第六話
「うわぁ!!」
列記の叫び声に、少女も驚きのあまり声をあげる。
「な、な、何なの!?叫ばないでよ!!」
少女はぎゅっと列記の着物を握りしめ、かたかたと小刻みに震えていた。
だが、列記の前で小首を傾げていた女人は、少女の声に目を丸くする。
「……小春?」
はじかれたように少女――小春は顔をあげた。
「こ、小梅お姉様……?」
小春は恐る恐る列記の背中から顔を出す。そして女人――姉の小梅を見るなり、その両目から涙がぽたぽたとこぼれ始めた。
「お姉様ぁ!!」
わぁっと声をあげて泣く小春に夏目がぎょっとしていると、彼女は小梅のもとに駆け寄り、ひしと抱き締めた。
「どこに行ってたの!?どうして黙ってどこかに行ってしまったの!?」
「ごめんね……私も噂を聞いて、もしかしたら小春が私のことを探してるんじゃないかって」
噂とは、やはり列記が時盛から聞いた話と同じだった。夜な夜な橋の上で探し物をする女人がいる、と。
どうやら小梅は訳あって妹――おそらく、他の家族にも告げずに姿をくらませたようだ。だが、件の噂を聞いていてもたってもいられなくなったらしい。
間もよく、今日は夏目と列記がこの場に居合わせているため、この騒動はすんなりと収められそうであることに列記はほっとしていた。
姉妹の再会を邪魔しないよう、ふたりは側で黙って見守っていた。
すると、小梅は腕のなかの妹を優しく撫でながら、顔だけをこちらに向けた。
「おふたりともごめんなさいね……折角」
「逢い引きじゃないです」
間髪入れずに夏目が指摘すると、小梅はきょとんとしていた。
「……喧嘩でもなさってるの?」
「私は男です!!」
「……まぁ」
驚嘆の声をあげ、目を丸くする小梅もまた、小春と同じような勘違いをしていた。列記はそれを察して、事情を説明する。
小梅はそれを聞くにつれて、顔を曇らせていく。
「私の身勝手な行動で六波羅の方にもご迷惑を……」
「僕たちの任務のひとつですから、そこはご心配いりません」
ですが、と夏目が列記の言葉を引き継ぐ。
「もう夜遅いですから事情聴取は明日、ということでよろしいですか」
だが小梅は気まずそうに夏目と列記を見た。そして、しばらく逡巡したあと、ゆっくりと口を開いた。
「実は……」
●○●○●○●○●○
数日後。
時氏に事件について報告するため、列記は六波羅探題北方を訪れていた。
元々北方所属の夏目とも無事に合流し、時氏の呼びがかかるまで別室で待機する。その間、列記は事件についてゆっくりと思い出していた。
翌日事情聴取の予定だったが、あのあと小梅からとんでもない話が飛び出した。
――実は私、駆け落ちした身なのです
だから、このまま実家に帰るわけにはいかない、と彼女は語った。
――お慕いしてる方と添い遂げるにはこれしか方法がなかったものですから
そうして彼女は誰にも告げることなく家を出たのだという。
事情を知っていた父母は特に気にすることもなかったが、小春は違った。そんな話があったことすら知らなかったため、騒ぎに騒いでしまったのだ。
夜な夜な橋の上に立っている、というのは、姉が夜中にそっと出ていったのをたまたま目撃していたための行為だったらしい。家の近くの橋の上ならば、もし遠くから歩いてきた姉を見つけやすいはずだ、と判断したようだ。
仕方がないので、一旦お開きにし、次の日に小春と小梅を再び集めることにした。場所は列記の家。少し歩くが、六波羅を使うわけにもいかず、ましてや実家はダメだと言って小梅が聞かないので渋々といった感じだった。
当日、小春たちと橋付近で待ち合わせをしていたら思いがけない人物が現れた。
小梅の駆け落ち相手の男だった。
男は小梅の肩を抱き、ともに歩いてくるとふふっとはにかんだ。
――ご迷惑をおかけしました
――ふたりで話し合って、やはりこそこそとするのはいけないと思ったのです
だから、夏目と列記に事のすべてを話したあと、実家へと赴くつもりなのだと彼は言った。
小春は泣いた。
義兄となる男と姉の話は彼女にとって突然のこと。帰ってきたと思ったら、自分ではない、他の誰かのために再び家を出ていく姉をなじっていた。
