第一話
今回のテーマは「夏目の好物」です。全二話構成。
(時系列的には、第二章《緋童子》編から第三章《丞》編の間です)
「……私の好物?」
夏目は思いきり顔をしかめて、目の前の人物に訊き返してしまった。
目の前の人物ーーーーすなわち桜庭芳乃は、先日六波羅に着任したばかりの御家人だった。
端正な顔立ち、やや上背の高い、細身の外見。頭の高い位置でくくってもなお、肩先まで伸びるその髪は彼の爽やかさを演出するには充分だった。六波羅に勤める女中たちの間では、そんな芳乃の話で持ちきりだ。
ただひとつ、常人と違うところと言えば、長く伸びる一房の銀髪ぐらいだろうか。惜しげもなく披露されたそれは、時折陽光に煌めき、それも女人たちの間では好印象らしい。
そんな彼が夏目の元にやって来て、開口一番こう訊いたのだ。
「夏目って何が好きなの?」
正直、夏目は未だにこの手の人物は得意ではなかった。
まず騒がしい。
言動が幼い。
それに夏目の主である北条時氏とは知り合いであるらしいところが、何とも腹が立つところだ。
時氏の命で、彼の教育係をしているから共に行動するだけであって、夏目自身は別にそれ以上の関係を望んでなどいなかった。
夏目は嘆息すると、うろんげな目で芳乃を見る。
「そんなことを訊いてどうするつもりなのだ」
すると、芳乃はにかっと笑った。
「だってこれから俺たち、相棒だろ?お近づきの印に何か物を贈ろうと思って」
「……いらない」
芳乃にはほとほと呆れたものだ。
夏目が芳乃のことを未だに信用しておらず、距離が縮まらないことを芳乃も感じているのだろう。それを打開するための苦肉の策が、贈り物作戦。子どもでもそんなことをするまい。
「第一、そんなことで私が懐柔できるとでも思ったのか。甘いな」
「ほらねー!!夏目ちゃんならそう言うと思ったのよ!!私の勝ち」
突然響く甲高い声。夏目はぎょっとして、後ろを振り向いた。
「ちぇっ……はいはい、参りました」
芳乃はしおしおと座り込む。その横で小躍りをする女人がひとりーーーー椿である。
夏目が芳乃が苦手な理由はこの女人にもあった。
人ならざるものである彼女は、主の芳乃の側をちょろちょろしているかと思えば、たまに夏目にもちょっかいをかけてくる。女人が苦手な夏目にとって、それはとてつもなく迷惑でうっとうしいものなのだ。
それに、夏目が芳乃と共に行動しなければならなくなった原因のひとつも彼女の、いや彼女たちの存在にある。
彼女は『宿』と呼ばれる特別な存在であり、日ノ本の各地に存在する『龍』の遺物を守護する者であるらしい。そしてそんな『宿』は『守人』という特定の人間と契約を交わし、現世に留まる。主の『守人』は『宿』と共にその任を果たしていくのだ。
その『守人』の特徴は銀髪を持つこと。
実はその銀髪は芳乃だけではなく、夏目にもあった。もっとも、夏目は普段はその銀髪を隠しているため、他人にばれることはない。唯一、この芳乃に露見したぐらいだ。
「でもさ、芳乃の言う通り、私も夏目ちゃんの好きなもの知りたいなぁ」
椿が朗らかに笑うと、だよなー、と芳乃も同意した。
あんなことを言っておきながら、どうせまた何かしょうもないことに利用するに違いない。好物をあかすのは己の弱点を晒すのと同じ。絶対に教えるものか、と夏目は決心する。
「もう用がないなら出ていってくれ。私にはまだ仕事がある」
「そうです。茶化すのなら退散願います、椿様」
そう言ったのは夏目の『宿』、沙羅。彼女はほん三日前に夏目と契約を交わした『宿』だった。それにも関わらず、彼女は夏目によくなついている。既に何十年も共にしているかのような忠臣ぶりだ。ただ夏目はそんな彼女の態度には恐縮しているため、早く打ち解けたいとも思っている。
沙羅が頬を膨らませ、椿を威嚇していると、椿は笑みを深くする。
「そんなこと言ってるけど、沙羅ちゃんだって夏目ちゃんの好きなもの知りたいんでしょ」
「なっ、そ、そんなことあるわけないじゃないですか!!」
沙羅は顔を真っ赤にして言い返すが、残念ながら動揺を隠しきれていない。それを見抜いた椿はぽんぽんと沙羅の頭を軽く叩く。
「じゃ、沙羅ちゃんも一緒に考えましょ?」
「嫌です。離してください。怒りますよ」
このふたりは仲が良いのか悪いのか全くわからない。初めはお互い、というよりも椿が一方的に嫌悪していたが、今ではこの有り様である。
沙羅はいやいや、と頭を振って抵抗していたが、案外力の強い椿には抗えなかったらしく、敢えなく引きずられていった。
「急がば回れよ。まずは夏目ちゃんの嫌いなものから考えましょ」
椿は名案だと言わんばかりに胸を張り、高らかに宣言する。夏目としてはどうでもいいので早く出ていってほしいところである。
「まずは……女の子」
女人は苦手なだけであって、別に嫌いなわけではない。今までの人生、母と妹以外にまともに接触した女人がいないので、どう接していいかわからないのだ。
なので、人並みには理想像はある。相楽家の男子は自分だけであるので、家を継ぐためにいつかは結婚するのだろうから、なるべくはその理想に近い者と、なんて考えてはいる。
ただし、かしましい、それこそ椿のような女人は嫌いである。
「それ以外には……あ、意外と虫とか嫌いそうね」
「わかる」
「きのことか嫌いそう」
「そんな顔してる」
「あとは、時氏くんに仇なすもの」
「大正解じゃねぇか」
「……相楽様は喧騒が嫌いなのです。だから早く出ていってください」
