第七話
第七話で『紅梅奇譚』は終幕です。。
「……結局駆け落ち騒ぎだったんですね」
夏目と列記の報告を聞いた時氏は、読んでいた書状から目を離さず言った。
土地の所有権を巡る争いは住民たちの間ではよくあることだ。その訴えは六波羅へと持ち込まれる。
時氏は六波羅探題の最高責任者として、日々対応に追われているのだった。
「それで、彼女たちの処遇は」
「構いません。ふたりから厳重注意で」
かしこまりました、と夏目は頭を下げる。
ふと、列記は時氏を見ながら思うことがあった。
時氏自身は小梅とは違い、というより為政者たちの定めであると言っても過言ではない、政略結婚をした類いの人物だ。
彼の妻は、頼朝以来幕府に仕える有力御家人の安達家の人間だ。そして彼の母親も三浦家の人間。北条家は有力御家人の娘と結婚することでその正当性を示している部分もある。
適齢期になると年頃の娘と結婚することを義務づけられているのだが、決してはじめから相手のことを愛していたわけではないはずだ。
だから、と言ってはなんだが、多くの為政者とその家系の男たちは自分の気に入った女人を側に置くこともある。
だが、目の前の時氏は安達家の娘以外を側には置いていない。これは彼の父親の泰時や同じ家系の時盛のことを考えても、かなり珍しいことだった。もう子供も複数いるので側室は別に必要ではないし、列記ごときが心配することでも何でもないのだが、奥方のことを、自分の家族のことをどう思っているのだろうか。
そんな彼は、小梅の行動をどう思っているのだろうか、と少し気になってしまった。
すると、時氏は列記の心を読んだように口を開いた。
「わざわざ駆け落ちするほど好いている者同士を引き離すこともありません。そのほうが更に騒ぎが大きくなるでしょうし」
「父上ー!!」
ふいに、ばたばたという足音と元気な子供の声が聞こえてきた。その後ろから慌てた声も聞こえてくる。
この場にいた三人は揃ってそのほうに顔を向ける。
そして時氏は困ったように笑った。
「まったく……藻上丸はいたずらっ子で仕方ありませんね」
ようやく時氏は手にしていた書状を離した。呆れたように言っているはずなのに、どこか嬉しそうだ。一瞬で為政者の顔から父親の顔に変わっている。
それを見て、夏目も表情を和らげた。
「では私たちもさがります」
「そうしてください。ご苦労」
夏目と列記は一度礼をすると、藻上丸が来るであろう方向とは違うところから退出していった。
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「……お姉様はどうなるの」
六波羅の門外で小春は心配そうに列記に訊ねた。彼女は列記たちが時氏に報告して帰ってくるまでここでひとり待っていたのだ。夏目は次の仕事があるので北方で解散していた。なので列記だけがここにやってきた。
小春は細い眉をぎゅっと中央に寄せ、ともすれば泣きそうな顔で列記を見上げていた。
列記はそんな彼女を安心させるように、にっこりと微笑んだ。
「時氏様はお許しくださるそうだよ。時氏様がそうおっしゃるなら時盛様もそうするでしょう」
すると、小春はまたぽろぽろと泣き始めた。ぎょっとして、対応が不味かったか、と焦った列記だが、彼女はふるふると首を振った。
「よかった……ありがとう、ありがとうございます……!!」
薄紅の着物の袖を目に当てて、しかしほんの少し口の端がほころんでいた。
――なんか、可愛いなぁ
相当場違いなことを考えていることはわかっているが、やはり女装した夏目とは全然違う。本当に女の子らしい、ころころ変わる表情と心の底から姉の幸せを想っている、その優しさを好ましく思った。
「……列記、何してるの?」
突然、後ろから姉の声が聞こえた。
列記は飛び上がるほど驚いた。
「ね、姉さん!?」
ひょっこり顔を出した姉は、泣いている小春と顔を真っ赤にしている列記を見比べてにやっと笑った。
「……あらぁ、ごめんなさいね」
「ちょっ、待って!!」
「いやぁ、仕事場でこっそり会っちゃうほどの関係なんでしょ。今晩はお赤飯かしら」
るんるんと門の中へと引き返していく姉の背中に誤解だ、と叫ぶも彼女はまったく聞いてない。それどころか他の六波羅の同僚にまで言いふらそうとしている。
「あぁ、もう!!姉さんは本当に人の話を聞かないんだから……小春ちゃん、ごめんね」
申し訳なさそうに列記は謝るが、意外にも小春は楽しそうに笑っていた。
「気にしないで。実はね、お父様もお母様もお姉様に再会できて喜んでたの。やっぱり心配だったんだって。だから音信不通になるぐらいなら、って結婚を認めてくれたの。だからうちも今は幸せよ。本当に良かった」
「そ、そうなんだ」
姉のことが気が気でない列記はひきつった顔をしているに違いない。それでも小春は家族が再びまとまったことをうれしく思っているようだし、小梅の結婚も受け入れることができたようだ。彼女の言うとおり、輝くような笑顔を浮かべている。
「列記君も家族と仲良くね。元気にお仕事頑張って」
じゃ、と小春は小さく手を振り、くるりときびすを返す。
だがすぐに、あっと声をあげた。
「あの朴念仁とも仲良くね!!」
多分夏目のことだろう。列記は何とも言えない顔でははは、と苦笑いした。きっと夏目が聞いていたらまた険しい顔をするに違いない。
そうして小春は去っていった。ちょっと寂しいが、彼女たちが幸せならそれでいいのだ、と列記は自分に言い聞かせた。それより、早く姉の誤解を解かなければ親にまで変な迷惑をかけてしまう。いや、気まずい思いをするのはごめんだ。
なんともおかしな数日間だったな、とひとりごちる。でも今まで聞いたどんな奇譚よりも楽しかった。小春はちょっと気の強そうな少女だったが、可愛らしいところもあるし、また会いたいと思わせる人物だった。
「姉さん!!僕の話を聞いて!!」
列記は大きな充実感を感じながら、再び六波羅のなかへと足を踏み入れた。