5話 (1/4)
新しい章です。よろしくお願いします。
「本当に大丈夫?」
唯一僕の見る世界の中で色を持つ彼女は、僕の隣を自転車を押しながら歩いている。
二つの自転車を挟んだ距離を取る僕と彼女の間には謎の時差がある。それは、故意に作ったものではない自然なもの。
今朝通ったはずの道が、まるでそうではないみたいに暗く明るくなってしまっている。交差点に出会う度に少しの期待を込めて首を振ってみるが、特に僕の表情が変化することはない。道の半分を塞ぎながら歩いてしまっていた僕らは、後ろから聞こえた車の注意音によって道路の端に身を寄せた。
僕らの横でわざとらしくスピードを上げた車は、二個先の交差点で色の分からない信号に引っかかった。先程遠回しに注意を受けたばかりなのに、彼女は懲りずに僕の隣に現れた。
「大丈夫? ねぇ!」
彼女の大きな声のせい? おかげ? で僕らの間にあった時差は道路に置き去りにされた。次の持ち主が現れないことを願う。
「……はい」
大丈夫と言えばそうだし、大丈夫ではないと言ってもそれはそれで間違ってはいなかった。しかし、生きているということで考えてしまえばそれは簡単なことで、答えは大丈夫になる。あぁ疲れる。
僕に呆れたのか将又ホッとしたのかは分からなかったが、彼女息を吐いた。そして、彼女は今朝と同じように僕の前に自転車の前輪を立ちはだからせ、僕を強制的に停止させた。
目にかかった髪の隙間から彼女を見ると、彼女もまた僕を見ていた。正確には僕の目を見ていた。
「大丈夫だったら倒れたりしないでしょ」
先程とは違って小さく呟くような声は、しっかり僕の耳まで届いた。
僕はとっさに彼女から目を逸らし、遠くにある真っ黒な空を見た。白いだろう雲は、真っ黒な空のせいで灰色になっている。
このまま沈黙に耐えきればまた自転車を押す時間がやって来て、それでもって彼女が僕を壊れたロボットや綿の出た人形にするみたいな行動に踏み切り、今日は幕を閉じることになる。と思っていた。
しかしそれは全く持って僕の勘違いで、彼女はハンドルを手から離し自転車を見捨て僕の目の前に登場した。僕はそれを回避しようと動き回ったが、彼女にそれは効き目がないことが判明した。
仕方なく彼女のほうを見る。男にしては身長が低い僕と、女にしては身長の高い彼女の目線は丁度水平で、見捨てられた自転車と僕の自転車のサドルもまた同じぐらいに高さだった。
「何があったか教えて」
急に彼女の目が尖り、僕の心臓にちくっと触れた。痛い。
どうせ明日学校に行けば皆に笑われ馬鹿にされ、でかい尾ひれの付いた噂が僕の周りを歩く。だから彼女に馬鹿にされても痛くもかゆくもない。地球の歴史からしてみれば一瞬だ。
「一人なんです」
「うんうん」
彼女の優しい相槌が僕の喋りに拍車をかけてしまった。
「……友達っていう関係がどうにも作れない。
そのせいか周りを敵対視するようになって、今日なんて最悪で。それでもお母さんがいたから。でも……」
彼女は震えてハンドルを手放した僕の手と握手した。右手は左手で、左手は右手でそっと静かに。そして、「でも?」と反復して僕の中から最後の一滴を絞り出す。
「死んじゃった。もういなくなっちゃったんだよ!」
最後のほうは自分の鼓膜を破ってしまうんじゃないかと思うくらいの声量で、唇が疲れた。しかし彼女は、そんなことは気にしていなかった。
とても笑える話ではなかっただろうに彼女はにひひっと笑った。予想外の反応に僕は目の置き場に困ってしまった。
きょろきょろとむやみに視点を変えると、彼女はその先に笑った顔を合わせてくる。それが嫌で自分から彼女を見ると、彼女は握手していた両手を離し自分の後ろで結んだ。
「素直でよろしい!」
気分が良くなったらしい彼女は自転車とよりを戻し、僕にもそうするよう言った。素直な僕は彼女の言うとおりにして、今度は自分から彼女の隣で自転車を押した。
「さっきはごめんなさい。でもお陰ですっきりしました」
素直に足して、礼儀の正しい僕はしっかりとお礼をする。決して「わりぃ」という下品なお礼はしない。小学校の時に同級生のまねをしたら、珍しく母に怒られたから。
少しずつではあるものの、僕の世界に色が戻るのを感じた。それと”似ていること”も。
「いえいえ。
あの顔のままオムライス食べられたらたまらないもん」
どんな顔をしていたのか気になって聞いてみると「肉の付いた骸骨」と言われた。誰でもそうだろうとは思ったのだが、いろいろあって見逃してあげた。
心に少しの余裕を手に入れた僕はいつもの冷静さを取り戻し、父に許可を取っていないことに気づく。 あくまで家主は父なので、一様一本電話を入れておかなければ。
本来の待ち合わせ場所であるスーパーについた僕は、そのことを彼女に伝える。
「父に一本電話を入れたいので、少し時間を下さい」
「あ~それならだいじょぶ。お父さん知ってるよ」
「え?」
驚いた僕が事情を聴こうとしたがその必要はなく、彼女が自発的に話し始めてくれた。
「渡邊君のお父さんが働いてる会社ってなんていう名前?」
「桜風フーズです」
「そこの社長うちのお父さん」
あまりにも彼女の喋りが普通だったので、僕は話の重大発表に気づくまでに少々時間がかかった。そして驚きの向こう側にある沈黙に達したとき、また彼女の口が動き始めた。
「昨日お父さんとお母さんが話してるのを聞いて知ってたから、あの後すぐ連絡取っといたの」
「……そうなんですか」
彼女に劣等感を感じた僕はゆっくりとスーパーの前にあるベンチに腰を下ろした。すると彼女も首をかしげながら僕とこぶし三個分の距離をっとてベンチに座った。
電車での出来事を気にしているのだろうか?
