効きすぎた薬
「それは困りましたな」
わたしに向かって、景綱は心底、期待外れだと言う顔をした。
「まだ藤若殿は、若い。ふとした気の迷いもあるかと思い、幼なじみの景虎さまに、面倒を見て頂きたかったのですが」
「面倒などと。孺子の頃ならよいが、あやつはもう大の男ぞ。わたしが言って、どうなるものでもあるまい。…そもそも、藤若自身、幼い頃から知っておるが武士が務まる性格では、元々ないのだし。わたしが家督を継いだと言って、無理強いは出来まい?」
と言うと、景綱は奥歯に物が挟まったような顔で黙った。
「なんじゃ、わたしが間違ったことを言ったか」
「いえ、間違ったことは申しておりませぬ。ただ、おかしな話ですね。藤若殿は自ら、この景綱めに兄君の廃嫡と家督の相続を申し出たのですが」
「藤若が?」
すると横で話を聞いていた真人が、ふいに口を開いた。
「…最初は、そのつもりだったんだろ。何か、理由があるんじゃないかな?」
「理由だと?」
「うん、それも聞くなら二つ、ちゃんと聞いた方がいいと思うな」
真人は、淡々とした口調で言った。
「藤若さんって虎千代から見て、武士に向かない人だったんでしょう?わざわざお願いして家督を継ぎたがるのも奇妙なら、それを急に辞めるって自分で言い出したのも変だろ?」
「う、うん。そうだ。それはうむ、そうだな景綱」
「はい、一理はありまする。ではやはり藤若殿本人から話を聞かなくては、この景綱も間に入る以上は、得心がいきませぬなあ」
「虎千代は、藤若さん本人に突っ込んで聞けそう?」
「出来なくはないが、あやつも話したくなさそうであるしなあ」
「虎千代は心配なんだろう、幼なじみの藤若さんが?」
真人は真剣だ。ううん、のろけになるがこう言うところが、わたしの好きなところなのだ。
上原家の相続争いについては、この春日山ではすでに、話題になっているらしい。黒姫に話すと、すでにほとんどのことは知っていた。
「上原は名家ゆえ、分家他家の当主、古老の横槍がわずらわしく現当主の桐岳さまはどうも、気を病まれておられる様子」
周りにうるさ型が多く、いわゆる桐岳は、身内に踊らされる性質らしい。父から当主を継いで間もなく、晴景兄に取り入ろうと言うことで、自ら京都のわたしに探りを入れる役を買って出たらしいが、今度はわたしが当主になったことで、逆にそのことをさんざんに責められた上、一族に詰め腹を切らされそうになって、一時は出家すると言う騒ぎにまでなったそうな。
「もう誰も信じられぬ」
今や桐岳は刀をひきつけて館に籠もり酒色に溺れ、前当主の梅楽御老の言うことすらも、受けつけぬそうな。
「そこで一族で評議の上、他家から次兄の松右治殿を、呼び戻したそうなのですよ」
「して、その松右治殿の評判はどうなのだ、黒姫」
ずばり問うと、黒姫は微妙な顔をした。
「まあそれは、松右治殿、分家衆に担がれておりますので。…悪い噂は聞こえませんが、前当主の梅楽殿はあわてて藤若殿を還俗させたご様子。直江景綱さまの肝入りをもらい、地固めを急ぐ辺り何か理由があるんでしょうかね…?」
これはなんとも、複雑な話になってきた。
「父は、わたしをたばかったのです。急ぎ京へ帰って来ぬと、寺への寄進を断つ、とまで言われて」
そう言う、藤若の表情はどこか寂しそうだった。
「怒らぬのだな」
「怒ってはおりますよ。上原の名跡を餌に三兄弟を争わせて、何が面白いのだか」
「ではお前は、梅楽殿にたばかられた、と思ったからわたしに、相続の辞退を口入れしてほしいと思った。それで良いのだな?」
「はい」
やはり何かは隠している。だが、わたしの性格上、ここから先は踏み込めぬ。
「もうしっ、景虎さま!」
気晴らしに馬市でも観に行こうと白馬を駆って出ると、藤の花蔓柄の小袖を着た女子に、立ちふさがれた。
「ご無礼を承知で、お聞き入れをお願い致したきことがございます!」
わたしは急ぎ手綱を曳いた。見れば小体な瓜実顔に、鋭く切れ長の瞳。春先の燕を連想させるような、涼やかな顔立ちの若い女子だ。
