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オデッセイ  作者: 右田優
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それはきっと、あらかじめ決められていたこと 1

 ロサンゼルスの汚染された薄汚い空気の中、オリバー・ヒドルストンは地平線に沈んでいく美しい夕陽を眺め、自分でも気がつかないうちに古い記憶に浸っていた。

 オリバーは右手をポケットにつっこみ、中に入れてある古い銀貨を無意識で数えていた。強い海風がふいて椰子の葉が一斉になびくと、彼はいつの間にかずいぶん伸びてしまっていた髪を耳にかけた。

 そういえば長いあいだ床屋に行っていなかった。もうどれくらい行ってないんだろう? オリバーは今からでも日本人夫婦が経営する上手な床屋に行こうかと考えたが、思い直して首を振った。

 4人もの人間を殺害した犯人がおそらくまだこの街にいるのだ。髪なんていつだって切りに行ける。オリバーは常にジャックナイフを持ち歩いているので、伸びてしまった無精髭だっていつでも剃れる。どこかで鏡を見かけたらせめて髭だけでも剃ろうと彼は思った。


 オリバーはロサンゼルス市警察に勤務している14歳年上のジェンナー警部に頼みこみ、悪臭漂う検視局の解剖室でステンレスの作業台にのせられた二つの死体を見終えると、小さく肩をすくめた。

「不謹慎だが、見事な腕前だ」

 二台の作業台の上には79歳になる有名な銀行家の男と、骨董品店を経営する30代半ばの男の死体が並べられていた。二つの死体の共通点は胴体と頭部が綺麗にすっぱりと別れていることだった。

 すぐそばに近寄って二つの死体の傷跡を見ていたジェンナー警部はしばらくして顔をあげると、指先で白髪混じりの短い髪をかいた。

「この二件は同一犯の仕業だろう。でもお前が来たってことはただの殺人事件じゃないんだろうな」

 ジェンナー警部は信頼のできる男だった。もう10年近いつきあいになる。彼の顔立ちはオリバーにいくぶん厭世的なミニチュアシュナウザーを思い出させた。いつ会っても古くも新しくもない地味なスーツを着ている。若々しい印象はないが、かといって年寄りでもない。普段の動作は警官の割にゆっくりとしている。どこから見ても平凡そうに見える44歳の男だが、こと引き受けた仕事に関しては淡々と粘り強く解決していく男だった。

「そうだ」

「こっちの男は身元が出ていない」と警部は言って若い方の男を見下ろした。「免許証もパスポートも全てが偽造だった」

「こいつは人間というよりどちらかといえば悪魔の手先だ。しかも二件じゃなくておそらく四件だ」

 ジェンナー警部は厳しく目を細めた。「他の二件はどこで起きた? 報告がきていないが」

「断定はできないが、4日前にオレゴンのポート・オーフォードで起きた工場長殺しとサンタ・マリアの上院議員殺しはこの二人を手にかけたやつと同一犯だと思う」

 警部は腕を組むと、しばらく口を閉ざしていた。

「ということは、犯人は4日連続で殺しをしたことになる。しかし目的がわからないな。物盗りでもないようだ」

「今夜もやるかもしれない」とオリバーは言った。

「オレゴンで起きた殺人事件なら犯人が逃走に使った車が昨夜コンプトン郊外で見つかった。もちろん無人だったが」

「ポート・オーフォードにしてもサンタマリアにしても、国民には犯人の情報が何も入ってこないがどうなっている?」

「目撃者がいないそうだ」

「一人もか?」

 警部はうなずいた。「そう聞いてる。工場長には妻と息子がいたが、二人とも記憶喪失にでもなったように何も覚えていない。気がついたら父親が死んでいて車が消えていた。議員の家ではガードマンを二人雇っていたが二人とも綺麗に前後の記憶が抜け落ちている。高齢の使用人がインターホン越しに犯人らしき人物の声を聞いたらしいが、子供の声に聞こえたって以外に手がかりはないそうだ」

