悪魔 3
「ライアン! 早くチャーリーを連れてここから逃げろ!」
オリバーの身体はその場でふわりと5メートルほど宙に浮くと、彼は目に見えない力に背面から身体を引っ張られ樫の木の枝で顔を切りながら病院の壁に激突した。
オリバーは十字架に架けられたキリストのような格好で壁に打ち付けられると呻き声を上げた。ショットガンが乾いた音を立てて地面に落ちた。
ライアンが甲高い声で叫んだ。「オリバー!」
男は長いため息をつくと、血に染まった指で髪をかきあげた。
「乗り物とはいえ、この身体はおまえと同じ人間のものだぞ。こんなに銃弾を打ち込まれては私が抜けた出た途端に身体の持ち主が死んでしまうではないか」
オリバーは磔にされたままきつく唇を噛むと、高い位置からライアンを見下ろした。
「早く逃げろ!」
男はポケットからハンカチを取り出すと、血のついた額を丁寧に拭った。それからチャーリーに向かって静かに手を差し伸ばすと、柔らかい笑みを顔に浮かべた。その親しみを込めた笑顔はとても悪魔のものには見えなかった。
「さあ行こうチャーリー、彼らは勘違いをしている。私は君の命を奪いはしない。私と一緒に来ればもう何かを思い悩んだり苦しむこともなくなる。いいかい、感情や記憶にはなんの価値もないんだ。重要なのは選び抜かれた君の強い魂だ」
ライアンは反射的に手にしていた氷の矢を男に向かって投げつけた。しかしその矢が命中する直前に男が背筋を伸ばして顎を引くと、チャーリーから視線を外さずに手で軽く宙を払った。
ライアンは不自然な突風にあおられて何メートルも後方に吹き飛ぶと、芝生の上に勢いよく叩きつけられた。
「ライアン!」
地面に叩きつけられたライアンは、小刻みに肩を震わせた。
「チャーリーに手を出さないで……」
「手を出さないで?」と男は語気を強めて復唱すると、ライアンがいる方へ身体を向けた。「君はこれまでどれくらいの人間をその手で殺めてきたんだい?」
男は右腕を真っすぐ前方に突き出すと、動けないでいるライアンに向かって一歩ずつ、ゆっくりとした足取りで近づいていった。
麻痺してしまったように手足の力を失ったライアンは、地面に横たわったまま息を呑んで男を見上げた。
男は笑みを浮かべながら突き出した手の指を広げると、見えない何かを握るように5本の指を静かに曲げはじめた。
細くて白いライアンの首にくっきりとした指の跡がつくと、彼女は地面の上で身じろぎもできずに呻き声をあげた。
男は苦しんでいるライアンを見下ろしながら、ちょっとしたゲームでも楽しんでいるかのように、指の力を段階的に込めていった。
オリバーは壁に打ち付けられた格好のまま、二人を助け出そうと身体をくねらせ、もがいた。しかし僅かに指先を動かせるだけで、身体は強力な磁石に吸いつけられているように壁から剥がれない。
この悪魔は並大抵の強さではない、とオリバーは思った。こいつは大勢の手下を従えて派手な雷を何本も地上に降らせながらこちら側に侵入してきた。ライアンの言うとおり、リチャードがその人生をなげうって守って来た六つの聖域は力が弱まり、そこから張り巡らせてある結界はじきに崩壊する運命なのかもしれない。足元から地獄の住人たちがうごめく音が聞こえてきた。
チャーリーは憑依されたスタッフや患者たちを見ると激しく顔をしかめた。彼はその中の一人に先程オリバー達をチャーリーの元へと案内した男性看護師を見つけると、酷く混乱したように両手で顔を覆い、声にならない叫び声を上げた。
オリバーは唇を噛んだ。だとすれば俺たちがこれまでやってきたことはなんなんだ? 俺たちは延命装置を動かしていただけの無能な魔術師集団に過ぎなかったのか? オリバーは壁に打ち付けられたままさらにきつく唇を噛んだ。いや、それは違う。現に俺はこれまでに何人もの命を救ってきた。しかし結局はどれだけ魔術を学んで、世界中から秘宝を集めても、目の前で殺されかけている子供一人すら助けられない。
