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第12.5戦・月下の勇者

あらすじ

刺殺事件の処理を終えた魔王と大臣は今回の事件を振り返る。

その頃、勇者一行は……

 城塞都市プライドにある宿屋「嫉妬ハウス」そのテラスで勇者ハナコは夜空を見上げていた。

 夜の暗闇よりさらに黒い夜空には、緑の星々が煌めき、禍々しいほど赤い月が浮かんでいる。異世界にほんとも、地上とも様相が違う夜空はただただ不気味であった。だというのに、勇者は空に思いを馳せる。


 今日、魔族が刺殺されたという大事件があったことに加えて、魔王と四天王を相手取って戦う直前にまで至った。しかし自分にかけられた容疑は冤罪えんざいであり、魔王の手でそれが証明されると、その戦いも自然と落ち着いてしまった。今も宿屋の主人が迷惑をかけたと、ただで宿泊させてくれた。


 今回の件は一応は解決したものの、勇者の中にはあるわだかまりがあった。それは、『人間』が魔界にいることを快く思っていない魔族たちがいたということだ。特に『勇者』ではなく『人間』という点である。

 魔王を討たんとやってきた『勇者』を疎むのは当然だとは思っている。しかし、『人間』という括りにされたのが気に入らなかった。


 勇者が異世界にほんにいたとき、彼女は『花子』という一人の個を持った人間であり、誰もがそれを認めていた。

 父親が――


「夕食ができたぞ、花子。今日はお前の好きなカレーだ」


 友人が――


「ねぇ、花子ちゃん、一緒にお弁当食べよ?」


 学友が――


「おい、花子。ちょっと顔貸せよ」


 誰もが花子を花子と認識して、その名を読んでくれる。これが当たり前で、それがくつがえることがあるなんて、花子は思ってもみなかった。


 ある日、花子は眩い光に包まれて地上界に召喚された。

 光を抜けた先は映画や漫画で見た西洋のお城にあるような広間だった。大理石の床には分厚い赤の絨毯が敷かれ、天井にはきらびやかに輝く巨大なシャンデリア、壁には大胆にアレンジされた人物画が飾られていた。豪華絢爛ごうかけんらんとはこういうことを言うのだろうか。


 花子を中心に魔法陣が描かれており、白い法衣を着た見知らぬおじさんたちに囲まれていた。文章だけだと、凄まじく胡散臭いのだが、どこか神々しい雰囲気が漂っていた。誰にも侵せない聖域のように感じられて、花子の心は澄んだ水のように落ち着いていた。


「おお! よくぞいらっしゃいました、われらが勇者」


 おじさんの中で最も豪奢ごうしゃな服を着た人物が花子に話しかけてきた。『勇者』というのが誰のことかわからずに、きょろきょろと周囲を見回した。おじさんの視線が集まる先、つまり花子が勇者だと示していた。


「おお、召喚は成功だ。勇者様がお見えになったぞ」

「なんというか……頼りないが大丈夫か?」

「ただの小娘ということはないよな」


 法衣を着たおじさんたちは勝手な物言いで、物珍しく花子を遠巻きに見ていた。


「選ばれし勇者よ。地上界は今、魔王軍による脅威にさらされている。そなたには諸悪の根源である魔王を討伐していただく。勿論、手を貸そう。王国でも一、二を争う実力者であるジューディアが手助けしてくれるだろう」


 その後は流れるように、魔王討伐の任を受け、王国の僧侶であるジューディア・セグランサが仲間になった。

 ゲームでは塩装備を渡されて放流される勇者であるが、ここではどんな高価な武具でも提供してくれた。自らの力を知らない花子にとっては、その真価を知ることはできなかったが。


