プロローグ
何をしても上手くいかない。恋愛も勉強も、仕事だってそうだ。公私ともに、何も上手くいかない。何かを頑張ろうと思ったって、そんなこと無意味だと思い知らされることばかりだ。
ただただ年齢ばかりを積み重ねて、もう26年が過ぎてしまった。ビールを煽りながら、これまでの人生を思い返してみる。何をやっても上手く行った試しがなく、辛いことばかりだ。何事もそこそこで終わっている。よくできた、なんて褒められたことはない。誰にも認められない、薄ぼんやりとした人生……刺激のない人生……。
「……俺、どうしてこうなったんだろ……。」
一人きりの部屋に、言葉だけが虚しく響いた。
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「おい、栗橋ぃ。早くいくぞ!急いで車出せよ。」
「……はい。」
うだつの上がらない公務員。先輩に対して文句を言うでもなく、ただ指示に従ってなんとなく、漫然と仕事をこなす。それが俺、栗橋という男の役目なんだろうと自分に言い聞かせる。
公務員という職業は世間からは評価が高い。周りからみると、人生順風満帆なように見えるだろう。何も上手くいかないなんて嘯くな、と言われそうなものだ。
実のところ、何故公務員の採用試験に受かったのかは自分自身が一番よくわかっていない。定時で上がれて、金に困らない職業=公務員という安易な考えで、これといった対策も立てずに採用試験に臨んだのだから。面接なんて何を話したか覚えていないし、筆記試験だって適当にやったようなものだ。誰よりも受かるわけもないと思っていたのは、俺自身だ。
受かったときには、これで俺の人生も大きく変わるんだ!これから待ち受けるのは最高の人生だ、そう確信していた。インターネットでも、公務員は女子ウケは最高だとよく書かれている。仕事もそんなに厳しくないし、時間がくれば直ぐに帰れる。クビになることはないし、給料だって高い。家に帰って、ゲームでもネットサーフィンでも好きなことを好きなだけできる時間がある。幸せの極み、ここに尽せり!仕事に就くまでは、そう思っていた。
だが、現実はそう甘くない。どれだけハッピーな頭をしていたのか、昔の自分を叩きのめしてやりたい。残業もメチャクチャに多いし、残業代だって出ない。朝の8時から、日をまたぐ手前まで仕事をして帰る。土曜も日曜も、仕事、仕事、仕事、仕事……。心を殺して働く、機械のようなものだ。掃除や洗濯、料理などの家事をこなしていれば、それで1日が終わる。好きなことなんて、する時間もない。
仕事の内容だって、具体的な目標数値があるわけではない。いや、正確には数値化されたものもあるが、こじつけのようなものだ。営業や販売と違って、目標達成がわかりづらい。何を目指して頑張ればいいのかだってわからない。具体的なゴールがないから仕事の終わりがみえず、次から次へと仕事が舞い込んでくる。終わりのない絶望感の中、とにかく仕事をするしかない。
女子ウケって言ったって、そもそも友達がいやしない。合コンをやろうにも、そんな仲間だっていない。成人式だって、同窓会だって出るだけ出たけれど空気みたいなもの。当たり障りのない会話がいくつかあって、それで終わり。とっかかりはあるのだからうまくやってやろう、と意気込んでみたところで空回りしてばかりいる。漂う微妙な空気、つい自わから会話をやめてしまいたくなるほどの淀みができてしまう。
転職をしよう!と考えたこともある。でも、大学を出てからの4年間で得たスキルは何もない。何かが大きく成長したわけでもなく、かえってこの仕事にしがみつくしかない。悪循環の中に閉じ込められている。
こんな自分を変えたい。そう思ったことも何度もある。負の連鎖をどうにかして断ち切らなくてはいけない、そんな焦りだけが募っていった。
いつからだろうか。俺は頑張ってもいいことなんてないし、努力したって変わることなんてないんだと思うようになっていた。
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言い訳じゃないが、俺だって努力をしてこなかったわけではない。誰かに認められたくて、頑張った。中学校のときには、勉強だって部活だって頑張った。所属していたバレーボール部、最初は楽しかったっけ。楽しいから早くレギュラーになりたいと思って、一生懸命頑張った。2年生のときには、試合にも出るようになった。それがいけなかった。目立ちすぎて、同学年に嫌われた。アイツは顧問に媚びている、アイツばかり狡い、と。いつしかいじめられるようになった。みんなに無視されるようになり、気づけばクラスで孤立していた。卒業までずっと……。
悔しくて、見返してやりたくて、一生懸命勉強した。努力すれば、こんな自分だって変われるはずだ。そう決め込んで、毎晩遅くまで勉強した。しかし、物事を覚える才能などは全くなかったようで、結果は出ずに親にも認められなかった。
ならばと思い、高校では浮かないように最大限努力をした。私服の高校だったので、周りを見て同じような格好をしてみたり、話題についていくためにゲームをしたり漫画を読んだり、流行りの音楽を聴いたりもした。イジメこそなかったものの、薄ぼんやりとした高校生活。
好きな子だっていたけれど、人並み程度の自分には誰にも手が届かない。告白はしてみてもフラれ続け、いつでも『いい人』どまり。
「ごめんなさい、栗橋君とは付き合えない。別に好きな人がいる、ってわけじゃないんだ。清潔感だってあるし、服装だって悪くないよ。話だってフツーにできる。でも栗橋君って、『いい人』だけど……なんていうか、魅力的ではないの。……ハッキリ言っちゃって、ゴメンね。」
ここまでバシッと言われては、もう立ち直れない。頑張ってみても、誰にも認められない。親にも、周囲にも、もちろん俺自身にも。この頃からかな、何かを頑張るのを諦めるようになったなって……。
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「――すみませんでしたっ!お客様、大変申し訳ございません!」
出張だったので、午後は休暇を取って直帰できる。最高にラッキーな一日だと思っていたのに。スーツが水浸しになってしまった。コーヒーでも飲んで帰ろうなんて考えるんじゃなかった。
「あー、大丈夫ですよ。気にしないで……。」
顔を上げた瞬間、息を飲んだ。……綺麗だ。細身で小さな体、長い黒髪、すらっとした目鼻立ち。思わずドキッとしてしまった。なんでこんなときに俺は、気だるそうに返事をしてしまったんだ。そんなことを考えてはみたものの自分には縁がないし、どうでもいいかとすぐに思い直す。
「ホントに!気にしないでね!濡れたくらいだし、こんなの乾かせばいいから!ね!ね!」
そんなフォローも虚しく、偉そうな人が駆けつけてきた。すぐに謝罪が始まり、もうどうでもよくなってしまう。今日はいい日だし、これがきっかけで仲良くなれたりするかも。そんな考えは、甘かった。今までだってそうだったじゃないか。あれだけ綺麗な人なら、きっと彼氏だっているだろうし、俺には縁がない。そりゃそうだよな。
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家に着いて、今日もビールを飲みながら1日を振り返る。あの子、すごい綺麗だったなぁ……。どうして俺、こんなどうでもいいことばっかり考えてるんだろう。俺の人生、何かを頑張ろうと思ったって、どうにもならないことばかりだ。無意味だ。今日もぼんやりとした頭が冴えることはなく、1日が終わった。