2話 (2/2)
意識が戻ると僕は病院のベットにいた。なぜ病院だとわかったかというと、母の事故の時にお世話になった看護婦の多田さんがベットの横で待っていたから。
しかし、多田さんはお疲れのようだったので、僕はまだ寝ておくことにした。天井の模様の中に人の顔を探したりしながら物思いに更けた。こんな小説のような形で病院に来るとは思ってはいなかったので、少し興奮なんかもしていた。
少しすると多田さんが自ら落としたバインダーの音で目覚めた。
「起きましたか?」
僕がそういうと多田さんは恥ずかしそうに顔を隠して、バインダーを拾った。
「ごめんなさい。そのセリフは私が言うべきよね」
僕は首を横に振り、今できる最高の笑顔を見せた。すると多田さんは僕に体の状態についての質問をした後、僕に一枚の紙切れを渡してくれた。
「そうだ。これね、一緒に救急車に乗って来た女の子から預かったの。ものすごい心配してたのよ。お知り合い?」
「いえ。多分事件があったコンビニで働いてた子だと思います」
紙切れには目覚めたら感謝の気持ちを伝えたいと電話番号が書かれていて、名前は書かれていなかった。できれば最後まで小説のように起きた時にベットの横にいてくれたらと思ったりしたのだが、もう夜も遅いし彼女は彼女で大変だったのだろう。
それにしても、この一週間はある意味密度の濃いものだった。自分でも大切なものを失った二日後に、あんな勇気ある行動をしたことに驚いた。
「あ、お母さん」
事件がなければ今頃僕は、母のもとにいた。それに父にも迷惑をかけてしまっているはず。壁掛け時計では、時刻は午後八時過ぎ。今からでは間に合わないだろう。
「お父さんは、今頃ここに向かっていると思うわ。泣きながら電話してきたんだから。お母さんのお葬
式を抜け出してこっちに向かおうとしてたんだけどそれはさすがにと思って、命に別状はないですか
ら夏樹君のためにも奥さんのもとにいてあげてくださいって言っちゃったんだけど……よかった?」
「はい。大丈夫です」
自分のために父が動いてくれたこと、泣いてくれたこと、母のそばにいてくれたことは純粋に喜ばしいことだった。僕が、嬉しさのため息をすると、多田さんは「大変だったね」というかのように眉毛をハの字にさせた。
ここまでの僕の人生はとても良いものだったかというと、そうではないかもしれない。しかし、悪いものでもなかった事を確信した。死ぬ間際に考えそうなことを十六歳で考えてしまっていることに悲しみを感じながらも、そう思えるような人生をここまで送れた自分を自分に誇った。そして、これからの自分に希望を感じた。
すると、冷静な表情に汗を浮かべた父が歩いてきた。
「……心配したんだぞ。お前がいなくなったら一軒家が広く感じるだろう」
本当に父は素直じゃない。しかし、それが僕は大好きだ。
父は僕の無事を確認すると、自分のカバンから何やら輝くものを取り出し僕に首にかけた。それは、母がいつも身につけていたネックレスだった。
「母さんのだ」
父はそう言って、みたことないくらい不器用な笑顔を見せた。
ネックレスは父が握りしめていたせいか温かく、それがなんとなく母を連想させた。
両親が常に僕を見守っていてくれた感謝と、母を守れなかった悲しさを僕は必死に笑顔で誤魔化す。
そして、魂が抜けてしまうような呼吸をぐっと我慢してベットに自分の体を投げ捨てた。
僕の頭を撫でた父は、多田さんに僕の容体を知らされていた。
その時の父の目はとても綺麗で、母が惚れた理由の一つなのではないかと感じた。体全体にだるさを感じながらも僕はベットから立ち上がり、父の前に立った。まるでご老人のような様子で。
「お父さん」
父は僕の身体を大きい両手で支えてから、「どうした?」と僕の視線の高さまで顔を下げる。僕は母に似て身長が低い。確か百六十八センチだ。
父のやっぱり綺麗な目に吸い込まれそうになりそうになった僕は、その吸引力をうまく利用して父を思いっきり包んだ。
父は少々驚いた後に、僕を包み込んでくれた。
「まだまだ子供だ」
その状態のまま少し経った時、微かに涙の音が聞こえてきた。僕はさらに父を包み込めるようにもっともっと手を伸ばした。すると、父は応えるように僕をより一層包み込んだ。
父に埋まった僕の顔を助けようと首を九十度左に回すと、そこには顔に滝を二本作った多田さんが立っていた。