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道草之譚  作者: 玖龍
柑子問答
2/9

第二話

明けましておめでとうございます。。

今年度もよろしくお願いします‼

 あからさまに不機嫌になった夏目の様子に時氏は慌てない。彼は自分の調子を保ったままのんびりと口を開く。

 「そうですね……確か夏目は書物が好きでしたね」

 「……お前、本とか読むのかよ……」

 芳乃は何か変なものを見る目で夏目を見つめる。


 この時代、武士に教養は必要なかったと言えば語弊を生むが、少なくとも無くても生きていけるものだった。識字率は低く、例えば先の乱で天皇からの勅命が書かれた文書が届いたとき、御家人はほんの一部を除いて誰も読めなかったと言われるほどだ。文字を読み書きできるのは有力な武家、知識人階級の人間ぐらいだった。


 なので、一介の武士である夏目が文字を読めるということに芳乃が驚くのは当然のことだった。

 「……父上が読めた方が良いと……だから勉強したんだ」

 自分が苦労した分、子供には、と父は考えたらしい。それに当時は引きこもりだったのですることもなかった。そのときに覚えたのだった。

 今では、難しいものは読めないが、普通の文章なら読める。こちらに来てから、その才を知った時氏から簡単な書物を貸し出されて、時氏の時間が許す限り教えてもらったり、また自力で読んでみたりもしている。その程度ではあるが、この能力は大変重宝されている。


 「夏目が文字が書けるから助かってます。他には……」

 「まだあるんですか……!?」

 誉められて内心嬉しくなったのもつかの間、再び焦り始める。

 そもそも時氏にも自分の好みなど言ったことはないのに、何故こんなに知られているーー素振りだけかもしれないがーーのかわからなかった。驚くべき観察眼だ。


 夏目は次の言葉をびくびくしながら待っていると、時氏は天啓を得たようだ。はっとした顔で夏目を見る。

 「猫」

 「……猫」

 「猫が好きでしたね」

 「……え」

 夏目も芳乃も呆けたように時氏を見つめ返す。時氏は顎に手をあて、懐かしそうに目を閉じると、口元を綻ばせた。

 「ほらいつだっか……雨に濡れた子猫を助けてやっていたではないですか」

 「そ、それは昔の話です!!」

 夏目が慌てて止めに入ろうとするも、時氏は全く動じず、寧ろその意を察した芳乃に夏目は取り押さえられてしまった。

 「もう三、四年前ではなかったですか?あのときの夏目の顔は可愛らしかった」

 「……やめてください」

 夏目は赤面し、顔を覆う。耳まで真っ赤になって恥ずかしがった。


●○●○●○●○●○


 あれは、夏目がまだ六波羅に来て間もない頃。


 雨の日に何となしに外に出てみると、門前で微かな鳴き声が聞こえたのだ。何かと思って見に行くと、それは迷ったのか、ただ捨てられたのかはわからなかったが、雨に濡れて震える猫だった。

 「猫……可哀想に」

 夏目は誰にも見られていないことを確認すると、猫をひょいと抱き上げた。着物の袖で、その体をぬぐってやる。すると、猫は暖を求めて夏目にすり寄ってきた。

 その柔らかい毛がくすぐったくて、夏目は思わずはにかむ。

 「何だよ……くすぐったいなぁ、もう」

 懐の猫がにゃあ、と鳴く。それがあまりにも可愛くて、夏目は破顔した。


 しばらく猫を懐に抱いて、雨のなかに立っていた。当然、庇の下で雨宿りをしていたが、雨には普通にかかってしまった。

 当分夏目の指にじゃれついていた猫は、充分暖まると、夏目の腕の中から飛び出してどこかへと去っていった。

 「薄情者だな……」

 ひとり残され、呆気にとられた夏目は渋々、門の中にはいる。下を向いてとぼとぼ歩いていると、近くで時氏の声がした。

 「夏目、なんでそんなに濡れているのですか?」

 「時氏様」

 指摘されて、改めて自分の服装を見ると、なるほどびしょ濡れである。雨のなかで、濡れた子猫をしばらく抱いていたせいだろう。夏目は今更自分のやったことに恥ずかしくなる。