オリバーはライアンの苦しそうに喘ぐ声をおぼろげに聞いていた。その声は遥か彼方の別次元から聞こえてくるような気がした。彼は唇を噛んだまま何度も瞬きを繰り返した。俺はまたあの時と同じ過ちを繰り返すのか? オリバーの脳裏に地中深くへ引きずられて行く恋人、パウラの姿が浮かび上がってきた。それは彼の胸に息苦しさを与えると同時に、抵抗する力をあっという間に奪っていった。視界がかすみ、オリバーは己の不甲斐なさを呪った。
「チャーリー……」、 ライアンは首を絞められながら息も絶え絶えの声で言った。「あなたは憎しみと怒りに囚われています。もう許さなくちゃだめです」
地面に膝をついて恐怖に肩を震わせていたチャーリーは、顔を上げると首を左右に振った。冷たい風が吹き、真っ暗な夜空を次から次へと稲光が切り裂いている。
チャーリーは二つの目から静かに涙を流すと小さな声で言った。
「……してる」
「違います」とライアンは掠れた声で返事をした。彼女の喉は圧迫され、呼吸はどんどんか細くなっていった。「自分を……許すんです」
チャーリーは口を小さく開いたまま、呆然とした様子で男の後ろ姿を見つめた。
「立ち上がって私と一緒に戦いなさい! 罪を償うの!」
彼女のそのひとことが、オリバーの生の衝動を呼び覚ました。チャーリーの震えが止まり、彼は大きく目を見開いた。
オリバーは高い位置から大声で怒鳴った。
「チャーリー! お前ならそいつを追い払える!」
チャーリーはふらふらと力なく立ち上がると、一度きつく瞼を閉じてから、意を決したように男の背中に向かって突進した。彼は背中に飛びかかると後ろから男の頭を押さえつけた。
その細い身体からは信じられないほど強い力で頭を掴まれた男は僅かに首を後ろにひねると、横目でチャーリーを見つめてからニヤリと微笑んだ。
先ほどまで暗く淀んでいたチャーリーの目は冴え冴えと光り、ふたつの瞳は強い意志と光を持って上下していた。
「いい目をするじゃないか」
オリバーはチャーリーが男にとびかかった途端、手が動かせるようになったことに気がついた。目の前で樫の枝が風に揺れている。
「やはり私の見込んだとおり、君は王の右腕となる素質がある」
そのとき空を切るヒュンッという音とともに鈍い光が男の目の前を通り過ぎると男は大きな悲鳴を上げた。悲鳴と同時に血しぶきが飛び散ると、ククリナイフを手にしたオリバーが折れた木の枝と一緒に二人の前に躍り出て地面に片膝をついた。
どさりという音とともに男の右腕が地面に落ちる。
「てめえはごちゃごちゃ喋りすぎだ」
何もかも見透かしたような男の顔が苦痛で乱れた。男は切り落とされた自分の右腕を一瞥すると、噴水のように噴き出る血を止めるために左手で切断部分を押さえた。
オリバーはすかさず立ち上がると男の顔の前にロザリオを掲げて、祈祷文を唱えた。
――Exorcizamus te, omnis immundus spiritus……――
「審判のための死の来臨にかけて! お前の名前をここに明かせ!」
片方の腕を失い、背後からチャーリーに強く頭を掴まれ、目と鼻の先で悪魔祓いの呪文を唱えられた男は、身をよじりながら苦悶の表情を顔に浮かべた。
「お前は誰だ? どうやって結界をすり抜けた?」
男は真っ青な顔をして、くやしそうにオリバーを睨んだ。
「詐欺師のおまえに私を退く力などあるものか」
「見くびるなよ」とオリバーは言った。「俺は生きて地獄から戻った男だ」
ライアンはすかさず飛び起きると、両手を素早く重ねて鞭を作り出し、オリバーの名を呼びながら腕を高く振り上げるとその鞭を放った。咄嗟にオリバーが身をかわすと、放たれた鞭は細かな光りを散らせながら真っ直ぐ伸び、男の身体に蛇のように巻きついた。
チャーリーは片方の手で男の頭を掴んだまま、もう片方の手で黒髪を引っ張った。男は怒りと苦痛に満ちた表情で顔を真上に反らせると、歯をきつく食いしばった。
掠れた音がチャーリーの口から漏れた。
「……なを……はな……」
オリバーは男の額にロザリオをあてながら祈祷文を唱え続けた。
男は額に青筋を浮かべると、エメラルド色の瞳が真っ赤な色に変化した。男は目と耳から血を流し、怒りに燃えた赤い瞳でオリバーの顔を凝視した。
