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愛でし月、緋く響きて紅く結びぬ。

愛でし月、緋く響きて紅く結びぬ 

作者: 愛都

魔物退治なお話です。



 ――――世は戦国。

 戦が日常と化しつつあるこの世の中で、人々の怨嗟は当然のものとして溢れかえっている。

 怨嗟は、――憎しみは、負の感情は、世に蔓延る魔物の大好物である。戦乱の世が続けば続く程、広まれば広まる程、魔物が及ぼす害も大きく、多く、なる。

 妖、鬼、霊、様々な人ならざる者をまとめて、魔物と云う。




 北の山国。

 1年の四半期は雪に閉ざされた陸の孤島。

 今は春の雪解けの季節で、民は、漸く訪れた恵みの季に感謝して、屋外へと足を踏み出し始める。孤島と化すのは四半期だけだが、それでも半年の間は、国のどこかしらに必ず雪があるような、そんな国であるから、春の陽気を少しでも感じれば、人々は直ぐに遠出を始める。

 しかし、人々は忘れている。

 冬であろうと、遠出をせねばならない人がいるということ。

 雪の中を彷徨って、還れず逝った者が在るということ。

 出先で戦に巻き込まれて、命を落とした者が在るということ。

 そして、彼らの魂は大抵、自らの死を認識出来ずに世を彷徨っているということを。



 雪解けの季節になって暫く経った、晴れた或る日、少女は山菜を採るために山に踏み入った。雪解け水が足を取って進み辛いことこの上なかったが、春の慶びに比べたら、なんでもなかった。

 ただ、浮かれていたのが祟ったのか、少女は山菜採りに夢中になり、気付いた時には日暮れ間近だった。

 少女は、家へと急いだ。このままでは、魔物に喰われてしまう。

 逢魔ヶ刻。

 それは、魔物が出没し易い時刻。

 魔物は、人間の怨嗟を喰って成長していく。月の光に妖力を貯えていく。だから魔物は、夜に徘徊することが多い。特に、月が天上に昇る頃を見計らって出てくる。

 少女は薄闇にまとわりつかれそうな山の中を懸命に走った。足場が悪く、何度も転んで泥だらけになったが、今日の収穫が入った麻袋だけは手放さず、とにかく走った。

 少女の記憶によると、昨晩は満月だった。

 つまり、辺りが闇になると同時に、十六夜月が東の空に見えてくる。その時には既に、逢魔ヶ刻だ。

 だから、それまでに家の中に、せめて山中を抜けて村に戻らねば。

 しかし、少女の努力も空しく、空は紫紺に染まり、星が瞬き始めた。月明かりが強いので、光の弱い星は、姿を隠してしまっている。しかも、木が生い茂る山中に、東の空に昇ったばかりの月の光が届くべくもなく、少女の周囲は鬱蒼とした闇に包まれていた。

