勝者と敗者、厳しい現実
ちょうど全国の高校野球、夏の甲子園大会出場を目指しての、それぞれの都道府県での予選試合が各地で開催されている頃合いである。
甲子園の常連ともいえる強豪校、これまで全くそれとは縁の無かった弱小チームを問わず、三年生であれば皆それなりの努力を三年間、積み重ねてきたはずである。
もちろん勝ち負けの付く、悪い言い方をすれば一つのゲームであるのだから、そこには運というものの占める割合もそこそこにあるであろう。俗にいう「ラッキー!」というやつである。それでもその大半は実力に支配されるものであろう。
例えば一つの試合を開始から終了まで丁寧に見届けるとき、それがシーソーゲームであろうと大量得点差であろうと、その試合の中には一つのドラマがあると感じる。選手もベンチも応援席も、みな必死である。
そしてそういう中で結果が出、勝者は喜び歓声を上げてホームに整列し校歌を精いっぱい歌う。一方、敗者はベンチ前で整列し、女子マネージャーらも含めて涙ぐむ。
注目すべきは、そのあとである。ひと通り終わると、負けたチームは静かに球場もしくはグラウンドをあとにし、外に出て監督を中心に円陣を組んで反省会をしたりもする。だがそこには、言葉などほとんどない。選手たちは何も言わず、ただ空を見上げたり地面に視線を落としたりしている。当然、そこにいる全員が泣いている。
人々はこういう光景を、自身の目に焼き付けておく必要があると思う。
こういった光景は、何も野球に限ったことではない。




