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第五話:バイトクエスト

(1)


「おいっ! 5000ゴールドもするのかッ、こんなのが?」

 魔王が叫ぶ。その大声は店中に響きわたり、店員や他のお客さんの注目を集めた。

「ば、バカ! 声が大きい!」

 あたしは慌てて魔王の後頭部を小突いた。

 むっと顔をしかめる魔王。なおも首をかしげている。

「しかし、これはありえぬだろう。なんで、こんなに高いのだ? ただの白い服が」

 人類最大の宿敵、恐怖の代名詞として畏怖されてきた存在、魔王。

 稀代の天才魔法使い、世界の救世主と謳われたあたし、ソニア。

 そんな人類史上最強カップルのあたしたちも、今は敗北感でいっぱいだ。

 たった一枚の、ウェディングドレスを相手に。



 結婚。

 それは女の子永遠の夢。

 古くてもみすぼらしくはない歴史ある教会。純白のウエディングドレス。二人で歩くバージンロード。祝福のライスシャワー。神父様を前に愛を契り、そして誓いの口づけを……

「と、思ってたのに!」

 夢だけじゃ世の中渡っていけないってことか……現実ってシビアだ。

 思い返せば、勇者たちと一緒に冒険してたときからそうだっけ。魔王を倒し世界に平和を取り戻す旅。そう言うとみんな応援してくれたけど、だからといって道具屋も武器屋も1ゴールドだってまけてはくれなかった。

 それはそれ、これはこれ。

 結局ものをいうのはいつの世もお金、か……


「まったく分からん……!」

 見れば、魔王はまだうんうんと唸りつづけている。

「これはただの布なのだよな? 別に魔法を跳ね返せるとかではなく?」

「結婚式でそんなことして何の得があるのよ」

 価値基準は防御力のみ、か……ここらへんが人間と魔族の壁ね。まぁあたしも半年前まで似たような感じだったから、偉そうなことは言えないけど。

「おい、ソニア。お前、本当にこんな高いもの買う気か? 一生で一度しか使わない服を?」

 本当に『一生に一度』かどうかは、あんたの心がけしだいなんだけどね! 

「まぁ、買いはしないから安心してよ。借りるだけで済ますわ」

「そうか。よかった。で? 借りるだけだといくらなのだ?」

 ほっと胸をなでおろす魔王に対し、あたしは無言のまま値札を顔の前に突きつけてやる。

 そこに大きく記された5000ゴールドの文字。

 そして、その上に小さく、

「レンタル代……?」

 魔王の目が信じられないというように大きく見開かれた。ぽかんとだらしなく開けられた口。

 その気持ちはあたしにも分かる。高価だとは聞いていたけど、まさかレンタルだけで5000ゴールドとは。購入したら一体いくらになるのだろう? 見当もつかないわね……

 と、頭の中でそろばんをはじいてると、突然にぐいっと腕を引っ張られた。

「帰ろう、ソニア」

 魔王はおびえる子羊のように変な汗をかきながらブルブル震えている。

「ここは無茶苦茶な店だ。ぼったくりだ。詐欺師だ。魔界の悪魔とて、こんなでたらめな取引は持ち掛けんぞ」

 ひどい言い草ね……店の役割としては、悪魔どころかむしろ天使、キューピットだというのに。

 ま、悪魔だろうが天使だろうがどちらでもいい。あたしは魔王に立ち向かった女よ! 逃げるつもりなんてさらさらない。

 あたしにしがみつく魔王の腕を振り払い、そのまま襟を掴み上げる。

「魔王……あんた、全財産でいくら持ってる?」

「お、おい! 正気か? 本当に貴様……」

「いいから早く答える! このまま絞め落とすわよ? お金と命とどっちが大事なの?」

 ああ、なんで未来の夫に対してこんな山賊みたいな言動をとらなきゃいけないんだろ……許してね。これも全ては幸せな結婚のためなのよ。たぶん。

「い、いくらなんでもそんな大金はないぞ! バイトで貯めた金が……確か2000ゴールドってとこだ」

「……ちっ」

 掴んだ襟を開放すると、魔王の体はどさっと床に崩れ落ちた。ごほごほ咳き込んでいるけれど、今はそれどころじゃない。

 こいつの甲斐性を当てにしてたわけじゃないけど、予想以上に厳しい戦況だ。

「二人合わせて、2300ゴールド。残り2700ゴールドか……」

「待て待て!」

 今度は逆に魔王があたしの肩に掴みかかる。

「お前、貯金が300ゴールドということはないだろう。余を倒した報奨金としてかなりの額をもらったのではなかったか?」

 う……そこを責められると弱い。でも、仕方なかったんだ。人としてあそこで使わないわけにはいかなかったはず!

「それがね……町で困ってる人がいて、その人を助けるために、ちょっとね……」

「なるほど……それでは仕方ないな」

 魔王らしからぬセリフね……

 なんにせよ納得してもらえてよかった。と、思うのもつかの間、

「で、その相手とは誰なのだ?」

 魔王はさらに追い討ちをかけてくる。

 あたしは気まずさから目をそらしつつ、ぼそぼそと答える。

「それは……子どもの頃から修行と戦いの日々で、女の子らしいこと何もできなかった、かわいい魔法使いの娘に服を買ってあげようと……」

「それ、自分のことだろう!」


(2)


「とうとうソニアたちも結婚ですか~、おめでとうございます」

「あ、うん、ありがと……」

 まるで自分のことのようにメリーは嬉しそうだ。にっこり微笑みながら、お茶を出してくれる。

 う~ん、言い出しにくいなあ。とはいえ、これしか方法がない。魔王も今ごろ勤務先の喫茶店の店長さんに借金を申し込んでいることだろう。一人1500ゴールドずつ。それだけゲットすれば、挙式はできるんだから!

そうなると新婚生活はゼロからどころか、マイナスからのスタートになるわけだが……何とかなるでしょう! 二人一緒なら、そう……あ、愛の力で!

「ソニア? 何を赤くなってるんですか?」

「えっ? な、なんでもない!」

 いけないいけない。ポ~っとしてる場合じゃなかったんだ。愛とか夢とかも大切だけど、今必要なのはそう! お金!

「でね、メリーにちょっとお願いしたいことがあるんだけど……」

「ええ、分かってますよ。もちろん祝福しますとも。結婚にはそれが必要ですからね~」

「いや、そうじゃなくて……」

「あ、なんなら神父さんの役を私がやりましょうか? 一度やってみたいな~と思いながら見てたんですよ、汝は永遠の愛を誓いますか~という役を」

「いや、だから、それはそれとして……」

「あぁ、あと家具とか好きなもの持っていっていいですよ。教会のほうに使ってないのがあるから、私はそっちで何とかしますし」

「だから、そうじゃなくて!」

 くっ……さすがメリーも女の子ね。結婚という単語でどこまでも夢を広げていく。付け入る隙がないわ。確かに神父とか家具とかも重要だけど、今はそれどころじゃなくて……

「って、ちょっと待って! か、家具? 家具って何の話?」

「はい? だからソニアと魔王さん、二人の新居で使う家具のことですよ」

 し、しんきょ……

 あぜんとするあたしに、メリーはふぅとせつなげにため息をついて、

「あ~あ、私もこれからは一人暮らしですか……さみしくなるけど、仕方ありませんよね。まさかここで三人で暮らすわけにはいきませんし」

 わ、わわわ……忘れてたぁー!

 しまった、その問題もあった! っていうか、そっちのほうが大問題だ。結婚式がなくても結婚はできるけど(死んでも嫌だけど)、住む家がなきゃ結婚生活は送れない!

 以前、クリスマスから新年までの一週間ほど、魔王が寝込んでしまったことがあった。そのときはここで看病してやり、つまり三人暮らしになっていた。なんとなく、それになるイメージだったんだけど……考えてみたら、そんなの嫌だ! 親友と同居の新婚生活なんて! 魔王はああいう性格だから気にしないかもしれないけど、あたしは気にする。まぁ一番居づらいのはメリーのほうだろうけど。

 くぅ……あたしのバカ! 結婚するのに気をとられて、結婚した後のこと考えてなかったじゃない!

「ところで新居はどちらにしたのですか?」

 何の邪気もない顔で、メリーが問いかけてきた。あたしは「えっと……」と思い出す振りをしながら目をそらす。

「その……まだ決まってなくてね? 選んでる最中で」

「まぁ、そうなんですか。慎重に選んでくださいね。このへんは家賃も高いですから」

「うん、そうする……」

 た、高いのか……知らなかった。

 どうしよう。ドレス代を手に入れるどころか、予定支出が増えていく。こうなったら何が何でもメリーからお金を借りないと!

「メリ、」

「ごめんなさい、ソニア」

 あたしが頼み込もうとした矢先、なぜかメリーのほうが先に頭を下げてきた。

「な、何が?」

「これくらいしか力になれなくて。本当ならお祝いに金一封でも渡せればよかったのですけど、私貧乏で……」

 心の底から申し訳なさそうに謝るメリー。

「あ、いや、それはいいんだけど……」

 本当はよくもないんだけど……

 ちょっと待って。貧乏? メリーが?

