崩れる鉄壁
「なに、所詮下賤なる者の騒ぎなど取るに足らぬもの。姫君がお心を煩わせるようなことではございませぬ」
蛙腹を揺らし鷹揚を気取ってあしらおうとした大臣の鼻面に、決闘を申し込む剣さながら、白檀の扇が突きつけられた。
こそばゆくなるような甘い芳香の向こう、近隣一と讃えられる白皙の美貌のなか、怒りに燃え上がった緑柱石の瞳がある。
「面白いことを申したな。ほかでもないこの国の、われら王族を支えてくれる民の処遇に、われが心を煩わせるじゃと?」
「姫」
「たわけたことを申すな! 民がなくて国があるか、王があるか! そちがそのような華美な服を纏って肥え太れるのは何故じゃ、そちが口にしているものを育て、狩り、調理しておるのは誰じゃ! それ、そちがふんぞり返っているその足元に、どれほどの民が這いつくばって働いておるかわかっておるのか!」
唐突な弾劾によろめいた大臣に、柳のような細腰の美姫が迫った。
その靴音は近衛一個師団の馬蹄にも勝り。
その怒気は伝説の竜王を彷彿とさせ。
人々の耳朶に柔らかく響いていた珠の聲は、地獄の轟きと雷光の鋭さをもって居並ぶ廷臣たちを打ち払う。
「たかが貴族に生まれたことを己が功績のような面で偉ぶり、民を蔑ろにし搾取と利権漁りを当然の権と勘違うような下衆はこの場には要らぬ。本日をもって王宮を辞せよ」
「なんと、なんとおおせか」
しょせん飾り物と侮っていた皇女に退官を命ぜられた大臣の頭が、真っ赤にふくれ上がる。
憤怒の形相にも、深緑の目は怯まなかった。
紅唇が、絶妙の鋭さと迫力をたたえて笑みの形に歪む。
「享楽が祟って頭だけでなく耳まで耄碌したか。己が国や民を思いやれぬ痴れ者は、ここに雁首を並べる資格はないと言うておるのじゃ。王の裁可など要らぬ。今すぐ出てゆけ!」
大議場の窓硝子が割れんばかりの怒声に、男は幾度か口を開け閉めしたが、結局一言も漏らせぬまま、よろけた足取りで大扉を出て行った。
その後姿に鼻を鳴らした皇女は、はらりと開いた扇を口元にあてて振り返る。
呻き声一つ出せぬまま棒のように突っ立っていた男どもを、いっそ可憐な微笑でぐるりと見回した。
「たれそ、あの下衆に味方する者はおるか」
鈴とも水晶とも例えられる美声が、これほど恐ろしかったことはかつてない。
むろん、皇女は言っているのだ。
あれに味方すればお前も同罪、同罰だと。
この場に雁首を並べている以上、よもやその程度もわからぬ低能ではあるまいな、と。
いい年をした高官たちが、一人の例外なく幼子のように全力で首を横に振る。
その異様な光景をじっくりと眺めわたしてから、年若い妹姫はようやく頷いた。
「ならばよい。差し出た真似を致したな、許せ」
三国にくらぶる者なき美姫姉妹と誉めそやされ、フォーテの至宝とうたわれた深窓の姫君が、けちのつけようのない振舞いで大議場を退出する姿を、男たちは唾を飲むこともできずただ直立不動で見送るのだった。