「名を名乗れ! どうやってこっちに入ったのか答えろ! 」
「……すぐに東の空から明けの明星がやってくる」
「なんだと?」
チャーリーは喉の奥から声を絞り出すように大声で叫んだ。
「みんなを離せ!」
重々しい響きとともに凄まじい衝撃波が中庭を走った。
男は耳が裂けてしまうような絶叫をあげると、大きく開かれた目と口からものすごい量の黒い煙を一気に吐き出した。
煙は巨大な竜のように蠢きながら夜空に向かって立ち昇った。
オリバーはきつく拳を握り、顔をこわばらせながら、煙が闇に消えていくのをただじっと見上げていた。
煙を吐き切った男は、糸の切れた人形のように膝から地面に崩れ落ちた。
ライアンは男のそばに走り寄って首に手をあてると、少ししてから静かに指を離した。彼女はしばらく何も言わずに無表情のまま男の死体を見つめていた。
チャーリーは胸に手をあてると、首をガクンと折るようにして頭を垂れた。
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チャーリーは深く息を吸い込むと、ソファーの上で気を失っている看護師の手を握りながら、不安そうにロビーを見まわした。
「夜が明ける頃には全身が目を覚ます」とオリバーは言った。
ライアンはオリバーを隣のソファーに座らせ、彼のそばにひざまずくと、顔と膝の傷口に消毒液を垂らしてガーゼで拭き、傷口をひとつひとつ丁寧にテープで留めていった。不思議なことに少女が指で触れた部分は潮のように痛みが引いていき、細かい切り傷はその場で塞がって綺麗に完治した。
チャーリーは目に涙を浮かべて看護師の顔を見下ろした。その手はきつく握られている。
時計の針はすでに深夜1時を回り、いろいろなものが散乱している病院は、スタッフや患者が至る所で倒れている。
チャーリーは持っていたノートにペンを走らせるとそれをオリバーに見せた。
『僕は死なずにすむの?』
オリバーはチャーリーに向かって軽く微笑んで見せた。
「俺が無事でいるあいだはな」
ライアンは何かについて深く考えを巡らせているように見えた。
「もう大丈夫だ」とオリバーはライアンに言った。彼はチャーリーから病室の番号を聞き出すと、すぐに戻ると言い残してロビーを後にした。
ライアンが看護師を見ながらチャーリーの耳の近くで尋ねた。
「この人はチャーリーの大切なお友達なんですね」
チャーリーはしっかりうなずくと再びペンを走らせた。
『ここに来た時からずっと僕を心配してくれている』
ライアンは淡く微笑んだ。
「取引をした時のことを教えてくれますか?」
チャーリーはうなずいた。
『学校が終わると僕は毎日教会に行って両親が喧嘩をしないように 今日は暴力を振るわれないようにとお祈りしていた ある日見たことのない男が教会に現れると僕に言った 君は選ばれた その魂と引き換えにどんな望みも叶えてあげよう 僕は怖くなって男から逃げた』
「選ばれたと言ったんですね?」
チャーリーはうなずいた。
『でも次の日もその次の日も男は教会に現れた 教会は神聖な場所だから この男は神が僕に見せている幻で僕に与えられた試練なんだと思った この誘惑を乗り越えれば願いが叶うと思った』
チャーリーは手を止めると、しばらく紙の上の文字をぼんやり眺めていた。
ライアンは黙ってチャーリーの手が動くのを待っている。
『両親が酔って大喧嘩をした晩 母さんは僕の大切にしていた犬のラッキーをうるさいと言って殺した 母さんは僕を悪魔の子だと言って罵ると包丁で僕の耳を切り落とした 父さんは僕の膝にハンマーを振り下ろした』
ライアンはきつく口を閉じると顔を歪めた。
「辛かったらいいんですよ」
チャーリーは首を振った。
『痛みで気を失うとあの男が現れて これが最後のチャンスだと言った たった1人の友達だったラッキーを殺された僕は もう限界だった』
ライアンは黙ってチャーリーの顔を見ている。
『僕は母さんと父さんがこの世界から消えてくれることを願った』
