嘘か真か
本作には架空の病名が出てきます。その架空の病名はあくまでフィクションであり実在はしないはずです。いや、調べてないのであったらびっくりしますが
いやあ、皆さんこんばんは。T氏は酒場のいつもの席に座ると、珍しく落ち込んでいるYくんの様子に気がつき、彼に酒をおごりながら話を聞いてやった。T氏は紳士的だがどこか剽軽な風があり、彼がグラスを手に取ると必ず何かしら怪しい話を一演説ぶつというので評判の人物であった。周りの常連たちはそんなT氏がYくんの話を聞くことに感心する一方、苦笑を内心浮かべた。この男、こうして親身に相談に乗るフリをして、またYくんをダシに何か語りだすのであろう。そんな好奇心とYくんへの下世話な同情が場を静かに満たしていく。
──一体どうしたんですYくん。いつも元気な君らしくない。
ああ、最近彼女と上手くいかない。なるほどなるほど。彼女の言ってることが嘘なのか本当なのか、わからない。わかりますよ。女なんてやつは白と言えばのらりくらりと黒を仄めかして、じゃあ黒?って聞いたらそういうことでもないとモタモタモタモタ、煮えきらずいったり来たり。あんなので男を手玉に取った気でいやがる。
──おっと!これは内緒ですよ。私は会社では女性の職場進出を応援するフェミニストとして通っていまして、こんな話が出来るのもここだけですねえ。
いや笑わないでくださいよ皆さん…しかし、私からしたらそっちも嘘じゃないんですよ。つまり、女のわがままなところ思わせ振りなところにイライラする一方、そんな女性が男に酷い目に会わされたとか偏見で苦しんでると聞くとなにくそ許せん!となる。どっちもどっちで本音なんですね。
一体全体、人間のやることなすことの何が本当で何が嘘か。人間自体があやふやだからそれも霧みたいに掴みづらくなっちゃうんでしょうね。
こう、嘘と本当がスパッと別れていればいいんですが…ああそうだ、こんな話を思い出しましたよ…ほら始まったってなんですか、ははは。
──今から話すのは詐欺師の話です。ある意味嘘と真というなら彼らほど聞くのに適任な職種はいませんね。完全な嘘で金を稼いでるんだから、何が本当かもよく知っているに間違いない。教えてくれる答えも嘘かもしれませんがね
でも今から話す話の主人公である詐欺師のシュウイチという男に聞くのは考えものです。この詐欺の話はこんな台詞から始まります。
「もしもし母さん?オレだよ。オレオレ」
古いですね。オレオレ詐欺ですよオレオレ詐欺。でも、そんなに昔の話じゃないです。
今、詐欺師、と言いましたが、正確には彼はまだこの電話をかけた時点では詐欺師ではありません。今まさに詐欺師となるべく初めてのオレオレ詐欺を仕掛けている真っ最中であり、つい先週までは工場で働いていた青年でありました。さて、このシュウイチはなぜ詐欺師となることを決意するに至ったのでしょうか。
一言で言えば、これまた古典的ですね。辛いことだらけの世の中にやさぐれて、仕返しとして何か犯罪でもしてやろうと思った。彼の人生は、下へ下へと下がる一方の人生だったんです。
彼は物心つかぬうちから親に捨てられ、拾われた孤児院ではよく扱われていましたがその孤児院も八歳の時に火事で焼失。──え、SL孤児院?26年前に新聞記事になってた?──よく昔の記事を覚えてるなあ──まあそこの孤児院かは別にしまして、これで仲のよかった友達とは皆里子にもらわれていき散り散りバラバラ、尊敬していた院長先生も死んじゃったと、まあ大変です。そんな悲しみも冷めぬうちから、引っ越し先の学校ではわずかな恐怖心を備えた冷ややかな侮蔑、悪意と、優越感と見世物見たさを潜ませた生温い眼差しに晒され、それに自ら応えるように彼自身も売られる前から喧嘩を買い、登下校にナイフを忍ばせるような荒れた青春を送ってきました。ひょっとしたら、他人からの見下した視線に当てられるうちに、それに誘導されていったのかもしれないですね。悪口とか言われていくと、どんどん自棄になってじゃあ実際嫌な思いさせてやるよってなるじゃないですか。増してや子供ですからね。自尊心とは的確な指針を示してもらわなければポッキリと土台から崩れるものです。