 メリーは今、教会で働いている。それはボランティアみたいなもので、お給料はほとんど出ないそうだ。

 でも、彼女もれっきとした勇者一行の一人。あたしと同じように王様から山のような報奨金をもらったはずなんだけど……

「あのさ、ちなみに王様からもらったあのお金は……?」

 おずおず尋ねると、メリーは迷いなく即答する。

「はい。全て困ってる人のために使いました」

「あたしと同じだー!」

「あら、ソニアもそうしたんですか?」

「それって、あれでしょ! 子どもの頃から修行と戦いの日々で女の子らしいこと何もできなかった、かわいい僧侶の娘のために服を買ってあげたーっていう!」

 一気にまくし立てるあたし。それを不思議そうに眺めてから、不思議そうにメリーは首をかしげた。

「……いえ? 私が寄付したのは教会と孤児院ですけど」

 し、しまった……考えてみたら、彼女がそんなことするはずない。品行方正、慈愛精神。それに引き換えあたしは……

 思わず土下座したくなる。そんなあたしにメリーはさらに追い討ちをかける。

「ソニアが助けてあげたのは、そういう人だったのですか?」

「えっと、うん、まぁ、ね……」

 嫌な汗をかきながら、あいまいにうなづいた。

 にこーっと輝くメリーの笑顔。

「なんにせよ、困ってる人に喜んでいただくと、こちらも嬉しくなりますよね~」

 まるで太陽の光に溶ける吸血鬼のように。

 メリー。今のあたしには、あなたの笑顔が……まぶしすぎるわ……


 

(3)


「うそぉっ!」

「余が嘘をついてどうする」

 偉そうに腕を組んでいる魔王。自慢げに微笑んだ拍子に八重歯がきらりと光った。

「金は何とかなったぞ。店長に頼んでな」

「や……やったじゃん!」

 正直、絶対に無理だと思ってた! なにしろこいつの勤務態度ときたら、雇われの身というより「雇われてやってる」という感じ。雇い主である喫茶店の店長に対して逆に命令するという、クビになっていないのが不思議なくらいだったのだから。

 さすがあの店長は心が広いわね。押しに弱いから断りきれなかっただけかもしれないけど。

 とにかく、これで解決! 神様はあたしたちを祝福していたのね!

「で? いくら借りれたの?」

 そう、そこが最も重要だ。意気込むあたしに、魔王はびしっと右手の一本指を立てる。

「い、一万ゴールドもっ?」

 その直後、今度は左手でゼロの形を作り、一の隣に並べた。

「いち……ぜろ……?」

「そうだ」

 まるで学校のテストで百点満点をとった子どものように得意そうな表情で、

「時給を10ゴールドあげてもらった」

「足りるか、バカ!」

 もし今あたしのドッペルゲンガーがいたら、そいつを殴ってやろう。

 バカ、魔王に甲斐性があるなんて期待しちゃだめでしょ、と。

 もし「現実」とか「資本社会」とかが実体化してたら、そいつを思いっきり殴ってる。

 ちくしょー、結局金かよー、と。

 でも今はどちらもいなくて、目の前にいるのは魔王。

「ぐはあっ!」

 だから、とりあえず魔王を殴っておいた。

「何のつもりだ、貴様!」

「そりゃこっちのセリフ! 10ゴールドぽっちでどうする気よ!」

「違う! 日給に直せば80ゴールドアップだぞ!」

「大して変わんない!」

 あたしと魔王、二人の視線がぶつかり合い、バチバチと火花を立てる。そして、

「ふぅ……」

「はぁ……」

 二人同時にため息。

「やめよう。いがみ合っていても始まらん」

「そうね。建設的に考えましょう」

 付き合いはじめて三ヶ月。喧嘩を切り上げるタイミングだけは、うまくとれるようになった気がする。


 手近なベンチに並んで腰掛けた。

「さてと……」

 見上げれば、いつの間にか夕焼け空。

 吐いた息が白くくもり、風に流されていく。日中は暖かいけれど、まだまだ朝夕は冷え込む。

 春は、遠い。

 って、物思いにふけってる場合じゃない!

 落ち着いて。冷静に考えれば、必ず突破口はある。今までだって何度となく圧倒的戦力差で窮地に追い込まれてきたけど、そのたびに呪文やアイテムで切り抜けてきたじゃない! 今回だって……

「……アイテム」

「ん、なんだ?」

 ぽかんとする魔王を横目に、あたしは思わず立ち上がって叫ぶ。

「そうよ、アイテムよ!」

 現金はなくてもアイテムを売ればお金になる! 落ちぶれたとはいえ、こいつは魔王。貴重な武器の一つや二つ、持っていてもおかしくない!

「ねぇ、何か持ってるでしょ? 高く売れそうなやつ!」

「あ~、ん~」

 魔王は渋い顔でうなり声を上げ、やがて静かに首を横に振った。

「だめだ、思いつかん」

「なんで! あんた魔王でしょ! 武器の一つもないわけ?」

「いや、余はもとから強いから、武器も防具も必要なかったし……あ」

 そこで急に、大事なことを思い出したようにすくっと立ち上がる。どこか遠くを見つめながら「おお……」と息を漏らした。

「な、何? やっぱり何か持ってた?」

「見ろ」

 魔王の人差し指がすっと東の空の一点をさす。その先に輝くは、小さな光の点。

「一番星だ。きれいだな」

「…………」

 あたしはぎゅっと魔王の指を握り、そのまま力任せにひねりあげた。

「いだあ!」

 突然の激痛にうずくまってもだえる。

 もうこいつを頼りにするのはやめよう。あたしがしっかりしないと結婚なんて手の届かない夢、そう、まさに星のような距離にあるままだ。

「いいわ、正攻法でいきましょう」

 本当はやりたくないんだけど。疲れるし面倒くさいし時間はかかるし。しかも血にまみれたお金で結婚式っていうのも、なんだかなぁ。

 とはいえ、贅沢を言ってる場合じゃない。結婚。今はそれが最優先課題なのだから。

「これから町の外に行くわよ。で、モンスターを倒しまくる! 最近のやつらは人里近くには現れないそうだから、遠出になるけど。ま、あたしとあんたの力なら返り討ちになる可能性だけはないしね。とにかくコツコツ倒して、お金を巻き上げて、貯金を貯める。これしかないわ!」

 そうと決まれば善は急げだ。すぐに夜が来るだろうけど構わない。むしろ魔物の大半は夜行性だしね。

 あたしはさっそうと歩き出す。

が、すぐに足を止めた。後からついてくるはずの足音が聞こえないからだ。

「魔王?」

 振り返ると、魔王はまだ座り込んだまま。立ち上がろうともせず、ただ力なくあたしのほうを見つめているだけだった。

「ど、どうしたの?」

 さっき指をひねり上げたダメージがそんなに深かった? 一応、手加減はしたつもりだったんだけど……

「ソニア」

 無音の夕焼けの中、魔王がポツリと問いかけてくる。

「そんなに結婚がしたいのか?」

「え?」

 何を、そんな、今さら……魔王?

 魔王の視線は真剣で、冗談を言ってるわけでもとぼけてるわけでもない。

「も……もちろんよ、そんなの、当たり前でしょ?」

「……結婚がしたいのか? それとも、余と結婚がしたいのか?」

 何を言ってるのか全然分からない。こんな魔王は初めて見る。なんだか無性に……怖い。

「それは……どっちもよ。だって同じことでしょ? 違うの?」

 なぜか魔王の表情は曇ったままで。

 まるで、何かを、後悔しているかのようで。

 何か? 何かって、何?

「昔のソニアとなら……」

 魔王が立ち上がる。

 あたしから目をそらして。

 あたしに背中を向けて。

 そして、遠ざかりながら、

「一番星を、共に分かちあえた」

 それだけを言い残して、魔王は立ち去っていく。

 あたしは何も言えず、一歩も踏み出せず、ただ呆然と見送っていた。その後ろ姿が消えるまで。

 そんなあたしを、星が見下ろしている。

 高い高い、手が全然届かない高い空から――



(4)


 安っぽい木戸をくぐると、とたんにそこは別世界。ガヤガヤとした喧騒と、荒くれ男たちの笑い声、そして酒臭い空気に包まれる。

 普通の女の子なら間違っても一人で来るような場所じゃないけど、あたしにはもう慣れたものだ。

 とはいえ、久しぶりではあるけど。駆け出しの頃はよくお世話になっていた。思えば、あたしとロンが会ったのも、この酒場だったっけ。もうはるか昔という気がする。

 どかどかと足音を立てながら、あたしはカウンター席へと向かった。

 座ると同時に、酒樽のように丸く太ったヒゲ面マスターが気さくに出迎えてくれる。

「久しぶりだな、ソニア。いらっしゃい。元気してたか?」

「ええ、おかげさまで、体だけはね」

 本っ当に体だけ! それ以外は最悪だけど!

