東日本大震災の大津波被災地、宮城県女川町を訪れて
本震災の発生から、現在で2年3か月ちょっとが経過している。
この度、初めてではあるが被災地を訪れた。焦点は、宮城県牡鹿郡女川町であった。
JR仙台駅前から、宮交観光サービス添乗員の桜井さん引率の、震災復興応援バスツアーに参加した。桜井さんは若く元気で活発な女性で、またバスの運転手さんもしっかりとしたイケメン男性であった。
最初の目的地は宮城県石巻市であった。当所は太平洋に近い側が、大津波でほぼ壊滅状態とのことであったが、2年以上の経過に伴い、それ相当の復興が感じ取れた。またJR石巻駅付近は、少し内陸に入り込んだ地点に位置するため、津波は膝下程度で済んだ様子である。
バスは牡鹿郡女川町へと移転した。途中から、女川町観光協会のガイドとして阿部 真紀子さんも乗り込んだ。そしてバスは仮設住宅の建ち並ぶ一帯へと差し掛かった。地元小学生たちのideaにより建物は色とりどりに塗られているが、復興ボランティアや支援の会社などの利用者が沢山あり予約制だという。
同地で阿部さんが涙ながらに訴えた。「誰もが津波の恐ろしさを認識していなかった!地震発生から30分ちょっとが経過ののち、この場所は海水に飲まれ、多くの人命が失われたのですが、みな油断していた…。高台へ逃げようとはしなかったのです」。
最寄りの場所で阿部さんが、ママサポーターズ代表の八木 純子さんを紹介してくれた。そして八木さんは呟いた。「私達よりもっと若い世代の人たちが大津波で亡くなり、残された私達はきっと何かをしなければなりません。私はいま、女川町の更なる復興のため、サポーターズ代表として、残った高齢者などを受け入れる商業施設の建立を計画しています!」と言って、その設計図を車から出してきて台の上に広げた。
また「女川ガイド」のパンフレット表面には、(女川の小学生の詩)として次のように書かれている。
<女川は流されたのではない 新しい女川に生まれ変わるんだ 人々は負けずに待ち続ける 新しい女川に住む喜びを感じるために>
また「きぼうのかね商店街」の一角には、文字通り きぼうのかね が存在する。連日多くの方々が、ここで手を合わせ鐘を鳴らす。
最後に「がんばっぺ女川!」と正面に記載された蒲鉾本舗「高政」に立ち寄った。そこの広域催事営業部 部長 菊地 繁志さんのプレゼンテーションのもと、同浦宿工場内を見て回った。それは笹かまぼこと揚げかまぼこと魚肉すり身の作業工程の見学であった。
菊地さんの、復興に向けての並々ならぬ力説に、ツアー参加者の誰もが感動させられ説諭もされた…!




