7-1 勇者、家を買う
「いってきまーす……」
俺は宿を出る。
今日は天気がいい。
積雪が太陽に反射して、きらきら輝いていた。
「はあ……」
だが俺の心はどんよりと沈んでいる。
南の国で魔王と出会った時、俺は突然のことにパニックになって逃げだしてしまったのだ。
勇者失格だ。
「どうされたのですかな、勇者様?」
俺が村を歩いていると、一人の村人が寄ってくる。恰幅のいい男だ。
俺はつとめてにこりと笑う。
「ああ……これから魔王を倒しに行こうと思ってな」
「魔王を!?」
俺は何度も魔王と戦う機会があったのに、すべて自分から逃している。
このままではだめだ。
なにがなんでも、魔王を倒さなくては。
俺はうつむき、手のひらを握りしめる。
「……勇者様、ご無理をなさっていませんか?」
「え?」
俺は男に向き直る。
男は心配そうな顔をしていた。
「いえ、ずいぶんと険しい顔をしていたので……」
「ああ、不安にさせちゃったか? でも大丈夫だ。俺は魔王を倒す」
「たしかに魔王は倒してほしいです。ですが、今の勇者様は私達のせいで追いつめられているような気がして……」
「追いつめられる?」
「はい、ご無理をさせているのではないかと思って。ですが勇者様。私どもは勇者様に万全の態勢で戦ってほしいのです。それまでずっといてくださってけっこうですよ。あ、もちろん魔王を倒しても、ここで暮らしてくれるなら大歓迎です!」
「…………」
言われてみれば、俺は功を焦っていたかもしれない。
こんな状態で魔王に戦いを挑んでも、負けるだけだろう。
助けられてしまったな、と俺は笑う。
「ありがとう、目が覚めたよ。今日のところは出直してくる」
俺が宿に帰ろうとすると、
「あ、ちょっと待ってください勇者様!」
「ん? なんだ?」
俺を呼び止めた男は、照れくさそうに笑った。
「勇者様、家を買ってはいかがですか?」
「家?」
「滞在期間も長くなってきたことですし……宿暮らしでは何かと不自由だと思いまして……」
「家か……いいかもしれないな」
角と翼でかなり散財してしまったが、旅の最中にお礼でもらったお金はまだまだありあまっている。
そこそこの家なら買えるだろう。
「家ってどこで売ってるのか教えてくれないか?」
俺は男に問いかける。
「それでしたら……」
男に連れられて、俺はある一軒の家の前にやってきた。
二階建てで、普通に家族で暮らせるくらい大きい家だった。
外観もかなり新しく、住み心地はよさそうだ。
「こ、これか?」
「はい、勇者様」
「こんなに立派じゃなくてもいいんだけどなあ……金も足りるかな?」
俺が渋い顔をすると、
「それでしたら、ご安心ください!」
男は得意げに笑う。
「勇者様にこれはプレゼントします!」
「なっ……!? どういう意味だ?」
「そのままの意味です。実は自分、勇者様に何かお役に立ちたくて、これをご用意したんです!」
「用意って、家だぞこれ!?」
「はい、自分にはそれくらいしかできませんので……」
そういえば、この男が着ている服はかなり質がよさそうだ。
金持ちだったのか。
「お前、最初からこれが目的だったのか?」
「まわりくどいやり方で申し訳ありません。きちんと言うべきだったのでしょうが、勇者様の顔を見ていると居てもたってもいられず……」
「で、でもさすがに家をもらうなんて悪いし……」
「そんなことを言わずにぜひ! ぜひもらってください勇者様! お願いします!」
「いやいや、そんなことをお願いされても……」
俺が困り果てていると、男の声を聞きつけたらしい別の村人が近寄ってくる。
腰が曲がったおばあちゃんだ。
「あんれま! これはこれは勇者様! ちょっとお前、勇者様を困らせちゃいけないよ!」
男は優しげに笑う。
「困らせている訳じゃないよおばあちゃん。勇者様に、家をプレゼントしようとしているだけさ」
そ、それが困っているんだが……
「家って、この家をかい!? 勇者様があたしのご近所さんになるなんてめでたいねえ!」
「あ、いやまだ決まったわけじゃ……」
俺はあわてて現状を説明しようとするが、
「それなら勇者様! あたしの家具を使ってくださいよ! あ、あたしのお古ってわけじゃないよ! あたしは家具屋だからねえ!」
「ちょっと待ってく――」
おばあちゃんは俺を無視してまくしたてる。
そのままおばあちゃんの家具屋まで引っ張っていかれた。
「さあ勇者様! 持ってってくださいませ! 遠慮はいらないよ! お代なんてけっこうですからね!」
「お、おばあちゃん落ち着いてくれ」
「お前達、勇者様に売り物をあげておやり! けちけちするんじゃないよ! 一番高いものを持ってくるんだ!」
おばあちゃんの息子らしき男達が、俺にベッドやソファを押しつける。
「ちょ、ま――」
「勇者様は力持ちですねえ! さすがは勇者様!」
俺は家具をいくつも抱える。前が見えない。
重くはないが、気持ちが重い。
「あれ、勇者様じゃないですか?」
前が見えないが、また村人が寄ってきたようだ。
おばあちゃんが俺の引っ越しを説明している。
「それでしたらぜひ私も力になります!」
俺はさとった。
もう遠慮できる空気じゃなくなっていると。
「みんなで集まってなにをしているんですか?」
また誰かがやってきた。
俺は村の人の優しさに涙が出てきた。
明日、新居でぐっすりと眠ったら、万全の態勢で魔王を倒そう!