「勇者様、魔王を倒して地上界に平和を」

「勇者様、我々をお救いください」

「勇者様、息子の仇を取ってください」

「勇者様、武器は装備しなければ意味はありませんよ」

「勇者様、拝ませてください」

「勇者様、こちらをお持ちください」

「勇者様、何なりとお申し付けください」


 勇者様、勇者様、勇者様、勇者様、勇者、勇者、勇者、勇者――

 誰も花子を花子と認識しない。ここ、地上界では花子は勇者であり、それ以上の意味はない。勇者であれば、誰でもいいのだ。花子である必要はなかった。

 それは、旅を共にする者も同様だった。


 ジューディアは――

「初めまして、勇者様。さぁ、ともに魔王を討伐いたしましょう」


 ナディスは――

「あんたが魔王を討伐しようとしている勇者ね。私を仲間に加えなさい。損はさせないわ」


 アンネは――

「しょうがないのぉ。薬を作ってやるぞ勇者よ」


 誰もが勇者を欲しているが、花子を欲している人間はどこにもいはしなかった。だから、花子はハナコと名乗った。


「あたしの名前は、ハナコ。ヤマダ・ハナコ」


 だから、ハナコは誰に問われることなく、自ら自分の名を告げる。


 ずっと勇者という記号であったハナコ。事態はさらに変化する。

 城塞都市プライドの刺殺事件で勇者は魔族から責められることになった。


『そうだ! 魔界に人間がいるのが悪いんだ!』


 ついに『勇者』は『人間』になった。ハナコという意味は喪失して、ただの人間にまでなり下がった。

 誰もハナコに意味を求めない。人間か勇者か。そのどちらかだ。


 誰にも己を見出してもらえないハナコに、問いを投げかける者がいた。


「勇者よ。貴様は何者だ?」


 地上界からゲートをくぐって魔界にやってきてすぐのこと。唐突に襲いかかってきた魔王をボコボコにのしてやった。その直後に彼が放った言葉だ。


「あたしは勇者だ。お前を倒しにきた勇者だ」

「はぁ……違うだろうが、それは肩書だ。貴様自身の名を問うておる」


 髪は乱れ、着ている服は所々破け、身に纏ったマントもよれよれになって敗北者となった魔王は、それでいて尊大で不遜であった。

 深い溜息をつきながら、魔王ややれやれと首を振る。そんなことも判らないのかと、そう言っていた。


「あたしの名前は、ハナコ。ヤマダ・ハナコ」

「ふむ。ハナコか。その名前、覚えたぞ」


 魔王は腕を組みなおし、余裕を振る舞ってくる。


「ハナコよ。今日の所はこのくらいで勘弁してやろう。勝負は預けてやろ……いや、我は負けてないし。預ける必要ないし。次こそは勝……って、負けてないし……とにかくだ。また勝負してやろう。その時まで首を洗って待っているがいい。ふふ……ふふふ……はーっはっはっは! さらばだ!」


 全力で逃げつつも、魔王はそう言い残していった。


 魔界に来て、あまつさえ魔王と出会って、ハナコは召喚されてから初めて自らの名を問われた。今まで喪失していた自分を蘇らせてくれたといってもいい。自分と対等である人物、意味を見出してくれた人物。それが、魔王だった。

 それから、魔王はハナコを勇者呼びしていない。常に対等な相手としてハナコと呼んでいる。



 勇者は夜空を眺めながら魔王を想う。

 こちらにちょっかいを出してくるが、どこか憎めない。ハナコをひとりの人と認めていて、今回の事件ではハナコにでも分かりやすく事の次第を教えてくれた。そんな姿を思い出すと、つい頬が緩んでしまう。


「どうしたのじゃ、ハナコ? こんなところで何をしとる?」


 テラスにはちっさいアンネがアマルガムの瞳でハナコを見上げていた。彼女はハナコにとって数少ない仲間。小さくて幼いのに、いつもハナコに気をかけてくれる。


「ううん。別になんでもないよ」

「そうかのぉ? こんな遅くに夜空に微笑みかけるなぞ……魔界で想い人でもできたのか?」


 アンネは冗談めいた口調でハナコに訊ねてくる。それに対して満面の笑みを作って答える。


「まあね」


 アンネは少し驚いた風だったが、すぐに微笑んで話に喰いついてくる。


「そうなのか? もしや、食べ物のことじゃないじゃろうな?」

「違うよー」

「じゃあ、食べ物でももらったのかの?」

「そうかも」

「なんじゃ、いつものハナコじゃのー」


 ハナコは冗談めかして、アンリとじゃれつく。

 不気味に光る赤い月の下、ハナコは勇者ではなくひとりの少女になっていた。

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