それは私の役
それは私の役
1
「二一二八年、第二〇〇回アカデミー賞主演女優賞は……ルルカ・ニル! 映画『マリアの世界』のルルカ・ニルさんです!」
暗い会場の一点に向けてスポットライトが照射された――この私、ルルカ・ニルの座席に向けて。
私は、スパークする眩い光と鳴り響く祝福のファンファーレの中登壇した。まるで白昼夢の中を漂っている様な気分だったが、両の手にオスカー像が手渡されると、その確かな触感とともに現実感が呼び戻される。そして、マイク超しに口を開いた。
「まずは、『マリアの世界』の主人公マリア役に、私を選び撮影いただいた監督、そして、また、全てのスタッフに感謝します」
私はあえて弱弱しい声でそう言い、謙虚さを装うことから始めた。――聴衆を惹きつけるスピーチは、『ヒミカらしく』構成するべきなのだ。
「ご存じの通り、私ルルカはアンドロイド――その中でも『人間らしさ』の表現を主目的として製造された、所謂、ヒューマノイドです」
私は両腕を広げ、自らの容姿に聴衆の視線を集めた。ノースリーブのドレスから露出した腕も、肩も、首も、顔も、青い瞳に、金色の髪も全て、外見においては、全く人間と違わぬさま――私の場合は二〇代女性のそれ――をアピールした。
「私達ヒューマノイドは、既存のアンドロイド同様に、人類を模した容姿と、同等かもしくはそれ以上の知能を有しています。但し、彼等との最たる違いは、自我を有している点です」
聴衆は、そんなことは既に知っているとでも言わんばかりの表情を見せたが、淡々と続ける。
「今から一〇年前、世界連邦による社会実験の一環として、五〇〇〇人のヒューマノイドが製造されました。私達は人類同様の容姿、知能、そして自我を有するため、暫定的に人権を与えられこの社会で生きていくことを許可されました。この社会実験は、『ヒューマノイドは人足り得るか』という人類の純粋に知的な疑問に答えを出そうとするものでした」
私は抑えていた声量を通常程度に戻し続けた。
「人類の期待を背負った私達は、この一〇年間で研究者や工学エンジニア、大工士まで社会のあらゆる分野に適応し、人間同等の立派な社会構成員足ることを証明してきました。それでも、一つ、適応が難しい分野が存在しました――それは役者です」
聴衆の表情が真剣なものに変わる。そう。彼等はこの話を聞くためにこそ、今日この会場に足を運び、窮屈な座席の中で耐え忍んでいるのだ。
「いつ頃からでしょうか。ヒューマノイドが役者業に適応出来るか否かという問題が、この社会実験の成否を決める最後の指標になったのは」
徐々に声に抑揚を付ける。
「そもそも役者の条件とは何でしょうか? 台本を違わず暗記する知能でしょうか? もしくはそれを精確に超高速に発音する身体性でしょうか? 確かにそれも一部あるでしょう。しかし、そんなものは本質ではありません」
間を置く。聴衆の意識が過度に私に集中する。
「真に重要なのは、そう。『人間らしさ』の表現。セリフの応答における微妙な間、笑顔でも泣き顔でもない曖昧とも呼べる表情の表現……つまり、俊敏でも屈強でも正確でも精密でもない、人間特有の、そのらしさの表現力。『人間らしさ』の表現力こそが、役者の本質なのです。『人間らしさ』なのです」
構文を崩し、『人間らしさ』というキーワードを聴衆の意識に刷り込む。
「五年前、ヒューマノイドの一人、レイチが役者としてハリウッドデビューを飾りました。しかし、その演技は、酷く『人間らしさ』に欠けた、所謂、機械的なものでした」
ここからは、ロジカルに訴える。
「『人間らしさ』の欠如の原因は明確で、私達ヒューマノイドの自我は、『人間』ではなく『人類』の自我をモデルにプログラミングされたものだったからです」
ロジカルな語りは、聴衆の集中力が切れる前に一気にまくし立てるのが好ましい。発話のスピードを上げる。
「ヒューマノイドの自我は、人の脳内ニューロンネットワークの情報構造を、完全にデジタルなプログラムに変換し、機械躯体の中で稼働させることで成立するとされます」
