はらし屋
金属をすり合わせたような高い笑い声。それが不愉快でたまらないからディズは『はらし屋』の事が好きではない。
片眼鏡に黒髪をオールバックにして、顔は多分そこそ整っている長身のこの男『はらし屋』
彼はどこにでも居るような殺しの仲介業者だ。殺しの依頼を受け、殺し屋を雇い依頼を遂行する。
この時代そんな職業は少なくはない。ただ一つ彼が他とは違うと言えば彼は『貧しい人間からの依頼も受ける』と言うことだろうか。
人を殺したいと言う欲求に貧富の差はない。むしろ貧しいからこそ不満は大きなもになるかもしれない。
はらし屋は、スラムの人間からの依頼を主としていた。そして、そういう人間の不満の対象は対外、裕福な者たちへと向くからはらしやは彼らの間では義賊のようになっている。
最も、本人は「結果的にそうなっただけですよ」と言って、あの不快な笑い声を上げて笑うのだが。
そんなはらし屋がディズに殺しの依頼をしてきた。
報酬は良いが、ディズは彼の事が好きではないし、そもそも
「あんたの仕事はさ、金以外に何もねぇんだ。肥えた金持ちの肉は脂身ばっかりで美味くない。心中屋さんみたいに若い人間の仕事なら喜んで受けるんだがな」
午前三時、夕食までのつなぎにでもしようかと作ったケーキをお茶請けに差し出しながらディズは答えた。
店の奥にあるリビング、来客用の木の肘掛つきのソファはこの間買い換えたばかりで、気に入ってる。なのに一番最初に座ったのがこの男と言うのはとても腹立たしい。
苛立ちのままにディズはどかりとはらし屋の向かい側のソファに座った。
二人掛けの座り慣れたソファ、左側にはサクが膝を抱え端に寄るように座り込んでいる。
「そもそも心中なんて事考えるのは若くて恵まれた環境の人間に決まってるじゃないか。そりゃ肉だって綺麗だろうさ――頼むよ、報酬は弾むし君の腕とサクの力が必要なんだ」
黒いアタッシュケース、幅900で奥行600㎜の机の半分を占める大きさのそれを開き彼は中身を見せてきた。
そこにはぎっしりと金貨が詰まっていて、きっとそれを課金したならそうとうな金額になるだろう。
金はあって困るものではない。
「…………仕方ない」
ディズが答えを出せば、はらし屋は嬉しそうにやはりディズが大嫌いなあの笑い声を上げた。
金色がやたら多い悪趣味ないかにも金持ちの屋敷。
「じゃあ、終わったら出てきてくれ」
そう言って、はらしやは車から降りようとはしない。彼の仕事はいつもそうだ。
現場まで連れてくるだけ、目的が達成できればやり方はこちらに一任されている。
「ああ、めんどくさい」
取り繕って、侵入するのも億劫で、ディズは早々にサクのヘッドフォンをとった。
ヘッドフォンの中には大音量のクラッシックミュージックが流れている。それに合わせて、とりあいず手あたり次第、目に入る全ての人間を殺していく。
悲鳴はもちろん聞こえてこない。
屋敷の奥に進み、地下、悪趣味なSMの危惧が並ぶ牢屋の中でターゲットの男は正に「お楽しみ中」だった。
下着一枚の男、白豚のような醜い身体を晒して彼はボンテージ姿の女性の足元に這いつくばっていた。
「――――――!」
男の顔が恐怖に歪む。女王様面していた女の顔も途端に威厳がなくなり泣き顔になる。
きっとディズから酷い死臭がして、返り血を頭からつま先まで浴びていたから一瞬にして事態を理解してしまったのだと思う。
相手の反応なんかどうでもよくて、ディズはまず狼狽え恐怖する女王様を一刺しして殺す。それから這いつくばった白豚の腹に女王様の身体から引き抜いたナイフを突き立てた。
(ああ、なんて退屈な仕事なんだろう)
これで仕事は終わったようなものだ。そのあっけなさにディズが内心がっかりする。