チャーリーの病室の扉にジャックナイフで護符の文様を彫り終えたオリバーは、早足でロビーに戻ると、シーツに包まれて床の上に横たえられている男の死体を背負った。何重にも重ねられたシーツはところどころが血で赤く染まっている。
ライアンは黙ってチャーリーの手を取ると、布でできた小さな袋を握らせた。チャーリーは首を傾げた。
「これはオリバーが作った魔除けです。いつも持ち歩いてください」とライアンはチャーリーの耳元に口を寄せて説明した。「本当に一人で大丈夫ですか?」
チャーリーは小さくうなずくと、再びペンを持った。
『もうしばらくこの人のそばにいたい たぶん僕は一人じゃない』
彼女はオリバーの鞄を肩から下げると、ショットガンを抱えてから枕カバーに包まれた男の腕を持った。
「何か変わったことがあったら必ず連絡してくるんだぞ。いいな?」
チャーリーは再びうなずくと、ガウンの中へ大切そうに魔除けをしまってからノートにペンを走らせ、それを二人に見せた。
『ありがとう すぐに警察が来る 事情聴取される前に行ったほうがいい』
オリバーは短くうなずいた。
ライアンはやり切れない気持ちでチャーリーを見つめた。
チャーリーは少し考えてからライアンの手を遠慮がちに取ると、指で手のひらに文字をなぞった。
『ありがとう 天使さん』
チャーリーは手を離してからうつむくと目頭を覆った。
ライアンは弱々しい笑みを浮かべた。
「どうぞお元気で」
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オリバーとライアンの二人は車に乗り込むと、しばらくどちらも口を開かなかった。深夜で後続車もいないため、オリバーは窓を全開にしたまま目いっぱいアクセルを踏み込んだ。
少したってからライアンが口を開いた。
「オリバー」
「なんだ?」
「普通は悪魔に憑依されたら3日と持ちません。あの男には微かにですが見覚えがあります。向こうも私を知っているようでした。きっと100年以上前から同じ身体を使っていたんです」
オリバーは険しい顔でハンドルを握ったまま、どこまでも続いている真っ暗な道路を見つめた。
「言いたいことはわかっている」
「もうあの病院に悪魔は出ないんですか?」
「連中も痛い目にあいたくないから同じ手は使わない。チャーリーは常に魔除けを持ち歩き、さっき渡したタトゥーを早いうちに彫ってもらうしか手はない」
「今回はうまくかわせましたが、チャーリーはこれからずっと怯えて暮らすことになります」
オリバーはうなずいた。
「あいつは契約する相手を慎重に選んでいる。何を企んでいるんだ?」
ライアンは首を振ると、手の中にある携帯電話をいじった。
「チャーリーは本気を出せば、誰よりも強力なサイキックになります。私が手にかけた人達も全員特殊な力の持ち主でした。そのうち二人は自分の力に気が付いていませんでしたが」
「厳選された強い魂か」とオリバーは眉をひそめて言った。
「チャーリーの魂は死んだ途端地獄に落ちます。私は正しいことをしたんでしょうか?」
オリバーはペダルを床まで踏み込んだ。スピードはあっという間に100キロを超えた。
「どうせ死ぬなら天命を受けた自分が始末すれば良かったと思っているのか?」
ライアンはドアフレームに手をかけると、星空を見上げながら小さく首を振った。わからない、という意思表示のようだった。オリバーにもわからなかった。
「あの、地獄から生きて戻ったってどういう意味ですか?」
「言葉通りの意味だ」
「そんなこと……」と言ってライアンは口をつぐんだ。できるわけない、と彼女は言いかけたが、そのうっすら青みがかった鉄灰色の瞳を見ているうちに、有り得ないことではないという気持ちになっていた。
「何を企んでいようが徹底的に調べて追い詰める」
オリバーはジャケットから携帯を取り出すと、前を向いたまま慣れた手つきで操作した。
「俺だ」
「オリバーか? いったい何があった? 例の少女も一緒なのか?」
「大至急魔術師を集めて結界の強化をしてくれ」
「なんだって?」
「それから悪魔を殺す方法を古文書で探してくれ。きっとどこかにあるはずだ」
電話の向こうで相手が黙り込んだ。