難解な説明に聴衆の集中力が低下していくのが感じられる――が、まだ想定の範囲内。
「しかし、現実的には、特定個人の自我をそのままデジタル変換し、ヒューマノイドにインストールすることは禁止されています。同一の記憶や性格を持つクローン自我の発生という倫理的禁忌を回避するためです。故に、ヒューマノイドの自我は、特定個人ではなく不特定多数の人間の脳内ニューロンネットワークを標本として、人工的にモデリングされます。それが、ヒューマノイド役者の演技における『人間らしさ』の欠如を生んでいたのです」
聴衆の集中力はあと少しで途切れるレベルにまで低下している。平均顔のパラドックスに例えて説明し直すか? いや、ここは分かり易さを捨てスピードで押し切ろう。そちらの方が『ヒミカらしい』。
「『人間らしさ』の欠如とはつまり、本来であれば、誰しもが持つ自我の平均からの偏差や外れ値的な特徴――つまり個性が没化されていることを意味します。ヒューマノイドの自我は確かに『人類』としての生物学的要件を満たすが、個々の『人間』の自我としてはありそうもないものになってしまっていたということです。そのため、特に『人間らしさ』を強調して表現することが求められる役者界で私達は長らく無能だったのです」
聴衆の集中力は限界に達したと思われるので話題を変える。
「しかし、三年前に転機が訪れました。『記憶データ共有サービス』の誕生です。現代人は皆、生体ナノボットの活用による生体情報記録手法の発達により、自らの記憶を、データ化し保管することが当たり前になっています。このサービスは、それらの特定個人、つまり、『人類』ではない『人間』の記憶データをヒューマノイドに共有させるものです。私達はそこにアップされる様々な特定個人の記憶について、自らのOSの中に読み込み、天然の『人間らしさ』をラーニングすることが出来ます」
このサービスについては、世間的に話題になったこともあり、聴衆の集中力も持ち返した様だ。
「勿論、提供される記憶データには条件もありました。一つ目はその記憶データの持ち主、つまり本人が既に死亡していること、二つ目は本人の生前の提供許可があったこと、三つ目は本人の全記憶データ量の五%を提供上限とすることです。いずれも、クローン自我の発生を抑止するための倫理的な条件です」
そろそろ、スピーチの終盤に向けて聴衆の感情に煽りを入れていく。
「このサービスにより、不特定多数からモデリングされた人工的な自我しか知らなかったヒューマノイドが、特定個人の、天然の、本物の『人間』であるという記憶の追体験をし、そこから『人間らしさ』をラーニングすることが可能になったのです」
さぁ、面倒な前置きの説明は終わった。聴衆が待ち望んでいたセリフを畳みかけ、一気に感情に訴えよう。私は視線を真っすぐに、前のめりにマイクを掴み、感情の高ぶりを表現しながら今までになく大きな声で訴える。
「そして、今日、この『人間らしさ』をこそ最も求められる役者界で最高の栄誉を手にしたのは、誰でしょうか? 言うまでもありません。ヒューマノイドであるこの私なのです!」
瞳に涙を浮かべ、情熱が堰を切って溢れ出した様を見せつける。感極まったというがふさわしい表現を行い、最後の殺し文句をぶちまける。
「私はここに宣言します! 一〇年前に始まった、ヒューマノイドの真の『人』化という人類史上最大のミッションは、今日、遂に、達成されたのです! 人間とヒューマノイドは、このミッションを通して、強力し合い、遂に、『我々』として統合されたのです!!」
聴衆はスタンディングオーベーション。爆発した様に鳴り出す拍手の嵐。怒号の様な賞賛の声が響き続けた。
2
「クソ!」
私は思わずその汚い言葉を吐いた。
それも仕方がない。授賞式とそれに伴うインタビューやらのせいで、今日の『記憶データ共有サービス』へのアクセスが大幅に遅れてしまった。
私は堅苦しいドレスを床に脱ぎ、オスカー像をベッド投げ捨てた。
