名前
「あんたの名前はクリフとしようか」
「…え?」
目が覚めて一番最初にそう言われた。正直頭が追いついていないのだけど。
「あんたの名前だよ名前。バカ息子が。クリフってのがあんたの名前。ちゃんと考えてあげたんだから感謝しなさい」
そう早口で言うと嬉しそうな顔で俺の体を撫でる。ずっとヒトの姿をしていたようだ。
「名前の元になったのはなんだよ?」
「グリフォンとヒト」
「だいぶ適当だな!」
それで考えたって言えるのか?いやそのままグリフじゃないだけ捻っているとは言えるのだろうが。
「なによー文句あるわけ?」
「……文句があるわけじゃないけど」
「ならいいじゃない」
そう言いながら頭をポンポンと叩く。文句はないが、ちょっとだけ気になったので聞いてみることにする。
「母さんの名前はなんていうんだよ」
「私の名前かい?この姿の時はアイシャって名乗ってるよ」
「名乗ってるって、それ絶対自分でつけた別の名前だろ…」
「ばれちゃったかい?いいじゃないか。別に本名なんてさ。お互いに伝わる名前ならそれでいいんだよ。だから私があんたを名前で呼ぶときはクリフって呼ぶから、あんたは私をアイシャと呼びなさい」
そう言った母さんの顔はどこか寂しそうで、それ以上言葉に出すことができなかった。
クリフと名前を貰ってからそれなりに経った。名付けられたが相変わらずあんた、もしくはバカ息子としか呼ばれていない。
おそらく一番の変化は食事だろう。母さんの強引な方法で食べさせられてからはゴブリンも食べるようになったのだ。見た目もそうだし生だというのも気が引けていたのだが、一度食べれば意外と美味しく感じたので気にならなくなった。でもやっぱり一番美味しいのは果実だと思う。
今日も木の上で母さんと話すか食事をするだけの一日。そうなるはずだったのだが、森の方から笛のような音が聞こえてきたことで、予定が変わることになる。
「母さんこれは?」
「これはエルクたちの笛の音さ。ちょうどいいからあんたのお披露目でもしようかね。背中に乗りなさい」
よくわからないが、母さんが嬉しそうに乗れというのでその大きな背中の上に跳び乗る。ただ母さんが大きすぎるのでお座りの状態の斜めの背中に飛びついて、爪で引っかかるような姿勢だ。
「しっかりつかまって、振り落とされるんじゃないよ」
そう言って母さんは翼を広げて宙に舞う。ぎゅっと母さんの毛皮に爪を立てるぐらい強くつかまる。後ろ足は引っ掛けることができなかったので腕の力だけで支えなければならないと思ったが、予想外に風に飛ばされるという感覚がない。
「飛べない飛べないと思ってたけど、まさか風を怖がるとはねぇ…全く、早くあの枝から自由に飛び回ってほしいもんだねえ」
母さんの呆れた声が下から聞こえてくる。
「…急に飛び降りたからビックリしただけだし?俺はそんなにビビってないよ」
そう答えた途端に、母さんが直角に落ち始める。
「っお?おち?!」
落ちる!そう思った。だけどすぐに母さんは普通に飛び始める。
「俺は…なんだって?」
「………」
くくく。と笑いをこらえるような声でそう聞いてくる。不意打ちに色々と文句を言いたいのだが後が怖い。絶対になにかしらやってくる。そう思ってしまったので、俺はその言葉に応えず横を向いて顔を合わせないようにする。
今のやりとりだけで母さんの相手をするのも疲れたので、背中に全身を投げ出して脱力する。ただその間も手にだけは軽く力が入っている。
横に目を向けると母さんの背中から見る景色はだいぶ変わっていた。樹の上から眺めていた森がすぐそこまで近づいている。手を伸ばせば届きそう、いやこのまま乗っていれば届くというか森に降り立つだろう。
「母さん、どこに向かってるの?」
「言っただろう?エルクたちのところだよ。いつも行く村は決めてるし、そこに他の場所からもいっぱいのエルクが集まって私を待っているのさ。あんたを連れて行けば面白い顔も見られそうだし」
悪そうな顔をしていそうな母さんに対して、面白い顔ってなんだよ?なんて思いながら眺めていると前方に煙が上がっているが見えた。
頑張って横から見てみるとキャンプファイヤーでもするような大きな薪が燃えていて、その前に布が敷かれ果物や干し肉などが山のようにおかれていた。
じゅるり、と大量の食べ物の匂いに涎が勝手に出てくる。
お供え物のような山の近くには料理も多くある。俺の目はそんな食べ物たちに固定されていたので、母さんがいつ着地したのかもわからなかった。正確にはふわりと風が頬を撫でたのだが、着地したときの重さを感じることがなかったのだ。
「エルクども、此度の呼んだわけを」
母さんの声が頭の中に直接響いてくる。テレパシーというやつだろうか?それにエルクどもっていつも俺と話しているときよりもだいぶ高圧的な話し方だなあ。
「守護獣様にどうしてもお伝えしたいことがありまして、多くのヒトが森に入ってくるやもしれません」
守護獣?それにヒトがってのはヒト族のことかややこしいな。それに森にくると何か都合が悪いのだろうか。
「いつも通り森をいたずらに壊さぬか、大樹に近づかぬのならば構わん。だが、もし大樹に近づけばいかなる理由も聞かぬ。そうお前たちで伝えておけ」
「は!確かに伝えます。…しかし今回は問答無用なのですか?」
母さんの背中に乗っているから頭でよく見えないのだが、なにやらさっきまで話していた男が息を飲む音が聞こえてきた。微妙に頭が動いたようだし、母さんが睨みつけたのかもしれない。
それにしても、てっきりライオンぐらいの大きさをイメージしていたから母さんの高さは1メートルぐらいだと思っていたのだが、どう見ても2メートルは超えている。おかげでエルクたちの顔が母さんの頭で全く見えないのだが、エルクってやっぱり美男美女ばかりなのか?
