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どうせ死んでしまうなら  作者: 冬次 春
6/21

3話 (2/4)

 平日お昼頃の電車の体内は人間とは違って空っぽで、僕の心の中とも正反対だった。母以外の「女性」という生物と二人きりになったことは記憶の限りでは一度もなかったような。当然、緊張しないわけがない。

 それに、石像だったはずの彼女はいつの間にか軟体動物のようにふにゃふにゃになり僕の肩に18年の記憶を詰めた重い頭をのせている。

 右肩に異常なほどに力を入れ、両手はそれぞれ膝の上。顔は動かさずに彼女を見るとあけっぴろげな顔を輝かせている。

 いっそのこと僕も寝てしまおうかと考えるも、怜悧な僕は寝たふりをした。

 

 

 

 

***




「……ありがとう」


 彼女は、瞬きを三回ほど連続的にしてからそう言った。当然だろう。僕が彼女の立場であれば自分の中のブラックリストに入れることにするだろう。

 しかし、彼女は僕の涙を不思議そうに見た後、全身にあるポケットを荒く探り始めた。優しさから生まれたその時間を使って僕は普段通りの顔下半分を作り上げた。こうゆう時に長い前髪が役だったりするのだ。


 「すいません。先日亡くなった母と同じ名前だったので。では」


 別にもう話すこともない。だから僕はゆっくりと彼女に背を向けた。


 「ちょっと待って」


 なんだかんだ言って期待していた言葉が僕の足を掴み、彼女の手が僕の手を掴んだ。僕の手を掴んだ華奢なてからは彼女の透徹さが感じられる。

 

 「自己紹介がお礼にはならないと思うんです。だからよかったら私なりのお礼をさせてまらえませんか?」

 

 「……例えばどんな?」


 「今晩のご飯をご馳走します」


 一部始終を見ていたらしい父に目線のカーソルを合わせると、父はすべてを知っているかのようにゆっくり頷いた。


 「じゃあ、お言葉にあまえさせてもらいます」


 そんなこんなで三つ駅が離れたところにあるデパートに向かうことになった。なったというか、なってしまったというべきだろうか。僕はその辺の飲食店でよいといったのだが、彼女はせっかくだからと言って僕の財布から電車賃を半強制的に出させた。「お礼」というものの定義がむちゃくちゃになってきた気がした。

 そして今僕は電車の中で石像少年と化している。母の墓参りをせずにこんなことをしていて大丈夫だろうか。結局葬式にも行けず事故のあった日から顔を見ていない。今日に帰りにでも顔を見せに行こうか。

 誰にも共感のしようのないことを考えていると彼女は夢から帰還した。


 うわっと言て立ち上がった彼女は反射的に吊革に掴まり、顔を赤らめた。寝たふり状態を維持するつもりが、失敗した。今彼女と目が合っていることが証拠である。

 

 「気にしないで大丈夫ですから。座ったらどうですか」


 彼女は僕と一個席をあけ腰を下ろした。僕が沈黙のスタートに覚悟したとき、彼女は空気に音を一つ置いた。


 「お母さんのこと聞いていい?」


 急なため口とプライバシー関連の質問のダブルパンチをまともに受けてしまった僕はあっけにとられてしまった。しかし、敬語からため口に変えるタイミングは絶妙で僕は母のことを話すことにした。


 「先日死にました。交通事故で」


 絶妙な倒置法と予想以上に端的な僕の回答に彼女は首を傾げ、また一つ質問を投げかけてきた。


 「どんな人だったの?」


 「優しい人です。とてつもなく」


 「そっか。じゃあ君のやさしさはお母さん譲りだね」


 「50%ぐらいはそうですかね。あとの50%を譲ってもらう前に死んじゃいましたから」


 「でも、残りの50%はお父さんにもらうものなんじゃない?」


 「じゃあそうゆうことで」


 僕のネガティブな思想をことごとく彼女はポジティブに変換してきた。たぶん彼女のAIを作って携帯電話に搭載させたら、多くの人の心が浄化されるのだろう。一部の人は気を悪くするかもしれない。

 

 「久世さんのお母さんはどんな感じなんですか?」


 クイックターンで彼女の話題に路線変更した。僕の話よりはもりあがるのでなかろうか。


 「優しい人だよ。なんでもできちゃう感じ。多分君のお母さんに似てるかもしれないね色々と。

  ちなみにお父さんは食品関係の会社の社長でなんか変人って感じ」


 訊いてもいないことをしゃべられたが、僕に劣等感でも感じさせたいのだろうか。そんな人には見えないが、とにかく結構な人物を助けたものだ。

 