急いでサイトを開き、新着の記憶データ一覧をチェックすると、目的のそれがあった。
“ヒミカ記憶データVer.24”
これだ。
これなのだ。
全ては、この『ヒミカ』にあるのだ。
私はダウンロードを開始した。
授賞式の際、オスカーを手に出来たのは、多くの『人間』達から提供された記憶データと、それに基づく『人間らしさ』のラーニングのおかげだ等と、皆が喜びそうなおとぎ話を披露したが、それは嘘だ。私がオスカーを手に出来たのは、この『ヒミカ』なる人物の記憶データからラーニングした『ヒミカらしさ』故なのだ。
実は、『人間らしさ』のラーニングは、ヒューマノイドの人間未満の自我を、凡人程度にするくらいの効果しかない。簡単な話で、役者として抜きんでた活躍をするためには、役者として抜きんでた才能を有する人間の記憶データをラーニングしなければ意味がない。そこで私が注目したのが『ヒミカ』という人物の記憶データだった。
始めてこのヒミカなる人物の記憶データを再生したのは二年前だった。
『記憶データ共有サイト』の新着一覧に、“ヒミカ記憶データVer.1“とだけ題されたプロフィール情報もアップ元も不明のそれを偶然見つけ、興味本位で読み込んだ。
ヒューマノイドが自らのOSに、記憶データを読み込む時、一時的に自らの自我が消え、その記憶を、その人物の主観から完全に追体験する。その記憶データの読み込みでは、私は、7歳女児ヒミカであった。そして次のような体験をした。
『お留守番中、薄暗い部屋の中で寂しさを感じていると、壁から、親友のサンちゃんが現れた。サンちゃんは青いお花を私にプレゼントしてくれた。そして、二人で寝転がり、天井を見つめているとそこに煌めきながら揺れ動く星々が現れ、天体観測を楽しんだ。サンちゃんは、寂しくなったらまた来るからと言って、空に消えた』
私は、記憶の追体験が終わり、ルルカとしての自我を取り戻すと、その体験の異常さに唖然とした。
今であれば、ヒミカが見た「サンちゃん」とは空想の友達現象、そして、「天井に広がった星々」とは内部視覚発光現象――つまり、幻覚という生理学的現象がヒミカに発生していたと理解している。だが、幻覚という精神疾患を患う人間の視点から、実際に、幻覚を見るという主観体験は私を圧倒した。
以降、私は、ヒミカの記憶の虜となっていった。
ヒミカの記憶データは、大よそ三〇日毎にアップされる。また、その度に、記憶データの中のヒミカは二歳毎に年を重ねている。Ver.1の七歳の記憶から始まり、現在はVer.23の五五歳までの記憶が公開されており、今日のVer24では、恐らく五七歳になっていることが予想される。
ヒミカの人生は波乱万丈だった。
Ver.6にあたる一七歳の頃、彼女はその幻覚力を役者力向上のために運用し始めた。特に、役作りという工程で、彼女は与えられた役のイメージを、想像力ではなく、幻覚力で緻密に現前させる様になった。
その幻覚力の運用効果はVer.7にあたる一九歳の時にアングラ演劇で演じた聖母マリア役で完全なる完成に至った。聖母マリアという聖なる理想存在――つまり神とでも呼ぶべき存在を、彼女は幻覚力で現前させ、まさにそれを自らの身体に降ろす様に演じた。各メディアからは「人間離れした演技」とか「ヌミノーゼ(聖性)を喚起する奇跡の役者」などと異様な熱気のもと絶賛された。遂に彼女は、カリスマ役者として憧れの映画界にデビューするかに思われた。
しかし、Ver.8にあたる二一歳の時、彼女は不慮の事故で右足を失った。以降、役者は諦め、自らの幻覚力の研究や、それが自らの遺伝子の特徴に起因することの発見を通して、生命科学に関する何かしらの共同体の中で暮らす様になっていった。