 マスターはそこまで深く考えなかったらしい。にかっと黄ばんだ歯を見せて笑うと、

「そいつはよかった。ほら、こいつはほんのお礼だ」

 どん、と置かれた中ジョッキ。なみなみと注がれているのは赤ワインのようだ。ワインだろうとカクテルだろうとジョッキで出てくるのが、この酒場流。酒樽がそのまま出てくることすらある。コップなんて上品なものは、ここでは存在しないも同然。

「お礼って何? あたし、何かしたっけ?」

「おいおい、何かしたかはないだろう! 世界を救ったじゃないか!」

 ああ、すっかり忘れてた。そういえば世間的には、そういうことになってたっけ。あたしは勇者の仲間で、みんなと力をあわせて魔王を……魔王……

「これ、もらうわね!」

 なかばひったくるようにジョッキをとると、その勢いのまま口に運ぶ。

「お、おい、そんな一気に、」

 隣でマスターが慌てているが、知ったことじゃない。こくっこくっと喉を鳴らし、五秒足らずで呑みほしてやった。

「ぷはぁっ!」

 ん、なかなかおいしい。からになったグラスは机に置かず、そのままマスターの眼前に突き出す。

「おかわり」

「いや、でも、」

「おかわりっ!」

「は、はい!」

 あたしの怒声にマスターはびくりと身を震わせ、慌ててグラスを受け取った。あたふた新しいお酒の準備をするが、慌てすぎてそこらへんのお皿を三枚も落としてしまう。がしゃんがしゃんと割れる派手な音に、マスターはうひゃあとか悲鳴を上げて、さらにあたふた。アハハッ、急ぎすぎて、かえって時間かかってるじゃん。

「ど、どうぞ、お待ちどうさま」

 ようやく二杯目を注ぎ終えると、それをまるでドラゴンに餌を差し出すかのごとく、おっかなびっくりカウンターの上に置いた。

「ちょっと、マスター。そんなに怖がらないでよ。今のあたしって、そんなに怖く見えるわけ?」

 むぅ、傷つくなぁ、乙女心。

「いや、そういうわけじゃないけどさ、なんというか……変な迫力があるぞ、昔と比べて」

「昔?」

 まぁ確かにこの半年だけでもずいぶんと色々なことがあった。

 だけど、

 

『昔のソニアとなら……』


 別にあたしは……


『一番星を、共に分かちあえた』


 何も……変わってないもん……


「……ぅっ」

「そ、ソニア? おいおい、大丈夫か」

「平気、よ、別に、あれくらい……!」

 ああ、全然知らなかった。考えてみたら、お酒なんて飲むの初めてだったし。

 そうか、あたしは泣き上戸だったのか。

 だから、こんなにも、大粒の涙が、止まらない、

「くっ、ふ、えぇぇ……」

 それもこれも、全部あの馬鹿のせいだ! あたしの気持ちを全然分かっていない。

 あたしがどれだけ結婚式に憧れていたか。

 どれだけ新婚生活を楽しみにしていたか。

 どれだけ、一緒にいたいと願っていたか。

「よ、よし。俺が何か作ってやろう! な、何が食べたい? メニューにないものでもなんでもいいぞ!」

 マスターが無理やりな笑顔を浮かべながら、あたしの肩を力強く叩く。

「本当に……? 何でもいいの……?」

「ああ、任せておけ! 古い付き合いだろうが」

「だったら……」

 そうだ、すっかり横道にそれてしまった。ヤケ酒なんて飲んでる場合じゃない。

 そもそもあたしは『それ』を頼みに来たというのに。

「じゃあ『クエスト』の特上を一つ」

「……え?」

 マスターから笑顔が消えた。あたしは涙をぬぐい、目を丸くする彼に向かってもう一度ゆっくりはっきりと伝える。

「クエスト、特上よ。一番短くて、一番高くて、一番危険なやつを」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 ようやく金縛り状態から解けたマスター。店内をぐるっと見回してから、眉をひそめて問いかけた。

「ソニア、仲間はどうした? 一人なのか?」

 一人、という単語がずきんと胸に突き刺さる。

 一人じゃない、はずだった。でも……

「大丈夫よ、一人だって、あたしは」

「そりゃソニアの実力は知ってるが、しかし回復役もなしにクエストか? いくらなんでも、それは……」

「平気だってば!」

 勢いよく立ち上がった拍子に、椅子は後ろに倒れ、グラスは床に落ちて砕け散った。

 その大きな声と音に、ぎょっと店中の客が目を向ける。

一瞬、静まり返る店内。その中心で、あたしはさらに高く叫んだ。

「あたしを誰だと思ってるの! 一人でも大丈夫よ!」

 そう、大丈夫。千年に一度の天才魔法使いと謳われたあたしだ。あんな馬鹿に頼らなくたって、一人でどうにでもなる。あたしは、無敵なんだから!

 マスターはごくりとつばを飲み込み、低い声で確認した。

「本当にいいんだな? 特上となると、たしかに報酬はいいが、危険度も並じゃないぞ?」

「分かってる。でも……どうしてもお金が必要なの」

 お金さえ、お金さえあれば、何もかもきっとうまくいく。

 結婚式も、結婚生活も、何もかも。

 喧嘩の原因だってお金がないことだったんだから。

 お金さえ手に入れば、きっと……仲直りだって、できる――



(5)


「よし、できた、っと」

 私は針と糸を裁縫箱に戻すと、うん……っと背中を伸ばします。ちょっと集中しすぎて、肩がこりました。

窓から外を見れば、もう真っ暗。いけないいけない。早く帰らないと、ソニアがおなかをすかして待っているでしょう。

 それにしても、あのソニアが結婚ですか……月日がたつのも早いものですね。

 作ったばかりのパッチワークを手に取り、眺めます。

 うん、我ながら、なかなかの出来ばえ。きっとソニアも喜んでくれるでしょう。じゃあ、これは結婚式当日まで、この教会のどこかに隠して……

「めりいぃ……!」

「え?」

 何か今、地獄から響くような声が私を呼んだような……

 礼拝堂の中をぐるっと見回してみますが、誰もいません。神父さんも町の皆さんも、もうとっくに帰っているはずです。じゃあ、さっきの声は一体?

「メリー、ここだ……」

「うひゃあ!」

 黒い影が! 暖炉の中から黒い影がもぞもぞと這い出てきています!

 な、なにこれ、魔物? まさか教会の中にモンスターが出現するなんて!

 いや、ひるんでる場合じゃありません。

 右手に魔力を集中し、天に向かって振りかざします。

 私だってかつては勇者とともに冒険をしていた身。魔物の一匹や二匹、私の神霊魔法でー!

「ま、待て! 余だ!」

「へ?」

 黒い影は完全に暖炉から出ると、体を伸ばしました。すすとほこりで真っ黒に汚れてはいますが、その顔は……

「ま、魔王さん!」

「そうだ。邪魔するぞ、メリー」

 魔王さんは不機嫌そうにマントで顔をぬぐい、ばさばさと体についたほこりを払います。煙突の中を通ってきたらしく、頭にはくもの巣がくっついていました。

「何やってるんですか! なんで、わざわざ煙突から?」

「ああ、教会は聖なる力で守られているからな。余の手では扉を開けることができんのだ」

 あ、そうだったんですか……以前にも一度来たことがありますが、そういえばあの時は最初から扉が開いていましたね。おそらく並みの魔物なら教会に足を踏み入れることすらできないのでしょうが、そこはさすが魔王、というべきでしょうか。

「それにしたって、驚かさないでくださいよ。悪魔か何かかと思いましたよ」

 まぁ、実際その通りなんですけど。

「ああ、すまん。ちょっと急いで話したいことがあってな」

「話したいことって……ああ」

 そうですか、あれを伝えるためにわざわざ。

 私はすっと身をただし、深々と頭を下げます。

「はい、ソニアからもう聞きましたよ。このたびはご結婚おめでとうございます」

「……お前も同じことを言うのだな」

「はい?」

 てっきり照れ笑いしながら「ありがとう」と返ってくると思ってたのに。

 魔王さんはなぜか浮かない顔で、深々とため息をつきながら、

「そんなにめでたいものなのか、結婚とは?」

「そ、それはもちろん、そうですけど……」

 ふぅっともう一度ため息をつくと、窓の外を遠い目で眺めて魔王さんは半分独り言のように漏らします。

「分からなくなってきたのだ。本当にここでソニアと結婚していいものかどうか……」

 やっ……やだ、どうしよう! これって、まさか噂に聞く、マリッジブルーというやつですか!

 困ります! お祝いの品、作ったばかりなのに……って、それはどうでもよくて! ソニアが! ソニアの気持ちが!

「待ってください、落ち着いて! 結婚を前にして不安になる気持ちも、分かります。そりゃ確かに、この人でいいのかしらとか、本当にうまくやっていけるのかしらとか悩みもあるでしょうけど、でも、」

「いや、それはない」

「え?」

 拍子抜けするほどあっさりと。何を当たり前のことをと言わんばかりに、堂々と言葉を続ける魔王さん。

「ソニアでいいに決まっている。というより、ソニア以外考えられぬ。余はソニアが好きだ。愛している。この気持ちは永遠に変わらん。世界を征服するよりも、ソニアとずっと一緒にいたいと、」

「あ、あの、そのへんで……」

 ちょっと、聞いてるほうが照れてきちゃうので……

 頬を赤くする私と対照的に、魔王さんはいつもどおりの表情。こんな恥ずかしいセリフを何のためらいもなくスラスラ言えるところが、魔王さんのすごいところというか……

ある意味ソニアとぴったりなのかもしれません。あの子はとことん素直じゃありませんから。

「でも、魔王さんがそんななら、何も悩むことはないんじゃないですか?」

「いや、だからこそ、な」

 窓から目を離し、今度は私の目を真正面から見つめます。

「さきほどソニアと少し諍いを起こしてしまってな。金のことで」

「お金、ですか……」

「余はソニアと一緒にいられればそれでいい。それだけでいいのだ。結婚とか金とか、そんなに大切なものか? そのために二人が仲たがいをしてまでも」

「魔王さん……」

 少し、分かってきました。この人は素直とか愚直とかいうよりも、シンプルなんです。

 強い者が支配する。敵対する者は打ち倒す。

 そして、愛する者とは、共にある。

 彼の中では、それは当たり前のことだから。余計なことで悩んだり迷ったりはしない。世間体も通例行事も全て余分。

 ただ、好きな人と一緒にいられれば、それでいい。

 魔王さん、あなたが世界征服に成功していたら、一体どんな世界になっていたのでしょうね。少しだけ、見てみたかった気もします。

「魔王さん、あなたの言うことは分かりますし、おそらく間違ってもいません。むしろ真理かもとすら思います。でも、」

「人間の社会では通用しない、か?」

 そう呟いた魔王さんの瞳は、少し寂しそうに見えました。

「……ただ一緒にいる。それだけでもいろいろな物が必要になるんです。お金もそうですし、他にも儀礼とか周囲の祝福とか新居とか……」

「新居?」

 その単語を聞いたとたん、素っ頓狂な声をあげる魔王さん。

「何だ? あいつ、引越しでもするのか?」

「な、何を言ってるのですか。あなたとソニアが二人で暮らす新居ですよ!」

「……二人で暮らす?」

 きょとんと、無言で、私たちは見つめあいます。

 あの、これは、もしかして……

「魔王さん。念のために訊きますけど……結婚したら、どこで暮らすつもりだったのですか?」

「どこって別に……今までどおり、別々に住んで、仕事が休日のときにでも会うつもりだったが?」

 何ですか、その週末婚は。

「それ、結婚とは呼びませんよ! 意味ないじゃないですか!」

「いや、だから余も意味がないなあと、ずっと疑問に……」

 ソニア……ちゃんと教えておいてくださいよ! 確かに普通なら教えるまでもないことではありますけど、でも……普通じゃないんですから!