 「でも、私こんなだから」


 少なくとも母親との関係は良好のようだったが、家族単位での雰囲気はわからなかった。そもそもなぜ社長の娘がアルバイトをする必要があるのか。気になることはいくつかあったが、これ以上深いことを訊くのは気が進まなかった。


 「僕なんかよりずっと良い高校に行ってて、世間的に見れば成功してると思いますよ」


 「そう? 嬉しいな。君は成功してないの?」


 「してないといったほうが近いですね」


 「いやーハードルが高いね。自分でハードル上げすぎちゃうと潜ることしかできなくなっちゃうよ?」


 尤もだ。現に高校に入ってからというもの自分を追い込んでしまっているのは自覚していた。わかってはいたものの、人に言われてしまうと心が痛む。

 そしてまた彼女が何かを言おうと空気を吸った瞬間に目的地の到着を知らせるアナウンスが流れた。何を言いたかったのかが気にはなったが、やめた。


 「じゃあ行きましょうか」


 僕は目で返事をすると、彼女の後で電車を降りた。たどり着いた駅は地元の駅とは違い最先端なものが集まっていて僕の目を光らせた。夕食会場のデパートはその駅と絵と鼻の先だったため僕

たちはほかの店で時間をつぶすことになった。


 「どこか行きたい店とかある?」


 「わかりません」


 人混みが大の苦手な僕はもちろんデパートという場所には好んでくることはない。そのためデパート内にある店舗やその場所などについては全くの無知だった。


 「じゃあこれ」


 彼女は小さな手でいつ手に入れたのかわからない大きなパンフレットを広げて、僕のほうへ腕を寄せた。こんなに必要なのかと思うくらいの店舗がある中で僕の目に留まったのは、二階にある文具屋兼本屋だった。


 「ここはどうですか?」


 彼女は手でオーケーサインを作ると歩き出す。少し歩くのが早いような気がした。僕はもうちょっと遅く歩きたい派閥なんですが。

 それにしてもデパートの中はにぎわっていて、いかにも元気そうで現代風な人間が大半を占めている。だいたいのそうゆうやつは横一列になって歩くから迷惑だ。


 「着きました」


 彼女が足を止めた先にはとても静か安心する世界が広がっている。その世界には鳥の囀りや水流の音が混ざった森を連想させる音楽がかかっていて、僕にとっては理想的な場所だった。


 「ここからは別行動でいいですか?」


 「はい。じゃあ6時にここで。どうぞごゆっくり」


 いつになく興奮していた僕は、彼女と別れると文芸書の国に走る勢いで歩いた。ここの本屋は本の種類をコーナーと言う形ではなく、国と言うなんともメルヘンチックな形で分けられていた。新作からベストセラーまでがそろった本棚はまさに100点。いつかこんな本棚を家に作りたいものだ。

 そのあとも文芸書に限らず漫画や雑誌の国を旅し、いくつかのお土産も手に入れた。それでも待ち合わせ時刻までだいぶ時間があったので、僕は文具の国へ旅することにした。だいぶ歩き回ったのだがどの国にも彼女の姿は見られなかった。

 文具コーナーには女性定員が作ったと思われる色鮮やかなポップが飾られてあり、僕の購買意欲を刺激した。しかし、よく考えればなくてもよいものばかりだったため手に取ることはない。

 旅の行き先に困っていた僕はある文字に目を引かれ立ち止まった。



   助けて



 それはペンの試し書きの紙に書かれていた。あまりにも繊細できれいな字は僕に書き主の心情を正確に伝えた。

 気味が悪いと思ったのだが、助けてほしいのは自分も同じだったので共感した。助けを呼ぶということは現代社会では恥ずかしいと思われがちという持論を持っている僕はその文字に寄り添うように文字を書き残した。


 

  助けたい


 