ちゃっかり沙羅も参加してはいるが、いいことを言ってくれている。きゃっきゃとふたりで盛り上がっていた椿と芳乃は、きょとんとした表情で沙羅を見たあと、互いに顔を見合わせた。
「……そうだな、これじゃあ埒があかないから俺たちは出ていくとするか」
「じゃあ、どこ行くの?」
椿の問いに、芳乃はにっこりと笑って答える。
「時氏様のところへ」
夏目は勢いよく立ち上がった。
「……どういうつもりだ」
なるべく感情を押さえて、だが、芳乃のことはちゃんと睨んでおく。しかしそれすら彼には届かない。芳乃はにやりと笑う。
「だって時氏様なら夏目のことよく知ってるだろ」
そう言い終わるやいなや、芳乃は床を蹴った。手を振ったあと、軽やかに、足音もたてずに走り去っていく。
「ま、待てっ!!」
夏目も慌ててそのあとを追いかけていった。
少しの差で、芳乃の方が早く時氏のもとへ到着した。
しかし少々騒ぎすぎたせいか、芳乃には修羅場が待っていた。時氏からの説教である。
夏目はそれに気づき、時氏の部屋の手前で立ち止まる。
正直、夏目も時氏の説教は苦手だ。そもそも叱られることが好きな人間がいたらそれはそれで問題だとは思うが、それでも時氏の説教は耐えられないだろう。
時氏は頭がいい。その評価は伊達ではない。理路整然と、簡潔に、的確に問題点を指摘してくる。ただし、簡潔さと話の長さは無関係である。簡潔に、とてつもなく重箱の隅をつついてくるため、そこそこ長い時間拘束されることになる。だが、不思議とそれはもとの筋に収束していくので下手に反論はできないし、寧ろ自分の至らなさに悲壮感さえ覚えるほどだ。決して彼は感情が先走る怒り方をしないので、つまり表情を一切変えないで、つらつらと穏やかな声で怒ってくるのだ。
その証拠に、現在芳乃は六波羅に着任してからわずか数日で把握された問題点を並べられている。慣れていないせいか、反撃しようとするもあっさりと論破される始末。最早時氏の声以外何も聞こえない。
向こうから下男のひとりがやって来るも、いち早く部屋の不穏な雰囲気を察知し、音もなく後退していく。
夏目もそれに習い、そろそろと足の裏を滑らせた。
「夏目、逃げても無駄ですよ。入りなさい」
「……はい」
何故ばれたのか。夏目は消え入りそうな声で返事をすると、恐る恐る顔を覗かせる。
目があった。
もう逃げられない。
夏目は覚悟を決めると、ゆっくりと部屋に足を踏み入れ、芳乃の隣に腰を下ろす。時氏はそれを見届けると、深くため息をついた。
「夏目、桜庭君と随分仲良くなりましたね。感心ですが、騒ぐのはいただけませんね。私は騒がしいのは嫌いなんです」
「心得ております」
「もう十七にもなってあれだけ騒ぐのははしたない。もう少し、落ち着いたらどうです、ふたりとも」
「以後気をつけます」
夏目は素直に謝ったが、芳乃は唇をとがらせて、未だ不満そうにしていた。
「……それで、何をそんなにはしゃいでいたのです?」
時氏がため息混じりにそう訊ねると、突然、水を得た魚のように芳乃が顔を輝かせる。
「あの!!夏目の好物って御存じですか!?」
殴りたい。
そういう衝動に駆られるのをぐっと堪える。
拳を握りしめて、ふるふる小刻みに震えている夏目と、対照的にキラキラした目で時氏の返答を待つ芳乃の絵に時氏はたまらず小さく吹き出す。
「時氏様……」
夏目が半ば呆れたような声を出すと、時氏は慌てて居住まいを正した。
「いや……何故そんなことが知りたいのですか、桜庭君」
芳乃はかくかくしかじかと事細かに説明し、時氏はそれに一々相づちをうっていく。夏目は次第に嫌な予感がしてきた。
芳乃の説明を聞き終わると、時氏はにこりと笑った。
「ええ、知ってますよ」
「嘘ですよね!?」
思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
「知っているに決まっているではないですか。もう何年の付き合いだと思っているのです?それとも何ですか。桜庭君には知られたくないのですか?」
「あ、当たり前です!!口では私と親しくなりたいなどと言っていますが、いつ、どんな風に悪用されるかわからないではないですか。第一、弱味を握られることに何故私が賛成できるのですか」
「考えすぎたぞ、夏目」
芳乃が横から口を挟む。それをきっと睨みつけて押さえると、夏目は時氏に向かって頭を下げる。
「お願いですから、桜庭だけには」
だが、夏目のそんな抵抗も虚しく、時氏は芳乃の提案に乗った。
「いいでしょう。桜庭君の考えはなかなか良いと思います。ではこれは夏目の罰として」
「そんな……」
「やったね!!」
元凶は芳乃なのに、夏目がこのような酷い罰を受けるのはいささか、否、かなり納得がいかない。
今度は夏目がむすっと膨れていると、時氏は困ったように微笑む。
「そんなに怒らなくても良いではないか。夏目、桜庭君がお前のために何かしたいと言うのだからそれでいいでしょう?」
「しかし……」
それでもやはり嫌なものは嫌だ。恥ずかしい。情けない。それもよりによって芳乃に知られるのはたまったものではない。
けれども時氏の意思は既に固く、これ以上夏目がどう抵抗しようともその決意を変えることはないだろう。
「抵抗しても……無駄ですよね」
夏目は頭を抱え、はぁ、と深いため息をついた。
次回は1月1日午後8時投稿です。
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