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曖昧な記憶を辿って現実に意識が戻った。
カーペットの上で寝るつもりだったが思いの外熱がこもっていて、気づけば床の上で眠っていたようだ。窓は開けっぱなにしていて、耳を塞ぎたくなるようなBGMが鳴り響く。毎年恒例の蝉の声。この季節を迎えたのは今年でもう24回目だ。幼少期は28度くらいで暑いと言っていたのに、今は当たり前の様に30度を超えている。どう考えてもおかしい。異常気象だ。
昨日のことのように飽きもせず脳内を駆け巡っている記憶という名の思い出が、現実なのか夢なのか、だんだん境界が曖昧になる。ゆっくりと思い出せなくなっていく。かき消されていく。僕にとって都合の良いように美化されていく。
いっそ記憶が全て消えてしまえば、こんな思いもしなくてもいいのに。
そんな思いとは裏腹に毎年同じように繰り返す、この季節に苦手意識が増していくばかりだ。
勝手に誰かに憧れて、大してしてない努力に自己満足で納得して結果も出なかった。
嫌気がさして誰にもなれない自分を否定して、やっと手にした在り来たりな肩書きを並べて、誰かになれたような気がしたけど。結局、僕は僕だった。
そんな当たり前のことを、嫌になるくらいに知った。
東京という街に憧れていたわけじゃない。
この街に来なければ、「夢」が「夢の中で死んでしまう」ことが怖かったから、逃げ出しただけだった。真新しいものが輝きを増す世界に足を踏み込んだ二十三歳の僕は、きっと大人から見れば少し遅れた青春を取り戻しに来た大きな少年に見えたかもしれない。でも、何度も踏み入れた場所に「来る」のと「住む」のではこれほどまでに感覚が違うのだと知った。
いつも「来る」時には輝いていたこの世界。そして高揚感も期待感もあったはずの空気が今となっては、ずっしりと重みを増し、どんな人も生き急いでいるようにしか見えなくなった。そして空が狭い。淀んでいる。息が詰まる。
僕は此処に住んで、居る、はずなのに、心は澄んでない。むしろ濁っている。
他人が「年齢」と「世間体」によって徐々に殺されていった感情を、忘れたくないと必死にしがみつき、他人とは違うと何千回も唱え続けた。僕は僕が嫌いだけど、僕のことを嫌っている他人よりも、きっと僕の方が僕のことを嫌いな自信がある。でも、好きなものは好きだった。好きなものは沢山溢れていた。好きだという感情には一つの嘘もなかった。本物だった。
時間の中で溶けていった、もう他人になってしまった「 君と何でもない 」話がしたい。