「子供だって?」

「ああ。しかもその子供が少年なのか少女なのかもわからないらしい」

 オリバーは検視官の報告書をジェンナー警部に手渡した。「ひょっとすると犯人は人間じゃないかもしれない。今のところ俺にも敵のカテゴリがわからない。いずれにせよ同一犯ならFBIの管轄だな」

 それを聞いたジェンナー警部は、眉間に深い皺を寄せてから腕を組んだ。

「それは厄介だな。しかし犯人が人間じゃないなら、警察やFBIがいくら捜査したところで簡単に捕まらないことだけは確かだ」

 オリバーはジェンナー警部に礼を言うと大股で死体安置所をあとにし、パーキングメーターに向かって歩いた。


 おそらく最初の被害者はオレゴン州ポート・オーフォード在住の工場経営者、ジェームス・テイラー52歳。ジェームスは鋭利なもので頭を刺されて即死していた。二人目の被害者はカリフォルニア州サンタ・マリア在住の上院議員、パトリシア・ムーア50歳。やはりパトリシアも頭部を貫かれて即死。三人目は昼間検視局で見たビバリーヒルズ在住のウイリアム・ローゼングレン79歳。強欲な銀行家のウイリアムは今から10年前、経営破綻目前だった銀行を立て直したことで世間に名前を知られていた。四人目はコンプトンに住む魔術師、ピーター・フランク。ピーターは表向きこそ骨董品店の経営をしていたが、裏では法外な値段で黒魔術の代行をしていた。狡猾な男でなかなか尻尾を出さなかったので、オリバ ーは手出しができなかった。ピーターは30代半ばに見えたが、正確な年齢はわからない。おそらく200歳は軽く超えていたはずだ。生きているとき本人の口からそう聞いていた。

 ウイリアムとピーターの二人は鋭利な刃物で一刀の下、首を切り落とされていた。まるでアーティチョークの先端を切り落とすみたいに。


 そのゴシック様式の古いカトリック教会はロサンゼルスから2時間ほど車を走らせた場所にあった。誰もいない、暗くて広い礼拝堂でオリバーが祭壇を睨んでいると、背後から小さな女の笑い声が聞こえてきた。振り返ると、修道服を着た、妖艶な雰囲気を漂わせている美しい女が立っていた。

「久しぶりね、オリバー」と女は言った。「ずいぶんとくたびれているけど相変わらずいい男じゃない」

 シスター・アルマはゆっくりした足取りでオリバーに近寄ると、からかうような顔で長身の訪問者を見上げた。

 オリバーとシスター・アルマは今から5年前、ある事件をきっかけに知り合った。アルマは二十代半ばの見た目をしているが、魔女裁判が盛んだった17世紀から生きている。今から約120年前にヨーロッパから船でアメリカに渡って来て、各地を転々としながら身を立てたと本人は言っているが定かではない。21世紀では珍しい純粋な魔女だ。

「まだ生きていたのかアルマ。シスターのくせに化粧が濃いぞ」

「聞きたいことがあるってそっちから言ってきたくせに、ずいぶんな挨拶じゃない」   

「来たくて来たわけじゃない」とオリバーは言った。「それであんたの見るところ、今回の事件は10年前に取引した悪魔を邪魔する反対勢力のもので間違いないんだな」

 シスター・アルマはあたりを見回してから長椅子に腰掛けると、素っ気ない口ぶりで言った。「たぶん」

「同じ種族だろ。なんで邪魔なんかするんだ?」

「さあ、私にもわからないわ。ただあいつらにも派閥があるのよ。ボスに気に入られて勲章がほしいから一つでも多くの魂を持って地獄に戻りたがるの。契約できなかった悪魔が腹いせに人間の命を奪ったってところじゃないかしら」