 「夏目?」

 時氏の声に、一気に現実に引き戻される。夏目は時氏と自分の服を交互に見やると、ようやく口を開いた。

 「転けたんです、水溜まりで。着替えてきます!!」

 そう言い残すと、夏目は走ってその場から逃げ出した。


●○●○●○●○●○



 「ホントか、それ?夏目、猫好きなんだ」

 「うるさい!!黙れっ‼」

 にやにやと笑いながらちょっかいをかける芳乃に、夏目は半泣きになりながら怒鳴る。


 今思えば、時氏は一部始終を見ていたのだ。でなければ、夏目の顔など見えないはず。

 それに気づき、精神的に瀕死を迎えている夏目をよそに、芳乃はうーん、と頭を抱える。

 「でも書物とか正直俺は読まないし、猫なんて……ねぇ。何か好きな食べ物とかないのかよ」

 すると時氏も、ふむ、と顎に手をあてて真剣な表情になる。

 「夏目は基本的には何でも食べますからね。嫌いなものが出ると表情は固くなりますが食べますし……取り立てて好物というのは無いのでは?」

 「でも絶対何かあるはず。俺はそれが知りたい」

 「……もう私は下がります」

 夏目はふらふらと立ち上がると、そのまま部屋を出ていこうとする。

 「夏目」

 その背中に時氏が声をかける。夏目はゆっくり振り返った。

 「夏目、私は桜庭君が来てくれて良かったと思ってるよ。こういう話をお前としたことがなかったからね……まぁ、私とはともかく、心遣いをしてくれる桜庭君とは仲良くやるのですよ」

 ちらりと芳乃を見る。芳乃は夏目と目が合うと、にこっ、といつものように笑った。


 何だか、自分だけが拗ねてるように思えて、夏目はまた顔を赤らめる。

 あくまでも彼とは同僚であり、仕事上の付き合いだ。決してそれ以上の関係になることはない。そもそも、こういう騒がしくて、無礼な者は苦手なはずだ。


 でも、なんて思ったりもする。


 夏目が人付き合いが苦手だということを察しているのかいないのか知らないが、それでも親しくしたいと、こうして何かを考えてくれる芳乃のことを見直してはいた。これからどれくらいの期間、共に働くのかは想像つかないが、時氏の信頼に応えるためにはやはり芳乃との協調は必須である。彼はそのきっかけを与えてくれたのだ。多分。


 だが、それを芳乃の前では認めたくない夏目は、時氏に礼をした後、芳乃の方を振り返らずにそそくさとその場から立ち去った。



●○●○●○●○●○


 「……それで、結局相楽様は何がお好きなのですか?」

 控え室でぐったりと、文机に寄りかかっていた夏目に上衣をかけながら、沙羅が恐る恐る訊ねた。夏目は視線だけ彼女に向ける。

 「そなたまでそんなことを言うのか」

 「ご、御気分を害されたのなら謝ります。ですが……」

 沙羅は何故だかぽわぁっと顔を赤らめたまま、宙を見る。

 「私も……相楽様のことを知りたいなぁ、なんて」

 芳乃と違って、全く他意など無さそうだが、それでも夏目はいまいち信用できずに沙羅をじっと見つめる。その視線に気がついた沙羅は慌てて頭を下げた。

 「す、すみません……ついでしゃばった真似を……」

 本当に申し訳なさそうに謝るので、こちらまでかしこまった気持ちになる。

 「いや……大丈夫だから……それより、そなたはかつての主たちの好物を把握していたのか?」

 ふと、そんなことを思ったまでであり、特に意味などない。ここで、彼女が肯定すれば教えてやらなくもない、ぐらいの軽い気持ちだった。

 沙羅は少し考えたあと、小さく頷いた。

 「私が今までお仕えした方々は個性的な方ばかりでしたから……趣味に生きていらっしゃる方が多くて、自ずとその方のことがわかってしまう感じでした。しかし相楽様はそうではない。相楽様は何と言うか……どこか他を寄せつけない雰囲気があります」

 全くそんなつもりはなかった。が、考えてみれば、未だに友人が少ないのも、自分の性格とそれが原因なのかもしれない。もしかしたら、知らず知らずのうちに芳乃にまで気を使わせていて、それが今回の騒動に繋がったとも考えられる。