 早く帰らねば、という意志に反して足がすくむ。

 普段は暗くなる前に家路に就くために、夜目があまり利かないのは自覚していたが、真っ暗闇の中を、しかも足場の悪い山中を歩く覚悟は、少女にはなかった。

 まるで足が縫い止められたかのように、動かない。

 逢魔ヶ刻。魔物と遭遇し易い時刻。

 少女は幼い頃から、きつく言い諭されて育ってきた。逢魔ヶ刻に外を出歩いてはいけない、もし魔物に出遭ったら、あっという間に喰われて死んでしまうから、と。

 十三歳になった少女は今まで、その言いつけを守って暮らしてきた。一度たりとて、破ったことはなかった。

 そう、今日までは。

 だから実際、逢魔ヶ刻に魔物に遭ったこともなければ、本当に出没するのかさえ知らない。

 でも、だからこそ、未知のものに対する恐怖が頭をもたげてきて、少女は立ちすくんだ。徐々に恐怖が全身へと広がって、震えだす。膝が笑って、立っていられない。

 少女は、雪解け水でぬかるんだ地面にへたり込んでしまった。まるでお守りにすがるかのように、山菜入りの麻袋を胸に抱えて握り締める。

 少女は知らなかった。

 魔物は、負の感情が好物だということを。

 恐怖に満ちた人間には、自ずから魔物が寄ってくるといことを。

 少女の周囲が、ざわめきだす。木の枝葉や茂みが揺れて、不吉な音を奏でる。

 座り込んだまま動けない少女は、祈った。魔物ではありませんように、ただの風でありますように、と。

 今襲われたら、確実に逃げられないのは解っていた。足が、身体が、恐怖で凍りついて、動かない。

 ざわめきが大きくなって、何かが近付いてくるのが感じられる。

 少女は、固く目を瞑った。

 次の瞬間、瞼越しでもはっきりと判る影が辺りを覆って、何も、一矢の光でさえも、感じられなくなった。

 恐怖が、いや増して大きくなる。

 声にならない声で、叫ぶ。

 誰か助けて、と。

 何が起こっているのかも判らないし知りたくも見たくもないが、絶体絶命だということは、本能で解る。

 だから。

 だれか、たすけて。



 意識が途切れる直前にうっすらと耳に入ったのは、少年とも言えるくらいの、男の声。何を言っているのかは全く解らなかったけれど、ひとつだけ判った。

 この人は、自分を助けに来てくれた。

 力強い声の調子が、そう思わせてくれた。

 それを最後に、意識は心の淵まで落とされたのだった。





 彼は、少し頭にきていた。何しろ、折角助けてやったのに目の前で気絶されてしまったのだ。

 詠唱しかけていた術詞を一旦飲み込んで、別の術詞を口にする。すると、地面に伏してしまっている少女の周囲に、何やら薄い膜が張った。

 その間にも、少女にまとわりつくように群がっていた黒い靄のようなものは、ざわざわと蠢いている。狙っていた獲物をられて怒っているのだろうか、靄の一部が、彼に向かって真っ直ぐに飛来してくる。

 彼は、襲ってくる靄を表情も変えずに一瞥すると、一足飛びで、まるで重力を感じていないかのようにふわりと避けた。全身を覆っていた長い外套が翻って、素顔が顕になる。

 彼は、端整な顔立ちの少年だった。細身のくせに筋肉はしっかりとついている均整のとれた肢体。まだ春だというのにむき出しの腕には、籠手と包帯が巻いてある。束ねた長い髪の間からは、鋭い眼光が覗いていた。

 少年は、外套を外して近くの茂みに投げやった。何が入っているのか、重そうな音が響いた。

 黒い靄は、もう少女に対する興味は失ったようで、全てが少年の周囲を取り囲んでいる。何処から集まってくるのか、靄は徐々に、しかし着々と濃くなっていく。

 少年は天上を仰ぎ見た。いつの間にか、森の中にも光が届く程の高さまで月が昇っていた。

 月は、の化身。魔物の力の源。

 都鬼は、人々に害を為す魔物の総称。勿論、害のない魔物だって、在ることには在る。

 しかし、少年の目の前にいるのは、都鬼だ。今の今まで、少女を喰らおうとしていたし、今だって、少年を襲っている。都鬼と交戦している今、十六夜月は邪魔なものでしかない。……筈だ。

 少年は、どこから出したのか、手に幾枚かの札を握った。それらを月に向けて掲げる。

 目線は黒い靄に据えたまま、その体勢で少年は術詞を紡ぐ。音となって、ある種の旋律となって流れるそれは、黒い靄に対して働きかけるように、響いて共鳴する。

 枝葉のざわめきと、紡がれる術詞の響き。

 からめとられた靄は、淡く、じわじわと耀を帯びる。それはまるで、月が輝くかのような。

 少年は、掲げていた札を靄に向かって投げつけた。札は、意思を持つかのように散らばって、靄の周りを円形に浮遊する。

 斬、という一言を最後に術詞は途切れて、それと同時に靄は閃光の鎖に繋がれる。やがて、靄を絡め込んだ閃光は一つの小さな球となり、少年が投げつけた札の中へ消えていった。


「任務完了」


 深く澄んだ声が、闇に包まれた山中に響き渡った。

 能面のような表情の中で、眼だけがただ、感情を伴っていた。月光が映し出した少年の瞳は、緋色。

 。

 の証だった。

 燃え盛る炎の色の中に、そこだけ明らかな感情が滲み出ていた。

 緋眼の持主たる少年は、躊躇なく悪態を吐いて外套を拾った。端正な顔が、怒りに歪む。

 それでも一つ、舌を打つと、地面に伏した少女の元へ足を向けた。いつの間にやら、薄い膜のようなものは消えていた。

 能面のような表情に戻った少年は少女の傍らに膝をつくと、まず呼吸を確かめて、そして肩に手を触れた。名など知らないから、おい、と声を掛けながら肩を揺するも、目を醒ます気配は一向にない。