「だがその人間の魂にはしるしがつけられているはずだ」

「そう。だからおかしいわよね。横取りできるわけじゃないのに。だから悪魔なんでしょうね」

「確かに」

「昔は人間に力を与える悪魔も、その力を借りる魔術師や魔女も今ほどいなかったわ。だからピーターとかいう下っ端の魔女もどきが死んだって聞いて心からせいせいしたわよ。あんたたち真面目に仕事しているの? ただの人間に手が負えないのなら今すぐ私をここから出しなさいよ」

「しているよ」とオリバーは答えるとアルマの顔を見た。「ところであんたは最近どうだ」

「私?」

「最近は悪さしてないだろうな」

「してないわよ」とアルマは言って顔を曇らせた。「だからこんなしみったれた辛気くさいところで働いているんじゃない。あんたたち組織の人間は悪魔よりもずっと悪党よ。今となっては希少な魔女をよりによって修道院で働かせるなんてね。私は異教徒よ」

「あんたがしてきたことを考えると自業自得だろうな」

「あんたたちこそ地獄に落ちればいいのに」とシスターは苛立ちを隠そうともせず言った。

「ある意味では」とオリバーは答えた。   

 アルマはため息をついた。「もう地上にはいないんじゃないかしら」


 どうしてなのか、オリバーにはこのロサンゼルスという大都市のどこかにまだ犯人がいるという確信があった。1時間ほどあてもなく人混みを歩き回っていると、遠くの空から雷の音が聞こえてきた。西の空を見上げると、眩しい稲光が星のない夜空をびりびりと裂くように光った。嵐が近づこうとしていた。

 彼はダウンタウンの歩道を歩きながら、駐車している車やすれ違う群衆の中におかしな雰囲気を漂わせた人間がいないかと注意深く観察しながら歩いた。このあたりは主にラテンアメリカ系のドラッグ密売人がうようよしている。身体と脳を蝕まれた麻薬ジャンキーは判断力を失い、クスリを買うわずかな金を手に入れるために深く考えもせずに人の喉を掻き切る。

 パトカーが耳障りなサイレン音を鳴らしながらオリバーのそばをゆっくり通り過ぎていった。この街ではサイレンが鳴っても車を寄せる場所がないので、ハンドルを握る者ははなから車を寄せようともしない。渋滞は何本か先の大通りまで延々と続いている。パトライトの光がけばけばしく輝くディスコの看板や停めてある車の車体に反射して、ごみごみとした歓楽街を赤く染めていった。

 鋲のついた服を着た若い男が手にしている携帯に向かって大声でわめき散らすと、目の前にあったバーの置き看板を蹴飛ばした。オリバーは怒鳴り続けている男の脇を通り過ぎると、もう一本奥に入ったうらぶれた通りを歩いた。

 白人のホームレスが地面に敷いた段ボールの上に座り込んでうなだれていた。ホームレスの男はジェンナー警部と同じくらいで40を少し超えたくらいに見えた。オリバーが前を通り過ぎようとするとホームレスは空き缶を手にして「お恵みを」と言った。オリバーは左のポケットから1ドル札を2枚取り出すと、それを空き缶の中に入れた。

「ありがとうございます」とホームレスは弱々しい声で言うと顔を上げた。「旦那に神のご加護がありますように」

 珍しいことを言うホームレスだなと思ったオリバーが顔を覗き込むと、男の両目は真っ白に濁っていた。彼はわずかに顔をしかめると無言で男から離れ、再び怒鳴り声とクラクションの行き交う夜の街を歩いた。

 オリバーはふと立ち止まると、とっくの昔に神にも天使にも見捨てられた、騒がしくて汚い、狂いかけている夜の街を空虚な思いで眺めた。

「やってらんねえな」と彼は誰に言うともなく言った。

 なんとしてでも犯人を見つけなければ。空虚なのはきっとこの街ではなく俺自身だ。そういう気がした。


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