 沙羅の言葉に、少し反省した夏目は、数分間黙ったままだったがようやく、意を決したように口を開いた。

 「……し」

 「え?」

 沙羅がキョトンとした顔で訊き返す。夏目はそっぽを向いて、唸るような声で答えた。

 「水菓子……が一番好きだ」

 「……まぁ」

 沙羅は柔らかく微笑んだ。


 水菓子のなかでも林檎と桃が好きだった。昔、時氏に分けてもらったこれらの水菓子がたまらなく甘く、おいしかったのが忘れられないのだ。柿の渋味とほのかな甘味も好きだ。だが、林檎のあの酸い感じ、桃の滴る甘露に勝てるものはまだ知らない。また、同じ種類であっても、それぞれの甘さが個体個体によって変わるのも好きだった。


 沙羅の笑顔を見て、夏目は唇を尖らせる。

 「何がおかしい」

 「いえ……相楽様が案外可愛らしくて」

 「む」

 沙羅は本当に嬉しそうに小さく笑うと、立ち上がってどこかへと行こうとした。まさか椿たちに報告するのではないか、と疑った夏目は慌ててその背中に声をかける。

 「桜庭たちには言わないでくれ」

 「わかってますわ。相楽様はお疲れでしょうから少しお休みください」

 そしてぺこりと頭を下げると、沙羅は音もなく部屋から出ていった。



●○●○●○●○●○



 その数日後のことである。


 夏目が部屋で時氏から借りた書を読んでいると、芳乃が突然入ってきた。

 声かけもせず、無断で入ってきた芳乃を睨むが、彼は超絶笑顔だ。夏目ははぁっとため息をつくと、目をもんだ。

 「何の用だ」

 「これ、やるよ」

 そう言って芳乃が渡してきたのは小さな籠だった。何かいい匂いがする。

 籠の上に被せてあった薄い布を持ち上げると中から現れたのは、色鮮やかな水菓子だった。

 はっとして夏目は芳乃を見る。彼はへへへと笑うと、夏目の側に腰を下ろした。

 「好きなんだろ」

 「……誰に聞いたんだ」

 まさか沙羅か、と思い、側にいた彼女を見たが、ぶんぶんと頭を振っている。彼女は夏目には嘘をつかなさそうなので、多分信用してもいいはず。

 では一体誰が、と思っていると、芳乃が口を開く。

 「俺の鋭い観察眼と閃きってやつだな」

 「正直に話せ」

 「聞こえちゃったのよ。ねぇ、芳乃」

 芳乃の後ろからひょっこり椿が顔を覗かせる。

 「夏目ちゃん、水菓子好きなんですってね。いっつもむーってしてる割りに、甘いもの好きなんて可愛いわぁ」

 「……」

 最早呆れて反論もできない。

 第一、聞こえた、というよりも聞いていた、のほうが正解だろう。結構小さい声で話していたはずだ。

 「せっかくだが、これは受け取れない。桜庭が食べればいい」

 水菓子は割りと値が張る。いくら庶民にも流通してきたとはいえ、それが例え芳乃の好意だとしても買ってもらうのは申し訳なかった。

 夏目がそう言って、籠を芳乃のほうに押しやると、芳乃も逆に押し返してきた。

 「食えよ」

 「そうよ、遠慮しないで?」

 椿はひょいっと梨を手に取る。

 「剥いて食べてね」

 一瞬、剥いてくれるのかと期待したが、そうではなかったようだ。いや、例え剥いてくれたとしても食べまい。夏目はぐっと堪える。

 だが、いかにもみずみずしそうな水菓子たちに気を取られるのは厄介だ。芳乃は大変なものを持ってきてくれた。

 夏目は急いでこの部屋から立ち去ろうとしたが、丁度そのとき部屋の扉が開いた。

 「時氏様!!」

 「おや、いい香りが……水菓子ですか。良いものが手に入ったようですね」

 そこに立っていたのは時氏だった。彼はすたすたと入ってくると、そのまま腰を下ろした。慌てて夏目は平伏する。

 「誰が持ってきたのですか?」

 「俺です」

 「……ふむ。では、これは夏目にですか」

 時氏はしげしげと珍しそうに水菓子を見る。陽だまりのなかで、鮮やかに香る水菓子はやはり夏目の気力を削ぐ。食べたくないわけがない。

 「……これは、時氏様に差し上げます。私はもらえません」

 夏目が苦しそうにそう言うと、時氏は意外そうな顔をした。

 「おや、夏目は嫌いですか」

 「いえ……好きですけれど」

