睨まれるのも一興
広い王城のなかでも裏方にある長廊下の端、緞帳の陰から突き出た手に招かれて、少年はその壁かけに覆われた小部屋に駆け寄った。
「いくらなんでもこのような場所へお出ましになるのは」
少年の苦言に、目立たぬ官服を着た初老の男は、色鮮やかなはめ込み窓と緞帳の間でにやりと笑う。
「自分の家に、入って悪い場所などあるものか」
「陛下」
そういう顔まで、よく似た親子である。
「どうだ、あれの様子は」
「いつもとお変わりありませんよ」
いやもうまったく。
あれだけの演説をぶって諸公の肝を縮みあがらせ、たおやかな姫君という看板をかかとで蹴り破った挙句に国内有数の貴族でもある大臣を一人馘首しておきながら、不安げなようすどころか気にしたふうもない。
その肝の太さを分けて欲しいと、半ば本気で思っている少年だった。
「傍付きの身としては、逆恨みで何かされまいかと不安なのですけれど」
「その懸念も無きにしもあらずだが、あれなら多少の暗殺者なぞ、居眠りしておっても返り討ちにしようなあ」
まがりなりにも親であるはずなのに、心配など小指の先ほどもしていそうにない国王である。
その言葉に若干の懸念を感じて、抱えていたリネンに皺が寄る。
「有事の際には、わたくしどもは姫の盾となるべきでございますか」
臣下としては、いささか不忠と取られかねない問いだったが、国王は論外だといわんばかりに渋面を作った。
「そんな真似をしてどうする。あれの剣技は暴風のようなものだ。とっとと逃げんと、巻き添えを喰って斬られかねんぞ」
親の物言いとも思えない。
さすがあの皇女を育てただけはあると、奇妙なところで納得してしまう。
再度笑った国王は、灰色にくすんだ顎鬚を撫でた。
「あれをただの飾り人形だと思っておった者も、これで少しは考えを改めるであろうさ。あれは間違っても他国に嫁にやれるような性質ではないが、悪意ある者をかぎ分けるわざには異様に長けておる。政への関心も深い。そろそろ国政に関わってもよい頃だ」
豪儀な予定表に、大抵の椿事には馴れていたはずの少年が顔を引きつらせた。
「左様でございますか」
国政に関わる。つまりそれは、あの姫君がいずれこの国を継ぐということなのだろうか。
何も知らない者が聞けば諸手を挙げて喜ぶのかもしれないが、あいにく少年は裏を知りすぎている。
けして暴虐でも浪費家でもないが、見た目と中身の差がありすぎるあの皇女が玉座につくとしたら。
そしていつまでも自分がその脇に控えるとしたら。
そんな心労のかさみそうな未来絵図は、全力で拒否したい。
恐ろしい想像に身を震わせる少年の心内を知ってか知らずか、国王がはたと手を打った。
「おう、あれはそなたをいたく気に入っているそうではないか。どうだ、あれの気を引いてみるのもよいかもしれぬぞ。ちと薹が立っておってすまんが、うまくすれば女王の夫になれる」
「いえ、謹んで辞退いたします」
死の呪文よりなお悪い国王の提案に、不敬と知りつつ即答した少年だった。