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第10戦・プライド事変(前編)

あらすじ

四天王選別テストにて、漆黒の魔術師が補欠に採用。

戦力を増強した魔王だったのだが……。

 朝日をも閉ざす雷雲に覆われた魔王城。

 果てが見えないほど長いテーブルには、皺一つない白いテーブルクロスが敷かれている。空になった食器の上にはナイフとフォークが揃えて置かれていた。

 今魔王が手に持っている銀製の器には、黄金に輝くプリンがプルプルと震えている。デザート用の小さなスプーンを片手に、すくいあげんとするその時だった。


「魔王様、お耳にしたい事柄が……」


 音もなく入室してきたスーツ姿の大臣が魔王の背後で通達する。その不遜な知らせに、魔王は手を止めて眉根を寄せた。魔王は静かな怒気を身体から放ち始めた。


「大臣よ……。われが食後のプリンを何よりも楽しみにしていることは知っているだろう。それを止めてまで何を伝えるのだ? 内容によっては貴様に一週間のデザート禁止を言い渡さねばならぬ」


 大臣は平静なまま報告を続ける。


「勇者一行が宿泊していた宿屋「嫉妬ハウス」の近辺で、ナイフで刺されて死亡した魔族が発見されました。目撃者はなく、犯人も特定されていない状況です」


 厳粛な魔王はその報告に眉を顰めた、


「……大臣よ、遺体の確認がしたい。どこにある?」

「現在、傲慢門の砦にて保管されております」


 魔王は銀の器とスプーンをテーブルに置いた。すぐさま立ち上がると壁に掛けてあった漆黒より黒い外套がいとうを手に取り身に纏う。デザート気分だった魔王は、一瞬のうちに王としての威厳を取り戻した。


 魔王は宙に浮くと食卓の間にある窓を突き破って魔王城から飛び去って行った。

 テーブルの上に残されたプリンは、変わらずプルプルと震えていた。




 城塞都市プライド。その難攻不落だった『傲慢門』はコテンパンにのされて、今は門を閉じることができないほど損傷している。修復のめどは立っていないらしい。


 傲慢門は砦としてはまだ機能しており、数多くの魔王軍兵士が駐屯している。

 砦の一室に遺体安置室がある。

 その昔、戦争で亡くなった兵士を一時的に弔いの場所にしていた。最近は大きな戦闘もなく、この部屋は使用されていなかった。しかし、今、平民の魔族が安置されていた。


 遺体安置室は薄暗く陰鬱の中に沈んでいる。底冷えのするこの場所で、魔王は問題の遺体を眺めていた。

 遺体はいつまでも現場に放置しておけないため、ここに運ばれてきたものだ。死んだ時のままの姿ではないものの、その状態はできる限り保たれている。

 遺体の腹には刃物で刺された傷痕が、そのすぐ横には使用された凶器であるナイフが置かれていた。


 魔王はその様子を表情一つ変えることなくじっと眺めていた。遺体の青年は二十歳になったくらいだろうか。

 プライドに住まう平凡な人物なのだろう。前途ある青年がこのような痛ましい姿になってしまったことが残念でならなかった。


「大臣よ、判っているな?」


 魔王は背後に控えていた大臣に向けてそう言葉を残した。




 プライド市街にある広い往来に、勇者一行は釘付けにされていた。 勇者一行に対してプライドの住民は一定の距離を取って囲んでいる。魔族が何もしないのと同じく、勇者一行も何もできないでいた。


 魔族の一人が刺殺されたことで、住民は勇者たちに対して殺人の疑惑を向けていた。もともと勇者に対して魔族はいい感情を抱いていないことからだろう。

 それでも勇者一行を受け入れていたのは、魔王の命令があったからだ。それに、勇者一行も魔族を傷つけることがなかったからだ。その均衡が今回の刺殺事件によって崩れてしまった。


