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道草之譚  作者: 玖龍
紅梅奇譚
3/9

第一話

前作から時間が経ちましたが、新作の番外編です。

『奇譚』と銘打っていますが、、、

また、番外編にだけ登場する新キャラも登場します。楽しんでいただけたら幸いです><

 曰く――後の矢を頼みにすることなかれ。

 ただ一矢のみと定むべし。


 心の乱れは禁物。


 頭ではない。慣れ親しんだ感覚を頼る。


 弓を引き絞る音。風を切る馬。揺れる馬上から睨むは前方の的。我慢強く、焦点を合わせる。


 「はっ!!」

 青年は、短く息を吐くとそのまま指を離す。たんっ、と軽い音が響く。と、同時に後方でどっと歓声が起こった。


 「列記(つらき)殿!!ようやった!!」

 青年――列記は馬の速度を落とし、完全に止まったところで飛び降りる。そして、ふーっと息を吐くと、みんなの元へと手綱を引いて戻っていった。

 「いやぁ、どうもどうも」

 「お見事!!何度見ても列記殿の流鏑馬が一番じゃ!!」

 年配の男に肩をバシバシ叩かれ、嬉しさと恥ずかしさが混じりあい、へへへと何とも気の抜けた笑いを返すのが彼の常だった。


 今はここ、六波羅の広大な庭で流鏑馬を行っていた。参加しているのは六波羅探題南方に属する武士たち数人。日々、誰かしらはこうやって流鏑馬をしている。


 流鏑馬は鎌倉時代の武士の鍛練方法のひとつだ。


 いつ、いかなるときに戦に動員されるかはわからない。武士たちは自分の所領を守りつつ、主君の恩に報いるため、常日頃から鍛練しなければならないのだ。

 刀剣はもちろん、馬を操り、弓をひく訓練を行うのも歴とした仕事だ。寧ろ、この時代は刀剣よりも弓、馬術の方に重きが置かれていたため、この訓練は大流行したものだった。


 この鍛練にはいくつか方法がある。

 馬上から的を射る流鏑馬の他にも、犬を囲んで追い回し、最後には射ってしまう犬追物もあるが、列記は正直嫌いだった。

 昔、一度だけやったことがあるが、逃げ回る犬のつぶらな瞳に耐えられなかった。因みにその犬は列記が連れて帰って家で育てている。今では立派なお犬様だ。悲しいことに、列記のことをおそらくは下に見ている。


 「やはり若い者は良いですなぁ!!覇気が違う」

 「いえいえ、覇気なんて」

 「なんのなんの!!過ぎた謙遜はなりませぬぞ!!嫉妬を買うことになるぞ」

 そんな男の言葉に列記は情けない表情になる。自分には、彼の言うような覇気はないと思っているし、寧ろ気が優しすぎるのではないか、と主人に苦笑されるほどだ。

 列記は逆に、まさしく武人らしい同僚たちに憧れていたのだった。



 「もう列記!!何してるの!!」

 突然、屋敷のほうから女人の声がした。嫌な予感がし、恐る恐る振り返ってみると、腰に手を当てて列記のことを睨みつける女人がひとり。


 彼の姉である。


 彼女もまた六波羅の女中としてここにいる。


 姉が苛立っていることには気づかない様子で、男のひとりが声をかける。

 「姉君!!列記殿は良き弟御ですなぁ。武芸達者で、この若さで時盛(ときもり)様の近侍とあればさぞかし自慢の」

 「そんなわけないでしょう!!あの子にあるのはうっとおしい前髪だけじゃない!!」


 うっとおしい前髪。


 別に好きでこのような前髪をしているわけではない。


 列記には姉が二人いる。ひとりはこの六波羅の姉。もうひとりは、既に結婚し、家を出ていった姉だ。


 この、右目に少し被るように伸びた前髪はもうひとりの姉のほうの趣味だ。髪をあげているよりもこっちの方が可愛い、と幼い頃から強制されていた。姉が家を出るのを機に、切ろうとしたら彼女は烈火のごとく怒った。


 ――切ったら怒るからね!!絶縁するよ!!