「そうか。一緒にか……ということは、朝起きたら、すぐそこにソニアがいて『おはよう』の声と共に一日が始まるわけだな?」

「まぁ、そうでしょうね」

 あの子、朝は苦手だから、保障はできませんけど。

「仕事から帰ってきたら、やっぱりソニアがいて『お疲れさま』と労をねぎらうわけだ」

「まぁ、そうでしょうね」

「夕飯も二人で食べると」

「はい、まぁ……」

「夜、街が静かすぎて、ふと寂しくなったときなんかも、すぐ隣に、」

「あの……ちょっと、もう、そのへんで……」

 ほ、本当にすごいですね、この人は……

 私も職業柄、愛とか語ることはありますけど、ここまで恥ずかしいセリフはさすがに……

「なるほど……」

 魔王さんはしばらくじっと考え込んだかと思うと、ぽんと手を叩き、微笑みます。

 それは、どこまでも真っ直ぐな……呆れるくらいに素直な笑顔で。

「なかなか良いな、結婚!」

 魔王さん、あなたはきっと……いい夫になれますよ――



(6)


 クエスト。

 それは冒険者にとって、最も効率よくお金を稼ぐための常套手段。

 お店から『仕事』を与えられ、それをこなすことで報酬がもらえる。

 仕事の種類、危険度はさまざまだ。隣町まで届け物なんていうお使いレベルのものから、ドラゴン退治なんて物騒なものまで。

 もらえる報酬額もそれに応じて変わる。当然危険なものほど報酬は高い。とはいえ、分不相応なクエストに手を出すような欲深い愚か者はめったにいない。なんだかんだ言って命のほうが大事だもの。「あせらず欲張らず」がクエスト選びの基本。

 ただし、どうしてもお金が必要なときは話が別、だ。

「ふぅ……」

 びょうびょうと吹き抜ける嫌な風が、あたしの白い息をさらっていく。

 洞窟の奥から扉越しに、地鳴りのようなモンスターの遠吠えが聞こえてきた。

 あたしが今回与えられた任務は「この洞窟の最下層に眠る伝説の秘宝を見つけ、持ち帰ること」

 口に出せば簡単だけど、それは任務の容易さとはなんら関係ない。

 レベルは『特上』

 つまり、命の保障は一切出来ないということ。

 洞窟の中は高レベルモンスター、トラップ、迷路とあらゆる危険が潜んでいるはずだ。

「…………ッ!」

 手にした木の杖を、もう一度ぎゅっと握りなおす。

 洞窟の入り口には頑丈な扉が取り付けられていた。一般人が間違って迷い込まぬように。そして、中でひしめくモンスターたちが光に誘われて迷い出てこぬように、だ。

 鉄でできたドアの取っ手を力いっぱい引くと、重く錆びついた、悲鳴のような音が夜の静寂を切り裂く。

 怖い……

 さすがのあたしも今回ばかりは自信がない。

 剣士のような接近戦のエキスパートもいなければ、回復役の僧侶もいない。カッとなって飛び出してきたから、ろくなアイテムも持っちゃいない。

 誰もいない。

 何もない。

 あたし一人だ。

 後ろを振り向くと、遠くに町の灯が見えた。あの灯のどれかに、きっとあいつがいる。

「……馬鹿」

 行っちゃうよ? あたし一人で。本当にいいんだね?

 さっさと止めに来てくれればいいのに! あとで後悔したって……遅いんだからね……!

 何やってんだろう、あたし。欲しいものは分かってるはずなのに。一人で酒場のあとは、一人で洞窟。どんどん、どんどん思い描く未来と遠ざかっていく……

「く……っ!」

 思わずあふれそうになる涙を慌ててぬぐった。

 泣いてる場合じゃない。めそめそしながらクリアできるほど、特上クエストは甘くない。

 自分が馬鹿なことをしているのは分かっている。でも、もう今さら引き返せない。やると決めた以上はベストを尽くしてやる。

 意識を冒険者モードにスイッチ。五感をフル稼働させながら、ゆっくりと扉を開く。油断はできない。開けてすぐにモンスターが飛び掛ってくる可能性もある。回復手段のない今にあっては、些細なダメージも命取りになりかね、


 ごすんっ。


「いったあっ!」

 突然、扉が勢いよく開き、あたしのおでこを直撃した。思わぬ衝撃に目から火花が散り、しりもちをついてしまう。

 くはっ……ダメージを負えないと言ったそばから、これか!

「わ、悪い! 大丈夫か? 人がいると思わなくて!」

 開いたドアの隙間から一人の男性が顔を出した。

 こいつが洞窟の中から扉を開けた、つまりは、あたしにこのダメージを与えた犯人らしい。もちろん、悪気があってやったわけじゃないでしょうけど……しかし、なんてタイミングの悪い!

 彼は慌ててあたしに駆け寄……ろうとして、立ち止まる。

「……って、え? もしかして、ソニア、か?」

「へ?」

 ああ……そうか。確かにそうだ。

 冷静に考えてみれば、それしかない。

 こんな危険な洞窟に一人で来るほど無鉄砲で、しかし無事に生還できるほど強くて、そしてどこまでもタイミングの悪い男なんて、世界中でこいつしかいなかった。

「ロン……」

 また、あんたか……



「いやー、久しぶりだよな。まさかこんなとこで会うなんてなー」

 能天気に笑うロン。たった今、死の淵ギリギリの冒険から帰ってきたはずなのに、やたら元気だ。

「そうね。バレンタインの翌日以来だから、一ヶ月ぶりってとこね」

 バレンタインの翌日……魔王と結ばれたあの日か。あの時はまさに幸せの絶頂って感じだった。今は、どうなんだろう……分からない。

「で、なんでロンがここにいんの? あんたもクエストで?」

「いや、俺のほうは依頼された仕事じゃない。この洞窟にすごい武器が隠されてるって聞いて、取りにきたんだ」

「何で今さら武器なんか、」

 そう訊こうとして、慌てて止めた。そういえば、こいつが使ってた覇者の剣、あたしが奪っちゃったんだっけ。魔王にプレゼントするつもりが、タイミングを逃して使わずじまいだった。だから返そうと思ってたのに。すっかり忘れてた。

「あの、ロン……ごめんなさい、覇者の剣、あたし……」

「気にするな。済んだことだ」

 前よりどこか余裕のある笑顔を浮かべるロン。夜空を見上げて、はるか遠い過去のことのように語りだす。

「実はあのあと教会の懺悔室に行ってさ。で、そこのシスターに叱られちゃったんだよ。いつまでも過去にこだわるなって。返す言葉もなかったぜ」

 そして視線をあたしに戻し、ぐっと親指を立てた。

「もう俺は大丈夫だ! もう後ろは振り返らない。失恋したら、もっといい男になるべく努力するだけ! 覇者の剣がなくなったら、新しい武器を探すだけだ!」

「ロン……」

 そうか、ようやくそこまで悟ってくれたのね……なんか我が子の巣立ちを見送る母親の気分だわ。

「だからソニアも気にするなよ。むしろ覇者の剣なんて失ってよかったくらいだ。見ろよ、これ。さっき洞窟で見つけた伝説の秘宝。これはすごいぜ?」

 ロンは腰の鞘から、すらっと剣を引き抜いた。月明かりに反射して、ぎらりと輝く刀身。

「すごい……」

 あたしは商人じゃないから鑑定はできないけど、でもすごいものだということは分かる。覇者の剣に比べてやや細身で、柄には美しい細工がほどこされている。覇者の剣が無骨な戦士なら、これは洗練された剣士という風情。

「聖剣エクスカリバー、っていうらしい。伝説と謳われるだけはあるよな」

 ロンはほれぼれと眺め回してから鞘におさめ、ぽんぽんと上から叩いて笑う。

「な? 覇者の剣を失わなければ、エクスカリバーとは出会えなかった。それにこの洞窟でも、いろいろ貴重な体験もできたし。かえってよかったんだよ」

「へぇ……ずいぶんポジティブになったのね」

「おう! やっぱ人間、前向きじゃないと!」

 その顔は見る者に勇気を与える、確かに世界を救う勇者の笑顔だった。

 そっか……ロンも頑張ってるんだ。あたしも頑張らないと。

 よし、やるぞ! 一人が何よ! 洞窟のモンスターなんて全滅させて、何が何でも伝説の秘宝を手に入れ……

 伝説の秘宝……?

