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わたしの好きなものは

 



 わたしが何より好きなもの。

 それはこの、春日山の空だ。




 暁闇(ぎょうあん)朱色(しゅいろ)が跡形もなくほとびて消えると、水平線の彼方に一点、紫色の空を穿(うが)箒星(ほうきぼし)

 山尾根(やまおね)を吹き上げる風を孕んで、昇り龍のごとき白雲棚引(はくうんたなび)く、無謬(むびゅう)の蒼天。

 水平線の彼方から湧き出した不穏な雲から逃れ、山上に(たか)るがごとく海猫(うみねこ)のざわめき。

 不意の雷鳴。夜空をぶち割ったがごとく閃く紫光(しこう)の亀裂。

 鼠色の曇天に、吹雪荒ぶ風の音すらもこの山の空には似つかわしく懐かしい。


 わたしはこの山で生まれ、この山の空のすべてを見てきた。


 それでもこの山の空の()さは、まだまだ言い尽くせない。湧くがごとく、言葉が溢れる。心に想う。だがそれも、むべなるかな。今のわたしには、言い尽くせぬこの山の空のすばらしさを語り合える人がいる。伝えたくて仕方がない相手がいる。

 成瀬真人。

 わたしの最愛の伴侶だ。

 その真人がここへ、来てくれた。わたしの生まれ故郷を見たいと言って。わたしとこの空を、この海を、見たいと言って。それだけでわたしは、あの春日山に湧く入道雲をこの胸に吹き込まれたかのように、沢山の気持ちで胸がいっぱいになってしまうのだ。この(おお)きな空のように、わたしは生きたい。


「姫しゃままたよそ見をっ!」「景虎さまちゃんと聞いてて下さいですうっ!」「虎さまっ、知らん顔しないで下さいですよ!?」

 ぼさっと空を見ていると、黄色い声に三連発で怒られた。一応、わたしが主君なのだが。

 ここは山頂の主郭(しゅかく)。長尾家の当主が、執務を行う政庁である。わたしがこの上座に腰を落ち着けるときは、評定があったり、地方から国人たちが伺候してきたときの謁見の間にしているのだが、本日は番茶にお菓子でわたし主催の女子会と言うことになっている。

 出席者は、この国の財政を担う小島このえ、大熊備前守朝秀おおくまびぜんのかみともひで、そして側近の黒姫、と言う手周りの顔ぶれなのだが、どうも面白くない。もっと好きな男子(おのこ)の話とか、お悩み相談とか、そう言う話で盛り上がりたいのに、ちっともそう言う話にならない。そして今、気づいたのだが、よく考えてみればこの中で彼氏がいるのは、わたしだけなのだ。


「虎さまっ、この黒姫は、春日山城外に男子禁制の大湯殿を作ることを、提案しますですっ!もう温泉ぶわーっと掘り当てて、女子だけの大浴場にしましょうですよお☆」

「黒姫さんっ、その提案をするなら長尾家のお台所を預かるこの朝秀を仲間はずれにしたら、絶っ対通してあげませんですう!浴場が完成いたしましたら、景虎さまのお背中は黒姫さんじゃなくて、わたしがお流しいたしますう!」

「姫しゃま、このえはまたかわいい水着が着とうございましゅう!」

 つまらん。自分で主催しておいてなんだがこれ、無駄な時間でしかない。

「…お前たち、そもそもそんな女子だけのでっかい風呂など作って、不毛だとは思わんのか。この寒いのにわたしは、山奥の女専用風呂なんて絶っ対行かんからな!」

 わたしはついに言ってやった。言わざるを得なかった。なんとなればこやつら、いつまで経ってもわたしが聞きたい話をしないからだ。

「それよりないのか。お前たちにはその、最近の恋バナだの、どこぞの家の若武者が、いけめんだのと言ういかにも女子会的な話は!?」

「あっりませんですよう!一ッ切!皆・無ッ!わたくしたちは、常に真っ直ぐ虎さまだけを見てますですよう!」

「この備前もですう!黒姫さんには、ずうえったい負けませんですう!」

 この二人、微塵も振り返らない。ここまで迷いがないと逆に潔い。

「黒姫、武田殿はお前は良い嫁になると申しておったぞ」

「虎さま、わたくしにもはや縁談があるとお思いですか!?」

「備前はその高い女子力を、他に活かす気はないのか?」

「わっ、わたしは!今はお仕事が恋人と言うかあ、景虎さまが恋・人!でございますから!」

「姫しゃま、このえも最近お慕い申している殿方がおりましゅる」

「このえお前にはまだ早い!てゆうかお前の恋バナなど聞いても、一切参考にならんわ!あとそう言う話は、弥太郎にするでないぞ!」

「姫しゃまひどい!」

 ああまさか、こんな連中の城の主になってしまった。

 長尾の城の主ではなく、わたしは、春日山の空になりたい。こんなとき、わたしはつくづく、この春日山の青空を見上げるのだ。


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