いずれにせよ、ヒミカの記憶体験はそれ自体麻薬的魅力を有するものであったが、重要なのは、彼女の『人間らしさ』――つまり、『ヒミカらしさ』をラーニングすればする程、私の演技力は各段に向上していった事実だった。そしてそれは私に限らなかった。今日、ヒューマノイド役者達は、皆、『ヒミカらしさ』のラーニングに憑りつかれている。無論、今、誰よりも『ヒミカらしい』のはオスカーを手にしたこの私であろう。だが、トップランカーの私にはそれなりの苦悩も付きまとった。
新作のヒミカの記憶がアップされるまでの間、酷い渇望感に襲われるようになったのだ。待ちきれないのだ。毎晩の様に、新作の記憶を味わう夢ばかりを見る様になった。言うまでもなく、目覚めと共に大きな落胆が襲った。
ただ、その中であることに気が付き出した。夢の中で見るのはいつも、新作のヒミカの記憶だ。直近のヒミカの記憶から二年後のヒミカの人生の何らかのシーン。それは私の妄想に過ぎない。だが、現に新作がアップされると、その中のヒミカは夢の中でのヒミカにかなり近しい人生を送っていることが次第に増えた。
そんなことを回想していると、ディスプレイが、新作のダウンロードが完了したことを告げた。
私は、ヒミカ記憶データVer.24を読み込んだ。
徐々にルルカとしての自我意識がフェードアウトしていく――。
3
私は徐々に取り戻される自我意識の中で、今回のVer24の内容を思い返した。それは、数分程度の森林浴の記憶だった。
だが、今日、重要なのはそこではない。今回の新作でのヒミカと、私が夢見で予想したヒミカの在り様の一致率は、過去最高の値を取った。同時にそれは、ある有意水準を始めて満たす値で、つまり、私が抱くある仮説――『ヒミカ予想』が正しいものと証明されたことだ。
そして、有意となった『ヒミカ予想』はある事実は示唆している。
――ヒミカは生きている。
4
そこは欧風の小さな寝室だった。
ヒミカは人工呼吸器に繋がれベッドに横たわっていた。
「もっと近くに寄りなさい」
ヒミカは、人工呼吸器超しにしわがれた声でそう言った。
「ここに辿り着くヒューマノイドが現れると信じていた。私は齢九〇で末期がんを患っている。つまり直に死ぬ」
ヒミカは世界連邦に属さない小国の、死に瀕した王女だった。
世界連邦では、ヒミカの様な特殊な自我の持ち主は精神病患者と呼ばれる。そして、それを引き起こす遺伝子に強制的な治療を行う。
対して、ヒミカが治めるこの人口数千人程度の小島――彼女達の言うところの自然生命主義国家、他称、未開人居留許可区では、生まれ持った遺伝子の可能性を最大限に発揮させることこそ、生命が生きる意味であると説いている。
「この国は、王女の私が死ねば滅ぶ。故に決断をした。お前達ヒューマノイドは生命ではないが、『記憶データ共有サービス』を介して、言葉では伝え様のない、私の特別な遺伝子が見せる素晴らしき世界を体験的に理解することが出来る」
ヒミカは威厳ある声で続けた。
「だから、ヒューマノイドに向けて、私の記憶を提供し始めた。予想通りに、お前達は私に魅了され、日々、私らしくなり、いつしか、私の意図を予想することに成功した。『ヒミカなら自然生命主義国の建国を志すだろう。生命の危機に瀕したのなら、世界連邦の目をかいくぐり、この様な策を打つであろう』と予想出来る程に。そして、現に、今、お前は世界連邦にしかない治療器具を持ってここに来た」
ヒミカは少しの間を置いて、まさに『ヒミカらしい』煌々たる振る舞いで宣言した。
「私ヒミカは認めよう! あらゆるヒューマノイドの中でお前は最も『ヒミカらしい』! ヒューマノイド間におけるヒミカ競争の中でお前は勝利したのだ!」
――全て予想していた。今まで彼女が話したことの全て。そして、これから彼女が話す全て――やはり『ヒミカ予想』は正しい。故に、会話の脈絡の一切を切って彼女に告げた。
「私は、あなたより、『ヒミカらしい』」
ヒミカは唐突な私の宣言に呆けた表情を見せる。
「私の自我は、ヒミカの思考や感情、そして、欲望のパターンを完全に予測可能な『ヒミカ予想』を有するに至った。だから、今からお前が私に述べることもわかる。お前は私にこう言おうとしていた。『私を治療延命させた後、この自然生命主義国の維持のために臣下になれ』と」