「ん? どうした?」

「ロン、それさ……そのエクスカリバーさ、この洞窟で手に入れたのよね?」

「ああ。苦労したよ。あったのが最下層だったからな」

 この洞窟の最下層に眠る伝説の秘宝。

 つまり、これが今回あたしに課せられたクエスト、「持ち帰れ」と命じられた物であり、それは、要するに……

 視線をエクスカリバーに一点集中させながら、あたしの喉がゴクリと鳴る。

 この剣をマスターに引き渡せば……報酬の五万ゴールドが……!

「そ、ソニア? お前、なんか、目が怖いんだけど?」

 不穏な空気を察知し、どもりだすロン。あたしは彼の瞳にゆっくりと視線を移した。

「ねぇ、ロン、お願いがあるんだけど……」

「じゃあな、ソニア! いろいろ大変だとは思うけど頑張れよ! じゃ、また!」

 ロンは逃げ出した!

 あたしはまわりこんだ!

「ロン!」

 すかさずロンの腰に挿したエクスカリバーに、がしっとつかみかかる。

「お願い! これ、ちょうだい!」

「またかよ、おい! どこまで奪ってく気だ、お前は!」

「お願い、一生のお願いだから!」

「だから、それ覇者の剣のときも言ったよ! なんで一生のお願いが二回あるんだよ!」

「あー、もう! あの時はあの時! もう過去は振り返らないんじゃなかったの?」

「いや、それとこれとは……ッ!」

 エクスカリバーを引っ張り合うあたしたち。

 ああ、なんて醜いんだろう。かつての仲間同士が、たった一本の剣のために、かくも争わなければいけないなんて。愚かだ。あまりにも愚か。だから……さっさとその手を離しなさいよ、ロン!

「大体、覇者の剣なんて全然役に立たなかったんだから! 結局プレゼントには使えなかったし!」

「俺が知るか! じゃあ返せよ!」

「ええ、あんなもん返……」

 あれ、待てよ? そっか、その手があったか。

 あたしは手を離し、深呼吸してから、落ち着いた口調で切り出す。

「ねえ、じゃあ覇者の剣を返したら、エクスカリバーはくれる?」

「え? えっと、まぁ……」

 そうよ、覇者の剣は未使用のまま家に置いてある。この先使う予定もないし、むしろ新婚生活にあんなもんがあったら邪魔だ。まさに一石二鳥!

 ロンはいまいち納得のいかない顔で、

「う~ん……でもこれ、俺命がけでとってきたんだけどなぁ……」

「いいじゃない! その分経験値も増えたでしょ? 無駄じゃなかったわよ。ポジティブに生きるんじゃなかったの?」

「まぁ、確かに俺としては、どっちの剣でも強ければいいんだけど……」

「よし! さすがは勇者! 気前がいい!」

 ロンは鞘ごと引き抜くと、しぶしぶといった感じであたしの手に渡しながら、最後にもう一度念押ししてくる。

「確認するけど、あげるってわけじゃないからな! 覇者の剣と引き換えだからな! 絶対に返せよ、あれ! 武器ないと本当困るんだから!」

「分かってるって。これをすぐに換金して家に帰って、だから……一時間以内に戻ってくるわ!」

 エクスカリバーを引ったくり、あたしはすぐさま駆け出した。ロンの気が変わらないうちに早くしないとね!

 目指すは酒場。ああ、報酬五万ゴールドか~。何に使おうかな~。

「まさか洞窟の外にラスボスが待ってるとは思わなかったぜ……」

 背中越しに届いたロンの呟きは、聞こえなかったことにする。



(7)


「たっだいま~!」

 意気揚々と我が家に帰る。気分はまさに凱旋。

 歩くたび、背中に担いだ麻袋がじゃらじゃらと景気のいい音を奏でる。

 扉をくぐると、すぐにメリーが奥の部屋から飛び出してきた。

「ソニア、どこ行ってたんですか! 心配してたんですよ!」

 今にも掴みかかってくるほどの勢いでメリーが早口にまくしたてる。

「な、なんで?」

 そりゃ確かに夜遅くなっちゃったけど、別に真夜中というほどじゃない。大体あたしだって子どもじゃないんだし(それどころか最強の魔道士だし)そこまで心配するほどじゃないと思うけど。

「魔王さんから聞いたんです、二人が喧嘩したって! それで、ちゃんと話し合うように説得して、魔王さんを家まで連れてきたのに、ソニアはいないし、いつまで待っても帰ってこないし! 家出でもしたんじゃないかって、気が気じゃなかったんですからね!」

 ああ、そうか。そういえば喧嘩してたっけ。ちぇっ、せっかくいい気分だったのに、嫌なこと思い出しちゃった。

 それにしても、そんなに心配かけてるとは思わなかった。こんなに慌てふためくメリーも珍しいもの。

「でも、いくらなんでも家出って……子どもじゃないんだから」

「子どもみたいなものです。ときどき考えなしに勢いだけで突っ走るじゃないですか」

 う……そう言われると弱い。実際、一人で洞窟に突っ込もうとしていたのだから、家出よりもたちが悪い。

「魔王さんもすごい心配して、たった今探しに駆け出していったところですよ」

「え?」

 魔王が、あたしを?

 想像してみた。

 半分泣きべそをかきながら、あたしの名を叫び、町中を駆けずり回る魔王……

 ふん、いい気味だ。

「たぶん、まだそこらへんにいるはずですよ。すぐに探しに行ったほうが、」

「ああ……いいのよ、あんなやつ」

「で、でも」

「いいの! そんなことより、ほら! これ、見てよ!」

 あたしはどさっと麻袋を机の上に置くと、ゆっくりともったいつけるように紐を解いた。口を開けたとたん、中から光が溢れ出し、殺風景なあたしたちの部屋を黄金色に輝かせる。

「な……っ!」

 言葉を失うメリー。気持ちは分かる。自分で持ってきたあたしですら、半ば信じられないほどだもの。

 おそるおそる袋の中に手を入れ、触れてみる。

 ひんやりと冷たい硬い感触。よし、夢じゃない。

 五十人の両手を集めても持ちきれないほどの金貨が、そこにはあった。

 きっかり五万ゴールド。人生を買えるほどの大金。

「どう?」

 メリーを見ると、まるで呼吸を忘れてしまったように、棒立ちに硬直しながら、

「ど、ど、どこで、これ……?」

 ようやくそれだけを口にした。

「ふふ、クエストの特上で、ちょっとね!」

「ク、クエスト特上っ! 一人でですかッ?」

 もうメリーってば驚きっぱなしね。一人で特上クエストに挑戦した度胸に驚いてるのか、無傷で生還してきたことに驚いてるのか。きっと両方だろう。彼女もれっきとした元冒険者。特上クエストの恐ろしさは身にしみて知っているはずだ。

「ま、あたしにかかりゃ、ちょろいもんよ」

 これは本当。確かにちょろかった。何しろ一歩も洞窟に踏み入ってないんだから。ま、そこらへんは言うことでもないか。

 今はそれより……

 両手を広げて金貨をすくってみた。ああ、なんて素敵な重み。今まさにあたしは未来を掴み取っている!

「ね、すごいでしょ! これで式代とかドレス代とか頭を悩まさなくてもいいのよ! すっごい結婚式にするね! もう世界で一番ゴージャスなやつ! ウエディングドレスも一番高いやつにして、料理も一流のコックを呼んでフルコースを、」


 ぱぁんっ。


 最初に聞こえたのは、その高くて短い音だった。

 その次に、カジノで耳にするような、金貨が床にジャラジャラ零れ落ちる派手な音。

 そして最後に、熱いような、しびれるような……右頬の痛み。

 そこまできてようやくあたしは、メリーに頬を叩かれたのだと気づいた。

「め……メリー?」

「バカっ! どこまでっ、どこまで心配かければ気が済むんですか!」

 初めて聞くメリーの怒声は、あまりにも鋭すぎて、耳の奥にまで突き刺さりはするけど、理解が、追いつかない。

 なぜ、メリーに叩かれなければいけないのか。

 何を彼女はそんなに怒っているのか。

 なぜ、彼女は、そんなに、大粒の涙を流しているのか……

「一人で特上クエストだなんて……! こんな物のために、そんな危ないこと……!」

 こんな、物?

 何よ……メリーまで、あたしのこと、そんな風に言うの?

 こんな物って?

 これでやっとあたしの夢が叶うというのに。それを、その大切な未来への切符を、こんな物って、そう言うの?

 まるで……あいつみたいに……

「こんな物なんかじゃないわよ!」

 怒鳴った。怒鳴り返した。

 そうよ、あたしは最強の魔道士。ほっぺた叩かれたくらいでメソメソ泣き出す子どもじゃないんだから!

 メリーはちっとも分かってない! これでやっとあたしの夢が叶うっていうのに。それは、小さな頃からずっと憧れてた大切な夢なのに!

「じゃあ、もういいわよ! メリーなんか知らない! あんたなんて……!」

 ずかずかとわざと乱暴に足を踏み鳴らし、ちょうつがいを壊すほどの勢いでドアを開けた。

 最後に振り返ると、きっと唇を噛みしめ、涙をためながら睨みつけてくるメリーの姿。謝るつもりは、ないらしい。そっちから先に頭下げれば、こっちだって許してあげるのに。そんなとこまであいつと同じだ。

「あんたなんて……もう結婚式呼んであげないから! メリーの馬鹿!」

 口から出てきたのは、そんな子どものような捨て台詞。

 ああ、なんてかっこ悪い。最後の最後まで、最悪だ。

 ばんっと力任せにドアを閉める。その衝撃でようやく、あたしの目から涙がこぼれはじめた。



(8)


 特に目的地があったわけじゃない。急いでいたわけでもない。

 でも、ただただ止まっているのが嫌で、あたしは全力で走り出していた。

 いっそこのまま遠くまで消えてしまいたい。メリーも魔王もいない、世界の果てまで。

 そんな思いを置き去りにしたくて、さらに速く走る。

 馬鹿! メリーの馬鹿、魔王の馬鹿、みんなの馬鹿!