だが、小梅も小梅で決心は固く、小春になじられてもその意思は動くことはなかった。さすが駆け落ちするだけのことはある、と内心感心してしまう。
何故か家で姉妹喧嘩が繰り広げられているにも関わらず、どうすることもできない列記はふとふたりの姉のことを思い出していた。
上の姉は既に結婚していて、子供もいる。親に認められた結婚だったから、当初からこれといった苦難もなく、幸せそうにしていたのを覚えている。
下の姉が、もし時盛ではない男のことを好きになったとして、しかしそれが両親に認められなかったとしたら。そして駆け落ちする、なんて言い始めたら。
――僕だったらどうするかな
列記自身、あまり実感のわく話ではないので小梅の気持ちもわからなくもなかったし、それは小春に対してもそうだった。
結局、この日はふたりの仲を修復させることはできず、小梅と男は去っていった。小春は絶対嫌だと言ってふたりが去ったあともぐずぐずと泣き続けていた。
「小春ちゃん」
列記が呼びかけても彼女は首を振るだけだった。因みに夏目は、特に泣いている女人が苦手なので遠く彼方へと避難している。
もう一度声をかけようとしたとき、小さな声で小春が呟いた。
「お姉様は……私よりもあの人のことが大切なのかな……」
「そ、そんなことないよ」
「だったらなんであんなことするの」
真っ赤になった目で睨みつけられ、列記は少したじろぐ。
漠然と、誰かを好きになったら何となく一緒にいたいと思うようになるのかな、とぐらいにしか考えたことがなかった。
だから、姉が結婚すると聞いたときも、特には嫌だとは思わなかった。姉が自分達を捨てる、という発想には全く至らなかったので、小春が何故そういう考えに至ったのかが気になった。
「……理由なんてないよ、多分」
「え?」
列記の呟きに小春は顔をあげる。
「ほら……人を好きになるのに理由はいらないってよく言うでしょ。僕はまだ心の底から好きだって思う子に出会ったことがないからあんまりわかんないんだけど……小梅さんは小春ちゃんより旦那さんのほうが大切だからとかじゃなくて、ただどうしようもなく好きになっちゃったから」
いつだったか、母が父への不満をこぼしていたことがある。
あんまりぶつぶつ言っているので、列記は何故ふたりは結婚したのか訊ねてみた。
母は少し考えたあと、困ったように笑っていた。
――わからないわ。でもあの人がすごく好きだったの
恋愛結婚はこの時代はかなり珍しい。大抵は親が勝手に縁談を進めて、初めて顔を見るのは結婚当日、なんて話もありふれたものだ。
たまたま恋愛結婚をした親を持つ列記が考える結論はあまりにも勝手で、お粗末なものに過ぎないと自分でもわかっているつもりだった。
そして、これが小春の納得のいく答えでもない、ということも。
何にしても、未だ自分は未熟であることを痛感する。
十八ならば結婚していてもおかしくないし、同世代の同僚で子供もいる者も複数いる。年齢的にはどちらかというと、小梅の気持ちがわかるほうにいるはずなのだ。
だが、経験がないからいまいちわからない。恋心とは列記にとって複雑怪奇なものだ。
「まぁ、わからないなりの慰めみたいなものだから。いつか小春ちゃんにもお姉さんの気持ちがわかる日が来るよ、きっと」
それに、と夏目がようやく口を挟んだ。
「別に死んだわけじゃないのだから……歩いて来れる距離に姉君は住んでいるようだし、会いたいと思えばいつでも会えるではないか」
「……でも」
「第一、そなたのことをどうでもいいと思うなら、わざわざ嘘か本当かわからない噂を頼りに来たりしないだろう。しかもあんな夜中に」
そう言うと、夏目は急に恥ずかしくなったのか、さっさと部屋を出ていってしまった。
小春は、しばらく夏目が消えていったほうを見つめていたが、 ふいにふっと微笑んだ。
「……あの人、絶対彼女いないでしょ」
「……小春ちゃん……」
「でも、お役人さんって怖い人ばっかりなんだと思ってた。あなたたちは優しいのね」
まだ少し目尻は濡れていて、こすったところが赤くなっていた。
気の抜けたように、にへっと笑った小春に列記は不覚にもどきっとしてしまった。
実は……連続投稿です。。すごく尻切れトンボになっちゃったので……
引き続き、第七話(最終話)のほうをどうぞ。。