ほとんど正常に戻った僕だったけれど心の中にはまだ邪魔するものがあり、うまく呼吸をすることはできない状態だった。けれど隣には希望が座っている。……もしかしたら。
信じることを止めるかどうかは、やってみてから考えることにした。深呼吸でできるだけ無駄な気持ちを自然に返した僕は、駐車場のほうを見つつも心を彼女のほうに向けてみた。
「その……春さんは原始人の進化形ですか?」
彼女は少し体を弾ませた後に、僕のほうを見た。そして僕がふざけていないことに気が付くと、彼女は僕を真似て駐車場のほうを見て右手の親指と人差し指で作った九十度を綺麗な顎にあわせた。
「う~ん」を三回ぐらい繰り返した彼女は、僕に聞こえるぐらいの音量で心の声を響かせた。「よし!」
「違うよ。私は原始人の進化形じゃない。とゆうか、人間じゃないかもしれない」
突っ込むことも、馬鹿にしているのかと怒ることもできたけれど、僕は彼女の真剣な顔を見てそれを止め、態度で相槌を打ってあげた。
「私は私。それ以下でもそれ以上でもない。もちろん渡邊君だって、渡邊君。
つまり何が言いたいかっていうと、みんながみんな一匹ずつしかいない絶滅危惧種だっていうこと。
人間っていうひとくくりでまとめられちゃうけど、違うんだよそもそもが」
僕の心の的を得た彼女はまだ前を向いている。どっかで見たことのある横顔で。
「わかる~って最近の子は言うけど、それって勘違いなんだよ。
あれはお互いが一匹狼状態を回避したいがための同盟の証みたいなものなんだよ。
多分そうしないと今の時代を生き抜けない」
僕の短い質問から、これほどまで先回りできる人に出会ったのは人生で二人目だった。驚き過ぎた僕は顎のねじが外れて開けっ放しのままになった。
やっとこっちを見た彼女はそれを見て笑いつつも、真剣さを欠くことなくこう言ってくれた。
「だから、一人で頑張ってる君はとってもすごいんだよ」
その時はまった。いつからか空気の通り道になっていた巨大な心の穴に彼女がはまったのだ。心配より褒めてもらうことに高ぶる僕はやはりまだまだ子供だ。
ぼくの心とは反対にはまらないままの僕の顎のねじをいとも簡単に治した彼女は、立ち上がって僕の前に登場した。
「さっき「春さん」って呼んでくれたね~~」
上から目線の彼女はにた~っと笑っている。今度は何を考えているのだろうか。僕が顔を伏せようとすると、彼女は僕の前髪を手で上げてから「綺麗な目ー」と感動した後、簡単な質問をした。
「じゃあ今度は私の番。
渡邊君はお母さんになんて呼ばれてたの?」
顔をリンゴにした僕は、彼女から目を逸らす。右にあったから揚屋の移動販売をネタに話をずらそうと思ったが、彼女はまた僕の向く方向く方に現れる。
多分この気持ちを恥ずかしいというんだろう。僕にしては珍しい感情だ。
「……夏君です」
「なつくん。 なつくんね!
じゃあ、これからはなつくんって呼ぶね。それで、なつくんは私の事春さんって呼んで!」
「はぁ……」
四十度ぐらいあるんじゃないかと思うくらいに急激に上がった体温を早く、スーパーのアイスコーナーで冷やしたい。それにしても、いつになったら僕の前髪を返してくれるのだろうか。
「じゃあ行こうか、なつくん」
「はい」
「そこは「そうですね。春さん」だよ!」
勢いあまって引っ張られた前髪が二、三本宙を舞った。痛いって。
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では、みなさんに幸あれ!