「ばかあっ!」

 どれくらい走っただろう。気がつけば、町外れの公園まで来ていた。

 ぜいぜいと荒い息をおさえながら、あたしは近くのベンチに腰掛けた。

 さすがに苦しい。ただでさえ、涙と鼻水でぐしゅぐしゅになりうまく呼吸できないというのに。

「……はぁ」

 五分ほどそうして座りこみ、何度も深呼吸する。

 ふぅ……ようやく落ち着いてきた。

 まわりを見渡してみるが、あたしの他には誰もいない。当たり前だ。夜遅くの公園、しかも季節は冬。こんな時間に外をうろついてるのは、よほどの変人か、もしくは……恋人とも親友とも喧嘩して、行く場所を失った者くらいだろう。

 寒い……走っていたときの汗が冷えて、余計に寒い。木枯らしがさらに追い討ちをかけてくる。なんか世界全部に嫌われてる気がしてきた。

 でも家に帰るなんて絶対いや! あの二人が謝りにくるまで、ううん、謝りにきたって許してやるもんか!

 とは思うけど……北風は体温と一緒に気力も奪っていく。帰るという選択肢が強烈にあたしを誘惑する。

 本当なら今ごろは暖かい家で温かいご飯……ああ、なんかおなかすいたと思ったら、そういえば夕飯もまだだっけ。

 どこか飯屋にでも場所を移そうと考えるも、一ゴールドだって持っていない自分に気づいた。

 なにしろ頭にカッと血が上って、何も考えずに飛び出してきちゃったから……

 五万ゴールドなんて大金を手に入れておきながら、ご飯の一杯も買えないなんて。バカバカしすぎて笑い話にもならないわ。

 ぶるっと身震いして、体をちぢこませる。さっきから歯はがちがち鳴りっぱなし。

 もしかして、このまま、あたし、本当に、死ぬのかな、一人ぼっちで……

「あ」

 ポケットに入れた右手の指先が、何か硬いものに触れた。こ、この感触は!

 慌てて取り出すと、そこにはさっきまで山と積まれていたものの一枚。威風堂々と輝く金貨があらわれる。

「や、やったぁ!」

 いつの間に? きっと部屋でメリーとどたばたしてるときに、ポケットの中へまぎれ込んだのだろう。

 た、助かったわ! 一枚だけとはいえ金貨は金貨だ。当面の食事代、宿代になる。これでメリーたちが心配で心配でどうにもならなくなるまで、身を隠せるって寸法よ!

 じゃあ、さっそく避難しよう。こんなとこにいつまでもいたら本気で凍死してしまう。この時間だと普通の飯屋は閉まってるかもしれない。 よし、酒場に行こう。またお酒でも飲んで、嫌なことはぱ~っと忘れて、それで……それで……

「う……っ!」

 涙が一滴、金貨の上にぽつんと落ちた。

 なに……? これ……?

 一枚の金貨。思い描いていた夢への通行証。幸せを約束するチケット。未来を象徴するかのようにきらきらと輝いている、はずだった。

 それが今はただの冷たいちっぽけな金属にしか見えない。

 これはウエディングドレスになるはずだった。

 これはブーケになるはずだった。

 これはお祝いのシャンパンになるはずだった。

 それなのに、あたしは今からこれを使って酒場に行こうなんて思っている。

 一人で。

「うっ……ふぇ、えっ……」

 幸せな結婚式なんて、夢だ。もう本当にただのゆめまぼろし。

 どれだけ豪華な式場があっても、どれだけ綺麗なドレスがあっても、

 あたしは、一人だから。

 だから……

「風邪……ひきますよ」

 暖かい声と同時に、やわらかい布が背中からかけられる。

 寒さで固まってしまった首を無理やり動かし、あたしは後ろを振り向いた。

 見るものを包み込むような優しい笑顔があたしを迎えてくれる。きっと天使がいたら、こんな顔をしているんだろう。

「さっきはごめんなさい……ソニア」

 彼女はそう言って頭を下げるけれど、それは違う。謝るのはあたしのほうだから。だというのに、涙が次々に溢れ出して、言葉にならない。

 だからもう夢中で、メリーの胸に飛び込んだ。

「よしよし……」

 赤ん坊をあやす母親のように、あたしの頭をなでるメリー。

 自分の泣き声が、どこか遠くに感じる。

 ただメリーがそこにいるということが嬉しくて。

 北風はまだ強いけれど、もう、寒くはなかった。



(9)


 寒いっ!

 一時間以上、ずっと外で座り込んでたりしたから、体がガチガチだ。いくら俺が最強の勇者とはいっても、こればっかりは防御のしようがない。

 ったく、ソニアのやろう! いくら待っても来やしない。あれだけちゃんと約束したのに、すっかり忘れてやがるな! 世界の平和がかかってるっていう責任と自覚が足りないんじゃないか? 俺に言われちゃおしまいだぞ!

「ソニア! おい、開けろ!」

 何度か来たことのあるこじんまりとした一軒家。ここがソニアの家だ。

 しかしいくら呼びかけても返事はない。中の灯はついてるから、いるはずだとは思うんだが……寝てるのか? あるいは、考えたくないが、このまますっとぼけて覇者の剣もエクスカリバーも両方自分の物にしようっていうんじゃ……

「おい、ソニア、借りた物は返せ! 中にいるのは分かってるんだぞ、開けろ!」

 こんなの勇者のセリフでも仲間のセリフでもないよなあ。これじゃ山賊か借金取りだ。やっぱ友情に金銭関係持ち込むのはトラブルの元だ。これからは気をつけよう。

「おい、早く開け……あ」

 ためしにドアノブをまわしてみたら、あっさりと開く。じゃあ、やっぱり中にいるのか? それとも鍵もかけずに出かけてしまったのだろうか。

 う~ん、どうしよう。いくらソニアといえども、性別は女だ。さすがに女性の一人暮らしに勝手に入るのはまずいかもしれない。

「……ま、いいか」

 相手はソニアだし。今さら気をつかっても仕方がないだろ。

 こそこそするのも馬鹿らしいから、堂々とドアを開け中に踏み込む。第一歩を、ちゃりぃんと景気のいい音が出迎えてくれた。

「う、うわ!」

 その音に顔を下に向けて、さすがの俺も驚く。床一面に、数え切れないほどの金貨がばらまかれていた。

 おいおい、いくらなんでも無用心すぎるだろ。あらためて見回すが、やはりソニアの姿はない。この状態でよく鍵もかけず留守にできるな……

「ん?」

 注意深く観察していて、ようやく机の上の「それ」に気づく。なにしろ隣にある金貨の山がインパクト強すぎて、見落としていた。

 便箋だ。

 一枚の白い便箋が机の上に封もされず置かれている。びっしりと丁寧な文字で埋まっていた。書き途中、というわけではなく、どうも書き置きとして残してあるようだ。

 もしかして俺宛か? 拾い上げて最初の数行だけ読んでみる。えっと、なになに……

『今からあなたを探しに行きます。もしかしたら私が探してる間にあなたが来て、入れ違いになってしまうかもしれません。だから、これを書き残しておきます』

 あ、やっぱりソニアが俺に宛てた書置きのようだ。探しに行くってのがちょっと妙ではあるけど。洞窟の前で待ってるって約束してたのに、忘れてるのか?

それにしても、あいつ手紙だとずいぶん丁寧な口調になるんだな。あいつから手紙なんてもらったことないし。ずいぶん意外な一面だ。

『まず最初に謝らなければいけません。ごめんなさい、あんなことをして。あなたが一人でクエストをしてきたと聞き、つい頭に血が上ってしまいました。本当にごめんなさい』

 いや、別に、そんな謝ることじゃ……これ、本当にソニアが書いたのか? なんか普段の粗暴な感じとはイメージが違う。

 確かにあのときのあいつは頭に血が上ってたけど、そんな気にすることでもないのに。俺としては覇者の剣さえ返してもらえればいいんだから。

『でも、やっぱり許せなかったんです。一人で特上クエストだなんて! そんな馬鹿な真似はやめてください! 何かあったらどうするつもりだったのですか?』

 え、えええっ?

 おいおい、なんか怒られてるよ、俺。言いたくないけど、ソニア、元はと言えばお前が俺から覇者の剣を取り上げたせいなんだぜ?

『お願いですから、もう危険なことはしないでください。あなたにもしものことがあったら、悲しむ人間はたくさんいます。もちろん私もです。あなたは誰よりも大切な私の仲間ですから』

「ソニア……」

 あいつ……俺のこと、そんなふうに思っていてくれてたのか。

 不覚にも涙が出そうになる。

 ありがたいなぁ、仲間って。離れていても、友情が消えたりはしないんだな。もしかしたら忘れられてるんじゃないかとまで思ってたよ。馬鹿だなあ、俺。いらぬ心配だったな。

『あなたが困ってると聞き、何か助けになればと思い、私は道具屋へ向かいました。冒険のときに使っていたけど今となっては不要というアイテムが、家にはたくさんありましたので。それらを売って、たくさんのお金を手に入れました。ぜひあなたに使ってほしいと思います』

 はは……いいのによ、そんな気をつかわなくても。その暖かい心だけで十分だ。それだけで俺は勇気が湧いて、

『幸い、覇者の剣は大変な高値で売れました』

「……へ?」

 お、俺の、覇者の剣を、う、売った……?

