魅力を引き立てている。
「やはり、温泉は最高であったな。本来ならば酒を飲みたいところだが、今は公務だからな」
今回の温泉旅行は、大臣に温泉の良さを知ってもらうために組まれた行事である。さすがに行事として来た身としては、体裁を取り繕う必要がある。
「魔王様、オレは温泉に来れただけでも満足です」
二本目の牛乳を飲み干したアングリフは満足したように深く息を吐いた。
「そ、そうですぞ……、こここれただけでぇぇぇ……」
魔王が声の先を見るとケラヴスがマッサージチェアに座って身体を揉み解されていた。温泉施設にマッサージチェアがあるのは、朝に太陽があがる程に当たり前のことである。
「ケラヴス、それは気持ちいいのか?」
実は一度も利用したことのない魔王がケラヴスに問うていた。だが、答えなどなくとも、その恍惚とした顔を見ればすぐに分かることであった。
「オレは刺激が弱すぎて物足りないです。この後はマッサージをしてもらうのが一番ですよ」
アングリフが竜の大きな鼻の穴から大きく息を吐き出した。その様子に魔王もそれもいいかな、と思い始める。
「ふぅ……温泉とは誰もが仲良くなり幸せを共有できる素晴らしいものよな……」
人心地ついたところで、ひとつの思考が働いた。
「――ハッ! 思いついたぞ!」
閃いた魔王は手をポンと叩く。
「前にケラヴスが言っていただろう、勇者を勧誘してみてはどうかという案だ。勇者と戦わずして味方に出来れば、すべては解決、魔界に平和が訪れるのではないか?」
「成る程、流石魔王様!」
「敵と対立するだけではない、ということですな」
気分が盛り上がっていた一行は、深く考えることもなく諸手を上げて賛同していた。
その後、魔王たちは何故か不機嫌な大臣と、上機嫌なロザリクシアと合流することになる。温泉の良さを知ってもらうはずの旅行だったのだが、それが正反対に作用してしまったようであった。




