4話 (1/3)
自転車を漕ぎながら感じる九月の地味な風は僕の身体を前へ前へと運んでいく。一週間ちょっとぶりの学校に向かう僕は夏休み初日に感じていた緊張感に包まれている。その緊張感を右側通行をしている自転車通勤のサラリーマンというフィルターを通して怒りに変化させていく。
今日はいつもより二十分早く家を出た。理由は、母におはようと言いに行くため。
いつもは曲がるはずの交差点をまっすぐ進むと、神聖な空気が漂う霊園の前で自転車を止めた。
「渡邊さん。おはようございます」
僕が来るのをわかっていたのか、住職は立派な門をくぐったすぐ先で竹箒片手に掃除をしていた。渡邊「くん」でいいのになぁ。そう思いながら挨拶を返す。
「おはようございます」
名前なんだっけ。たか、たか、、高野?高見?
挨拶に後付けしようと思った名前を忘れてしまったが、別に必要でもなさそうなので気にしないことにする。
「今日からまた学校ですか?」
「そうなんです」
この前泣き顔を見られてしまった相手と普通に会話できてることが不思議でたまらない。これも住職が持つ何かのテクニックなのだろか。制服という名の拘束着を着た僕を住職は下から上へと舐め回すように見る。
「制服よく似合っていますよ」
「そうですかね」
自分の制服姿をよく見たことがないので同意はできない。それに、自分の中では制服を着ている時点で不本意なのだ。本当であれば私服登校が許される高校に進学するつもりだったのだが、学力が伴っていなかったために断念してしまった。本当に不本意だ。まぁ中学校生活の三分の二を読書に充ててしまった自分が悪いのだが。
魂の抜けた返答に苦笑いの住職は、箒を器用に使い掃除を再開した。
「お母さんにも見せてあげてください」
「じゃあ、失礼します」
また魂の抜けた返答とお辞儀をした僕は、ゆっくり足を動かして母の前に立つ。
ここに来た意味はこれと言ってない。ただここに来れば安心できるような気がした。
「お母さん、おはよう」
多分母はここで「お! おはよー!」と言う。そんでもって「学校今日からでしょ?時間だいじょぶなの?」と多分、いや絶対言う。
「大丈夫。今度は遅刻しないよ」
そしたら今度は・・・・なんて言うのだろう。母との架空会話はこれにて終了した。ポジティブな会話の進め方とネガティブな会話の進め方の二通りがあったのだが、どちらも何かが足りなかった。
ただ、二つの会話に共通していた‘‘それ‘‘には根拠のない確信があった。
「行ってきます」
自然と右手で何かの合図をした僕は、徐々に母との距離を大きくしていく。住職の姿はなかったため、僕は門までノンブレーキで進む。
門をくぐったところで僕は足を止めて、まぶし過ぎるそいつを睨みつける。
あいつはいつも地球を照らしていてくれている。しかし、それ相応の見返りは受けていないように感じる。それどころか、暑い暑いと存在を否定されることのほうが多いのではないか。
そして、それが嫌になって雲に頼んで地球を冷やそうとすると「何やってんだよ」と怒られ、今度は優しさを否定される。実に理不尽だ。この夏もそうだったのではないか。
かわいそうな彼に僕は同情する。
「疲れるよな。ごめんな。ほんとに嫌になったら地球焼いちゃっていいよ。
あ、でも僕と僕の大切な人は残してくれると嬉しいな」
無意識に出たその言葉は、彼に届いただろうか。届いていたら反応してくれるとありがたい。
彼から目を逸らし自転車に乗ろうとしたその時、ものすごい光が僕を照らした。
大切な目を守りながら光の線を辿ると、そこにあったものは母の墓石だった。光源から放たれた光を墓石がうまい具合に反射させ僕の身体を照らしていた。
光の中にある温かさは優しく、先程まで僕を至極蝕んでいた緊張とやらを簡単に取り除き、エネルギーに変えて再び僕の中に投入した。まるで光合成のようだ。
「彼じゃないね。彼女か。いやそれも違うかな」
表情を豊かにした僕は何もなかったかのように自転車を動かす。早く遅く気持ちよく。
どうやら母はまだまだ僕のそばにいてくれるようだ。
***
「ひだーり、みーぎ。よしオーケー」
このペースで行けば僕は僕らしく登校時刻十分前に学校に着き、五分前には席に着くことができるだろう。本だってページを逆算してバックに入れてきた。最高じゃないか。