 そのような状況で魔族たちからある声が上がった。


「人間だ! 俺たち魔族を殺したのは、この人間たちだ!」


 悪意がつまった言葉。そこから状況が一変するのは必定だった。


「そうだ! 魔界に人間がいるのが悪いんだ!」

「また魔族を殺すのか!」

「地上界に帰れ、人殺しどもめ!」


 決壊してしまったダムのように、今まで溜まりに溜まった鬱憤はもう止まることはない。

 雪崩が押し寄せるかのように浴びせられる怒声に、勇者一行はお互いに身を寄せ罵声に耐えていた。


 ハナコの表情は困惑と不安で塗りつぶされていた。他の仲間は覚悟ができていたようで、顔を強ばらせているものの、真っ直ぐに魔族の群れを見つめ返していた。


 ヒートアップしていく群衆。このままでは住民が暴走してしまうことは一目瞭然であった。

 そんな中、衆人の前に魔王が降り立った。

 今にも勇者一行に襲いかかろうという魔族たちに対して、魔王は背を向けてその怒りを制止した。魔王が現れたことで、魔族は落ち着きを取り戻す。

 この場を収めるのは魔王において他にいなかった。


「あ、魔王さん。これ、どうなってるの?」


 この状況を唯一把握できていない勇者ハナコが問いを投げてきた。鈍感な彼女が理解できていないことは、容易に予想できた。

 勇者以外の一行は何が起こっているかは察しているようで口を開かない。魔王は勇者にでもわかるように状況の説明を始めた。


「ハナコ、貴様の宿泊していた宿屋の付近で、何の罪もない住民が刺殺された」

「え! そうだったの!?」


 想像以上に勇者の理解が浅いことに、魔王は頭を抱えた。勇者一行の金髪のエルフ、ナディスに向けて睨みを効かせるが、目を逸らして説明を放棄していた。


「まあ、そういう事があったわけだ。それで、貴様らがその犯人ではないかと疑いがかかっている」

「そんなわけないじゃん。あたし、そんなことしてないよ?」


 わかっていたとはいえ、ハナコが理解するために説明するのは疲れる。魔王は心底そう思った。

 勇者の仲間が説明を放棄したのは、無垢な彼女に酷な言葉をかけられなかったからだろう。


 魔王はアンリに恨みがましい視線を送ったが、すぐにそっぽを向かれてしまった。伯母はこの件に深く関わるつもりはないらしい。現魔王の仕事だと言いたいのだろう。


「いいか? たとえ貴様らが殺していないとしてもその証明はできまい。たとえば、われがハナコのプリンを食べたとする。さぁ、誰がプリンを食べた犯人か証明できるか?」

「そんなの、プリンを食べたんだから魔王さんが犯人に決まってるじゃん」

「その通りだ。われが食べたのだから、われに違いない。つまり、犯行に及んだ人物が判明すれば証明はできる。

 逆に、判明しない限り証明はできない。どんなアリバイがあろうとも、どんな事柄があろうとも、疑いがかかることを免れない」


 自分が犯人ではないという証明ができないことを知り、ハナコは沈痛な面持ちとなった。今までは自分は犯人ではないと確証を得ていたが、それを他人に理解してもらえないということをはじめて知ったのだ。


「でも、なんであたしたちが? 誰が犯人かわからなかったら、他の人かもしれないじゃん!」

「そうだな。ハナコの言うとおりだ。しかし、魔界に侵略してきた者共が最も疑わしいのではないか? 宿泊した宿の近く、アリバイはない、なにより、地上の魔王軍駐屯地を壊滅させて魔族を殺したという実績。同族よりも疑われるのは火を見るよりも明らかではないか?」


 納得できないといった様子の勇者だったが、何も言えずに押し黙ってしまった。

 気丈に振る舞っていた勇者であったが、打ちのめされて俯いてしまった。ぎゅっと握った彼女の手が小刻みに震えていた。

 そんなハナコを庇うように、前へ一歩踏み出したナディスが魔王に問う。


「で? あんたは何をしに来たの? ここで戦うってこと?」


 エルフは戦う気はあるようだが、この衆人環視の中で弓矢を構えるようなことはしない。ハゲの僧侶も、魔王の伯母も押し黙ったまま経緯を見守っている。


われは魔族の王として、貴様らに手を出すなと命令をした。その結果、死者を出した。われはこの責任を取らねばならぬ。……四天王よ」


 魔王が指をパチンと鳴らすと、背後に、死戦アングリフ、禁戦ケラヴス、補欠レイドが現れた。魔王と四天王、勇者とその一行とがお互いに向き合った。

 すでに一触即発という状態に、周りにいた観衆は後ろに下がっていった。よもや魔王と四天王が出てくるとは思っていなかった住民は、ただ狼狽えることしかできなかった。


「ねぇ、あたしたちって、魔王さん……ううん、魔王を倒しに来たんだよね?」

「え? ええ、そうね」


 仲間たちに訊ねた後、俯いていたハナコは顔を上げ魔王を睨みつけた。そして、握っていた拳を構えて臨戦態勢に入った。その覚悟が伝わったのか、ナディスは弓矢を構え、ジューディアは背負った十字架を降ろし、アンネは杖を振りかざした。


「みんな、行くよ! ここで魔王を討つ!」


 先程までの狼狽え困惑した様子は一切が消え去って、戦いに臨むひとりの勇者がそこにいた。


「いいだろう、ハナコ。返り討ちにしてやろう!」


 ここに勇者と魔王の決戦の火蓋が落とされた。



(後編へ続く)

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