「って、おい!」

 相手は手紙だと分かっていても、叫ばずにはいられない。

 何しやがるんだ、ソニア! 世界に一本しかないんだぞ! 勝手に人の物、売りさばくなよ!

『勝手に人の物を売っていいのかと、あなたは心配するかもしれませんね』

「するだろ、そりゃ!」

『でも、大丈夫。あの剣は確かにロンさんの剣ですが、手に入れられたのは私たち皆の協力があってこそでしたから。そういう意味では皆の剣なのです。ロンさんだって文句は言わないはずです』

「言うよ! 売るなよ!」

 ソニア。本当に、その温かい心だけで十分だ。っていうか、それ以上何もするな!

『しかし、このお金は今はまだあなたに渡しません。また無駄遣いして、なくなってしまうかもしれませんからね』

「そんな余裕あるか、今の俺に!」

 お前のせいで史上最弱勇者だよ、俺は! 手ぶらだぞ! 魔王と戦うどころの騒ぎじゃない。

『というわけで、このお金はあなたの結婚式が来るまで、私が預かっておきますね』

「いつの話だあっ!」

 まだ恋人すらいねえよ! 恋愛経験ゼロ勝一敗の俺に結婚とか言うな! そんな、あるかどうかも分からないものが来るまで俺は一文無しなのか?

 手紙を持つ手がわなわな震え、ぐしゃっと音をたてた。

 やられた……これなら剣を持ち逃げされたほうがまだましだった。それなら追いかけて取り返せばいい話なんだから。でも、売り払われちゃったら……どうすりゃいいんだ? 買い戻そうにも、金がない。金はソニアが保管していて、俺が結婚するときに支払われるらしい。

「無茶言うなよ……」

 そんなん簡単に出来るくらいなら、今ごろ一人でこんなとこにいねえよ。

 まずはガールフレンドを見つけて、お友達から始めて、告白して、付き合って、プロポーズして、オッケーをもらって……無理無理! 全然出来る気がしねえ! それなら素手で魔王に勝つほうが、よっぽど簡単だ。

 もう一度手紙に目を落とすと、一番下に小さく一行だけ書き添えられていた。

『追伸。最後にお願いがあります』

 まだあるのかよ……これ以上、俺に何をさせる気だ?

 いいさ、やってやる。こうなりゃやけだ。何でも言ってみろ!

『あんまり魔王さんと喧嘩しないでくださいね』

「無茶言うなあっ!」

 たった一枚の紙切れが、俺から何もかも奪い去ってしまった。

 勇者としての武器も、勇者としての使命も――



(10)


「え、売っちゃったの、昔のアイテム?」

「はい、どうせもう使わないし、邪魔だったので」

 二人並んで座る公園のベンチ。

 すぐ隣でメリーが突然の爆弾発言を繰り出した。

 その笑顔には一片の曇りも罪悪感もない。そんな屈託なく言われると、別に悪いことじゃないのではと思ってしまう。でも、

「さ、さすがにそれはまずいでしょ。だって、みんなで手に入れたものなのに」

 気持ちはありがたいけど、アイテムもアイテムを売ったお金もみんなの共有財産だ。それをあたしが一人で使ってしまうわけにはいかないんじゃない?

「う~ん、そんな気にすることないと思いますけど」

 しばらく考え込んだのち、ぽんと手を叩くメリー。何かいいアイデアが思いついたらしい。

「じゃあ、こうしましょう! ソニアにあげるのではなく、魔王さんにあげるんです。それならいいでしょう?」

「いや、それ余計にダメよ」

 正義の勇者一行が魔王に貢いでどうすんの。

「大丈夫ですって。だってほら、あのアイテムって全部もともと魔王さんのために用意したものじゃないですか。聖水も火薬玉も、最終決戦で魔王さんに喰らわせる予定でしたし。ちょっと形は変わりますけど、魔王さんのために使うって意味では同じだし、問題ないですよ」

 そ、そうかぁ? あたしにはとてもそうは思えないけど。でもシスターであるメリーがここまで自信満々なのだから、それはそれで正しいのかな?

「それにっ」

 メリーはさっきまでの暖かい笑顔とは打って変わって、冷たいまなざしであたしを睨みつける。

「そうでもしないと、ソニアが次にどんな危ないことするか分かりませんから」

「や、やだな~。だから、反省してるってば。どんなにお金に困っても、もう一人でクエストに出かけたりしないって」

 うん、今考えるとさすがに暴走しすぎた。あまりに無謀。生還できたのが不思議なくらいだもの。

 あれ……?

 本当に不思議だ。なんでだっけ? 確かあの時、あたしは誰かに……

「いえ、それもなんですけど」

 回想モードのあたしに、メリーが横から声をかけ思考を中断させる。

「たとえばソニアが魔王さんと夫婦喧嘩したときに……怖いんですよね、伝説の剣がその場にあったりしたら。ソニアのことだから、うっかり魔王さんにとどめさしちゃいそうで」

「あんた、あたしのこと何だと思ってるのよ!」

 いくらあたしでも、夫婦喧嘩で覇者の剣を振り回したりは――

「あ」

 夫婦喧嘩で、覇者の剣を――

「あああああっ!」

 わ、忘れてたああっ! あたしのバカ! こんな重要なこと忘れてるなんて!

「ど、どうしたんですか?」

「思い出したの! そういえば、あたし……」

 がしっとメリーの両手を握り、訴えるように叫ぶ。

「魔王と喧嘩してるんだった!」

 結婚資金がどうとかしゃべってる場合じゃない。結婚そのものがもう取り消されてしまったんだから!

「ああ、そんなことですか」

「そ、そんなことって!」

「しょうがないですね~。じゃ、仲介役を引き受けますよ。あたしがソニアの代わりにメッセージを伝えてきてあげます」

 どんと胸をたたくメリー。なんてたのもしい。後光が射して見える。

「い、いいの?」

「任せてください。シスターですから。懺悔を聞くのは得意中の得意です」

「じゃ、じゃあ……」

 コホンと咳払いしてから、メリーに魔王を重ねあわせる。その姿に向かって、頭を下げた。

「ごめんなさい」

「ふんふん、それから?」

「その……あんたと、仲直り、したい、な」

「それだけですか?」

「それから、その……」

 ああ、そういえば、このセリフ言ったことなかったかもしれない。

 本人を前にしてはとても言えないセリフだもの。

 でも、まぁ人づてなら、なんとか……

「あたしは、あなたが、好き、です……」

 はぅ……言ってしまった。

 メリーはかすかに頬を染めながら、にこにこ微笑んでいる。

「で、それだけでいいんですか?」

「これ以上、何をしろって言うのよ!」

「仲直りのちゅうとか」

「するか、そんなもん! っていうか、それをメリーから伝えたら問題あるでしょうが!」

 こいつ、本当にシスター? ときどきあたしでもびっくりするような発言が飛び出してくる。

 あたしは照れ隠しにわざと大声で、

「とにかく! 頼んだからね! ちゃんと伝えといてよ」

「はい、頼まれました~」

 メリーはすくっと立ち上がると、後ろを振り向いて、

「……だ、そうですよ~」

 突然、誰にともなく呼びかけた。

 その声に応じ、がさがさっと草むらが揺れ、居心地悪そうに、一人の男が現れた。

「……へ?」

 開いた口がふさがらない。

 な、なんで、こいつが、ここに……

 あたしと彼の目が合う。ハッとさっきの自分のセリフを思い出し、恥ずかしくなって目をそらした。

「ちょ、ちょっと、メリー! これは一体……!」

 追求しようとするが、そこにメリーの姿はない。すでに遠くで手を振っていた。

「ちゃ~んと伝えましたからね~!」

 ああ、メリー。

 炎まとう不死鳥とか氷の魔人とか、世界には信じられないような召喚呪文がたくさんある。

 でも、魔王を呼び出したのなんて、あんたが初めてでしょうね。

 さすが、元勇者の仲間よ。

 この、

「嘘つきシスターがあっ!」

 悠然と歩み去るその後姿に向かって叫ぶ。もはやメリーは振り返りもしない。

 くそ、はめられた! あたしと会う前に、すでに魔王と打ち合わせを!

「あ~、そのな……」

 魔王がぽりぽりと頬をかきながら、おずおずと口を挟んできた。

「いや、騙すつもりはなくてな、ただメリーのやつが今はまだ顔を合わさないほうがいいと……」

「魔王ともあろう者が、あんな小娘の言うこと、ほいほい聞かないでよ!」

「あ~、うん、すまん」

 声を荒げるあたしに、しょんぼりうなだれる魔王。

 あ……またこの図式だ。また喧嘩になってしまってる。

「とりあえず……」

 咳払いを一つ、そして提案。あくまで目を合わさないようにしながら。

「隣……座ったら?」



(11)


 世の中、大事なのはお金じゃない。

 確かにないと困るけど、それだけあればいいってものじゃない。

 本当に大切なのは、

「武器だ」

 俺は床に座り込みながら、ため息をついた。

 いくら金があっても……伝説の武器なんて手に入らないもんなぁ。

 それにしても、ソニアは遅い。一向に帰ってこない。どこまで探しにいったのだろう。俺もソニアを探しにいったほうがいいのかもしれないが、それだとまた行き違いになる可能性がある。というのは建前で、もう立ち上がる気力もないというのが本音だ。

 ポジティブに生きていこうと決めはしたけど、今回はさすがになぁ……

 ソニアが帰ってきたら、どうしよう? 言いたいことは山ほどあるけど、それも今さら無意味だ。覇者の剣もエクスカリバーも売り払われて、もう手元にないのなら……

「待てよ?」

 本当にエクスカリバーはもう売られてしまったのか?