その指針を示すべきだったであろう大人たちはどうかと言えば、例えば小学校の担任は善意を持って接しようとするんですがその非行を恐れ敬遠し──あまり表には出さなかったけど、疎まれる子に特有の繊細さで見抜かれましたね──その担任のことが嫌いではなかった彼を失望させ、結果的に更なる孤立と不良化に拍車をかけます。
中学時代の教師はシュウイチは無理やり矯正させようと暴力による管理に訴えたんですが、逆に彼の反発心に火を付け、彼を少年院送りにすることは出来ましたが、同時に自分も病院送りになっちゃった。
肝心の里親はどうかと言えば、これが一番酷い。可愛い可愛い子どもをひきとって可愛がろうと思ったら、来たのはかくもひねくれた子でしたからね。罵声、無視、暴力、まあ子どもに加えられる考えられる限りの酷いことのオンパレードです。間違いなく、それだけでは歪まなかった彼の心を最も歪ませたのはこれでしょう。
なんとか院を出ると同時に家から出て仕事を探しましたが、ここまでがここまでです。まともな職など到底見つからず、これまた罵声叱責暴力が飛び交う怪しい工場。わー、私なら無理ですね。稼ぎは数十倍の違いなのに安いあっちの方がよっぽどキツい。しかし少年院程度で矯正されるシュウイチではない、本当に矯正するならもっかい孤児院もってくるべきだね、とにかくこの工場でも上司に反撃してやり返す、他の虐げられていた同僚からは拍手喝采ですが、当然そのまましこたま仕返しされて首ですね。
アパートの自分の部屋で自分の人生と今日の屈辱を振り返り、悶々悶々と、「ちくしょう、オレの人生はおしまいだ。いや、あの日、親に捨てられた時からどうしようもなく詰んでいたんだ。なんでオレを生んで、捨てちまったんだ」と一番の原因であろう実の親へとその憎しみの矛先を向けていきます。
人間、煮詰まると考えの方から進んで危険地帯に入るんですね。かれもこのまま、ああ、どうせすべておしまいならオレも最後にこの世に大きな復讐をしてやろう、オレは今から知らんやつを殺す、そいつが親の代わりだ、とナイフを握りしめ考え始めた矢先、こんこんとドアをノック。
「誰だ」とドアを開けてみれば、少し仲のよかった職場の先輩。先輩、包丁を持ったシュウイチを見てわっとびっくりしましたね。でもすぐ落ち着いて話を切り出す。「いい仕事あるぞ」と。「どういうことですか」と聞いてみたら、「いや、俺よぉ〜〜、実はあの工場の他にももうひとつ働いてるとこあってなぁ、そこが電話で契約取るだけで大金稼げる場所なんだわ」とまあこれが実は詐欺の仕事だったわけですね。それが詐欺と知ったのも、現場についてからでしたが、すっかり悪事で持って世間に復讐してやると決めた彼にはちょうどよかったらしく、今詐欺の電話をかけました。
ここで話はシュウイチから、彼の犠牲となるであろうヨシエさんという老婦人に話が飛びます。彼女はただの老婦人ではなく、実は実業界の大物で、ある日突然業界に参入、めきめき商才を上げ頭角をあらわしてきたというお人。でも、滅多に家からは出ず、結婚もせず、資産は息子に継がせるためにあると公言している。おまけに秘密主義者で、細かいことは滅多に人に話さない。だが噂によると家に帰らない相当息子を気にかけているらしい、と先輩は話してくれました。