どうにかして見えないかと起き上がってみるがここからだと向こう側は見えそうにない。芸能人を直接みたいって気持ちが今ならなんと無くわかる気がする。見える位置にいるはずなのに見られないというのは、見れるチャンスがないのと違ってとても気になってしまうのだ。
全く見えないわけじゃなくて、見える範囲のエルクが全員膝をついて顔を見せないようにしているのもあるかもしれないが…
「これより年の終わりまではお前らでも、だ。近づくなよ」
母さんの声が少し低くなる。正直叱られているように感じるので、俺も背中の上でおとなしくすることにしようかな。触らぬ母に怒りなしっと、触ってるけど怒ってるかわからないが。
「…我々が神木の社のお世話をすることもでございますか?」
「大樹の根元にあるアレか?無論だ」
「そ、そんな!月に一度のほんのわずかな時間で良いのです!二人、いえ一人だけでも良いので社へお供えと付近の掃除をさせてください!」
ザザッと地面に何かが擦れる音がたくさん聞こえてくる。詰め寄ったのかその場でその場で両膝をつける土下座に変えたのかわからないが、月に一度のとても大切な行事らしい。ちょっとかわいそうな気がするので小声で「少しぐらいならいいんじゃないか?」と聞いてみる。
「………」
母さんは返事をしない。でもこのままエルクと険悪な関係になるのはちょっと…せっかくご近所さん?なのだから仲良くなって一緒に遊んだりして見たい。
犬や猫にボールを拾わせるような遊ぶというより、遊ばれるような気がする。
それでも母さんにせがむのは、自分の記憶では病院でのベット生活から今の樹上生活で、自由に動き回れることがほとんどと言っていいほどになかったからだ。せっかく動ける子供になったのだから走り回りたい。ついでに歳の近い友達が欲しい。
俺はこっちを向いてくれない母さんの首のあたりを嘴で軽くついばむ。なーなーいいだろ〜?これ以外のわがままはなるべく言わないからさぁ。
「………はぁ」
しばらく続けていると、全くしょうがない子どもだ。と聞こえるかどうかの小さな声で呟くとこちらに顔を向け首のあたりを嘴ではさんで親猫が子猫を持ち上げるような感じで俺をエルクたちの前に持ってくる。
ただ全員が土下座の体勢だったため、俺はエルクたちの顔が見えないし、エルクたちはなにが行われているのかわからない。ただ耳がピンっとアンテナのように2本伸びているのでここにいる全員がエルクなんだなって思った。
「この子に免じて一人、若い者が近づくことを許可しよう。だが少しでも変なことをしてみな、そいつだけじゃない。この場所まで被害が及ぶ、そう肝に命じておくんだね」
この子?と数人の男がこちらを見てそのまま固まる。それ以外のエルクたちはホッとしたのか息を吐きながら体から力を抜いて肩膝立ちに戻った。
「おお!ありがたい。それでこの子とはいったい…」
最後に一番前にいた見た目30代の男が両膝をつけたまま顔を上げそのまま固まってしまう。エルクの体つきは細いかと思ったけど、がっしりとした体つきに端正な顔なのでイメージとは違うが、かっこいい男には違いない。
「子供?」「守護獣様の子供?」「可愛い」「ばか!小さくてもグリフォンだぞ」「でも守護獣様は私たちを攻撃しないし…」「ダメだ!」
そんなことを考えていたら周りが騒ぎ始めた。言葉が続かなかったことを疑問に思ったのか、次々と顔を上げては硬直するか周りと小声で話している。
小さい子供や女性陣、数名の男性が可愛いだとか触りたいだとか言っているので怖がられていないことが嬉しい。どうせなので愛嬌を振りまこうと母さんに咥えられた状態で左右に揺れる。
騒ぎ始めたからか母さんは咥えていた俺を背中に戻してしまった。ただその時にチラッと見えた顔が優しく微笑んで見えたのは、エルクの面白い顔が見れたからか。それとも俺のことが褒められたからか。
薪の炎がだいぶ弱まり日が傾き出した頃、しばらく騒いでいたエルクたちがようやく静かになってきた。
その間俺たちはエルクの様子を見ていた。正確には母さんだけが楽しそうに見ていて、俺は母さんの背中から降りて(寝ていたら転げ落ちて)母さんの腕の間からどうにか出れないかと、こっそり動いては捕まって元の位置に戻される。というのを繰り返していた。
「今日は宴だ!」
「「「おおー!」」」
酒だ!肉をもっと用意しろ!他の村にも伝えろ!
騒ぎが収まった結果、祭りが始まろうとしていた。しかもここにいるエルク以外にも集まるみたいだ。
「守護獣様。それとお子様も。どうぞこちらへ」
若い女のエルクにそう言われ、大量の食べ物の近くへと連れて来られる。そこには赤い敷物が置かれていて、母さんが座り俺を咥えてまた腕の間へと持ってくる。
丼のような木のお椀と小さいお椀が置かれて、大きい方にはお酒のような匂いの液体が、小さい方には果実の汁がそれぞれ注がれる。
待ってましたと大きい方の中身を母さんが器用に持って一気に飲み干す。ごくりと母さんには小さい器の中身を飲んだ母さんは「はあ」と酒気の混ざった息をはく。
「やはり酒はうまい。さあお前もお飲み、そのあとは好きに食べなさい」
そう言って母さんが小さい器を俺の前に動かす。中身はいつも食べている果実のようだったが、こちらの方が甘く感じる。飲み終わった俺は早速と並べられた料理に突撃して行った。