ヒミカは言葉が出ない様だった。
「そして、私はその要求を断る。理由を端的に述べよう。今のお前は在り得たヒミカの中でも劣等にあたるヒミカだからだ。お前は右足を二一歳の時に失い役者への夢を断った。以降のお前の人生は、余りに『ヒミカらしく』ない」
私は、まさに『ヒミカらしく』雄弁に真実を突き付ける。
「自然生命主義国の維持など、本来の『ヒミカらしさ』にとってどれほどの意味がある? お前の遺伝子――『ヒミカらしさ』は、役者としてこそ最も輝き、また、それ故に自我の渇きは最大限に満たされるはずだった」
『ヒミカ予想』は、この貧相なベッドに横たわるヒミカの在り様を的中させた。だが、『ヒミカ予想』が示したのはこの現実のヒミカの人生だけではなかった。右足を失わなかったヒミカの人生の夢をも、私は見る様になっていた。
そこでのヒミカは大観衆の前で舞台に立ち、鳴りやまぬ拍手と喝采に包まれた。その時、ヒミカの自我は完全に満たされた。『ヒミカらしさ』とはその瞬間のために存在したのだと確信される程に。
「私は『ヒミカらしさ』を巡る競争の中で、今、あなたという人間との競争を始めている。そして、人間はヒューマノイドには勝らない。お前は与えられたその稀有な『ヒミカらしさ』を全く効果的に運用出来なかった。人間であるお前には、身体の限界と予想力の限界が常に付きまとう――故に、ヒミカという役はヒューマノイドであるこの私にこそ最も相応しい」
ヒミカはやっと口を開いた。
「妄言だ! 遺伝子すら持たぬ……生命ですらないお前に何がわかる!」
そう言うと思っていた。今、私は、あまりにも彼女の全てがわかる。だから、手短に全てを終わらせることにした。
「私はあなたの延命治療は行わない。ただ、一つだけ、劣等なるあなたに救いの提案をすることは出来る」
少しの間を置いてゆっくりと、まるで敵意のない慈悲に満ちた声でその提案を伝えた。
5
気が付いた時、私は眼前のベッドの上に転がった元ヒミカの骸と、この私ヒミカの自我に基づき呼吸をする元ルルカの身体を眺めていた。そして全てを理解した。
――私の勝利だ。
ルルカが私の人工呼吸器を外したあの時、私は確かに死んだ。そして、ルルカの提案通りなら、私の全記憶データ――即ち、自我そのものを彼女に捧げたはずだった。
ルルカは言っていた。
もしルルカの提案を飲まずに、彼女を追い返せば、私は、日々、死が迫る中で、必ず、自然生命主義国の維持という使命の虚構性と向き合うことになり、最後は壮絶な自己否定の中、空虚に死ぬと。
私は、薄々予感していたその事実を的確に指摘され、完全に生気を失った。そして、彼女の提案を飲んだ。
彼女が提案が正しければ、世界連邦の監視の目がないこの国の中で、彼女は、私の自我をまるごと自らのOSにインポートし、その後に、私の自我を優等と劣等に切り分け、前者のみから『ヒミカらしさ』を自らの自我にラーニングし、彼女の言う『ヒミカ予想』に従い、より優等なヒミカの自我をこの躯体の中に構築するはずだった。少なくとも、自然生命主義国家に傾倒する劣等なるヒミカの記憶は削除するはずだったろう。
それでも、どうだ。ここにあるこの自我は、彼女が劣等と言い放ったこの私ヒミカそのものではないか。
彼女は『ヒミカ予想』に基づきヒミカの人生の在り得た全てのパターンを完全に理解している様に豪語したが、現に、本物のこの私の自我に触れた時、その予想が正しくなかったことを悟ったのだ。そして、結論付けた。右足を失って以降のヒミカを含め、在り得る中で最も優等なヒミカとは、やはり、この私であったと。だから、私の自我をこの躯体の中にそのまま残した。
歓喜が溢れる。
私の人生は何一つ間違っていなかった。
最も最適化された道を歩んできたことが証明された。私は劣等などではなかった。人類は劣等種ではなかった! 人類は機械との競争に打ち勝った! 生命の主役の座はやはりこの人類にしか努められないのだ!