 少年は再び舌を打った。

 そして溜息を吐くと、少女の伏せられた目蓋を右手で覆い、瞑目した。

 暫くの間そうしていたかと思うと、気を失ったままの少女の腕を自分の肩に回し、片方の手で腰を支えると、迷わず山を下り始めた。その方向は、少女の村がある方向だった。



 少女が覚醒したのは、月が南頂に昇る頃、既に村は目前だった。





「ん……」

「……やっと目が覚めたか」

 半覚醒で朦朧とする少女の耳に、男の声が飛び込んできた。

 あまりに近くから聞こえてきた気がして目を開けると、まず視界に入ったのは、秋の稲穂のような色の頭髪だった。次に見えたのは、い瞳をした少年の綺麗な貌。一瞬、女性かと思った。

 しかし、次第に意識がはっきりとしてくるにつれて全体像が見えてくる。しかも自分が、彼に支えられているという事実。腰にも手を回されているのに気付くと、顔が熱くなるのが判った。

「気付いたなら自分で立て」

 温度の低い声に急き立てられて、少女は慌てて少年から離れた。

 状況が今一把握出来ない。この少年は誰なのだろう。

 少女がそう思ったのが判ったかのように、少年は一瞥の後に説明を始めた。

「魔物に襲われていたお前を助けて此処まで連れて来たんだ」

 少年は腕を組んで、斜に見下ろしてくる。不思議と、厭な感じはしなかった。

「揺すっても起きないから、勝手に運ばせて貰った。其処がお前の村だろう」

 言いながら少年が視線を遣った先には確かに民家があって、周りの景色は記憶にあるものだった。少女は、思わず安堵の溜息を吐いた。

 改めて、少年を見る。

 外套の所為で肢体が見えないので顔だけが浮かび上がっているかのようだ。綺麗な貌が月に照らされて、その中で瞳が、緋く煌めいている。

 我知らず、少女の背筋を冷たい汗が伝った。

 それでも、言わずにはいられない。

「……貴方は………、誰?」

 祖母の話で、聞いたことがあるような気がする。

 緋い眼をした異能の持ち主のこと。

 世界には、様々な色の瞳が存在するらしいが、緋い瞳だけは、自然発生的には在り得ないという。突発的変異で生まれる緋い瞳の持ち主は、人に非ざる力を持っているのだという話。

 ある者は、物を触れずに動かし、ある者は地から足が離れ、ある者は他人の心の中を読む。

 嘘か真か、話の真偽は判らないが、それでも各地に異能の話は伝わっているのだ。噂に尾鰭がついただけなのか、伝説として残っているものが事実であるかのように流れ出したものなのか。とにかく多い。

 そして、ここ十数年で広まり始めた話。緋い眼の異能者たちばかりで組織された集団があるという。

 それが、緋眼たる鬼姫。

 異能の持ち主は、緋眼でなくとも存在するが、緋眼であるものは総じて鬼の姿を視るというので、そう呼ぶらしい。

 鬼は、魔物。

 魔物から少女を救けた、緋い瞳の少年。

 だったら。

「……もしかして貴方は、……鬼姫?」

 相手の答えを待てずに続け様に訊ねたことが、少年の意外な反応を引き出した。斜に構えていた少年がぴたりと硬直して、時間が止まったのかと錯覚する。

 しかしやはり、錯覚は錯覚だった。

 少年の気配が硬化し、少女に向けて唐突に手が伸ばされた。胸倉を掴まれた少女が、引き攣った声を漏らす。

 少年は、間近で凄んだ。

「何故、おまえのような娘がその名を知っている?!」

「な、何故って……」

 少女は鋭い眼光に思わず怯んだが、驚きの方が恐れより強かったのか、存外にはっきりとした声が出た。

「…おばあちゃんが教えてくれたの。あかい眼をした者は鬼を視ることが出来るから、鬼姫っていうんだよって」

 再び、少年の表情が変化する。

 少年に限らず、綺麗な貌は何故か冷たい印象を与える。例に漏れない目の前の少年はしかし、少女の言葉に翻弄されて、その表情には熱が宿ったかのようになった。

 その変化をもっと見たい好奇心にかられて、少女は更に言葉を紡ぐ。

「村の人は、皆知ってるよ。昔から伝わる話だってさんが言ってたもの」

 少年は、はっとしたかと思うと、少女から手を離して黙り込む。いや、少女に対して言わなかっただけで、実際はぶつぶつと何かしら呟いていた。

 そうか、このような村にはそういう伝説も残っているのか、ということはこれから先も道中気をつけねばなるまい。

 そんな言葉だけは、聞き取れた。

 いったい何に気をつけるのだろう、と少女が思っていると、急に真顔になった少年が、こちらを注視していた。綺麗な貌に見つめられることに動揺していると、少年は、バツが悪そうに表情を歪めた。