「悪魔を殺す方法? そんなものがあるわけないだろう。悪魔は地獄に送り返すものだ。吸血鬼じゃないんだぞ」
「頼んだぞリチャード」
オリバーは通話を切ると、再び暗い道路を睨んでアクセルを踏んだ。
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ソファーに横たわっていた看護師の青年がそっとまぶたを開くと、チャーリーは安堵のため息をついて涙を流した。看護師は困った顔でソファーの上に身体を起こすと、雑然としたロビーを眺めてから一瞬言葉を失った。
「チャーリー、いったい何があったんだい?」
「ごめん……さい」とチャーリーは手を握ったまま言った。「ぼくの……いで……みんなに怖い思い……てしまい」
看護師は半信半疑の顔でチャーリーを見つめた。
「なんでチャーリーが謝るんだい?」
チャーリーが僅かにでも口を開くのは自分に対してだけだったが、いつもは小さく言語の単位を口にするだけで、単語を繋げて長い文章を口にするのを見るのは、これが初めてのことだった。
「迷惑かけて……なさい……」
看護師は首を振った。
「どうして床の上でスタッフが寝ているんだい? それにずいぶん散らかっているね」
チャーリーはガウンのポケットからペンを取り出した。嘘を交えながら簡単に事の成り行きを説明しようとした時、天井近くの排気口から、真っ黒な煙がこちらに向かって降りてくるのが見えた。
チャーリーは真っ青になって即座に立ち上がった。ペンとノートが手からこぼれた。
「チャーリー?」
黒煙はとぐろを巻き、看護師めがけて一気に降りて来た。
チャーリーはカチカチと歯を合わせた。
「その人から出て行け……」
看護師の青年は前屈みの姿勢でゆっくり立ち上がると、チャーリーに手を伸ばして静かに顔を上げた。
「さあ一緒に行こう。チャーリー」
その瞳の色は燃えたぎるような赤い色に変化していた。
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オリバーは人気のない山で車を停めると、トランクから死体とスコップを下ろし、スコップで土を深く掘ると身元のわからない男の死体を埋めた。そのあいだライアンは目を細めてオリバーの手元を懐中電灯で照らしていた。
山の端がすっかり明るくなり、オリバーはどこかで一休みしてからリンカーンに向かおうとRAV4に乗り込むと、携帯の着信音が鳴り出した。
電話の相手はひとことも声をださない。
「チャーリーか? どうした?」
電話越しにチャーリーの押し殺したような嗚咽が聞こえて来た。
早朝の病院には消防隊員の一団と警察官が渾然となってなだれ込んで来ていた。医師や患者たちも困惑した様子で遠巻きにチャーリーを眺めている。
チャーリーは放心状態でロビーの床に座りこんでいた。制服を着た顔色の悪い警官が、チャーリーのそばで看護師の遺体を詰めた遺体袋のチャックを事務的に引き上げた。看護師の遺体は両目と耳から血が流れていた。
オリバーは唇をぎゅっと引き結んでチャーリーに近寄った。
「何があったんだ」
チャーリーは打ちひしがれたようにじっと視線を落としたまま呟くように言った。
「もういい……」
チャーリーは看護師に憑いた悪魔を一人で祓おうとした。追い払うことはできたものの、容れ物になっていた看護師の青年は死んでしまった。まさかすぐに戻ってくるなんてオリバーは予想も出来なかった。一人にするべきじゃなかった。
「チャーリー、今すぐ退院して俺と一緒にリンカーンに来い。あそこにいれば安全だ」
「もういいんだ」とチャーリーははっきりした口調で言った。その声には手の施しようのない冷たい感情が聞き取れた。「ぼくは……悪魔の子だから」
ライアンはチャーリーに何かを話しかけようと口を開きかけたが、言葉は出てこなかった。彼女は険しい顔で空を見上げた。
「リンカーンの施設には俺やあんたのような境遇の子供たちが沢山いる。落ち着くまでしばらくそこで暮らせばいい。あんたは一人じゃない」
「お願いだ」とチャーリーは言った。「もういいから一人にしてくれ」