アベレージテンションをはるかに上回っている僕は長い髪を靡かせてどんどん前へ進んでいく。
「あ~~~~!」
テンポの良いペダル兄弟は五十音順先頭の文字によって喧嘩を始める。声の発生源は自転車にまたがり、目元に絆創膏をつけた元石像少女の久世春だった。
「渡邊君おはよー」
「どうも」
声の調子をいつもの雰囲気に戻そうとして変になる。こっちはこっちでいつの間にかなれなれしい呼び方になっている。
「気持ち良さそーに漕いでたね」
「え?」
「ひだ~り、み~ぎ、よしオッケー! だっけ?」
一瞬にして体温が上昇した僕は急いで彼女から目線を逸らす。なぜ僕は公衆の面前であんなことをしてしまったのだろう。数分前の僕の残像を睨む。
「そんなに抑揚はつけてませんでしたけど。」
「そう? でも、可愛かったよ。」
また数度体温の上昇を確認した僕だったが、女子高生の「可愛い~」ほど信じられないものはないことを思い出し元に戻る。
多分女子高生の間で「可愛い~」は最も使用頻度の高く、人気の高い言葉といっても過言ではない気がする。しかし、彼女らはそれと同時に「可愛い~。」の価値をどんどん低下させていることを認識していない。実に愚かだ。
「では。遅刻できないので」
「待った待った」
彼女は自転車の前輪で僕の行く手を阻む。こんなことをしているうちに僕の計画はみるみると崩壊していく。
仕方なくペダルから左足を下ろした僕は表情で話を聞く意思表示をする。
「ご飯ってどうしてるの? お母さんが作っていたんでしょ?」
彼女の鋭い質問は様々な形に変形し、僕の口を動かそうとしてくる。
「はぁー」
答えることを拒んでいるほうが時間がかかることを悟った僕は、仕方なく顎を動かす。
「この一週間はだいたい父が買って来たスーパーのお惣菜でした。ご飯とみそ汁ぐらいは作れたのでお惣菜と一緒にそれを。今週からは僕がどうにかすることになりました」
先日父との話し合いの末に食事の用意は一週間ごとの当番制になったのだが、父が帰宅するのはだいたい七時半前後。社会からのストレスに見舞われ、枯葉のようなオーラを放って帰ってくる父にこれ以上の疲労を与えてはいけないと思った僕は、食事の用意を全般的に受け持つことにした。
「料理できるんだ。すごいね。
自分で作ったものをお味はどうですか?」
「食べることができればそれで」
「でも、久しぶりにおいしいもの食べたくならない?」
「食べられるに越したことはないかと」
途端に彼女は笑顔になって、僕に自転車ごと近づいて僕の視点の斜め下に顔を置いた。
「じゃあ、五時にあそこのスーパーに来てくれませんか?」
彼女は現在地から百メートルほど離れたスーパーを指さす。彼女の目論見はスケスケだ。
「お礼ならこの前ので十分です。それに親御さんも迷惑すると思います」
「親ならだいじょぶ。私ん事なんか眼中にないから。そんなことより何食べたい?」
さらっと哀しいことを言いのけた彼女は笑っていたが、それは笑顔ではない別の何かだった。この世の言葉では表せない何か。気を遣ってくれたのだろうか......しょうがない。
「じゃあ、オムライスで」
「お! いいね。じゃあ約束ね。」
彼女はまた笑って見せる。しかし、今度は笑顔のように見える。
「でも、親御さんにはしっかり許可をもらってきてください。ダメならキャンセルのメールしてもらえればいいですから」
彼女は一瞬だけ顔を曇らせた後、また笑った。
「わかりました。
ところで今何時?」
最近はスマートフォンに頼って腕時計をしない人が多い。
僕は左手にした群青色の腕時計を見て絶句する。そして、腕をねじらせ彼女にも悪夢を共有させる。
「ごめん」
「いえ、平気です」
心にもないことを言う。とっておきの計画が台無しだ。
「じゃあそうゆうことでお願いします。バイバイ」
自転車を急発進させ、どんどん離れて行く彼女の背中に不安を抱いた僕は、大きく空気を吸いそれを使って音を出す。
「死なないでくださいねーーー!」
おそらく彼女は笑っているだろう。
彼女が下り坂で見えなくなったのと同時に僕は自転車を漕ぎ始める。もちろん左側通行で。
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これからも僕なりに頑張りますのでよろしくお願いします。では、明日も頑張りましょう。(^▽^)/