 「ならば数個準備させましょう……誰か」

 時氏は、その声に反応してやってきた女中に籠を渡す。夏目が止める間もなかった。

 「夏目へのご褒美ですよ」

 にこやかに微笑む時氏を見て、何だか恥ずかしいような、嬉しいような、よくわからないモヤモヤが心のなかに生まれる。じんときて、少し痛い。

 「すまないな」

 素直に言うのは恥ずかしがったから、聞こえるか聞こえないかぐらいの小声でぽつりと呟く。案の定、芳乃には聞こえていなかったらしく、彼は小首を傾げていた。

 「何?」

 「何でもない!!」

 「ありがとうだって。夏目ちゃんは素直じゃないなぁ、もう」

 椿はちゃんと聞いていたようだ。夏目はそっぽを向いて、知らんふりをした。



 「……ところで、時氏様はなんでこんなところへ?」

 芳乃は能天気に訊ねる。すると、時氏も、本来の目的を思い出したように、ぽんと手を打つ。

 「桜庭君、君にも罰を与えなきゃと思ってね」

 笑顔だ。だが、目は全く笑っていない。芳乃ははっとすると、急いで後ずさる。

 「まさか」

 「はい、そのまさかです。貴方の御父上に報告させていただきますね」

 そう言いながら時氏は一枚の書状を懐から取り出す。

 「実は貴方の御父上から貴方の問題行動を報告するよう言われてましてね。内容如何ではいずれ、六波羅にいらっしゃるそうですよ」

 その書状には、先日の騒動だけではなく、割りと細かく芳乃の行動が書かれてあった。まるで尾行しているかのようである。

 だが、芳乃は顔を真っ青にして立ち上がった。

 「……駄目です。それだけはいけませんよ、時氏様……!?」

 彼には相当余裕がないらしい。じりじりと時氏に詰め寄ると、その書状を奪い取ろうとしている。だが、時氏はそれを身軽にかわすと、夏目ににこっと笑いかけ、そのまま部屋を退室した。

 「鎌倉までこれを」

 そんな声も聞こえる。芳乃は夏目の隣で悲鳴をあげると、時氏とはうってかわって、どたばたと出ていった。

 半ば呆れた目で彼のことを見ていたが、椿が出ていっていないことに気づく。

 「行かなくてもいいのか」

 「別に?だって私関係ないし」

 椿はそう言っているが、芳乃は廊下で椿の名を連呼している。気まずい空気が流れたあと、椿は呆れたようにため息をついた。

 「……めんどくさ」

 言葉通り、本当にめんどくさそうに、彼女も部屋を出ていった。



 しばらくすると、水菓子の乗った盆を手にした女中が現れた。

 「時氏様から、こちらにお持ちするよう言われました。ここに置いておきますね」

 「すまない」

 彼女は部屋の入り口に盆を下ろすと、そのままどこかへと去っていった。

 夏目は書を読む手を休めーーといっても、既に集中力は切れていたがーー盆の上の梨に手を伸ばす。

 綺麗に八等分された梨はたっぷりと水分を含んでおり、見ているだけでその甘さを想起させる。


 一切れ口にいれた。


 「……甘いな」


 夏目は心底明るい気持ちになり、人知れず小さく微笑んだ。


 暦上は既に秋。


 それでもまだ夏の余韻が残る京都、六波羅でのこと。

『柑子問答』はこれにて終幕です。読んでくださりありがとうございました。。

林檎と桃はまさかの季節じゃなくて登場させることができませんでしたが、夏目はまごうことなく林檎が好きです。。

当時は今とは違って、『和林檎』という林檎が流通していたのですが、それはとても小振りで酸っぱいらしいです。なので薬用(当時の果物は大体そうだったらしいのですが)として使われていたそうです。現代の林檎あげたら夏目は大層喜ぶんだうろなぁ……と勝手ながら想像しています(親バカ)

因みに『柑子』とは甘い果実のことらしいです。。タイトルに合う語句を探してたらたまたま見つけたんですけどね……それっぽいのあってよかった……


次回はいつ投稿になるかはわかりませんが、またお見かけの際にはよろしくお願いします‼

挿絵(By みてみん)

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