もう何年も血が沸騰するような気持ちのいい殺しをしていない。結局、思い出してみると、あの日、初めて自分の母親を手にかけた日以上の興奮はいつも得られないままで――。
そもそもサクが音を消してしまう次点で、殺し自体はやりやすい。そこに輪をかけて太った動きの鈍い獲物など目を瞑っていてもディズには殺す事ができた。
強いて面倒だった事と言えば腹に厚くついた脂肪のせいで、ナイフを刺すのに少し力が必要だった事ぐらいだろうか。
相変わらず頭の中には素晴らしいクラッシクが流れていた。音に合わせて指揮者のように肉を切り刻む。断末魔は音楽に変わって、ディズの耳には届かない。
肉を切り刻む、脂肪を貫いて、深く、深く、致命傷になるように。
首の血管を切るのが一番手っ取り早いけれどそれをしないのは、喉がつぶれてしまうから、声を上げても上げても無音になる恐怖を殺される人間に与えたかったのだ。
口の形を追いディズはターゲットが何を言ってるか読んでみる。
な
ん
で
お
れ
が
そんな事、自分が知る筈もないだろう。
ディズはそう思って、ただ薄く笑った。
応えてはやらない。だって自分は本当に何故この男が殺されるのか知らないし、知っていたとしてもきっとこの空間では言葉は無意味なものでしかない。
逃げ惑う男の背を追う、分厚い脂肪の間から男は腸を零しながら出口へと向かった。
(あーめんどくさい)
走るのも嫌で逃げる男の後をディズはつっくり歩いて追った。
まさか地下があるだなんて思わなかったから屋敷のほぼ全ての部屋を回ってしまったせいで屋敷中の人間を殺してしまっていて
「――――」
死体の山を見て、男が何かを叫んでいた。
(ああ、もううるさい!)
男の声は聞こえては来ないけれど、鬱陶しくて、追いついたその背かなかを衝動のままに突き刺す。
何かきっと言っている。
でも聞こえないし唇を読もうとも思わない。
恐怖で真っ青になった顔が振り返ってディズを見てきたのでその目玉めがて思い切りナイフを突き立てた。
顎が外れるんじゃないと思えるぐらい大きく口を開いて男はようやく絶命した。
ディズはナイフを仕舞い、ヘッドフォンをサクにつけた。
途端に戻ってくる音、屋敷の中で生きているものは自分とサクしかいない。
そこには確実に静寂は広がっている筈だが、やはり静寂と無音は別物なのだといつもこの瞬間に思うのだ。
だって静寂は耳を澄ませばそれでも自分の呼吸音やサクの動く度に聞こえる衣擦れの音は聞こえるのだから、
「帰ろう」
そして、手を引いてサクと屋敷の外へと向かう。
転がる死体、死臭、繋がる自分とサクの手、それはまるであの日とデジャブでなんだか不思議な気分になった。
「派手にやったようですね。お疲れ様でした」
血で真っ赤にそまったディズを見てはらし屋は、不愉快な笑い声をあげた。
今すぐこの笑い声を消してやろうかと思ってやめる。
そうやって、殺意を向ける事自体勿体ないと思うぐらいディズはこの男が嫌いなのだ。
「ところであんた、折角俺が作った茶請けのケーキを喰わなかったな」
仕事前に出したあのケーキは中々の自信作だったのだ。
きっと今頃、表面がカサカサに乾いて味も落ちてしまっているだろう。
「悪いね。僕は『人の内臓入りケーキ』は好きではないんだ」
あれほど上手いものはないとディズは思うがそもそも、食人趣味のない人間にはそうなのしない。
分かっている。分かっているがやはりこの男が言うと腹立たしい。
「もし僕が人を食べるとしたらそうだな――自分にとって好ましい人間の肉がいい」
夢見るようにうっとりとはらし屋が語る。
「だから君が死んだら僕は君の身体を食べてあげるよ」
冗談とも本気ともつかない口調ではらしやはそう告げる。
「はっ――お前に食われるぐらいなら鴉に突かれた方がましだ!」
だからディズは鼻で笑いその言葉を切り捨てたのだった。