少年時代 ~恩師のひと言~
父が富山県の特別地方公務員であった事もあり、その異動に伴い私は何度か県内での転校を余儀なくされた。転校というものは当人にしてみれば本当に嫌なもので、物心がつくにつれ、それに伴う辛さも増してきていたように感じられる。
先生に連れられて教室に入り、「今度新しくみんなのお友達になる谷クンです。仲良くしましょうね」と紹介されるのだが、誰もが新しいものに対する興味本意の眼で自分を見ているように感じ、次の瞬間、思わず目を伏せてしまうのである。
しばらくは転校生ということで色々と話しかけてくれるクラスメイト。しかし何日もしないうち、その中に『侵すべからず、何年かを費やし築き上げられてきた同級生間の和や絆』のようなものを感じ取り、「ああ、この中に完全に溶け込めないなあ…」と意気消沈してしまうのである。自分の少年時代の苦悩は、主にこの事に始まったのである。
小学校四年生のニ学期、黒部市所在の三日市小学校へ転校となった。また母がパート勤務に出るようになったため、"鍵っ子"へと…。さりとて、クラス内でもそう簡単には皆と仲良くなることもできず、孤独感で小さな胸が一杯になっていた。
五年生進級と同時にクラスの編成替えがあり、また担任の先生も代わった。しかし私の心の中は、相変わらず暗くて劣等感に満ち、授業でもさほど目立つこともなく、「もうどうでもいいや」と半ば投げやりな気持ちになっていた。
そんなある日、今でも忘れはしない担任の國友先生が私を職員室に呼び、「谷、何も自分をそんなに悪く考えることはないんだぞ。キミは体育とか音楽が得意だろ、それを伸ばしていけ!」と言ってくれたのだ。
自分は体育(中でも球技)が大好きだったので、「よし、それじゃあ好きなもので一丁頑張ってみるか」と密かに希望を抱いたのである。そして中学・高校と通じて6年間、野球部に入部し、それに没頭した。
今でも本当に、あの國友先生の激励の言葉、特に"生徒たちのあらゆる可能性を導き出し、それを発展させてやろうという恩師の姿勢"には頭が下がり、心から感謝している。
いま色んな人達と接する機会が多い中で、毎日毎日がまるで転校生のようだが、その中で曲がりなりにも元気でやっていけるのも、あの日あの時のあの先生のひと言のおかげなのかもしれない。