エルフの少女
朝、シェイン・リース・フェンリーフは、柔らかいベッドの上で、窓から入ってくる眩しい日光を浴びて目を覚ました。
シェイン・リース・フェンリーフは、エルフの少女だ。少女と言ってもエルフは人間よりも遥かに歳をとるのが遅いので、シェインの年齢は100をこえているのだが、エルフにとってはまだまだ少女である。エルフは通常、森の中で集団で暮らす。エルフは多少人間より強いとはいえ、森の中では更に強大な魔物が出現する。苛烈な生存競争に生き残るため、エルフは協力し、魔物の脅威から身を守っていた。そのためエルフは仲間意識が強く、また他種族とはあまり交流を持とうとはしなかった。稀に人間などの他種族と暮らす者もいるが。シェインもまた、多くのエルフと共にここブルアイム山脈の麓にひろがるグライル大樹海にあるエルフの里リュ・フルールにて暮らしている。
シェインはゆっくり身を起こし大きく伸びをしてからベッドから下りる。ここはシェインの家の二階にあるシェインの自室である。シェインの父親はエルフの長老の1人なので、その権力により、普通のエルフの部屋より広い。眠気がつきまとう中、服を着替え、寝癖を直す。そして部屋を出て階下に行く。そこでは母親が朝食の準備をしていた。父親はまだ寝ているのだろう、その姿はなかった。
「おはよう…。」と眠たげに母に挨拶をし、リビングの椅子にこしかける。
「あなた今日は狩りに行くのでしょ?そんな眠たげでどうするの。」と母に軽く注意される。
エルフの食事は人間と変わらない。肉も食べるし、野菜も食べる。そのため、定期的に4、5人で狩りに出かける。狩りや、木の実の採集など、森という危険な場所へ行くのは若者の仕事だった。とはいえ……、
「そんな里から遠い所まで行くわけじゃないんだから、大丈夫だって。危険な魔物って言ったってせいぜいブルホーンぐらいなんだから。」ブルホーンとは猪のような魔物である。ブルホーンは、確かに不用意に近づけば危険だが、弓を使った狩りを行うエルフにとっては的も同然であった。
「あら、シックルベアが出るかもしれないじゃない。」
「シックルベアは縄張りにさえ入らなければ大丈夫だって。」と毎回狩りに行く日の朝になると繰り返すやりとりにうんざりする。シックルベアは腕が鎌のような熊である。毛皮が硬く、矢が刺さらないので危険な魔物ではあるが、縄張りに入らなければ襲ってきたりはしない。
「ほんと、女の子に狩りのような危険な仕事をやらせるのは間違ってると思うわ……。」と母はシェインの前にパンの乗った皿とサラダを置きながら呟く。
「私は狩りが好きなんだけどなぁ〜。」といいながら、パンを齧る。シェインは若者の中で最も弓を使うのが得意であった。だが、この特技は狩りでもない限り使えない。なのでシェインは個人的には狩りが大好きであった。
朝食を済ませるとシェインは自室に戻り、肩掛けバッグにナイフとロープを入れて、矢筒と共に担ぎ、また1階に降りる。
「それじゃ、行ってくるね!」母の用意してくれたパンと水筒、燻製肉バッグにしまい、玄関に立て掛けてあった弓をとり、母の「行ってらっしゃい、気をつけてね。」という言葉を背で受け家をでる。
今日共に狩りに行く仲間との待ち合わせ場所である里の出口まで行くと、共に狩りに行く予定の幼馴染のテオ・クレイスとエイナ・フロウがいた。
「テオ、エイナ、おはよう!」と二人に声をかける。
「よお、シェイン。」「あら、シェイン、おはよう。」と二人から返事が聞こえてくる。
「どうしたの?今日はやけに早いね。」とシェインは疑問を口にする。テオはいつもは集合に遅刻していた。
「そうだ、聞いてくれよシェイン!このやろう、さっきいきなり俺の部屋に入ってきて寝ている俺をここまで引きずってきやがったんだ!」「いつも寝坊してくるあなたのためを思い連れて来てあげたのよ?感謝こそされてもこいつ呼ばわりされるとは心外だわ。」と口論に入る二人。
「ま、まあまあ。エイナもテオのためを思ってやったんだし、許してあげてよ。」と止めに入るシェイン。昔からテオとエイナが口喧嘩して、それを止めにシェインが入るという一見それほど仲の良さそうには見えない関係だが、これでも一世紀近く繰り返しているやり取りである。悪ふざけの域だ。
「むぅ…まぁシェインがそう言うなら…。お、キルファも来たみたいだな。」と口論は止んだ。どうせまたすぐに口喧嘩をはじめるだろうが。
シェインとエイナはテオの視線を追うと、こちらに目つきの鋭い青年エルフが歩いてくるのが見えた。キルファ・フォン・エルヘイム。シェインと同じく父親が長老の1人で、シェインの次に弓の扱いに長けている。そのことを本人は気にしているらしく何かあるとすぐシェインと張り合おうとする。
まあ、シェインが得意なのは弓だけで、他はそれほどでもないのだが。
「よし、全員揃ったしそろそろ行くか。」と今日のリーダーを任されているテオが出発を告げる。
里には神官達が結界を張ってあるので魔物が入ってくることはないが、1歩外に出るとそこは弱肉強食の世界である。一瞬の油断が生死を分けることもあるので、気を張り詰める。