 彼女の何がそうさせるのか。


 ただ、列記は目を瞬いて、唖然としたものだった。

 とはいえ、敬愛する姉がそう言うので伸ばしているだけで、列記としては姉の心変わりを待ち望んでいるのだった。


 「いやいや、しかし。この者は将来立派になりますぞ」

 「なるものですか。まだまだです。もっと強くなくては!!それに皆様も列記なんかを誉めてないで精を出されたらどうです?」

 「こりゃあ、手厳しい姉君ですな」

 はっはっは、と男たちは声をあげて笑う。列記はちらりと姉の顔を見た。彼女はやはり、すごい形相で男たちを睨みつけていた。


 姉がああなのは、きっと父のせいだ。そして、姉が慕っている人のせい。

 ふたりとも武人で、豪快。強くて、まさに男、という感じだ。列記は弓も刀剣もそこそこできるが、無難にこなすぐらいの力量しかない。

 「それでいいわけないよなぁ……」

 ふと、ひとりの友人の顔が思い浮かんだ。

 群青の着物をよく着ている、少し小さな友人はどのくらい強いのだろうか。腕はなかなかと聞く。今度会ったら手合わせしてみたい、なんて思うが、彼も忙しいだろうからやっぱり無理だ。そんな考えに、列記はまたひとり、ふふっと苦笑する。



 「列記、また流鏑馬かね」


 そう、ひょっこり姿を表したのは列記の主である、北条時盛だった。

 彼は六波羅探題南方を任されている北条家の人間だ。北方の時氏とは親戚関係にある。向こうが本家、こっちは支流。とはいえ、時盛も有能な男。さればこその職である。


 彼の姿を認めた列記たちは慌てて頭を下げる。

 「かようなところにおいでとは」

 「堅っ苦しいのはなしじゃ。どれ、私も久々にやってみようかね」

 時盛は袖を捲り、近くにいた武士のひとりから弓矢を受け取る。

 「馬を」

 「おやめくださいませ」

 急に女人らしく、おとなしい声を出したのは姉だった。何を隠そう、この姉は時盛を慕っていた。そんなことが露見したらただじゃ済まなさそうだが、今のところは何とか過ごしている。

 「お怪我をされては困りますわ」

 「なぁに、ちょっとやるだけではないか。私も鎌倉ではしょっちゅう嗜んでいたぞ」

 「でも」

 姉が本気で心配そうな顔をするので、時盛は少し困った顔をして笑う。

 「女子(おなご)にそう泣きつかれては私もやめざるを得んな……まぁ、私も武人ぞ。これしきのことで怪我などすまいが、可愛い女子の頼みじゃ。また日を改めてやることにするかの」

 はっはっは、と時盛は豪快に笑う。姉はその言葉がいたく嬉しかったのか、少女のように顔を赤くして照れていた。


 時盛は、唐突に的の方角へくるりと体の向きを変えると、今立っている場所から弓をつがえ、的に焦点を合わせる。距離はかなりある。

 きりきりと引き絞ったあと、不意に躊躇いなく指を離す。普通なら途中で失速する距離だ。固唾を飲んで、その場にいた者たちは見守る。

 ひゅっと甲高い音を立てて、弓は飛んでいったかと思うと、遠くで的に当たる音が聞こえた。

 的の隣で判定をする判者が大きく腕を振る。

 「当たった!!」

 その声にどっと観衆は沸いた。流石だなぁと、列記もひとり興奮した。


 満足げな時盛は、弓を誰かに預けると、母屋へと引き返していった。

 「……あ、列記」

 突然、思い出したように口を開く。

 列記は首を傾げ、次の言葉を待っていると、時盛はにやりと笑った。

 「部屋に来い。時氏殿に用事があるから北方まで使いに出てもらうぞ」


 最近では北方に使いに出ることも減り、それゆえ前述の友人に会うことも少なかった。同じ六波羅内とはいえ、六波羅は広い。それに、向こうは北方、こちらは南方となればなおさらだ。久しぶりに彼に会えるかと思うと、少し嬉しくなってきた。