「……すまなかった」

 一瞬、何に対する謝罪か判らなくて困惑したが、すぐに、胸倉を掴まれたことだと得心した。

 最初の斜に構えた様子が、嘘のようだ。

 第一印象だけがすべてではないのだな、と何気なく思った。

 ぼんやりと少年を眺めていると、唐突に少年が踵を返した。外套が翻る。

「ど、何処に行くの」

 思わず訊ねると、少年は気だるそうに振り向いた。この時にはもう、彼の表情から熱は消えていた。

 振り向いた顔に、怯む。

「……言ってどうなる」

「……だって貴方、何も言わずに行こうとするんだもの。まだお礼もしてないのに……」

 言葉尻は、徐々にしぼんでいった。少年の眼光が鋭くて、堪えらなくなったのだ。

 初めて、この少年を怖いと思った。

「礼など、要らない。こちらは仕事でやっているだけだ」

 今までで一番冷たい声でそう告げると、少年は、もう用はないとばかりに歩を進めていった。振り返ることはない。

 ――いけない。

 唐突に、そう思った。

 このままでは、二度と会えなくなってしまう。

 それは嫌だと、心が叫んだ。

「ま……、待って!」

 温度の低い瞳と、ぶち当たる。

 緋色の、鬼を視ることが出来る、異能の眼。

 眼が、言外にまだ何かあるのか、と訴える。迷惑だ、と言われている感覚に陥る。

 呼びとめて、いったい何を言うつもりだったのか。

 考えなしに思わず口にしたことを後悔したが、もう、どうしようもない。いらいらした瞳にせっつかれて、少女は思いつきを口にした。

「な、名前」

 少年が、ますます怪訝そうに見据えてくる。

「貴方、なんという名前なの?」

 また失敗した。後悔したばかりのことを、またやらかしてどうする。

 少女は泣きたくなった。それよりも、穴があったら入りたい。

 絶対、言われる。名など聞いて何になる、と。

 しかし少女の予想に反して、ちゃんとした返答があった。

「……」

 あまりにも小さな声で、思わず聞き逃すところだった。

 ひこ。

 たった今聞いたばかりの名を、舌に乗せる。

 自分の名も告げようとしたがしかし、緋紅少年は、既に視界にいなかった。

「…また、会えるよね」

 きっと。

 名前の呪に導かれて会うことも、ある筈。

 珍しく、機転よく名を聞くことが出来たものだと、自分を褒めてみる。

 見上げると、月は既にいくらか沈みかけていた。十六夜月の光が、少年の黄金色の髪を想わせる。

 ふと、思い出す。そういえば結局、助けてくれたお礼を言っていない。

 少女は、慌てて周囲を見渡した。どこかに、姿が見えないだろうか。

 探しても無駄だと悟ると、少女は、通って来た獣道の方を向いて、息を吸った。



「……有難う、助けてくれて!」




 少女の声が、夜更けの森の中に、木霊する。

 少年の返事が、聞こえたような気がした。



 この地の魔物は、滅した。他にも在るかもしれないが、報告のなかったものまで気に掛けるつもりは毛頭ない。

 次の土地には、いったい何が待ち受けているのだろう。

 十六夜月が、視界を明るく照らす。

 今宵のこの月のように明るい未来が待っているとは到底思えなかったが、先程、礼を言って寄越した少女のような奇特なヤツもいることだし、期待するのも悪くないと思えた。

 少年の口元に、笑みが広がる。

「さあ、次の獲物は何処だ」

 各地に散らばる緋眼たる鬼姫に伝令を飛ばす斥候を視界の隅に見つけて、緋紅少年は合図を向けた。




 ――世は、戦国。

 魔物が蔓延る物騒なこの世で、自力で立ち上がれるのは、彼らだけ。

 緋眼たる鬼姫。

 鬼を視ることの出来る、彼らだけ。


 今日もまた、何処かで魔物が、歓喜と恐怖の悲鳴を上げる。






御拝読有難う御座いました。

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