すべてが終わったら、ここで暮らすのもいいかもしれない。
◇
「よし!」
俺は新居の扉の前に立っていた。
あれから、みんなが家具の配置までしてくれた。
自分でできるから、と断わったのだが、むしろ完成するまで家に入ることを禁じられてしまったのだ。完璧な状態で見せたいそうだ。
みんないい人すぎる。
俺の喜んだ顔が見たかったようだが、終わった頃には日もかげってきていたため、帰るように頼み込んだ。
明日、感想を言う約束だ。
「ただいま!」
俺はいきおいよく扉を開ける。
灯りをともした。
木の香りを目一杯吸い込む。
新品の家具たちが俺を出迎えた。
「おお!」
くつろげる大きなソファに、雪国では必須であろう暖炉。
丁度いい大きさのテーブルには、椅子が二つある。
戸棚にも二つづつ食器があるということは、俺とお客さん用だろう。村人たちの気配りを感じた。
俺は二階へ続く階段を駆け上がる。
二人一緒に寝られるくらい広いベッドに飛び乗り、ごろごろする。
「気持ちいいなあ……」
俺は仰向けになる。
ふと、階段からでは死角になって見えなかった壁際に、真っ黒い鎧が鎮座していることに気づく。
「あ……」
防具屋が、持ってきたものだ。
魔王の姿を俺から聞いた防具屋は、俺が角や羽根を収集していたことを覚えていて、これを引っ張ってきてくれた。
これで魔王を倒す訓練をしてほしい、と。
俺は部屋をぐるりと見回す。
二人用のベッドや、一階の内装に思いをはせた。
「なんか……よく見れば、新婚さんの部屋みたいだな……」
自分で言って恥ずかしくなる。
全部二人用だからそう見えてしまうだけだ。
そう自分で言い聞かせても、なんだかむずむずする。
鎧を見たせいだろう。
「――って、なんで鎧を見て意識するんだよ!」
俺は恥ずかしくなって、ベッドの上でじたばた暴れた。
村の人達の好意を俺は……!
違うんだみんな! 魔王に似ている鎧だから意識しているんじゃなくて、鎧ってほら、人型だからむずむずするんだって!
「こ、これが目に入るから変に意識してしまうんだ。別のところに移動させよう!」
俺は鎧の前におもむく。
衣装箪笥の奥にでもしまおうと、鎧に手を伸ばす。
「……だが、いいのか。こんなことをして……」
防具屋のご主人の顔が頭に浮かぶ。
俺は人の親切を無駄にするのか?
いや、それ以前に、鎧ごときで心を乱されては、村の人々の好意に砂をかけるようなものじゃないか。
自分を追い込むな、と村の人々は言っていたが、これは追い込んでいるわけではない。
「逃げないだけだ!」
俺は鎧を掴む。
もっと目立つところに置いてやる!
俺は負けない!
この試練を乗り越えてみせる!
◇
「ここが勇者様の家……」
翌朝、メアリーは勇者の新居の前にいた。
昨日、勇者が引っ越したと聞いた彼女は、さっそく彼を訪ねたのだ。
「勇者様、メアリーです」
メアリーは、こんこんと扉をノックする。
だが返答がない。
「勇者様、まだ眠ってらっしゃるのかしら……」
少し早く来すぎてしまったかと、メアリーは扉から離れる。
諦めきれずに窓から室内をうかがうが、勇者はいない。
「でも、勇者様は早起きなのよね……」
なぜか勇者の起床時間を知っているメアリーは、二階を見上げる。
彼女は嫌な予感じみたものを覚えていた。
前にも二度程度、こんなふうに勇者を訪ねても、出てきてくれなかったことがある……
無遠慮すぎるかしら、と心細くなって周囲を見回しつつも、メアリーは二階へ続く外階段に向かう。
雪で滑らないように注意しながらも、階段を上った。
「勇者様ー……?」
窓からベッドが見えた。
そこに寝転がっている勇者は、
なぜか漆黒の鎧を抱きしめながら眠っていた。
「なんでですかー!?」
メアリーは窓を叩く。
勇者は安心しきって、爆睡していた。
とてもいい笑顔だった。