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どうせ死んでしまうなら  作者: 冬次 春
2/21

1話 (2/2)

 車の中にラジオが流れ始めると、同時に家を出た。母の車に乗るのはとても久しぶりだ。しかし、母の横顔は、相変わらず素敵である。


「あら、午後から雨だって。傘持ってる?」


 バックの中を掻き回すと、卒業記念に自治会からもらった黒い傘が入っていた。


「あったよ。これ」


 母とのやり取りはこれだけ。車は本当に早いもので、十分で校門の前に着いてしまった。

学校にたどり着くまでに何人か同じ制服の生徒を追い越したので、とりあえずは安心した。だが時間的には危なかったので、急ぐことにした。


「サンキュー。じゃあ行ってきま~す」


 母に背負向けながらそう言って、学校に走って入っていった。母は何も言わず、ただ僕の姿が見えなくなるまで、車を停めていた。

 教室に入ったのは八時三十五分、一歩間違えれば遅刻であっただろう。帰ったら改めて母にお礼を言わなくては。

 教室は四、五個のグループができていて、それぞれ夏休みの思い出話らしきことで盛り上がっていた。肥塚のグループは奇声なんかも交えていて、まるでゴジラの集団のようだった。これが僕の苦手な世界。


 誰にも気づかれずに席に着いた僕は、イヤホンから音楽をながして自分の空間を作り、見えない壁を建築した。バックの中から取り出した本は、朝のホームルームの時間でちょうど読み終わるように昨日の夜にページ数を計算してあったのだが、いつもより五分登校が遅いため計画が台無しだ。


<しょうがない、この本は明日にとっておこう。>


 そう思って本をバックに戻し、八時五十分までの十五分間僕は机の上で伏せていた。字の通り無になれるこの時間は何気にお気に入りである。

 少しすると机に震動が伝わってきたので、イヤホンを取って日直の号令で礼をした。担任の早田先生がお得意のギャグを交えてする話は僕を除いた生徒を笑顔にさせた。

 

 何気なく腕時計を見た先生は、自分が五分も面白い話で時間を無駄にしていたことに気づき、慌てて生徒に指示を出す。


「もうこんな時間だ。一時間目は体育館で集会だ。あと五分しかないから急いで」


 何とも自分勝手な先生だ。あきれながらも時間に遅れてはいけないので、僕は一番早く教室から出て体育館へと急いだ。廊下はほかのクラスの生徒で埋め尽くされていてなかなか前に進まない。挙句の果てに体育館に着いたのは九時三分。名前の憶えていない体育科担当の先生が前に立ってどなり散らしていた。


「初日から時間を守れないとはどうゆうことだ。これからの学校生活が心配だ」


あの先生は集会になるといつも吠えているため、周りに危機感は芽生えていない様子だった。

集会自体が始まったのはそれから三分後のことで、体育科の先生は声を枯らせていた。

 初日からご愁傷様です。まぁ、校長先生の長ーい話を立って聞く生徒も十分つらいのだが。手や足の位置を何度も変えながらいつか聞いたことのあるような話を聞き流していると、後ろのほうが突然騒がしくなった。意味のない背伸びをしつつ耳を澄ますと誰かが何かを叫んでいて、その声は徐々に僕のほうへ近づいてきた。

 

「渡邊! 一年五組の渡邊夏樹! どこだ。手を挙げて!」


 なんだなんだ。せっかく恥をかかないように母に送ってもらったのに、これではそれが台無しではないか。恥ずかしさと怒りを収めながら、しょうがなく手を挙げた。

 すると、いつか日直でチョークを取りに事務室へ行ったときにいた事務員のおじさんが、僕の手を発見するなりものすごいスピードで近づいてきて、息を整えもせずにこう言った。


 「君のお母さんが事故にあったと電話があった。心肺停止らしい」


 一瞬で周りの空気が凍り付き、僕は足の力が抜けて、床に膝をついた。誰一人として呼吸をしていかった瞬間が、頭がおかしくなりそうな僕を現実に連れ戻す。

 そんな僕を事務員さんは片手で立たせ、一枚の紙切れを渡した。


 橘総合病院 第二集中治療室


 その字を見た瞬間僕は走り出した。上履きのまま校舎を出て校門を通り過ぎ、赤信号でもお構いなしに走り続けた。

 午後降るはずだった雨は、僕の心を代弁するかのように突発的に降り出した。でも僕は泣かなかった。

 泣いたら前が見えなくなってしまうから。ここで泣いてしまったらお母さんがいなくなってしまいそうだったから。


 びしょびしょの体で病院に入ると看護婦さんが待っていてくれて、すぐにお母さんのところへ案内してくれた。

 手術中を表す赤いランプの前に案内された僕は、ベンチに腰を掛けていた包帯ぐるぐる巻きのおじさんに土下座をされた。


 「申し訳ありません。申し訳ありません。本当にごめんなさい」


 人の胸ぐらをつかんだのは初めてだった。こんなことをしている姿を母が見たらどう思うだろうか。それから数秒間、ずっと僕はおじさんを睨みつけていた。何も言わずに何もせずに、ただひたすらに睨みつづけた。

 そしてどうしても拭いきれない物の正体が明確になると僕は泣き崩れた。


 「あなたは悪くないんだ。僕が、ちゃんと朝起きていればよかったんだ。全部僕が悪いんだ」


 昨日、遅くまで本を読んでなければ。一回目が覚めたあの時に起きていれば。遅刻してでも、自転車で学校に行っていれば。








    ***






 病院に着いてから三時間。いまだに赤いランプは点灯し続けている。

 あのおじさんは、僕に何度も謝った後警察の人に連れていかれてしまった。

 足を引きずりながら去って行くその姿を見てまた一層僕は自分を責めた。


「僕は悪くないよ。お母さんはきっと大丈夫だよ」


そんな風に看護婦さんは僕をなだめてくれるのだが、「きっと」という言葉を信じられない僕は余計不安になった。

いつか、きっと、もしかすると。この三つの言葉は自分を後悔させると昔母が言っていた。

この時だけ、ほんの数分である。僕は生まれて初めて母が間違っていることを望んだ。望まなければいけなかった。


 ビュイーン


 自動ドアが開き、赤いランプも消えた。

 中からでてきたお医者さんが、ゆっくり僕に近づいてくる。開いたドアからは一瞬だけ母の姿が伺えた。 そして、お医者さんが食いしばったことがマスク越しに確認できた。

 

 「手は尽くしたのですが、残念ながらお亡くなりになりました」


 僕はその言葉を聞いた瞬間、涙を流しながら病院から逃げ出した。

心の何処かでそれを予期してしまっていた自分が僕に謝ってくる。


追ってくる現実から逃げようとしてどれだけ走っても、辺りの景色はいつまでもいつまでも残酷だった。


 

 


 





 

 






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