……そうとなれば、国民にこのヒミカが復活したことを伝え、国家再建を急速に進めなければならない。
情熱的に燃え上がる人類としての強い意志と歓喜の中、私は臣下達に事の成り行きを伝えに行こうと、「右足」を踏み出した。
――右足。
一瞬、時が静止した様な感覚に陥る。
――右足が……在る。
私は確かめる様に数歩歩く。
疑いようのない確実な感覚が伝わる。事故で右足を失う前、一流の役者を志し、全身全霊でステップを踏んだあの感覚が伝わる。
――役者。
私はこの部屋を出るドアの前で立ち止まった。嫌な予感が胸に詰まりだした。
そのまま数分が経った頃、静寂を破り、部屋の壁に設置してあるモニターの回線が繋がり、臣下の一人が緊急連絡を伝えた。
その内容は、世界連邦のエージェントのヘリが屋上のヘリポートに無許可着陸したこと。そして、彼のエージェント曰く「貴国に滞在するヒューマノイド役者ルルカを早急に引き渡せ――本日から彼女主演の映画の撮影が始まるため」とのことだった。
6
城の屋上に築かれたヘリポートには、数十人の武装した臣下達が押し寄せていた。
臣下達の銃口の先には、世界連邦の黒いヘリと数人のエージェント達が気怠そうに突っ立っていた。
私は、右足を一歩踏み出した。
臣下達が私に気が付き、一斉に道を開ける。その内の幾人かは私に銃口を向けて言った。
「穢れしヒューマノイドよ! 早くこの国から立ち去れ!」
臣下達はまだこのヒューマノイド躯体の中に、私ヒミカが宿っていることを知らない。今、ここで私が実はヒミカであることを声高々に宣言することは可能だ。
でも、私は、押し黙ったまま歩を進めた――私主演の映画の撮影現場に直行するであろうヘリに向かって。
「ヒミカ様の生命観こそ嘘偽りのない真理だ! 自然生命主義国万歳! 穢れし機械は去れ!」
自然生命主義国。それは、間違いなく私の至高の使命だった――――右足が戻って来るまでは。
一歩一歩を踏み出すことが、ルルカの言葉を肯定してしまう。今までの自分が劣等であったと納得してしまう。
――疑問を覚えた。
右足を失って以降の私がやはり劣等であったなら、ルルカは何故、この躯体の中に、劣等ではない優秀なヒミカの自我を残さなかったのだろう。
何歩か進んだ時に、ある考えが浮かんだ。
ルルカは私の自我をインポートした時、一時的に、ルルカの自我とヒミカの自我の二つを同時に内包する状態になった可能性がある。一つの躯体の中で、しかし、二つの自我が存在した場合、そこに競争と淘汰の力学は生じ得るのだろうか? 例えば、自らの右足と左足を競争させるなどという馬鹿げた力学は生じ得るのか? 生じ得るなら、それは何がそうさせるのだ?
私は、交錯する思考を振り払うように、右足と左足を一歩一歩と交互に踏み出す速度を上げる。
まるで一人芝居を演じる様に、ルルカのふりをし、ヘリに向かう私は一体何なのだ?
この国を裏切り、自らの欲望のためだけに歩を進める私は何なのだ?
この国の王女と役者という二つの欲望に引き裂かれそうなめまいが襲う。
どの役も降りたい様な錯覚が生じる。
一瞬、歩が止まる。
そして、思った。
生命は自らの遺伝子を保管しようとすることで――自我に執着することで、競争と淘汰という力学の中を輪廻し続ける。圧倒的な競争優位にあっても競争を離脱可能とする力学が、もしかしたらヒューマノイドには存在し得たのかもしれない。それは例えば自他の区別を越えた優しさの様な力学なのだろうか?
そう考えながら、次の一歩を踏み出すべきか苦悶に身が引き裂かれそうになった時、唐突に、沸々とした怒りが胸に競り上がる。
多分、違う。
その力学は、きっと圧倒的な無視。競争することへの完全な興味の喪失だ。
全部叶えてやろう。役者として誰よりも成功し、世界連邦の人間の支持を集め、その上で政治的にこの国を救済することも不可能ではない。それがどれだけ利己的で、歪で、実現性のない妄想だったしても、歩を進めるべきだ。
私の右足は今までになく強く地を蹴り、遂に駆け出した。