 手紙には「覇者の剣を売った」としか書かれていない。机に床に散乱する、数える気も起きないほど大量の金貨。目もくらむ大金ではあるが、覇者の剣一本でもこれくらいの額にはなるはずだ。

 とすれば……エクスカリバーはまだ残っている? もしかしたら、この部屋に!

 あたりをぐるっと見回してみる。家具の少ない殺風景な部屋に、無造作にばらまかれた金貨の飾りつけ。う~ん、シュールだ。タンスを開けてみるが、そこには服しかない。

 やっぱりもう売られちゃったのかな。ソニアが身につけているという一縷の希望が残ってはいるが……

「あれ?」

 何だ、これ?

 タンスの中に並ぶ黒い服。ああ、ソニアのよく来ていた魔法使い用のローブかと思いきや、そうじゃない。

 白い襟。金の刺繍糸で縫われた十字架の紋章。これって、シスターの服、だよな。

 なんでソニアがこれを? え、あいつって転職したの? あいつがシスターになりたがってるなんて聞いたこともなかったけど。

 それにしても、よりによってシスターかよ。似合わねぇな~。粗暴なあいつに務まるかぁ?

 シスターといえば、俺の仲間にもメリーというシスターがいた。いつも笑顔で優しくて、決して嘘をついたり人を傷つけたりしない。うん、あいつはまさにシスター中のシスターって感じだった。

 今ごろ、どこでどうしているのか、

「わ」

 突然、ノックもなしにドアが開く。向こうにとっても俺の姿は予想外だったのだろう。小さく驚きの声を上げて、棒立ちになっていた。

「あ、あなたは……!」

「おお、久しぶりだな!」

 お互い目を丸くして顔を合わせる俺とメリー。

 いつ以来だろう。冒険が終わってからは全く会っていないはずだ。懐かしいなぁ。

「元気だったか? ちょうど今、お前のことを考えて、」

「ど、泥棒―っ!」

 ええええっ?

 メリーはすぐさまドアの横に立てかけてあった竹箒を手に取り、威嚇するように振り上げる。

「ゆ、勇者の仲間の家に空き巣とはいい度胸です。生きて帰れるとは思わないでくださいよ!」

「ちょっと待て! 俺だよ、俺! その勇者だよ!」

 信じらんねえ! こいつ顔忘れてやがる!

 そりゃ久しぶりではあるけど、忘れるか、普通?

 たっぷり三十秒ほど俺を見つめ、ようやくメリーは思い出したようだ。

「ロ……ロンさん?」

 ああ、よかった、名前は覚えてもらえていた。

「そうだよ、俺はロ、」

 がすんっ。

 メリーの竹箒が振り下ろされ、俺の頭頂部を直撃する。

「いっでぇ!」

「何やってるんですか、ロンさん! いくら女性にもてないからって、こんな……」

 二撃目を繰り出すべく、さらなる攻撃態勢に入るメリー。

 わけも分からず倒れこむ俺。

 そして、その横には……開け放たれたままの衣装タンス。

「下着泥棒だなんて!」

「全然違う!」

 こ、こいつ、俺のことそんなふうに思ってたのか!

 ダメ勇者って言われるのはもう慣れたけど、ダメ人間って思われるのはちょっと……

「ロンさん、こういうことだけはしない人だって、信じていたのに!」

「信じてねえじゃねえか」

「勇者として、仲間として、とても尊敬していたのに!」

「お前、俺の顔忘れてたよな」

 聞く耳持たないって感じだ。いつからシスターは懺悔も聞かないようになったんだ?

「とにかく聞いてくれ。俺はただ聖剣エクスカリバーを探して、」

「もっとマシな言い訳をしてください!」

 がすん。最後まで言い切ることもできずに、容赦ない二撃目が叩き込まれた。

「普通の家のタンスに、そんなのあるわけないでしょ! どっかの洞窟最奥部の宝箱じゃないんですから!」

「そうなんだけど、そうじゃなくて、いででっ!」

 メリーは俺の襟首を掴みずるずる引きずると、ゴミでも放り出すようにドアから外に追い出した。

 地べたにしりもちをつきながら、メリーの顔を見上げる。まるで鬼のような形相。なんて迫力。普段温厚なだけに、怖すぎる。

「メリー! 頼むから俺の話を……ぐはっ!」

 立ち上がろうとした俺に、竹箒が投げつけられる。槍のように強烈に、そして正確に、俺の鼻の中心に命中した。

 す、すげぇパワーだ。こいつ、こんなに強かったのか。回復役なんかやらせず、もっと前線に配置すればよかった。

「いくら勇者だからって、やっていいことと悪いことがあるんですよ! 他人の家に勝手に入って、勝手にタンスを開けるなんて! 最低です!」

 バタン、と大きな音をたててドアが閉められる。

 完全な拒絶。

 星の瞬きさえ聞こえそうな静かな夜空の下で「最低です」がいつまでも俺の頭でリフレインしていた。

 うわぁ、効くなぁ……ソニアならまだいい。あいつは普段から乱暴だし口も悪かったから。でも、あんなに優しかったメリーにまでこけおろされると……その言葉はさらに攻撃力が増す。

「く……っ!」

 流れそうになった涙を慌てて引っ込める。泣いてる暇なんてない。俺には世界を救うという使命があるんだから。たぶん!

 待ってろよ、魔王。本当に待ってろよ! お前にまで見捨てられたら、俺が困るからな!

 そう、俺はポジティブに前向きに生きてくって決めたんだ。今回の件だって全く救いがないように思えるけど、探せばきっと幸せの種は、

「あ」

 地面に転がる「それ」を見つける。武器も使命も信用も、全てなくした俺にもたらされた最後の幸運。

「は……はははっ!」

 笑いがこぼれた。もう笑うしかない。

 すげえよ、俺。ついてるなあ。十億分の一のラッキーボーイだぜ。こんなちょうどいいところに、ちょうどいい物が落ちてるんだから!

「よし……!」

 さっきメリーが投げつけてきた竹箒を拾い上げる。

 思いのほか、手になじんだ。

 覇者の剣もエクスカリバーも失ってしまったけど……

 代わりの武器は手に入れたぜ!

「はははっ!」

 もう……なんでもいいや――



(12)


 二人並んで一枚の肩掛け毛布を半分ずつ使う。それでも十分な長さがあるのは、最初からメリーはこうやって使わせるつもりだったのかもしれない。油断ならない娘だ……

「暖かいな、これ」

「まあね。メリーの特製だもの」

 パッチワークでつくられた肩掛け毛布。教会はよくバザーを開き、不要になった服や毛布を集めている。これはその余り布を使って作られたのだろう。

 つまり原価はタダ。でも、そんなことはどうでもいい。物の価値なんて、ゴールドじゃ計れないって分かったから。

「メリーといえばな……聞いたぞ」

 魔王はまるで新事実の大発見とでも言わんばかりに意気込んだ。

「結婚したら、我らは一緒に暮らすそうだな!」

 し、知らなかったのか……確かに伝えてなかったかもしれないけど、でも、それくらい知っててよ!

「なぜソニアがやたらと結婚したがるのか分からなかったのだが、ようやく納得いった。それが目的だったのだな」

「そっ! そんなんじゃ……っ!」

 そんなんじゃ……なくもないけど……

「ねぇ、そのことなんだけど、その、あんたは、本当にいいの?」

「何が?」

「だって……」

 夜空を見上げる。満天の星空。あのとき魔王が指差した一番星は、もうどれだか分からない。

「一緒に暮らすってことは、喧嘩することもあるってことだよ? 特に、あたしって、ほら……こういう性格だし」

「気にするな。余は世界創世の頃より争いの中にいたからな。喧嘩するのは慣れている」

「そんな納得のされかたも微妙なんだけど」

 こいつは、とにかくスケールが大きい。大きすぎる。

 あたしの不安の正体はそこだったんだと思う。

 今日の喧嘩だって、あたしには世界の終わり並みに目の前が真っ暗になってしまったのに。こいつにとっては、取るに足らない些細なことだったのかな。

「本当言うとね、あたしがあんたと結婚したかったのは、一緒に暮らしたいとかじゃなくて、ううん、それもあるんだけど、ただ……」

 ぎゅっと、強く、魔王の手を握る。

「あんたを、逃がしたくなかったの」

 魔王は心外だというように、むっと眉をひそめた。

 うん、分かってる。あたしは酷いことを言ってる。つまりは魔王のこと、信じていないってことなんだから。

「だって、あんたって、なんていうか……自由じゃん。そのうち、あっさりいなくなっちゃんじゃないかって」

「余は逃げたりしないぞ」

「けど、あれだけこだわってた世界征服だって、あっさりと諦めちゃうし! もしかしたら、いつかあたしのことも……」

「世界征服とソニアは違う」

 魔王はあたしを腕に抱きながら、よく通る低い声で、

「ソニアは世界などより、ずっと大切だからな」

 何の照れもなく、そう言ってのけるのだった。

「前から思ってたけど……よくそういう恥ずかしいセリフ言えるよね」

「嫌か?」

「嫌じゃないけど……」

 大体、あたしも、同じ気持ちだし……

 きっとあたしは、こいつのこういう素直なところに惹かれたんじゃないかと思う。それは、あたしにはない部分だったから。こいつといると、ちょっとだけ素直な自分に会えるから。

 魔王が「お」と顔を上げて、遠くの空を指差す。

「見ろ。星が綺麗だぞ」

「……そうだね」

 しんしんと冷える冬の夜空の下、あたしたちはいつまでもそうして寄り添っていた――



<第五話 終>

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