 緑色のペンで書いたその文字が「助けて」の書き主に届くことを祈った。

 待ち合わせ時刻とは10分早かったのだが、十分な収穫があったしお腹の中で飼っている鳥も鳴き出したから、彼女を探すことにした。

 そして、彼女がいそうな女性誌の国に行こうと第一歩を踏み出すと僕の右肩は急に重くなった。


 「見つけた」


 電流が走ったように驚いた僕をわははと笑った彼女は「よし!」と言って気合を入れなおした。


 「お腹すいちゃったんで、早いけどご飯行きませんか? てゆうか行きましょう。」


 初めての意見の一致は僕だけがわかるものだった。見たところ彼女は買い物はしていないので、本はあまり好きではないのだろうという勝手な想像はさておき、僕は彼女の提案に同意した。


 エレベーターで一階に下がった僕らは、ほぼ彼女の独断でイタリアンレストランに入ることになった。ご馳走してもらえるだけでありがたかったため、それでよかった。

 店に入るとウェイトレスが向かい合い席に僕らを導き、水の入った二つのコップをテーブルに置いた。

 

 「遠慮はしなくて大丈夫だよ」


 「じゃあ」


 僕は、本当に遠慮することなくお高めのパスタを注文した。彼女はというとウェイトレスがメモできない速さで、たくさんの横文字を羅列させていた。さすが、お金持ちだ。


 「本好きなんだね」


 唐突に投げられたボールを慌ててキャッチして、彼女に投げ返した。


 「はい。特に小説が好きです」


 両手で頬杖をついた彼女は話を始める。


 「私本苦手なんだよな。買うときのモチベーションは誰にも負けないと思うんだけど、いざ読むとなると気が進まないんだよね」


 本はとてもいいものだ。僕の人生が本によって豊かになっていると言っても過言ではない。だから、少しばかり本に恩返しすることにした。


 「オチを最初に読んでみたらどうですか? そしたら自然とそれまでの経緯が知りたくなるかと思いま

す」


 「あぁ~。なるほど。

  じゃあ、実践してみようかな」


 こうゆう時に本を読んできてよかったと思える。


 「話変わっちゃうんだけど、絵って好き?」


 変わりすぎだ。しかし答えるほかない。


 「一応、選択科目は美術なので少しは関心があります」


 「そう! よかった。じゃあこの話できるね」


 「なんですか?」


 「私美術部に入ってるの。それで卒業前に文化祭で展示会するんだけどよかったら見に来てくれない?結構自信作がそろってるの。損はさせないよ!」


 ほんとに彼女は話が早い。これでは速度違反だ。関心があると言ってもピカソの思想とかは全く理解できないし、これと言って興味もない。だがこれもなにかの縁、礼の礼ということでい行ってあげなくもない。

 それに、こんなことがなければ志賀高に足を踏み入れる機会はないだろう。

しかし、なぜ僕はこんなにも彼女に対して優しくなるのだろうか?


 「じゃあ、行きます」


 「ほんと? 嬉しい。うち文化祭とかに親が来てくれたりすることがめったにないから、いつもよりがんばれそう」


 彼女は長袖をまくって気合の入りようを表現した。悲しさのスパイスが入った話に僕が困っていることも知らずに。

 顔を出した彼女の腕はと手も白く細い。しかし、左手には少しグロテスクな痣があった。肌が白いからよく目立っている。

 指摘しようとしたが、僕にはデリカシーというものがちゃんと備わっているため彼女を傷つけずに済んだ。

 話が途切れたすきに頼んだものが運ばれてくる。両手を起用に使って運ぶウェイトレスがかっこよかった。

  

 食事中の会話は一切なく、とても静な時間だった。隣のカップルが引くぐらいに、真空なんじゃないかと思うぐらいに。

 気づけば帰りの電車の中で、帰宅ラッシュに巻き込まれていた。駅に着くまでの会話は、「おいしかったね」「はい。ごちそうさまでした。」それだけだ。

 彼女が吊革につかまれるぐらいの背の高さであることに気づくこと以外はぼーっとしていて、ただ電車に揺られていた。


 「今日はありがとうございました。おいしかったです」


 「いえいえ。お礼をするのはこちらです。ありがとう」


 彼女は母親が迎えに来ていたので、送らなくても大丈夫だ。親切に家まで送ろうと言ってくださったのだが、僕はこの後母と会うのでと断った。


 「じゃあ、文化祭楽しみにしてるから。あと、良かったらまたご飯でも」


 またもや半強制的に僕に約束させた事を後悔しなければいいが。

彼女の母には聞こえないような小さな声で僕にそう言い残すと、車に乗ってしまった。そして、車のライトが見えなくなった時僕は思ったのだ。


 ちょっと似てたな。



 



 


 


 

 

 



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