1時間ほど行くと、グライルセールの群れを見つけた。
グライルセールは鹿のような魔物だ。大人しい魔物で肉が柔らかく、美味いため、是非とも狩っておきたい魔物だ。
「二手に別れよう。俺とエイナは向こうからあいつらに気づかれるように動く。逃げた所をキルファとシェインが仕留めてくれ。」と、言ってテオとエイナが移動を始める。
「おい、シェイン。どちらが多く獲物を仕留めるか勝負しないか?」とキルファが声を掛けてきた。
キルファが勝負を挑んで来るのはいつもの事なので、頷いて受けることを示す。
シェインとキルファは弓に矢をつがえ、引き絞り全神経を集中させる。
そして、テオとエイナに気づいたグライルセール達がこちらに向かって走りだした瞬間に次々と矢を放つ。
シェインの放った矢は真っ直ぐグライルセールの額に突き刺さり絶命させていく。しかしキルファの放った矢のうちの1本はグライルセールの角に当たり、仕留めることが出来なかった。待ち伏せされていた事に気づいたグライルセール達は向きを変えあっという間に逃げ去った。
「私の勝ち〜♪」とシェインは鼻歌交じりに勝利を喜ぶ。キルファは大きく舌打ちした。
テオとエイナが戻って来ると、仕留めた獲物を担ぎ、リュ・フルールに戻ることにする。シェインが仕留めたのは3匹。キルファが仕留めたのは2匹だった。1番大柄なテオが両肩に一匹ずつ担ぎ、残りは1人一匹ずつ担いで帰っていった。
行きよりも荷物が増えたので帰るのに時間がかかり途中で昼食を挟んだりしながら、里に戻った。里の貯蔵庫に仕留めた獲物を渡すと、今日の仕事は完了だ。
仕事を終え、テオとエイナ、シェインは大きくのびをする。キルファはすぐにどこかへいってしまった。
「ハァー、やっぱシェインがいると狩りが成功するな。」
「ほんとにねー。酷いときは一匹も取れなかったりするけど、シェインはいつも確実に仕留めるからね〜。ほんと才能って羨ましい…。」二人ともいつも喧嘩ばかりしているのにシェインを褒める時だけいつも意見がぴったりあっている。幼馴染であり、親友の二人に褒められるのは恥ずかしいが、うれしい。
「じゃ、俺はとっとと帰って昼寝でもするかね。」とテオは帰っていった。
「ねぇエイナ、早めに狩りが終わったし一緒に泉で水浴びしない?」とシェインはエイナを里の近くの泉に誘う。
「ごめん、今日ちょっと家の手伝いしなきゃ行けないからパス。
また今度一緒に行こ?」と断られてしまった。
「ううん、気にしないで。もうすぐ鎮魂祭だから仕方ないよ。」エイナの家はリュ・フルールで最も人気のレストランである。毎年この時期になると、鎮魂祭が行われる。死んだ仲間の魂が無事に浄土に行けるように祈る祭である。その時の料理を調理するのは毎年エイナの家だった。そのため、鎮魂祭が近くなると料理の材料の下ごしらえなどをエイナは手伝っていた。
ちなみにエイナの料理の腕は一流で、既に彼女の親と同レベルにまで上り詰めていた。
シェインはエイナと別れ、一人で里の外れにある泉に向かった。泉がある場所は里から少し飛び出た場所にある。この泉は、人間で言うところの銭湯とプールを合わせたようなものだ。もちろん、男性は立ち入りを認められていない。もし立ち入ると、地獄を見ることになる。実は男性エルフの中では肝試しで、どれだけこの泉に近づけるかを競ったりしているのだが、それを知る女性エルフはいない。あくまで自然物なので冬には入るのが辛くなるのだが、今は夏だ。水は程よく冷えており、気持ちがいい。
シェインは泉に着くと服を脱ぎ、岸の岩の上に置いて、勢いよく水の中に飛び込んだ。いつもなら他にも数人のエルフがいるのだが、今は平日の昼間、鎮魂祭が近く里全体が準備に追われているので、シェインしかいなかった。仲間を大切にするエルフはその弔いも大事にする。それゆえに怠けるものはほぼいなかった。テオも今日の夜は、戦士長である父を手伝い、里のまわりの巡回に行くと言っていた。里のまわりの巡回は寝ずの番になるので狩りが終わるとすぐに昼寝をしに行ったのだ。
里のまわりには神官達が結界を張っているが、大人数で結界が攻撃された場合は破壊される可能性があった。ここ近隣に住む魔物には、群でこの里に攻撃を仕掛けるような者はいない。しかし、ここから森の東方に行くと、力の強いトロール達が支配する集落がある。彼らはゴブリンやオーガなどを支配しており、凶暴でエルフを喰うこともあった。彼らは幾度となくエルフ達と森の支配権を競いあっていた。そのトロール達がこの里を襲いに来る可能性があったので、戦士達は常に里のまわりを巡回しているのだ。
シェインは泉に一度潜り全身に冷たい水を感じる。狩りで流した汗が流れるのはとても気持ちがいい。10分ほど潜ったり浮上したりを繰り返してそろそろあがろうと思った時だった。
「あのー、すいませ……ッ!?」不意に後から声をかけられた。低い男の声だった。男性禁制のこの泉にいるとはどういうことなのかと思い、声をかけられた方を睨む。するとそこには……
化物がいた。