これにシュウイチは頭に来ましたね。オレは親に捨てられ、今まで苦労してきたというのに、この女の息子はなにもしていないというのに莫大な資産が転がり込んでくるだと。と。
さて、スイッチが入ったシュウイチが話を切り出しました。「もしもし、オレオレ。オレだけど」と。さて、皆さん、そのヨシエさんが実業界でも有名ならそりゃ簡単に引っ掛かるわけないだろうと思ったでしょう。ところが「オサム?オサムなの?」といきなり名前まで出してきました。これにはシュウイチも驚きましたがチャンスに違いはありません。
「そうだよ、オサムだよ…実はさ…オレ、最近病院行ったんだけど、治りにくい、難病だって結果が出たんだ。神経管腐食症候群って言って、すぐに手術しなきゃ治らないって…でもそれには金がかかるんだ。今から言う口座にお金を…」云々。
ちょっと、なんでここで皆さん笑うんですか!本人が言った内容をそのまま言ってるだけですよ。うーん、まともな教育を子どもに受けさせないことの罪深さを思い知りますね。しかし、これもなんとヨシエさんは信じこみ、「今すぐに振り込みます」と告げ、初の詐欺はなんと成功!
──とはなりませんでした。ヨシエさんの様子のおかしいことに気づいた執事が話を聞き、それは詐欺に違いないとすぐに直感。警察が動き、シュウイチも先輩たちも一網打尽となりました。
普通なら話はここで終わりです。ところが警察に捕まって、シュウイチはおかしな話を聞きました。
そもそもヨシエさんに今現在息子さんはいなかったんですね。しかも、そのヨシエさんはまだシュウイチと会いたい、という。
どうしてもというので機会を設けて対面させたところ、ヨシエさんがシュウイチを、病院の診察を受けさせてほしいという。ますます警察もシュウイチも怪訝な表情になりましたが、実際に検査をさせたところ──
──そうです、本当に彼は病気だったんですね。彼が適当な出任せで口にした神経管腐食症候群は、実在していたんです。しかもかなり進行していました。放置していたら後一年で死んでましたね。
さらに、DNA鑑定をしてわかったことには、彼はヨシエさんの生き別れの実の息子、オサムそのものだったのです。
ヨシエさんこそ彼を幼い頃に捨てた母親そのものでした。しかし、それは悪意ゆえのことではなく、貧苦と夫の壮絶な暴力に耐えかねていた彼女が、このままでは息子も殺される、と直感し、生き延びさせるために孤児院の前に置いたのです。
彼女はそれを後に生涯で最も悔い、意志を立て直して夫と離婚したのですが、その時には孤児院が焼失してシュウイチ=オサムの消息が不明に。
そして彼を探し、償うために実業界でのしあがり、今日に至ったわけです。
真実を知ったシュウイチは、突然のことに戸惑いますがだんだん憎しみがほどけていきました。
警察も警察で、嘘つきの詐欺のつもりで捕まえたのに、その嘘が全て本当とあってはどうしたらよいものやら。結局シュウイチに関しては事件自体がうやむやとなったのでした。かくも印象的な事件を耳ざとい皆さんが知らないとすれば、そのような理由しかありません。
その後については…やはり皆さんの想像におまかせしたいところですが、最近の私の取引先だった企業の若社長がオサムという名前だったことを付言しておきましょう。
まあこんな話もありますからYくんも、彼女の言うことが嘘か本当かわからないならとりあえず乗ってみてはいかがですか。ひょっとしたら意外な真実が見えてくるかもしれませんよ。
そんなことを言って、適当なでたらめ嘘八百を吹き込む人もいるから気をつけなければなりませんけどね。
ほらばなし、というのは、自分で書いたり話したりしてて「あ、もう苦しい」と思えてきた辺りからが本番です。そこをなんとかごり押しすれば、後はドヤ顔できます
最初から最後まで全て苦しい場合は開き直るしかないのです