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電話を切ってから僕はライブハウスへ戻ることにした。

彼女と行き違いになっては困る。

とはいえ、ライブハウスに戻ってしまうと、今頃打ち上げをと並行して清算を行っているだろうから、戻るわけにはいかず、隣の駐車場で待っていた。

電話を切ってから十分経過しても、彼女が姿を表すことはなかった。

駅の改札まで行っていたとしても、駅からは十分あれば到着する距離であるし、そもそも何度もこのライブハウスに来ているであろう彼女が道に迷うことなんてあり得ないはずだ。

もう五分だけ待ってみようと思い、気づけばあれから二十分経過していた。

不安に思った僕はスマホを取り出し、彼女へ電話をかけようとした。

その時、画面が光り、LINEの通話画面が表示されていた。そこには彼女の名前があった。


慌てて、僕は電話を取った。

「はい、もしもし。今どこなの?大丈夫?」

「うん、大丈夫。心配かけてごめんね。」

「あとどれくらいでこっち来れそう?」

「・・・ごめん、行けないや。」

「え、どうして?」

僕の問いには答えず、彼女は続けて言った。

「章弘くんさ、今でも煙草吸ってるの?」

煙草は特定の人の前でしか吸わない。だから、彼女が知っていることを不思議に思った。

ライブハウスは勿論、彼女の前で吸ったことは一度もない。

「吸ってるけど、どうしたの。」

「やっぱり。銘柄がセブンスターでしょ。」

「え、うん。」

「ずっとそれしか吸ってないんでしょ。」

彼女は何か予知能力が使えるのかと馬鹿げた思考に一瞬陥りかけた。謎ばかりが僕を包む。

「なんで、知ってるの・・・。」

「ずっとそれに縛られて生きてきたんでしょ。ごめん。私のせいだよね。」

彼女が何を言っているのか、僕には全く理解ができない。

「馬鹿だよ、本当に馬鹿だね。章弘くん、ううん。八尋くん、馬鹿だよ。優しすぎて苦しいよ。」

僕のことを八尋くんと呼んだ声に聞き覚えがあったような気がする。

だけど、それはどこでだったのか、思い出せずにいる。

いつかの記憶の中に、影だけが見える。これはいつのことだったんだろうか。

「私、高校生の頃保健室登校してたの。」

夢のように朧げな記憶から少しずつ靄が晴れていくような感覚。

「最初はちゃんと通ってたんだよ。だけど、人と関わることが怖くなっちゃって。

自己肯定感が低いから、誰かが笑ってたりすると、私のこと笑ってるんじゃないかなって思ったりすることがあった。」

電話越しに彼女はきっと此処から距離のある、下北沢のどこかで俯きながら話しているんだろうなと思った。

「怖くて、ずっと怖くて。自意識過剰だって分かってても治らなかったの。

だから、せめていろんな人の声を遮断しようと思って、音楽を沢山聞き始めた。

でもね、世の中にある音楽って頑張ろう、頑張ったらいい事あるよって励ます曲ばっかりだった。

それが悪いとは言わないよ。だけどね、私は全然救われなかった。

分かって欲しかった。苦しいことは間違いじゃないし、自分だけじゃないって共感して欲しかった。

死にたいって思うことは間違いじゃないって肯定して欲しかった。

本気で死ぬつもりはなかったけど、そういう気持ちも浮かんだことはあった。」


その時に僕と出会ったのか。保健室に年一回行けばいい方の僕が怪我をして行った時に、確かに表情が暗い女の子が居るなとは思った。

先生が職員室に用事があったのか見つからなかったので、手持ち無沙汰だった僕は少し離れた場所にあるテーブルの上に置かれたウォークマン発見し、眺めていた。

その時、彼女に声をかけられた。

「・・・それ、私。」

「あ、ごめん。僕、音楽好きだから他人のこういうの気になっちゃってさ。はい。」

「・・・。」

「どうしたの?」

僕が顔を覗き込んだ時、彼女は制服のシャツを握り、顔を合わせないように更に俯き、小さな声で言った。

「・・・私に音楽を教えて欲しいの。他人の心の痛みを分かってくれて、ちゃんと一緒に絶望してくれるような。それでいて灯火みたいな小さな希望が後ろにある、そういう曲を知りたいの。」

彼女の表情は読めないまま、後頭部を見つめながら、視界に入った上履きの色で同学年だと気づいた。

同い年なら初対面でもタメ口でいいかと思い、尋ねた。

「なんで?」

「嘘じゃない、人の言葉を知りたい。それに依存しても、誰にも迷惑がかからないものを好きに、ううん。縋りたいの。」

この子は難しいことばかり考えて生きているんだろうなと思った。

辛い時に頑張れって言ったら、もっと辛くなるタイプの人間なんだろうなとも思った。

だから僕は、ちゃんと選びたいから少しだけ時間を頂戴と言い、また翌日にも保健室へ足を運んだのだった。


「私ね、syrup16gの『生きているよりマシさ』をね、八尋くんに教えてもらったんだよ。

CDを持ってなかったし、あの頃は今みたいに学校に携帯も持ち込めなかったから、君が歌ってくれた。

あんまり上手じゃなかったけど。君の教えてくれたバンドの曲で救われた。

それを君が私に向けて一生懸命歌ってくれたことにもっと救われたの。

思い出せないと思うけどね、もうずっと前の話。」

彼女は、僕との思い出を愛おしそうに話した。

「いや、覚えてるよ。」

電話越しに、彼女が息を飲み込む雰囲気を感じた。

「僕、だからバンド今もしてるんだよ。」

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