「藤若めの身内のものか」
わたしがぴんと来て問うと、相手は、はっとして息を呑んだ。
「小燕と申します。実は藤若殿のことで、折り入ってお話が」
小燕は、現当主・桐岳の妻に仕える侍女だそうな。驚くことに小燕の母親は、藤若の乳母御だと言うのだ。
「むむっ、それではあやつめの本当の幼なじみ」
わたしが一番旧いと思ったら、襁褓(おむつのこと)をしているうちから、と言う女子がいたのだ。
「はい、陰に日なたに藤若殿をもり立てて参りました」
にこりと、小燕は笑う。衝撃である。父の死で、還俗したわたしと違い、出家の道を歩む藤若と小燕はずっと連絡を取り続けて来たと言うのだ。
「し、しかし出家と言うのは、女色あらばこれを断つものではないか」
「はい、ですからずうっと、身の回りのお世話を」
悪びれもなく、小燕は言う。なんだ、わたしが頭固いのか。
「藤若殿は、元々出家は向かぬ、と梅楽さまも申しておりましたゆえ、もしかするとゆくゆくは、上原家をお継ぎになられるのではないか、と思っておりましたので」
なんだ藤若め、もしかしてこの小燕に焚きつけられたのではあるまいな。
「されど、その見込みは不確かではないか。あやつは三男ぞ、普通に考えて家督を相続できる見込みは最も薄かろう」
「梅楽さまが申しておりましたのです。…桐岳さまも松右治さまも、当主となるにはお心の根の部分が決定的に弱い、と」
「それは本当か?」
「はい、桐岳さまのお側にいるわたしも常々そう思います」
「きっぱり申すな」
わたしはちょっと感心してしまった。
「だが藤若も、強面の男ではない。あやつはどう思うのだ?」
「藤若殿も、軟弱すぎます。…まさか、あんなことを言っただけで、景虎さまに身を退きたいなどと申すとは」
「あんなことだと?」
わたしは眉宇をひそめた。すると小燕は、みるみると声をひそめ、
「出過ぎたことを申し上げたと、思います。しかし、上原の当主を務めるなど、到底あのざまではっ…あああいや、少しばかりそのう、人に逆らわれたくらいでまごまごしていては、人の主は務まらないと、母がっ…その、母上がっ!申しておりまして」
「そうか」
何だか、可笑しくなってしまった。そうだこの小燕、誰に似ていると思ったら。
「小燕は、藤若が、好きなのだな?」
「いっ、いいいっ、いいえ!そそそそそそのうッ!…今、そのような話ではッ!なかったはずでござりましょう!?」
小燕の顔はみるみる真っ赤になった。そうやって直ぐ、むきになるところ。気まずくなると癇癪を起こす癖。まるでわたしに、そっくりではないか。
「藤若、小燕殿に輿入れを突っぱねられたのであろう?」
「どっ、どっ、どうしてそれを!?」
ずばり言ってやると、藤若は目を剥いた。
「分からいでか。梅楽殿から、当主になって小燕と夫婦になれ、と言われたのだろう?お前も満更乗り気であった。だがいざ、小燕にその話をしたら、逆捩じを喰わされた。違うか?」
「ふっ、藤若殿が当主になって、このわたしを正室にい!?馬鹿も休み休みお言いなされッ!」
小燕は、わたしに話した時みたいに真っ赤になって全否定したのだ。
「武門の生業のこわい藤若殿が率いれるほどに、上原の御家は、甘くはありませぬ!御家も率いれぬうちから、わたしを妻に娶りたいなどと、つまらぬ軽口をッ!自惚れなさるなッ!」
「まあ、大抵の男の人はそこまで言われたらしょげるよね…」
横で経緯を聞いていた真人などは、げんなりしていた。
「そ、そう言うな真人。小燕殿はな、いわゆるつんでれであったのだ」
嬉しいけど、憎まれ口の方が先に出る。気持ちは分かる。分かるのだが、やはり客観的に見ると、損な性分である。
「つ、つんでれ!?それは南蛮か何かのお言葉でござりまするか!?」
「藤若、お前は余計なことは知らいでよい!それより、小燕殿を逃がすでないぞ!」
こうなったら重んずるは、幼なじみの誼だ。相思相愛と分かった以上、二人が上手くいくように段取りを取る。それが、幼なじみにしてやれる最良の餞だ。