 「後程伺います」

 列記はぺこりと頭を下げると、時盛はうむうむと頷き、母屋へとあがっていった。その後ろ姿を姉は熱い視線で眺めていた。



●○●○●○●○●○



 「列記は『宇治の橋姫』を知っているか」

 それはまるで世間話をするかのような軽い口調だった。


 「嫉妬に狂った鬼女の話ですよね」


 宇治の橋姫とは、嵯峨朝の時代に誕生した鬼女伝説のことだ。


 とある姫君が心を寄せる男は別の女を愛するようになった。嫉妬に狂った彼女はやがて生きながらにして鬼女となった、とされている。その際身を浸したのが宇治川であり、それ故『宇治の橋姫』と呼ばれているのだ。


 「それがいかがなさったのですか?」

 列記は訝しげな目で時盛を見つめた。

 なぜなら彼女は、その後源綱(みなもとのつな)という人物によって成敗されたはずだからだ。今更何の話なのだろうと不審に思った。


 「橋姫が最近、再び出没するようになったらしい」


 ぞっとした。


 列記は魑魅魍魎の類いは苦手だ。肝試しに怪奇譚を聞くこともあるが、大抵途中から意識をどこかに飛ばして最後までは聞かない。そのことは時盛も知っているはずだ。


 しかし、わざわざ指名してくるということは、きっとこの件について調査しろだの何だの言うに違いない。

 列記はぐっと我慢して、主の次の言葉を待った。

 「橋姫とは言っても、その伝説の鬼女ほど恐ろしいものではないから安心いたせ」

 時盛はおもしろそうに列記を見る。

 「ただ、その姿は幽鬼のよう。夜な夜な橋の上に立っているのだとか」


 僕は勝手にその姿を想像してみる。


 月明かりのなか佇む娘。その黒髪は程よく手入れされ、結わえてはいるが胸元まで伸びる。可愛らしいがどこか憂えた表情。


 しかし、目が合うと――


 その先を想像するのが怖くて、列記は目を閉じた。


 「そ、そのような女人が夜な夜な何を……」

 列記は恐怖心を押さえて感想を言うが、時盛は、まぁ待て、と制す。

 「何か探し物をしているらしい。男が声をかけたそうだ」

 大層な物好きが京にもいたものだ、と列記は寧ろ褒め称えたい気持ちになった。幽鬼のような女人に話しかけるなんて、想像しただけでもおぞましかった。


 時盛は何かの口上を述べるような声で続きを語り始めた。


 ――かような場所で女子が何をしておるのだ


 ――探し物をしております。私の大切なものをここでなくしまして


 ――ふーむ……しかしこんな夜中に探さなくとも良いではないか。明日の朝、わしも共に探してやろうぞ


 ――いいえ……夜でなくてはならぬのです。邪魔なさらないで。さもなくば……


 「……とな。その女子の異様さにそら恐ろしくなり、その者はそそくさとその場を後にしたらしい」


 まさかその女は幽霊とかあやかしの類ではないのか。

 そんな考えが頭を過り、心なしか寒気を感じる。


 だが、ひとつ疑問があった。

 「というか、時盛様。その話はどこでお聞きになったのですか?」

 すると、時盛はにっこり笑った。

 「さぁ、どこだったかな」


 まさか件の男は時盛ではないのか。


 そんな考えがむくむくと沸き上がる。

 少々遊び人気質がある時盛のことだ。お忍びで夜遊びしていた、と聞かされても特に驚かない。


 「……ということは、件の橋姫の探し物を?」

 「そうじゃ。女子がかように困っているのを助けるのは男の務めじゃ。よろしく頼むぞ」

 時盛は折り畳まれた書状を渡してくる。これはおそらく時氏へのもの。

 しかし、これが何故北方までも巻き込むほどの事件なのか疑問だった。


 そう言うと、時盛はよくぞ聞いた、といった風に大きく頷いた。

 「橋姫が何者かはわからぬが、そのような風聞が出ているならば、いずれ庶民の不安の種になるやもしれぬ。そうなれば我々六波羅の出番だ。治安を守るのも我々の勤めだからの。まずは時氏殿の協力も得ねばならぬ」

 時盛の算段では、まず時氏の協力を得て、橋姫の正体を見極め、それが更なる事件に発展するようなら継続して解決に尽力せよ、ということらしい。


 「……了解しました」


 とにかく、友人に会える。


 それだけが唯一の慰めだと思い、列記は北方へと向かった。

次回は4月20日午後8時投稿です。

次回もよろしくお願いします。

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